431 番外霊場十夜ヶ橋 [Oct 17, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

注.十夜ヶ橋永徳寺は2018年7月の西日本豪雨により、大きな被害を受けました。謹んで、お見舞い申し上げます。大洲市全体がTVで繰り返し放送されている状況ですが、十夜ヶ橋も橋の下にある弘法大師お泊り関連の施設が完全に水没してしまい、本堂も床上まで浸水、復旧には時間がかかりそうです。四国別格霊場会公式サイトで、最新情報をご確認いただいた上でご参拝ください。

宇和パークホテルで泊まった晩、夜中に右足親指が痛むのでロキソニンを飲む。午前5時前に起きて予備の荷物を送る。送り先は松山市内の「たかのこのホテル」である。デイパックは松山まで使わないと思って送ってしまったのだが、これが後からちょっと困る原因となった。

ところで、このホテルは設備こそ古いが食事はたいへんに良くて、朝のバイキングもたいへんおいしかった。パンとご飯が選べるのは他のホテルでもあるのだが、おかずが気が利いていてどれもおいしい。

卵焼き、ウィンナのケチャップ炒め、肉団子、野菜サラダ、ポテトサラダ、ほうれん草のおひたしとご飯・味噌汁をいただく。ブルガリアヨーグルトとヤクルト、果物とコーヒーも付いている。夕飯の時にも思ったが、これで1泊2食7,000円は安い。

部屋に戻って右足をしっかりテーピングする。左足のマメと水ぶくれは引いているが、こちらも念のため幅広のバンドエイドで保護する。靴下2枚履きはこの日以降右足だけにした。午前8時過ぎにホテルを出発。

まず国道の反対側にあるセブンイレブンに寄って、予備のペットボトルとリポビタンDを買う。2日前、愛南町のドラッグストアでマルチビタミンの錠剤を買い、前日の宇和島でもリポビタンDを飲んだ。右足の痛みがなんとかなっているのはこうしてビタミンを補給しているのが大きいかもしれないので、買えるものは買って飲めるものは飲むのである。

明石寺を出てから、真念「道指南」では卯之町、大江村、東多田村を経て大洲城下に入る。現在の国道56号線ルートである。真念は「戸坂」と書いているが現在の名前は「鳥坂」(とさか、と読む)で、峠はトンネルになっている。

真念のいう大江村、現在の宇和町大江には場外車券・舟券売場のサテライト西予があり、ここには仕事で来たことがある。その時、どこに泊ればいいですかと聞くと、「卯之町には泊まるところがないから、松山に泊まって電車で来るといいよ」と言われたことを思い出す。確かにビジネスホテルはあまりないようだ。

雨は小降りながら朝から降り続いていて、この日も上下モンベルのレインウェア。これで4日連続である。用意した白衣2セットはずっとリュックの中で、軽いとはいえムダな荷物だなあと思ってしまう。そして、いかにモンベルとはいえ3日も着ていると防水機能が弱くなっているような気がする。汗をかいたのが乾き、白く汗じみになっているのも嫌な感じだ。

国道56号線はかなり交通量が多く、歩道を歩いていても水しぶきが飛んでくるので神経を使う。食事の時まわりの人達の話を聞いていたら、このあたりは高速道路の無料区間ではないので、みんな一般道に出てくるのだということを言っていた。世知辛い話ではあるが、歯長峠に車がなかったのは高速が無料だったのかと納得した。

1時間半ほど歩いたけれども国道沿いには休めるところがなかったので、信里というところで旧道に入った。古い住宅街のたいへん静かな道だ。集落の中ほどにお堂があり、ベンチも置かれているのだが、シャッターがあり入れないようになっていて、鍵もかかっている。門扉のところに、印刷してパウチされた注意書きが貼られている。

「信里庵参拝者の皆さまへ この信里庵は私有地です。参拝していただくのは有難いことですが、宿泊等は絶対にしないようお願いします」おそらく、職業遍路と呼ばれる人達が無断で野宿し、ゴミ等を放置して行ったのだろう。

以前、鶴林寺へ登る途中の東屋でゴミやウィスキーの空瓶が放置してあったことを思い出した。寂しいことだが、そういう人達が我物顔でそうした行為をするのだから立入禁止を食らうのも仕方がない。そんな人達がさらに増えるのならば、お遍路を世界遺産になどしなくていいとつくづく思う。

その少し先に、杖と菅笠を持った小僧さんのイラストと、「ひとやすみ 一休み」と書かれた陶板と、その横にベンチのように置かれた石が道端に置いてあった。

どうみても道路ではなく住民の敷地の中だし、さきほどのお堂の注意書きもあったし、「これはオブジェです」と言われたらどうしようかといろいろ考えたが、しばらく休んでいなかったので腰を下ろして休ませていただく。この先はまた峠である。体力を回復させなければならない。

宇和パークホテルの朝。これで4日連続の雨。駐車場とセブンイレブンの間を国道56号線が走る。


大洲に向かう国道沿いには、場外売場サテライト西予がある。無料施設なので、いざとなればここで休むことが可能。


旧道沿いにあったプライベートな休憩スペース。オブジェだと言われたら心配だが、「一休み」と小坊主のイラストがある。

 

9時50分、石のベンチの休憩所を出発。また、雨が本降りになってきた。これから登る鳥坂峠(とさかとうげ)の方向を見ると、山の中腹まで雲が下りて来ており雨は止みそうにない。曲がりながら登る坂道を傘を手に黙々と歩く。自分以外にお遍路姿を見ることができない。

10時20分、鳥坂隧道1117mの入口に着いた。国道なのにトンネルとは呼ばず隧道というくらいだから古いことは間違いないが、歩道がなくたいへん危険だと定評のあるトンネルでもある。山の中に峠越えのへんろ道はあるようなのだが、この天気で山道を歩くのはトンネル以上に危険である。

トンネルの30mくらい前に、国道事務所が設置した反射タスキ収納箱が置かれている。このタスキをして国道に入り、出口の収納箱にしまってくださいと書かれている。収納箱の扉を開けると、濡れたお遍路の納札がたくさん入っていた。納札はいつでも出せるようになってはいるが、ここに入れてもゴミになるだけで片付ける人が大変だ。自己満足のため入れても仕方がないと思ってそのままタスキをお借りした。

タスキをお借りしたのはいいのだが、雨が強いので身支度することができない。普段ならトンネル入口の雨が当たらないところで身支度するのだが、車道と歩道の境目がないのでたいへん危険である。

車が通り過ぎるのを待って、リュックを下ろし身支度する。次の対向車が来るまでの短時間で、折り畳み傘をしまいヘッデンを出して、最後に反射タスキを掛けた。白線の外トンネルの壁までは、排水溝の蓋の部分50cmほどしかない。対向車がなければ車は少しよけてくれるが、対向車があると体のすぐそばを通る。とてもこわい。

緊張して早足で歩いたので、1kmがそんなに長く感じられなかった。鳥坂隧道を出ると左手に景色が開けているが、雨はトンネルに入る時よりも激しい。タスキを格納箱に返し、少し先にあった屋根のある工場の入口をお借りして、ヘッデンをしまい、再び折り畳み傘を広げた。国道のキロポストは朝見た時松山まで69kmだったが、トンネルを出ると60kmになっていた。

トンネルの先は歩道が復活して、トンネルの中より安心して歩くことができた。下り坂なので、それほど苦労せずに距離を稼ぐことができる。問題は雨なのだが、風がそれほど強くないことが救いである。

トンネル出口から3kmほど歩いて、11時30分に札掛ポケットパークという休憩所に着いた。このポケットパークは宇和島への途中にあった嵐坂のポケットパークと同じ仕様で、駐車場といくつかの東屋、水道とトイレが付いているが売店や自動販売機はない。ゴミ処理や掃除をするのを兼ねて売店を置くのがいいのか、そもそも汚さなければいいので何も置かないのがいいのか、難しいところである。

ともかくも、リュックを下ろして東屋に落ち着き、大休止。ヴィダーインゼリーでお昼にする。この札掛という地名は弘法大師が休まれた際、お札を松の木に掛けたという故事にちなむものという。しばらく前には遍路道沿いに札掛大師堂という番外霊場があったが、管理する人がいないので現在では荒廃しているらしい。

この札掛大師堂を最後に管理していた人は、室戸岬近くの法海上人堂を管理していた人だとどこかに書いてあった。札掛大師堂はWEBでみるだけでも悲惨な状況だが、法海上人堂も遠からずそうなりそうな雰囲気を醸し出している。

思うのだが、ハードだけ復興したところでソフトが伴わなければ、いずれ旧に復するだけである。もし滅びゆく定めにあるものならば、そのままそっとしておくのが一番よく、変にもう一度設備を整えてなどと思わない方がいい。札掛大師堂も、復興して維持できた年数より粗大ゴミとなって朽ちて行く過程にある年数の方が全然長いのである。

札掛大師堂というハードは荒廃しても、札掛という地名と、その由来となった弘法大師の伝説は次の世代に残る。それでいいのではないかと思うのである。


鳥坂(とさか)隧道前のタスキ収納箱。箱の中に納札するのは、片付ける人が大変なので止めた方がいいのでは。


収納箱から100mほどで鳥坂隧道。このトンネルは歩道がなく、すぐ横をトラックが飛ばして行くので大変怖い。タスキは必需品である。


トンネルから3kmほどで札掛ポケットパーク。ポケットパークは愛媛県に整備されている国道沿いの休憩スペースで、東屋、トイレ、水道がある。

 

11時50分札掛ポケットパークを出発。さらに40分ほど坂を下って行き、国道56号と197号、高速道路入口が交差する大洲市街の入口に着いた。

大洲市街に向かっている時、スピーカーから正午を知らせる一斉放送のチャイムが流れてきた。なんだか、「おはなはん」のテーマに似ている。この曲はクラシックか何かを使ったものだったのかと思っていたら、大洲市内には「おはなはん通り」というのがあったので、まさしくNHK朝のドラマであった「おはなはん」のテーマ曲をチャイムに使っているのであった。

「おはなはん」が放送されたのはもう半世紀前になる1966年。このドラマはたいへんな視聴率で、1983年に「おしん」が出てくるまで、NHK朝ドラの代名詞だった。そのドラマの舞台がここ大洲であり、大洲市ではいまだにこの曲をチャイムに使っているのである。

朝ドラといえば、北海道でもうすぐ廃止される留萌線の恵比島駅がいまだに「明日萌駅」として整備されているのは1999年「すずらん」以来だから、それと比べてもたいへんに長い(明日萌駅のロケ駅舎の方が、本物の恵比島駅より大きい)。

大洲市内の入口で道がいくつかに分かれるが、どの道でも大洲城に通じているだろうと車通りの少ない国道197号線に入る。行先表示をみると「↑大洲市街」と書いてあるので間違いないと思っていたら、どんどんひと気のない方向に道は続いている。

川の向こう岸に見えていた国道56号線はいつの間にか見えなくなってしまった。これは遠回りになってしまったかな、それでも方向は間違えてないんだからと歩いていくと、道端の電柱に遍路シールが貼ってあったので安心する。

半信半疑で矢印の方向を追っていくと、ダムのような大きな貯水池のようなところで左に折れる。臥龍の湯という温泉の横を通って、古い街並みに出た。まっすぐ進むと国道56号線で、近くに「おはなはん通り」があると書いてある。なんとか位置の分かるところに出ることができた。

古い街並みは江戸時代から続く武家屋敷や明治時代の赤レンガ館などが集まっているもので、観光客らしきグループも見ることができたが、なにしろ雨の中である。そして、大洲市街に入ってますます雨足が強くなってきた。傘をしっかり差して、とにかく十夜ヶ橋を目指して歩く。

さて、宇和島市も大きな街で市街地に入ってから龍光院まで2時間以上かかったが、大洲も同様であった。そして、鳥坂峠から大洲に入ると十夜ヶ橋は市街地の反対側になるので、ますます遠い。古い街並みを過ぎ、大洲城を横に見て、JR大洲駅のあたりを過ぎても、まだまだ十夜ヶ橋には着かない。

計画段階では、十夜ヶ橋をお参りしてから大洲に泊まることも考えたが、大洲のホテルはほとんどお城の近くとかJR大洲駅の周りにあって、十夜ヶ橋からだと戻ることになる。その戻る距離も半端なく長い。オオズプラザホテルが比較的近いけれども、戻らなければならないのは同じである。それでそのまま内子まで歩くことにしたのであった。

結局、正午を少し回ったくらいで大洲の市街地に入ったにもかかわらず、十夜ヶ橋に着いたのは午後2時を過ぎてからだった。その間、雨の中を休みなく歩き続け、古い街並みもお城も横を通っただけでゆっくり見ることはできなかったのは残念であった。


正午過ぎにようやく大洲市の入口まで着いた。50年前の朝ドラ「おはなはん」のテーマが正午のチャイムとして流れる。


大洲市内には江戸時代・明治時代の古い建築物も多く残っているが、なにしろ雨が激しくて、十夜ヶ橋へのルート以外に寄る余裕がなかった。


国道からみた大洲城。このあたりから十夜ヶ橋まで、まだ1時間以上かかる。

 

道指南ではさりげなく「とよか橋 ゆらい有」と書かれている十夜ヶ橋(とよがはし)。かつてここへ来た弘法大師が、宿を乞うたけれども泊めてくれる家もなく、やむなく橋の下で過ごしたが寒さがたいへんに厳しく、一夜が十夜に感じられたという伝説がある橋である。

遍路は橋の上で杖を突いてはいけないというルールは、この橋の下に弘法大師が泊られたという由来に基づくという。ただ、私はこの説には疑問を持っている。というのは、弘法大師の時代には後の時代のように立派な橋はできておらず、せいぜい丸木橋に毛が生えた程度だったはずだからだ。

実際に、かなり時代が下るまで渡し船というのは各地に残っていたし(昭和初めでも数多くあった)、真念「道指南」にもいたるところに渡し船を使う箇所が登場する。古い時代の橋というと義経・弁慶の五条大橋が有名だが、あれだって12世紀、弘法大師の時代とは300年以上違う。橋の下で寝られるような大きな橋は、弘法大師の時代にはなかった。

だから、この伝説が成立したのはもっと後の時代、戦国時代よりも後ではないかと想像している。真念もこの話を聞き(道指南に書いてあるから聞いたのであろう)、弘法大師の時代とするとおかしいと思ったので、細部を割愛したのではなかろうか。ちなみに、「霊場記」「辺路日記」には十夜ヶ橋の記事は載っていない。

話は話として、ここには別格八番札所である永徳寺がある。別格霊場は龍光寺に続くお参りで、八十八ヶ所の順路にあるものについてはできるだけお参りしたいと考えている。

国道56号の左側の歩道を歩いていたところ、十夜ヶ橋への進路は高速道路の出入り口になっていて歩行者の横断ができない。やむなく横断歩道を三回渡って永徳寺の前に出る。通りに面して本堂と納経所があり、その右手に渡り廊下で大師堂がつながっている。大雨の中ではあるが、何人かのグループが本堂前でお参り中であった。

大師堂の前、国道沿いには東屋があって、サイクリング中らしき外人さんが雨宿りしていた。そして、その東屋の横から橋を渡って川沿いに下りる石段があって、橋の下には石像や香炉・ろうそく立て・花立てなどが並べられている。

ご朱印をいただいた後、そこまで下りてみる。左の大き目の大師像は腕を枕におやすみになっているが、右の小さ目の大師像は小さな布団がいくつも掛けられている。これは病気平癒・身体健康のための加持の布団だそうだ。

ベンチがあるので腰かけてしばし物思いにふける。川は水面がすぐ近くだが、濁っていて下水の匂いがする。野宿用のゴザを貸し出していると聞くけれども、ここで泊まれと言われても寒さより匂いでギブアップだろう。それでも、有料で鯉の餌が置かれている。この水の中でも鯉は育つのだろうか。

池の水全部抜きますという番組で、最後は泥のようになった水の中からなんとかガーだかギーだかに体を齧られた鯉が現われるから、水が汚いのも平気だし少々のケガにも耐えられるのだろう。雑食とも聞いたことがある。

この十夜ヶ橋永徳寺には、大師に倣って一泊するための通夜堂も作られているということだが、どこにあったのかよく分からなかった。すでに橋を渡って反対側に来てしまったので、雨の中を戻って探す気力もない。14時50分出発。かなりゆっくりした。この日の宿は10km先の内子である。


十夜ヶ橋永徳寺は国道の左側にあるが、高速道の入口になるため横断歩道を渡ってからしか入れない。


永徳寺本堂と納経所。十夜ヶ橋は、この写真でいうと納経所の右側になる。


橋の下におやすみになる弘法大師像。8~9世紀にこんなに大きな橋はないと思うが、そこは信仰の問題だろう。

 

さて、少し話を変えてスケジュールのことを書きたい。今回の区切り打ちでは西予(宇和パーク)→内子(AZ内子)→久万高原(ガーデンタイム)と泊まったのだが、連日の雨の中、久万高原へは峠越えの35kmという非常にきびしいスケジュールとなってしまった。

後から反省したのだが、足を痛めたうえ天候に恵まれないという今回のようなケースに備えて、何日かに一度は1日20kmくらいの日を挟むのが安全だろうと思う。雨だけでなく風も強く、とても歩けないという日もあるかもしれないし、万一の場合、病院に寄らなければならないことだって考えられるからである。

その意味では、今回のスケジュールでは大洲に1泊するのがよかったかもしれない。実際、十夜ヶ橋を出たのが午後3時近かったのだからもうホテルに入っていい時間だったし、そういう余裕があれば古い街並みとかお城にも寄れただろう。

実は計画段階で大洲泊も考えたのだが、それを断念したのは内子から先にはバスがないと思っていたからである。遍路地図にはバス停の表示があるけれど調べてみるとデマンドバスで、歩き遍路には使えないと思った。

実際に、落合トンネルや三嶋神社を走っているのはデマンドバスなのだが、歩いてみると内子・小田間だけは定時の乗合バスなのである。大洲スタートで内子の13km先にある梅津バス停まで歩いて内子まで戻り、翌朝バスで梅津まで行ってリスタートすれば、二日とも25kmくらいのコースになり、より安全なスケジュールになった。

もっとも、今回それをやれば松山に入る時に台風直撃を受けたかもしれないので、どちらがよかったかは何ともいえない。ただ、朝早くから夕方までスケジュールをこなすためだけに歩くというのは精神衛生上もよくないので、次回の区切り打ちからはそのあたりを考慮したいと思う。

十夜ヶ橋を過ぎても、雨はいっこうに弱まらない。レインウェアの中も、雨なのか汗なのか乾く間もなく濡れたままで気持ちが悪い。そして、大洲から内子まではなにげに登り坂なのだ。

国道56号はJR内子線と並行して走る。大洲の次の駅である新谷(にいや)あたりに、「銀河鉄道999の始発駅 新谷」の横断幕が貼られていた。銀河鉄道は東北のはずだが、なぜここが始発なんだろうと思った。帰ってから調べると、男おいどん・松本零二が戦争中に疎開していた土地なのだそうだ。

さて、寒いし登り坂だし大雨だしたいへんつらい。考えてみたら、大洲市内に入る前に札掛ポケットパークでヴィダーインゼリーを食べただけで、もう午後3時を過ぎているのにまともな昼食を食べていない。新谷を過ぎてしばらく先、遍路地図でサンクスと書いてある場所にファミマがあった。店の中は湯気が立ってあたたかそうだ。

この日の夕食はホテルのバイキングなので、多少食べて行っても大丈夫だろうと、ずぶ濡れのリュックを店の外に置いて店内に入る。おでんが温かそうに煮えている。適当に3品選び、ファミチキも付けて500円ほど。イートインコーナーに座り、何時間ぶりでほっとする。

そういえば、大洲市内では何も食べる気が起きなかった。遍路歩きをしていると、市街地はあまり気持ちいい場所ではないのである。休む場所はないし、車は多いし、雨の日には水しぶきが飛んでくる。これで4日連続の雨。翌日の予報も芳しくなく、今回の区切り打ちは空模様に恵まれない。

そんなにゆっくりしてはいられないので、午後4時前にファミマを出発。多少は回復したが外は依然として大雨で、あまり意気が上がらないまま内子を目指す。残りあと6kmほどである。


十夜ヶ橋を渡って内子に向かう。おやすみになる弘法大師像が橋の真下にある。雨は依然として激しい。


十夜ヶ橋から約4km、内子まで約6kmの地点にあるファミマ大洲新谷店。ずぶ濡れのリュックを置いてあたたかいおでんで一息つく。

 

登り坂になっている国道56号を登って行く。家並みが続いているところもあれば、原野や森林しか見えない場所もある。30分ほど登った頃、左に折れる分岐があって「→五十崎(いかざき)駅」と書いてある。どうやら遍路地図に載っている点線はこの道のようなのだが、いま歩いている国道と比べてかなり道幅が狭い上、すぐ先には山が迫っている。このまま国道を行くことにした。

五十崎駅への分岐を過ぎると道はさらに急傾斜となり、高架上を走る高速道路と交差するあたりで峠を越える。大洲を出てからここまでずっと登り坂だったので、これ以上登らなくて済むと思ったらかなり楽になった。国道は左にカーブして、そこから直線でずっと下っている。下った先に街が見える。内子市街である。

少し戸惑ったのは、この直線道路の中ほどで歩道がなくなってしまったことである。そこから車道だけが続いていて、歩行者は側道に下りるしかない。仕方なく横断歩道を渡り側道へ下りて行くと、そこに「大宝寺→」の大きな看板があった。大宝寺はまだまだ40kmほど先になるが、とりあえずこの道を進めばよさそうだ。

左に曲がったり高架下をくぐったりして10分ほど歩くと、再び国道56号線に出た。行先表示を見ると、松山までの距離は42kmとある。朝、西予市内でみた時は69kmだったから、龍光寺・仏木寺で国道から外れたが、それでも1日で27km稼いだことになる。

内子の街は宇和島や大洲ほど大きくなく、10分ほど歩くと中心部に出た。予約したAZホテルは最近開業したホテルで、私の持っている遍路地図に載っていないので迷うかもしれないと思っていたが、国道に沿って役所の分庁舎の先にありたいへん分かりやすかった。ホテルの先にある郵便局でおカネを下ろしてから17時25分、チェックインする。

このAZホテル、1泊2食で6,130円(税込)とたいへんリーズナブルなのに設備は最新で宇和パークホテルとは雲泥の差がある。部屋はきれいでもちろんwifi完備、コインランドリーはもちろん屋内にある。ユニットバスもぴかぴかで空調も静かで、スケジュールに余裕があればもう少しゆっくりしたかった宿である。

物足りなかったのは夕食だった。バイキングなのは分かっていたのだが、ライスとカレー、サラダ、あとは業務用のレトルトと思われるいわしの煮付け、大根の煮付け、豚肉のキムチ炒めがあるだけだった。まあ、この値段だし、レストランはフロントの職員が兼務していたので仕方がないかもしれない。その中で、生ビールが300円台なのは良心的だった。

翌日の朝は5時台に出発しなければならないので、フロントにチェックアウトは大丈夫か確認して、ついでに近くにコンビニがないかどうか聞いてみた。「コンビニは国道を10分ほど行くとありますが、スーパーがすぐ近くにあって、そちらは10時までやっています」ということであった。そういえば、来る時に分庁舎の向かい側にショッピングセンターがあった。

後で行ってみると、食料品だけでなく生活用品も扱っているそこそこ大きなスーパーだったのだが、慣れないせいかどこに何が置いてあるのかよく分からない。欲しかったのは翌朝の朝食にするサンドイッチなのに、パン売場には菓子パンしかなく惣菜売場にはご飯ものしかない。

雨の中を一日歩いて体力がほとんど残っていなかったので、スーパー内を歩いて探し回る気力が残っていない。仕方なく、菓子パンやヨーグルト、野菜ジュース、非常食にするヴィダーインゼリーとバナナ、ここ数日恒例になっているリボビタンDを買って終わりにした。この日の歩数は54,487歩、移動距離は30.2kmであった。

[ 行 程 ]
西予・宇和パークホテル 8:10 →
[6.1km]9:40 信里道端休憩所 9:50 →
[5.9km]11:30 札掛ポケットパーク 11:50 →
[9.1km]14:05 十夜ヶ橋永徳寺 14:50 →
[3.7km]15:40 ファミリーマート 16:00  →
[5.4km]17:25 内子・AZホテル(泊) →

[Jun 16, 2018]


内子の一つ前の駅である五十崎(いかざき)までずっと登り坂。五十崎を過ぎてようやく下りになり、遠くに内子市街が見える。


心配することもなく、AZホテルはすぐ分かった。スーパーはホームセンターダイキの奥にある。


AZホテル内子はたいへん新しいきれいなホテルで設備も整っており、もう少しゆっくりしたかったです。