410 四十一番龍光寺 [Oct 16, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2017年10月16日の朝になった。午前5時起床。気になっていた足の治療ができたので安心したこともあり、今遠征で初めてぐっすり眠った。朝食は前日コンビニで仕入れた、シャキシャキレタスとコールスローのサンドイッチ、オレンジジュース、飲むヨーグルトとコーヒー。普段食べている朝食に近いので安心する。

膨れて水が出ている状態の右足親指はマキロンで消毒した後、滅菌ガーゼとフィルム包帯を付け、その上からテーピングテープで固定した。左足のマメは、足の裏と指の間にマメ用絆創膏を貼り、さらに靴下を二重にしてクッションになるようにした。今日のところは、これで様子をみるしかない。

ホテルの窓から外をみると、山はごく低いところまで雲が下りてきていて、頂上や稜線はまるで見えない。道路は濡れていて、雨粒が落ちているのも見える。これで3日続けの雨、傘を差して歩くことになる。

この日の予定としては龍光寺、仏木寺、明石寺の3つの札所をお参りする予定であるが、仏木寺と明石寺の間には歯長峠という峠越えがある。宿泊地の西予市まで約30km、高低差もあって天気も悪いとなると、楽なスケジュールにはなりそうにない。

もうひとつ気になっていたのは、前日、宇和島市内を歩いている時に次の宿である宇和パークから電話が入り、レストランが休みなので別に食事を手配しているのだが、夕食を何時にするかと尋ねられたことである。レストランの休みが前日まで把握できないホテルというのもたいへん心細いが、仕方がない。

この日最後になる明石寺の納経時間が午後5時までだから、午後6時にはホテルに入れるだろうと思ってその時間で予約したのだが、よく考えるとあまり余裕がない。遍路地図によれば明石寺から宇和パークホテルまで3kmほどだが、車の通れない道を歩かなければならないようだ。

いずれにせよ早く出るに越したことはないので、午前7時20分に出発した。遍路地図には分かりにくい道順が書いてあるが、大通りを国道56号に出て、県道57号との分岐が現われたらその方向に折れるというのが一番分かりやすい。ただし街中なので信号待ちが多く、車も多い。雨はだんだん強くなる。

国道に沿って事務所や倉庫・商店、車の営業所が続く通りを20分ほど歩くと、県道との分岐になった。龍光寺・仏木寺への案内表示も右折を指示している。県道に入ってしばらく進むと「へんろ宿もやい」が現われた。建物はアパートのような造りだ。いずれにしてもここまで宇和島の駅から30分ほどかかるだろうから、立地的には少々不便かもしれない。

道はだんだん登り坂になる。ずっと続いていた家並みもとぎれとぎれになり、やがてほとんど見えなくなった。歩道があるのは大変ありがたいけれども、国道でないのでキロポストがなく、どのくらい歩いたのかよく分からない。歩き始めて1時間半、坂道が続いてしんどかったので、路肩が広くなっているバス停のような所でリュックを下ろす。

新屋敷という場所のようだ。遍路地図で龍光寺までの行程を確認しようとしたら、このあたりに休憩所があることになっている。坂の上の方を見ると、林の陰になって見えなかったが50mほど先に東屋が見える。おお、これで雨宿りができる、とリュックを引きずって東屋に避難した。

こういう大雨の時には屋根のある遍路休憩所がたいへんありがたいが、街中ではほとんど見られないのが実情である。かつて焼山寺から大日寺の間も前半3時間で1ヵ所だけだったし、今回の宇和島市内でも龍光院の途中でコンビニに避難したくらいである。この朝もホテルから新屋敷まで、屋根が付いた休憩所はここが初めてであった。

落ち着いて東屋の中を見回すと、100m先にトイレがありますと書いてある。よく工事現場にある仮設トイレだったが、急を要する人にはたいへんありがたいだろう。そして、「龍光寺まで40分」とも書いてある。宇和島から龍光寺まで約10kmだからあと1時間くらいだろうと予想していたので、それより早そうなのはありがたかった。でも、40分では着かなかった。


ホテルの窓から見た宇和島の朝。雲が低くこれで3日連続の雨。


宇和島市街はかなり大きくて通過するのは骨が折れる。龍光寺・仏木寺の行き先表示に従い、国道から県道に入る。


宇和島から1時間半、新屋敷でこの日はじめて屋根のある休憩所を見つけることができた。

 

休憩所からさらに登り坂が続き、峠にあたるところが務田(むでん)交差点である。ここまで雨の中、2時間以上も登り坂を歩いてきたので、たいそうほっとした。前方の景色が開けている。太い道路はまっすぐと左と2本あるが、龍光寺へはそのどちらも通らない。

まっすぐ進むとJR予土線に沿って、高知県境の方に向かう。予土線は宇和島と窪川を結んでいて、窪川といえば岩本寺になる。左に進むと仏木寺から歯長峠に向かう。こちらは龍光寺の後で通ることになるが、いまは遠回りになる。狭い道をJRの線路まで下りて行き、そこを渡り直角に左に折れて山をめざすのであった。

山の方向をみると雨雲が麓まで下りてきている。天気の回復は望み薄のようだ。ただ、時刻は午前10時前。朝早く出発したこともあって、考えていたよりも早めに着きそうなのはありがたいことであった。

ここからの道は基本的に平坦であるが、意外と長い。田んぼの中のあぜ道を進み、さらに住宅地を進む。道はまっすぐで間違いようがないけれども、なかなかお寺らしき建物が見えてこない。それもそのはず、龍光寺はもう一度左に折れて山の上にあり、いま歩いている道からは山の影になるのである。

お遍路歩きをしていると、札所近くの大きな町はすべて門前町のような気がするけれども、務田のある三間町(みまちょう)は門前町ではなく、もともと穀倉地帯として栄えた地域である。だから、稲荷山龍光寺関連の施設は村の中を歩いている時点では目に付かず、田んぼだけがずっと広がっているのである。

このあたり、昔の道なのでかぎ型に曲がりながら北に道が続いている。住宅地の一画に、「仏木寺車道→」という案内板があったので、車で来た人はいったんここまで戻って次の仏木寺に向かうようだ。まだ、龍光寺まで500mほどあるので、できればここに戻らずに先に進みたいものだ(と思っていたら、後からひどい目に遭うのである)。

9時45分、龍光寺着。WEBでよく見る「食堂・長命水」の前に大きな石造りの鳥居があり、そこから参道が始まっている。参道は途中から石段になり、その上に赤い鳥居が小さく見えている。見るからに、お寺というよりもお宮である。

そば店「長命水」の他に商店・食堂の類は見当たらず、長命水から先は古い民家が続いている。考えていたよりも早く着いたし、観自在寺の御縁茶屋のところでも書いたように、こうした門前のお店を盛り立てていかなくてはならないため、お参りの後はここでお昼にしようと考えた。

雨は少し小降りになってくれた。石段を登ると本堂があり、そのレベルに大師堂と納経所もある。それからさらに石段を登った上に稲荷神社があり、こちらの方が参道から見通せる位置にある。本堂より高い場所にあることといい、参道から一直線上にあることといい、もともと稲荷社の方がメインであった証拠である。

 


務田の交差点を過ぎ、ようやく下り坂になる。JRの線路を越えて山の方向へ。


龍光寺の目印になるのは石造りの大鳥居。参拝後、門前の「長命水」でうどんをいただきました。ここから四国のみちの道標にしたがうと痛い目に遭います。


龍光寺へは長い石段を登る。その先にも赤い鳥居があり、まっすぐ進むと稲荷神社。さすがに「稲荷」で札所になっているだけのことはある。

 稲荷山龍光寺(いなりさん・りゅうこうじ)、真念「道指南」に「稲荷宮」と書かれているとおり、もともと寺ではなく、明治になって神仏分離により寺となったものである。

不思議なのは、八十八札所の中でただ一つの稲荷社であるにもかかわらず、わが国における主要な稲荷社(伏見稲荷、豊川稲荷、笠間稲荷等)に数えられることもなく、そもそも江戸初期には、久しく荒廃していた(霊場記)、小さなお堂である(辺路日記)などと書かれているように、それほど栄えた稲荷ではなかったことである。

名前に「稲」が入っているように、稲荷は「稲」の神様、農耕の神様であった。だから、起源の古い稲荷社のご祭神は古事記にでてくるトヨウケヒメやウカノミタマといった農耕神である。また、稲荷に付きもののキツネは、ネズミを食べることと尾の形が稲穂に似ていることから平安時代から眷属として祀られたという。

稲荷社が商売の神様になったのは商業が盛んになった江戸時代以降のことで、農耕神としての歴史と比べると比較的新しい。龍光寺の稲荷社も、三間川(みまがわ)中流の穀倉地帯に位置することから、最初は農耕の神様として祀られていたと思われる。しかし、霊場記にも書かれているとおり、戦乱等により久しく荒廃していたという。

おそらく、八十八を定めるにあたり、古い信仰である稲荷社も一つくらい入れておかないといけないと思ったのではないだろうか。私は八十八が確定したのは戦国時代より後のことではないかと思っている。

いずれにしても、宇和島城下にあった願成寺(現・龍光院)や交通の要衝にある満願寺が八十八に入らず、稲荷社・仏木寺・明石寺が、さほど離れた距離にある訳ではないのに3ヵ所とも八十八に入っているのだから妙なものである。逆に考えると、この3社寺は仏教以前の古い信仰の聖地だったのかもしれない。

本堂・大師堂で納経しご朱印をいただいた後、石段を上がって稲荷社に二礼二柏手一礼でお参りする。社殿の脇にもう一つ古い建物があって、そちらをみると軒下や欄間に千社札が貼ってある。お堂も貼られているお札もそんなに古いものではなさそうだ。少なくとも江戸時代のものではないようである。

予定より早く着いたのでゆっくりしようと思っていたのだが、バス遍路の団体客が石段を登ってきたので引き上げることにした。まだ午前10時を過ぎたばかりだが店は開いている。次の仏木寺まで3kmあることだし、門前の食堂・売店はできるだけ利用しようということで、早いけれど「長命水」でお昼にすることにした。

店に入ると、団体客の食事を支度中だったので躊躇したが、ご主人が「すぐできますよ」と言うので、空いている小上がりの席に座ってうどんをお願いする。5つ6つあるテーブルはいずれも団体客の食器が置いてあって、ツアーの名札が付けられている。これだけの数をいっぺんに茹でるのは大変そうだ。 後からおばさんがやってきて、冷たい水を持ってきてくれた。

待っている間、濡れたリュックを拭き、お水を何杯か飲み、落ち着いたところで熱いお茶をいただく。ずっと雨に降られてきたので、ゆっくりできたのは大変ありがたかった。

ふと外を見ると、すぐ外にこの日の宿である宇和パークホテルの広告看板がある。そこには、「四十三番明石寺から5km」と書いてある。遍路地図によると明石寺から宇和パークまでは3km足らずのはずで、それで夕食を午後6時にしてもらったのである。歩道と車道の違いかと思われたが、いずれにしても気がかりなことである。

ここを10時半に出発するとして、次の仏木寺まで遍路地図によると50分。正午に仏木寺を出られれば、明石寺までの所要時間は3時間40分だから、納経時間の午後5時に間に合わせるのは全然問題なさそうだ。ただ、この間には峠越えがあり雨は降り止まないので、それ以上に時間がかかるおそれがある。まして明石寺からホテルまで、3kmならともかく5kmとなると想定外である。

とはいえ、まだ時間には余裕がある。仏木寺を正午出発するには参拝時間を考慮しても11時半到着で十分間に合うし、ここから仏木寺まで50分だから全く問題ない。と思ってゆっくりうどんを食べていたのだけれど、例によってそんなにうまくは行かなかった。
 
こちらの長命うどんはじゃこ天とかまぼこ、竹の子、ごぼうが入っていて、だしが利いておいしい。それに、痛んでいた右足親指の爪は、テーピングで固定したのが効果あったようで、大分と楽になった。10時40分に出発。

[ 行 程 ]
宇和島オリエンタルホテル 7:20 →
[6.1km]8:45 新屋敷休憩所 8:55 →
[3.1km]9:45 龍光寺 10:40 →

[May 5, 2018]

龍光寺本堂。右上に稲荷社の鳥居が見える。

本堂・大師堂より高く、参道から正面に位置する稲荷社。もともとの八十八札所はこちらだった。

長命うどん。じゃこ天とかごぼう天とかいろいろ入っています。雨で寒かったので、温かいうどんはありがたい。