368 山本一成「人工知能はどのようにして名人を超えたのか?」 [Jun 22, 2018]

今年に入っての新たな体験を一つあげろと言われれば、将棋のインターネット中継を多く見るようになったことである。日曜日のNHK杯中継は以前から見ていたのだけれど、ネットでこれだけの中継が、しかも無料で流されているとは知らなかった。そして、ネット中継の目玉の一つが、ソフトによる形勢判断がリアルタイムで出力されることである。

解説陣もそのあたりは折込み済で、「ソフトの評価値はどうなってるでしょうか」「いまの一手で評価値が大きく動きましたね」などと普通にコメントしている。かつては、形勢判断というのはプロ棋士の専売特許で、「指しやすい」とか「こちらを持ちたい」といったあいまいなニュアンスで優劣を示していたのが、いまではプラスいくつマイナスいくつと数字で出て来る。

つまり、将棋もアメフトや野球のように途中経過が分かる競技になったということで、見る側にとって面白みが増したことは間違いない。さすがにNHKはそこまでやっていないが、いまの若手が中堅・ベテランとなりソフトへの抵抗感がなくなれば、いずれは導入されることになるだろう。

将棋の話題といえば加藤一二三・羽生以来の中学生棋士・藤井聡太君に集中しているが、実は昨年くらいからソフトがプロ棋士トップに勝つレベルに達していることが明らかとなっている。実は羽生竜王(残念ながら今年の名人戦は敗れてしまったが)は約30年前に、将棋ソフトがプロ棋士のレベルに達するのを2015年くらいと予言していた。すごいことである。

私自身、草創期の将棋ソフトの弱さを知っているから、まさに今昔の感がある。そして、コンピュータであれば計算の速さと正確さは人間の比ではないから、形勢判断を適確にできるようになったことがソフトのレベルアップにつながったのだろうと漠然と思っていた。ところが、本を読むと話はそこまで簡単ではなかった。

著者は将棋界ではたいへん有名なソフト「ポナンザ」の開発者である。学生将棋界では相当の実力者だったが、プロ棋士ではないし、プロ養成機関である奨励会の経験者でもない。だから、ソフトに対して何か作戦を「教える」ことはできない。ではどうやって、ポナンザはプロ棋士を超えるほどの実力を身につけたのか。

答えは「自分で強くなった」である。能力の許す限り大量のデータを入力し、それを解析し、必要なパラメータを自ら修正して最適化してきた。著者はそれを「黒魔術」に例える。いまや、「ポナンザ」を作った開発者でさえ、「ポナンザ」がどのような段階(考察)を経てその手を選んだのか説明することはできない。それはプロ棋士も同じで、なぜ評価値がそうなっているかを説明することはできない。

発展途上の「ポナンザ」は、プロ棋士の対局をお手本にしてデータを収集してきた。ところが、年間数千に及ぶプロの棋譜すべてを読み込んだとしても、ソフトにとってまだ十分な数とはいえないのである。だから次はコンピュータの内部でソフト同士が戦って、その棋譜を記録し分析しということを数限りなく(億とかいうレベルで)行い、それをフィードバックしてきた。

人工知能ではこれを「機械学習」と呼び、その手法の一つがディープラーニングである。読みながら、膨大なデータで回帰分析をするイメージかなと思っていたら、実際に機械学習の中にはロジスティック回帰という手法があるそうだ。学生時代にかじった統計学が少しは関係しているようでうれしい。

つまり、現在の将棋ソフトはその資源の許す限り、24時間365日対局をし感想戦をして、数億局にのぼるデータの裏付けのもとに進化しているということである。最も対局数の多いプロ棋士でも年間百局に届かないことを考えると、すでに圧倒的なデータ量の差がある。ということは、もはやプロ棋士でも将棋ソフトに敵わないということになる。

そうなると、人間が将棋を指す意味はどこにあるのか。羽生竜王が、NHKの番組をまとめた著書「人工知能の核心」の中で印象的なことを述べている。それは、「人工知能だから間違いがないとはいえない」ということである。

将棋でありうる局面数は10の226乗といわれる。億だって10の8乗に過ぎない。10の226乗という数は、コンピュータが宇宙始まってからずっと稼働してきたとしてもデータとして計算(処理)しきれない量だということである。にもかかわらずコンピュータが処理しているということは、どこかで何かを間引いているということである。

その間引いている範囲は、通常考えられているよりもずっと広い。それでも誤りなくデータを処理するにはどのような手法が有効なのかというのが現在の人工知能全般の課題であり、逆に言えばコンピュータにも見落としはありうるということである。

この本を読んで最もうれしかったのは、将来人工知能は加速度的に成長を続け、いずれは1つのコンピュータの知性が全人類の知性を上回る特異点(シンギュラリティ)を迎えるだろうというくだりである。現在、それは2045年と想定されているそうだ。もし私が生きていれば、90歳近くになっている。

このシンギュラリティ以降、コンピュータは世界中のデータ(テキストであれデータであれ)を収集して分析し、自らを修正しつつ人間のコントロールを超えて進化していくと予測されている。私がこうして頭を絞っている記事も、いつの日かビッグデータとして人工知能の一部、つまり集合知となると思うと、頼もしいような誇らしいような、そんな気持ちになる。

[Jun 22, 2018]


将棋の話かと思って借りてきましたが、人工知能の話でした。このテーマに食い下がった羽生竜王の「人工知能の核心」と合わせて読むと理解が深まります。