430 四十三番明石寺 [Oct 16, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

仏木寺から明石寺まで10.6kmだからそれほど遠い訳ではないが、宇和島市と西予市の境である歯長峠を越えて行くのでかなりの起伏がある。いまではトンネルが掘られているが、昔の峠越えにはかなりの困難を伴ったと思われる。その割に道指南では、「はなか坂」とあっさり書いてあるだけである。

県道の先は、右も左も山である。県道をそのまま進むとたいへん大回りとなるので、へんろ道を歩く方が距離的には短い。問題は、大雨で通行できる状況にあるのかということであった。山の中腹にはいくつも雲が浮かんでいる。雨は強くなったり弱くなったりしているが、仏木寺にいたときと比べると小康状態といえそうである。

民宿とうべやの分岐を過ぎてしばらく歩くと、「四国のみち」の案内が左折を指示、同様にへんろシールも貼ってある。四国のみちには、午前中に大変な困難を強いられたので疑ってかかるが、へんろシールもあるのでこのルートが遍路地図の点線ルートなのだろう。仏木寺までにタイムロスがあったことだし、ここは短い(はずの)へんろ道を選択する。

へんろ道はしばらくは舗装道路が続いているが、安心できない。やがて高速道の脇に出た。このあたりにはパーキングエリアもインターチェンジもないが、資材置き場のようになっているのはこの先の歯長トンネルを掘った時に使ったものだろうか。そして、その少し先から、いよいよ登山道が始まっている。

道幅はそこそこ広く、地盤は細かい石が敷かれていて悪くない。ただ、峠道なので傾斜がかなり急だ。道の状況によっては引き返して車道を歩こうと思っていたのだが、500m1kmと歩いていると、ここまで登ったら進むしかないと思ってしまう。幸い、午前中の「四国のみち」ほどひどい道ではない。少なくとも服や靴に得体の知れないものが付くようなことはない。

石畳の道があり、林の中の平らな道があり、傘を差して歩いて行くと30分ほどで簡易舗装の車道に出た。迂回してきた県道である。仏木寺から2km、歯長峠まで1.2kmと表示がある。心配していたような倒木や崖崩れもなく、仏木寺への「四国のみち」のような暗くてじめじめした行き先もよく分からない道でもなく、まずまず安心して歩ける登山道であった。

県道に合流してから歯長隧道まで見通しの利かないワインディングロードだが、道幅もあるし傾斜も緩やかになった。少し行くと再び登山道との分岐があり、「苦しいのは最初だけ。快適な山道です」みたいなことが書いてある。しかし、せっかく県道に出たのだから余計なことはせずにあとはトンネルを越えるだけである。

何回か曲り角を過ぎると、向こうにトンネルが見えてきた。歯長隧道422mである。車道と歩道の区別がないけれども、車が全然来ないので特に問題はない。後から聞いたところでは、並行して走る高速道が無料区間のため、車はそちらに回るということである。

さきほどの登山道をそのまま行くと見送り大師というお堂があるそうだ。ここには昭和35年まで歯長寺というお寺があったということだが、その頃はもちろん高速道はなかったから、車で峠を越えようとすればここを通ったのだろう。しかし、道路以外に人工物の気配は全くなく、こんなところにお寺を建ててどうやって暮らしていけたのかと思う。


仏木寺から歯長峠に向かう。ずっと雨で雲が低い。ここから先、峠を越えるまで自販機はない。


県道から分かれてへんろ道に入る。仏木寺への「四国のみち」を歩いた後だけに心配したが、まずまず安心して歩ける道であった。


登山道を経由して再び林道に合流、歯長隧道に到着。歩道はないが、並行する高速道が無料区間のため、車はほとんど通らない。左は峠を越える登山道のようだ。

 

歯長隧道を出たところに東屋とプレハブがあり、仮設トイレも付いている。「お遍路さんもご自由にお使いください」と書いてあるから、もともと遍路用ではなくて何かの目的に使っていたものだろう。

休憩所の少し先で、再び県道と遍路道が分かれている。遍路地図を見ると下りの県道も大変な大回りだし、遍路道の方は擬木の階段と柵が付いているのでそんなに荒れた道ではなさそうと思ってそちらに進む。

ひとしきり坂を下った後は階段も柵もないただの登山道になったので当てが外れたが、すでにずいぶん下っているので先に進むしかない。幸い、登りと同様それほど荒れたところはなく通過、再び県道に合流して道なりに進むと肥料のような匂いが漂ってきて、巨大な建物が現われた。

構造からみて、牛か豚か飼っている酪農施設のようだった。通り過ぎてきた宇和島は闘牛の街なので、牛だったかもしれない。こういう大きな施設は車を利用しないといろいろ不便なので、たいていアクセス道路はきちんとしている。今回も、ここからは簡易舗装ではなくちゃんとした舗装道路だった。

それでも、歯長峠のすぐ下にあるので、急傾斜かつずいぶん曲がりくねった道だ。スイッチバックでどんどん標高を下げ、川に沿って走る道に出た。川の名前は肱川(ひじかわ)、このあたりの地名を下川(ひとうがわ)というようだ。真念「道指南」に、「下川村 河有」と書かれている。

川沿いの道と峠越えの道が交わる地点を歯長峠口といい、東屋や行き倒れた遍路の供養塔がある。ここから先は川に沿って下るゆるやかな下り坂で、少し安心する。時刻は14時10分。仏木寺から約2時間で、歯長峠の難所を通過することができた。

東屋前に、民宿とうべや分岐点以来の自販機が現われたので、ファンタオレンジを飲んで10分ほど休む。後ろを振り返ると歯長峠は雲の中である。すぐ上に高速道の歯長トンネル出口が見えるが、県道の歯長隧道はもっと山奥で標高の高いところにある。よくあんなところを越えてきたものだと思う。 14時20分再スタート。

宇和町まで5kmと標識があったので一気に歩けるかと思ったのだが、朝は龍光寺まで長い坂道を登り、昼には四国のみちの困ったルートを歩き、いままた歯長峠を登り下りしたため、足がなかなか前に進まない。ほとんど平坦な歩道付きの高規格道路なのだが、疲れと激しさを増す雨でどうにも歩幅が伸びないのである。

20分ほど歩いて、導引大師(みちびきだいし)というお堂の前を通り過ぎた。中にはいろいろなものが置いてあるが、ゆっくり見ている時間と体力がないのは悲しい。もう少し余裕のあるスケジュールをとればよかったと思う一方で、この大雨ではいずれにしてもゆっくり見ることはできなかっただろうと思い直した。

導引大師から10分ほどで、屋根と切り株の椅子がある休憩所が現れた。道端にお大師様の石像があり、「交通安全見守大師」と書いてある。ずぶ濡れの上に汗もかいてしまったので、タオルを洗って顔を拭き、小休止する。もう時刻は午後3時を回っている。

龍光寺に10時前に着いた時には今日は余裕だと思ったのだが、やはりそんなに甘くはなかった。まだ明石寺まで3kmある。納経時間の午後5時には大丈夫だとは思うが、道間違いなどしてはいられない。屋根がないところで地図を広げられないほどの大雨なので、ここで慎重に遍路地図を確認した。

この見守大師前休憩所の小休止でかなり回復して、がんばれるようになった。このまま県道に沿って太い道を行くのが安全策だが、遍路シールがショートカットする道を指示している。それにしたがって脇道に入る。

四国のみちの案内だったら無視しようかと思ったが、遍路シールなので少しは信用できる。車通りが少なくなり静かになったが、進む方向は平らに開けていて、どこまで歩けばいいのか定かでない。明石寺は山の上のはずである。遍路シールを見逃さないよう、周囲の電柱に気を配りつつ先に進む。


歯長峠口の休憩所から後方を振り返る。すごい所を越えてきたものだ。すぐ近くに高速の歯長トンネルが見える。


歯長峠口で肱川沿いの県道に合流する。道路のこちら側に東屋と供養塔がある。とうべや分岐以来2時間ぶりの自販機。


歯長峠を越えた疲れと降り続く大雨で、宇和町が近づいたがペースが上がらない。屋根のある見守大師前休憩所があって助かった。

 

遍路シールの矢印に従って進むと、高速道路の下を2度3度行ったり来たりする。川か用水路かの上を進むので、行き止まりにならないよう注意して進む。やがて行く手に学校のような建物が見えてきた。宇和高校である。下校時間なので、多くの生徒さん達とすれ違う。「こんにちは」とさわやかに挨拶される。

ここまで来れば明石寺はすぐ先である。「四国のみち」の道案内も復活して古い住宅街の細い道を進んでいくと、明石寺の名前の由来となった白王権現の小さな祠があった。うら若き乙女が白い巨石を軽々と運んできたが、ここまで来た時に夜が明けてそのまま石を置き去ってしまったという伝説がある。

寺号は現在は「めいせきじ」と読むが、石を持ち上げるから「あげいし」で、真念の頃は明石と書いて「あけいし/あげいし」と読んでいた。だから「道指南」でも「四国辺路日記」にもそう書かれているし、ご詠歌でも「あげいし」と謳われているのである。このあたりの地名もまた「あげいし」である。

この白王権現のすぐ先で下から登ってくる車道に突き当たり、そこから先は急斜面の登り坂である。一日歩いてきて、最後にまたこの登り坂はしんどい。息を切らせながら登る。雨は小降りにはなったが、止むことなく降り続いている。

明石寺着。もうすぐ午後4時である。特に歯長峠口から明石寺まで1時間半かかってしまったのは予想外であった。後からGPSの記録を調べたら、遍路地図ではこの間5kmほどなのに、6.1kmも歩いている。ショートカットと思っていたらかえって遠回りだったようだ。

源光山明石寺(げんこうさん・めいせきじ)、源光山の山号は、かつて源頼朝はじめ源氏の一族が寄進したことによるものとされる。源氏の一族は以仁王の令旨を全国に運んだ新宮十郎行家や山伏姿で奥州に逃れた義経など、修験道との関わりが深い武将が含まれており、「あげいし」伝説も仏教より修験道の色彩が強い。

霊場記や四国辺路日記の記録に「僧侶はおらず修験者が住んでいる」とあるし、霊場会HPにも「明治までは神仏習合で、住職ではなく別当職がいた」と書かれているから、そもそも寺ではなかったのではないかと思われる。

あげいし伝説にしても、弘法大師や行基などの仏教起源の寺社伝説とはかなりの違いがある。それは明石寺だけでなく、月山神社以来の札所の多くに共通しているように思われる。おそらく、足摺山から菅生山に至る四国西岸の霊場は、それら同様に修験道由来の古い霊場なのだ。

本堂・大師堂は赤い屋根瓦に特徴がある。建物はかなり古びたもので、江戸時代以前のような趣きがあるが、明治時代に入ってからの建築だそうである。また、雨が激しくなってきた。その上、午後4時を回って急に暗くなってきた。そろそろ引き揚げる時間である。


雨の中大苦戦したが、ようやく明石寺が近づいてきた。明石寺は前方稜線をさらに右に行った先にある。高速道の下を行ったり来たりして距離をロスした模様。


明石寺は山の上にあり、最後の急坂はたいへんこたえる。さらに石段を上がってようやく本堂エリアへ。


本堂右奥に大師堂。こちらはそれほど古い建築ではない。

 

さて、この日の宿はJR上宇和駅近くにある宇和パークホテル。龍光寺前の「長命水」で看板を見ると、遍路地図では3kmと書いてある道のりが5kmとなっているのが気になっていた。そして、明石寺山門から左、山の中に入って行く道に「四国のみち」の案内標示があって、上宇和へはこの道を登れと指示しているのである。

つまり、遍路地図にある遍路道とは、この登山道なのである。時刻はもう午後4時半近い。雨の中、また街灯もない山の中、いくら距離が短いといってもそんな危ない真似はできない。車道なら5km、右足と左足を交互に出していれば間違いなく宿に着くのだ。ノータイムで車道を選択する。幸い、来る時は登り坂だったが帰りは下り坂である。

来た道を忠実に戻って行く。宇和高校の下校途中の生徒さんと再び一緒になり、再び「こんにちは」と挨拶される。上下ともレインウェアで白衣は着ていないのだが、大きなリュックを背負っているのでさすがに歩き遍路と分かるのだろう。街によっては全く無視というところもあるので、宇和高校の生徒さんは非常に気持ちがいい。

挨拶を返しながら歩いていくと、この日の朝以来となる国道56号に出た。この周辺は昔の宇和町、現在の西予市の中心部にあたる。JR卯之町駅は特急停車駅で、真念「道指南」にも「うの町 調え物よし」と書かれている大きい街であるが、宇和島や大洲のような江戸以来の城下町と比べるとやはり小さい。

上宇和は卯之町の次の駅だ。西予警察署から市役所を過ぎ、市街地をしばらく歩くと高いビルはほとんど見られなくなる。通りに面してよく名前を聞く松屋旅館がある。小さなビジネスホテルのような趣きだ。

街並みの背後には、すぐに山が迫っている。山はかなり高く、森は深い。明石寺から山道を歩いたら、当然ヘッデンは必要となった暗さである。それ以前に、道に迷う危険が大きく、遠回りして市街地を来たのは正解であった。明石寺から約5km、1時間ちょっと歩いて午後5時半過ぎに宇和パークホテルに着いた。

このホテルは国道から少し奥まったところにあって、しかも裏側が入口になっているのでちょっと分かりにくい。エントランスもフロントも古びていて、写真を見て予想していたのとはちょっと違っていた。コインランドリー完備の、サイクリングに最適の宿という触れ込みだが、洗濯機・乾燥機は2セットだけ、しかも屋外にある。

部屋は一時代前の洋室といった雰囲気で、40年前、私が就職した頃のビジネスホテルがこんなだったと思い出した。換気扇がうるさくてなかなか眠れなかったが、これは部屋の入口に付いているスイッチを見逃した私のミスであった。足の負傷があるので今回は部屋のユニットバスを使ったが、別棟に大浴場があってそちらに入ることもできる。

1泊2食7,000円(税込)の割によかったのは、夕食である。レストランのおばさんは「普段はバイキングで盛り沢山なんですけど」と恐縮していたが、箱弁当にお刺身、天ぷら、トンカツとカニの酢の物、茶碗蒸しまで付いては、生ビールを注文しない訳にはいかない。バイキングでないのは、歩いて取りにいかなくてもいいのでかえってありがたかった。

レストランの営業がないのに食事をつけなくてはならないのは自動車教習所の合宿教習らしい若い人達がいたからで、同じ箱弁当を持って別の部屋に行っていた。誰も酒類を頼んでいなかったのは、もしかしたら夕食後も講義があって禁酒なのかもしれない。

ベルリーフ大月から送った荷物が届いてその整理をしたり、GPSのデータ格納やブログ記事の更新、足の治療をしていたら遅くなって、寝たのは午後11時と今遠征で最も遅い時間になってしまった。この日の歩きは50,934歩、移動距離は30.1kmであった。

[ 行 程 ]
仏木寺 12:15 →
[5.6km]14:10 歯長峠口休憩所 14:20 →
[2.8km]15:00 見守大師休憩所 15:05 →
[3.3km]15:55 明石寺 16:20 →
[4.9km]17:30 西予・宇和パークホテル(泊) →

[May 26, 2018]


午後5時半過ぎに宇和パークホテルに到着。明石寺からは安全な市街地の道を歩く。ホテル受付は国道からは裏になるので分かりにくい。


食事は1泊2食7,000円とは思えないくらいよかった。この日は食堂の都合でバイキングがなかったそうで、その方がよかった。


部屋は、40年前のビジネスホテルを思い出しました。荷物整理とパソコン作業のためバッグを送ってあったのだが、翌日のAZホテルにすればよかったかな。