450 四十五番岩屋寺 [Oct 19, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

大宝寺を出て、奥ノ院といわれる岩屋寺に向かう。朝の天気予報では、雨は午前中には上がって午後の降水確率は10%ということであったが、雨は本降りで止む気配はない。

とはいえ、まだ朝の9時を回ったばかりなので、雨雲が抜けないのだろうとこの時点では楽観的であった。大宝寺のスイッチバックの石段を下ると、道は左右に分かれる。右の道は下りで、久万高原市街に戻る。左の道は登りで、山中をショートカットして岩屋寺方向に向かう道である。

へんろ道のシールは、左の山道を示している。心配なのは、もう何日も雨が続いているので山道がどうなのかという点である。一方、右の道は車遍路の人達が通るので安心ではあるが、ここからかなり下るからその分登り返さなくてはならない。途中、駐車場のあたりで工事の人が立っていたようなのも気になる。

しかし、距離的には山越えの方がずいぶん短いし、なにしろ遍路地図で決め打ちされているルートでもあるので、少考して左側の道に進む。山越えとはいえへんろ道であり、それなりに整備されているだろうとも思ったのである。

ところが、この山道はとんでもない難路であった。やはりここ数日の雨で道が川と化していて、歩きにくいことこの上ない。そして、このルートは大宝寺から山をひとつ越えるので、さらに登ってそれから下るという道なのであった。累積標高としては、いったん戻ってトンネルをくぐった方がかなりましであった。

私の場合、一度高いところに登ってしまうと下るのがもったいないという気持ちが強い。だからこういう場合も下らずに登るという選択をしてしまうのだが、急がば回れで、いったん戻るべきであったかもしれない。そして、いつまで登っても峠地形が見えてこない。ベンチもなければ、休む場所もない。ともかく雨の中を登るしかないのである。

谷に沿って登るので、何度かカニが道の真ん中にいるのを見かけた。大宝寺に限らず、この遠征では雨が多かったせいかカニをよく見た。前半の暑い日には、でっかいクモをよく見た。東南アジアではクモも食べるというが、さすがにそういう気は起きない。一方で、カニは油で揚げても味噌汁に入れても食べられると思うから、不思議なものである。

後から考えてみると、大宝寺・岩屋寺間の県道で何人もの歩きお遍路さんとすれ違った。この区間は打戻りなので必然的にすれ違うことが多いのである。ところが、この峠越えの道では誰ともすれ違わず抜かれもしなかった。おそらくあまり使われないルートなのだろう。なぜか遍路地図では決め打ちされているルートなのだが。

息をきらせてようやく峠まで登り詰める。ほっと一息つく。下りは登りよりかなり楽だし、心なしか道もよくなったような気がした。それでも、県道との合流地点である峠御堂トンネル出口に出たのは10時半、大宝寺を出てから1時間かかった。

大宝寺から車道を戻っていれば、1時間で「いやしの宿八丁坂」まで着いたはずなので、ずいぶん余計にかかったということである。この日は大宝寺・岩屋寺をお参りして「いやしの宿八丁坂」に泊まるだけであり時間的には余裕があると思っていた(だから遅く出発して大宝寺でもゆっくりした)のでよかったけれど、そうでなければかなりあせるところであった。

峠御堂トンネル出口から畑野川集落まで、遍路地図ではよく分からないがずいぶん下る。そして、右側に切れ落ちている谷の奥に何軒かの家が見えていい景色である。考えてみれば、いま歩いてきた山道ではほとんど景色が開けるところもなかった。道がきつくて時間がかかり、しかも景色がよくないのでは、何のために登ったのか分からない。

畑野川集落に近づくと家がまとまっている。交差点の右に見えるお社は、真念が「住吉大明神あり」と書いている住吉神社だろうか。JAや郵便局があり、しばらく行くと休憩所もあるようだが、山道で時間を食ってしまったので先を急ぐ。もう11時になるので、いやしの宿八丁坂でお昼を食べられる時間である。

畑野川には集落の中心地からは少し離れて点々と何軒かの遍路宿がある。まず「和佐路」があり、しばらく坂を登って「いやしの宿八丁坂」がある。その先にはふるさと旅行村がある。11時を5分ほど過ぎて「八丁坂」着。どうやら雨も小降りになってきたようだ。


大宝寺から岩屋寺の山道は例の「四国のみち」にもなっているルートだが、特に6日連続雨という中では安全に県道を選ぶべきであった。大宝寺からさらに標高差150mくらい登る。


1時間歩いてようやく峠御堂トンネル出口で県道と合流。標高差150mは余分に登ってしまった。


畑野川集落に向かう県道からは、両側を山に挟まれた村の景色を望むことができる。右の峰は大宝寺に続き、左の峰は岩屋寺に続く。

 

「いやしの宿八丁坂」は昼食も営業していて、大宝寺・岩屋寺間で昼を食べられる場所が限られるため、たいへんありがたい。メニューはかきあげと大根おろしの「すずしろうどん」とキジで出汁をとった「こっこうどん」、サラダバーが付いて600円はお値打ちである。

「お泊りでしたら、夕食にこっこうどんが出ますから、すずしろうどんの方がいいですよ」と言われたのでそちらにする。うどんは2玉、だしは温かいのと冷たいのを選べる。雨に降られてかなり寒かったので、温かいのをお願いする。待っている間に、預ける荷物と持っていく荷物の整理をする。

午後から雨が上がるという予報なのでレインウェアを脱いで上下とも速乾白衣に着替え、荷物は山野袋に入るだけにする。レインウェアを置いて行くので、念のため折り畳み傘は持った。ご朱印帳と経本・数珠、GPSとカメラ、500mlのペットボトル1本を山野袋に入れ、ステッキを持つ。あとの荷物はロッカーに預ける。

荷物を預ける時に宿の方に「どのくらいかかりますか?」とお伺いした。

「どちらの道で行かれるんですか」

「天気によりますが、八丁坂から行こうと思ってます。」

「往復で4時間半から5時間でしょうか。八丁坂はいいところですよ。ぜひいらして下さい

「でも、さっき大宝寺から山道を来てかなりきつかったんですけど、大丈夫でしょうか。」

「雨が続いて歩きにくかったかもしれません。あれほどにはきつくないと思います。」とのことであった。11時半過ぎに出発。

ふるさと村を過ぎてゴルフ場の看板が見えてくるあたりで、右に入る細い道に矢印の指示がある。相性のよくない「四国のみち」の案内があるのが気がかりだが、ともかくこちらに入る。しばらくは谷川に沿って、石畳の整備された道が続く。

予報では上がると言っていたのに、再び雨が降り出した。ステッキを畳んで折り畳み傘を開く。こうなると、山野袋ではなくデイパックが欲しかったところだが、あいにくデイパックは松山の宿に送ってしまった。若い外国人カップルに追い抜かれる。こんな雨の中レジャーだろうか。ウィークデイで休みを取ったのでやむなく歩いているのだろうか。

道はやがて登り坂となり、細い登山道となる。やっぱり四国のみちだと思いながら登る。しばらく登ったその時、突然、山野袋が地べたに落ちて中の荷物が周囲に飛び散った。えっ、と思って見てみると、山野袋の肩紐が縫い目のところから切れてしまっている。これには参った。とりあえず、飛び散った荷物を集める。

その時まず思ったのは、「平らな場所でよかった」ということである。この日は朝から山野袋を肩から掛けていて、片側が切れ落ちた谷というような場所を何度も歩いている。そんな場所で壊れて、財布や納経帳、カメラやGPSが谷底に落ちていたら、進退窮まるところであった。落ちても支障のない場所であったのはラッキーなことだ。

思えば、私の人生ではこういうことが何度かあった。大震災の時にたまたま仕事だったのはアンラッキーだったが、宿直でホテルを確保してあったのでそれほど混乱しなくて済んだ。香港で財布をすられたのは不注意だったが、帰りの飛行機を待っている時だったので被害は最小限で済んだ。この時もそうで、山野袋は壊れたけれど何も無くさないで済んだのである。

とはいえ、ただでさえ傘で片手が自由に使えない上に、山野袋を抱えて持たなくてはならないというのは難儀である。これから八丁坂の登りがあり、さらに岩屋寺まで山道歩きがある。レインウェアを着ていればフードを出して傘をしまうことができるが、降水確率10%を信頼してレインウェアは宿に預けて来てしまった。仕方がない。いまから戻る訳にもいかない。

八丁坂に登る分岐のところには何かの施設の建物があり、休憩ベンチがあった。ベンチでは、先ほど追い抜かれた外国人カップルがお弁当を食べていた。もう少し天気がよければ快適なハイキングだったはずだが、お気の毒なことである。女の子が、そのまま登山道に向かう私を見てにっこりと挨拶してくれた。ここから先が八丁坂である。

この八丁坂、説明書きによると弘法大師が岩屋寺に向かう際に往復した道だそうで、現在の県道にあたる下の道もあったのに、あえて厳しい山道を選んで通ったそうである。ただ、私の感想としては、上から行っても最後は標高差150mを下らなくてはならないし、下から行っても標高差200mを登らなくてはならないので、どちらにしてもきついということである。

宿で言われたとおり、大宝寺からの峠道よりも登りやすく、20分ほどで峠まで登ることができた。ベンチが置かれていて、「八丁坂の茶店跡」と書いてある。T字路になっていて、いま登ってきた八丁坂と岩屋寺への道、もう一つは大宝寺を通らずに久万高原に出る道である。これは「打ち戻りなし」(同じコースを戻らない)の古来の遍路道ということである。

壊れた山野袋を抱えて登ってきたが、ここまで来ればなんとかなりそうだ。ペットボトルの水もそれほど必要としないはずなので、最低減を残して飲みきってしまう。これで手荷物はかなり軽くなった。心配なのは、雨が全然止まないということであった。降水確率10%はいったい何だったのだろう。


「いやしの宿八丁坂」のお昼のメニュー。どちらのうどんにもサラダが付きます。


林道から八丁坂の登山道に入る。予報では午後から雨は止むと言っていたのに全然止まない。山野袋の肩が切れて「泣きっ面に蜂」状態に。


八丁坂の茶店跡で尾根に乗る。ここから岩屋寺までは尾根道だが、5つ6つコブを越えて行かなければならない。雨は全然止む気配がない。

 

「四国のみち」の案内板によると茶店跡から岩屋寺までは1.9km。八丁坂下の案内図に落書きされていた「何回もアップダウンがある」登山道である。ただし、奥多摩の市道山や臼杵山のようなアップダウンではなく、まあ房総程度のものである。

残り1.5kmを過ぎてすぐ、十丁の丁石が現われた。おお、これがあると分かりやすいとうれしくなって進むと、残り二、三丁のはずなのに「七丁」と残り距離が急に増えた。これはどうしたことだろうと疑問に思いながら進むと、いよいよ残り一丁になって岩屋寺の施設が見えてきて理由が分かった。

いまいるのは行場の最上部で、岩屋寺の本堂は、ここからさらに何百mも下ったところなのである。その数百mの距離はともかく、急傾斜と標高差がたいへん厳しい。ステッキを出して三点確保したいけれど、雨は全く止む気配はないし、フードのない白衣姿では傘を手放すことはできない。やむなくステッキなしで急坂を下って行く。

丁石の最終地点には午後2時前に着いたものの、そこから本堂エリアまで約20分かかった。それでも、このルートをとってよかったのは、登山道から岩屋寺の敷地に入って150mの標高差を下る間、その最上部に近いところに「一遍上人絵伝」に描かれた白山大菩薩特別行場(せりわり行場)があったことである。

「一遍聖人絵伝」(別名、一遍聖絵・いっぺんひじりえ)は岩屋寺の歴史を語る上で忘れてはならない資料で、鎌倉時代後期の成立である。九百年近く前の岩屋寺の姿が絵に残されていて、目の前で見るいま現在の姿と比べることができる。その風景が九百年前と現在とでほとんど変わらないのは、驚くべきことである。

岩屋寺を描いた絵は一遍聖絵の中に2枚あって、1枚は本堂エリア、これは切り立った岩壁の下にお堂が建っていて一遍上人と師僧が向かい合っている図である。このアングルは岩屋寺の紹介でよく使われている。もう1枚はそそり立つ岩山の頂上にお社が建っている図で、これが最上部にあるせりわり行場の絵である。

この行場は二つの巨大な岩壁の上に白山大権現が祀られているもので古くから神聖視され、一遍聖絵では、その頂上に行者が梯子を掛けて登り、それを下で願主らしい上流階級の婦人が遥拝している様子が描かれている。

私は、八十八札所の中でも古い寺社の多くは、空海以前からある修験道・アニミズム起源の霊場であると考えている。空海自身が「三教指帰」に書いているように太龍寺や室戸の諸寺はそうだし、足摺・金剛福寺や大宝寺・岩屋寺も間違いなくそうである。こうした寺社は平安時代の空海より奈良時代の行基より古く、まさに日本草創期から信仰を集めてきたものである。

この一遍聖絵に描かれたせりわり行場には現在、「白山大菩薩特別行場」と墨書された木製の扉が建てられており、その扉には「梯子が老朽化しているので登れません」と書かれていて木戸には鍵が掛けられている。もっとも、このエリアには寺の関係者はいないので、禁止でなくても鍵がないため中に入れない。

そして、この回の区切り打ちから帰ってしばらくして、まさにこの行場の梯子架け替えの寄進呼びかけを見つけたのである。この年はリタイアしてすぐだったため毎年行っていた社会福祉活動への寄付ができなかったので、その代わりということで些少ながら協力させていただいた。鎌倉時代以来長く続いている行場の補修にいくらかでもお手伝いできれば幸いである。

本堂エリアからこの行場まで標高差150m以上あり、さらに本堂エリアから県道までの標高差もそのくらいあったから、県道からだと300m登らないとここまでは来られない。300mといえば私にとって1時間かかる標高差である。もし県道から登ってきたとすれば本堂エリアまでで体力を使い果たし、とても行場の最上部まで登る気にはならなかっただろう。


一遍聖絵に描かれている白山大菩薩特別行場(せりわり行場)。「梯子が老朽化して登れません」と扉に錠前が掛けられている。


岩の上部はこうなっている。頂上に白山大権現が祀られていて、行者がそこまで登ったということである。


昨年末、せりわり行場梯子架け替えに若干の寄進をさせていただきました。

 

さきほど丁石の表示のずれが5丁くらいあったので、本堂エリアまでは約500mというのは見当が付いたが、それにしても下りは長かった。もう本堂より下まで下りてしまったかと思ったくらいである。

ひと気がないのでまだ着いていないだろうとは思ったけれど、それにしても遠かったし、下り傾斜がきつくて難儀した。ようやく何人か登って来るのが見え、続けて仁王門が見えるまで15分以上かかった。

この仁王門は本堂エリアと行場エリアの間にあるもので、門の向こうには大師堂がある。八丁坂から仁王門を経て入ると、大師堂、本堂を経て手水場となるので普通の順序とは逆になる。行場を経由してきたので禊は済ませてきたと考えて、そのままお参りする。さすがに本堂エリアは大勢の人がお参りしていた。

本堂エリアもさきほどの白山大菩薩特別行場と同じく、後方は四国カルストの切り立った崖になっていて、せりわり行場ほど高くはないものの岩の洞まで登ることのできる鉄製の梯子が掛けられている。一遍聖絵に残されているもう一つの絵の場所である。こちらには、何人かの人が登っていた。

それにしても、異観というべき風景であった。来る前から写真では見ていたものの、現物を前にするまでそのすごさは分からなかった。私自身、何枚も写真を撮ってみたけれども、とても写真で現物のすごさを表わすことはできない。

海岸山岩屋寺(かいがんさん・いわやじ)。海岸山の山号は弘法大師の「山高き谷の朝霧海に見て 松吹く風を波にたとえむ」から採られたものといわれるが、ご詠歌は全然別で、「大聖の祈る力のけにいわや 石の中にも極楽ぞある」である。わざわざ大師御製の歌があるのに別の歌をご詠歌にしたのだろうか。歌の格としても大師の方が上のように思える。

いずれにせよ歌の意味は、「山の上から見ると谷を流れる朝霧は海のようで、松林に吹く風は波のようだ」と、山の中を海岸に例えている。残念ながら雨が激しくて、どこで詠まれた歌なのか探すことはできなかった。

本堂エリアは、いろいろな写真で紹介されているように石灰岩の壁の下に作られているが、なかなか全容を見渡せる場所がない。普通に歩いているとお堂が建っているだけなのだが、上を見ると岩壁であり、まさに「岩屋」の名にふさわしい。

本堂エリアには納経所など、近年建てられたと思われる鉄筋の建物が何棟かあったので、トラックや重機が上がれたのだろうが、地図を見ても参拝者が登り下りする参道の他に道はないようなのである。工事の人はどうやって、資材や重機をここまで上げたのだろう。山小屋ではヘリコプターで運ぶが、ここは石灰岩の壁に囲まれて、ヘリポートを作るような平地は見当たらない。

納経所でご朱印をいただくと、午後3時近い。いやしの宿八丁坂では往復5時間と聞いていたが、すでに3時間が経過している。境内もそれほど広くないので、名残惜しいが出発する。本堂エリアから麓まで参道がスイッチバックで下って行くが、傾斜が急なのでどんどん標高が下がるのが分かる。

参道の傍らには多くの石仏が並べられており、それが例外なく苔で緑色になっている。雨が多いからだろうか。今日の雨も予報では止むと言っていたのに依然として降り止まない。遍路姿の人達とも何人もすれ違ったから、いまや多くの歩き遍路は県道を経由して登ってくるようである。

海岸山の扁額の掛かっている山門を出てからも、スイッチバックの石段が際限なく下っていく。ようやく駐車場レベルまで下りると「岩屋寺まで30分」と書かれていたから、バスや車のお遍路の人はこの参道を30分登らなくてはならない訳である。足腰の強くない人は大変である。 
 
参道のいちばん下にはいくつかお土産屋さんが軒を連ねているが、いずれも規模は小さい。有料駐車場も用意されているものの、こちらもそれほど広くはない。八十八の中でもたいへん有名なお寺なので、それなりの規模の駐車場や休憩所・トイレがあるだろうと予想していたのだが、その予想は外れた。唯一、屋根のある公共の休憩所は、乗合バスの待合所だけであった。


本堂・大師堂の奥にある仁王門。ここから上が行場となり、標高差150mくらい登って八丁坂への山道に達する。


岩屋寺本堂。右に見える梯子が、すぐ上にある岩場に登る梯子。この風景も、一遍聖絵に描かれている。


参道を下る途中に本堂エリアを見上げる。すぐ裏が切り立った石灰岩の壁である。

参道を下りきってようやく平らになる。県道沿いに、乗合バスの待合所があった。屋根がある休憩所はここしかないので、バスがしばらく来ないことを確認して抱えてきた山野袋を下ろす。

八丁坂への登山道で山野袋が崩壊して以来、片手には傘、片手には壊れた山野袋という苦しい体勢で3時間以上歩いてきた。ここまで来れば後は舗装道路、右足と左足を交互に出していればなんとかなる。バス待合所でちょっと休み、県道を「いやしの宿八丁坂」に向かう。

時刻は15時15分。ここから先は山道でないので、それほど時間はかかるまいと思っていた。ところが、降り続く雨のせいもあって、なかなかスピードが上がらない。傘と荷物を右に持ったり左に持ったりして負担の均等化を図るが、すでに数時間この体勢だったので両腕がだるい。

返す返すも、宇和パークホテルでデイパックを送ってしまったのは大きな間違いだった。たいした重さではないのだから、リュックに入れておけばよかったのだ。もちろん、「いやしの宿八丁坂」にレインウェアを置いてきてしまったのもミスで、傘で片手がふさがったのも痛い。山中で進退窮まったら一大事になるところだった。

岩屋寺下のバス停近くには何軒かの人家があったけれども、そこから古岩屋トンネルまでの間に人家は見当たらない。県道なので片側一車線、歩道付きできれいな道だけれど、誰もいないところにこんなきれいな道路を作ってどうするんだろうと思うくらいひと気がない。

15時30分古岩屋トンネル通過。トンネルの出口にへんろ道への入口があったが、「道が崩れていて現在通れません」と書かれていた。遍路地図でもへんろ道が点線で示されているけれども、この大雨ではたとえ注意書きがなくても安全な道を進んだ方がいい。

トンネルから20分くらい歩いてそろそろ休もうかなと思った頃、国民宿舎古岩屋荘の立派な建物が見えてきた。WEB等の写真で見るより立派に見えるのは、いままで何もないところを歩いてきたせいかもしれない。ここは歩き遍路によく使われている宿で、車も何台か泊まっているから観光客もいるのだろう。

エントランスもきらきら光っている。 古岩屋荘の隣に遍路休憩所の東屋があり、その横にトイレもある。ずっと雨に降られてきたから、屋根のあるところは本当にありがたい。荷物を置いてひと休みする。東屋の中に、大きなリュックが置いてあった。察するところ、岩屋寺に向かう歩き遍路が置いたのだろう。

ここに置いてあるということは、古岩屋荘に泊まるのではない。そして、「いやしの宿」とか周辺の民宿に泊まるのなら、荷物は預けてきたはずだ。時刻はもう午後4時、天気が悪いこともあって暗くなってきた。あと30分で戻ったとしても、久万高原町まで少なくとも2時間かかるので歩いている間に真っ暗になる。

それとも、ここで野宿するのだろうか。屋根はあるけれど壁で遮られてはいないので、雨が当らない訳ではない。荷物の大きさからみるとテントが入っていておかしくはないけれど、野宿だとしたらこういう天気では厳しいだろうと思った。古岩屋荘は日帰り入浴が可能らしいが、寝る場所がここでは湯冷めしてしまいそうだ。

古岩屋荘の少し先で、県道とへんろ道が分かれる。安全策で県道を直進する。しかし、ここから先の県道歩きはかなり長かった。思ったよりも高低差があって登るのに骨が折れるのに加え、見通しが利かないのでどこまで歩けばいいのかよく分からない。温泉前というバス停がありこのルートには珍しくまとまった民家が見えたが、どこが温泉なのかよく分からなかった。

ゴルフ場のあたりでは、だらだら続くきつい登り坂であった。一生懸命足を前に出すけれども、なかなか前に進まない。ようやく下りにかかるところで、後ろから来た女の子に抜かれた。私と同じく荷物を預けた軽装で、ポンチョを着ている。

「お疲れ様でーす。今日はどちらにお泊りですか?」

「八丁坂です」

「私はもう少し先です。もうすぐですね、がんばりましょう」とダブルストックで軽快に進んで行った。

結局、古岩屋荘からいやしの宿八丁坂まで、まるまる1時間かかった。到着は17時10分。正直なところ、着いた時にはくたくただった。予報外れの雨、壊れてしまった山野袋などの要因はあったにせよ、時間的に余裕があると思っていたのに、そうではなかったという精神的なダメージも大きかったのである。


参道の登り口近くに小さな仲見世がある。でも、観光バスが止まるような駐車場とか大きな売店・食堂はありません。


小一時間歩いて古岩屋荘。WEBとかで見るより立派な建物に見えた。並びに東屋とトイレがある。結局この日は一日雨でした。これで6日連続。


へんろ道の方がショートカットかもしれないが、ひたすら県道を進む。結構アップダウンがあってしんどかった。歩き遍路の女の子にあっさり抜かれた。

 

癒しの宿八丁坂はたいへん評判のいい遍路宿で、差し迫ってからだと予約をとるのが難しいと聞いていて、1ヵ月前に予約を取った。宿を確保してからスケジュールを詰めたため、前日は久万高原泊となった。
 
だからこの日は、大宝寺から岩屋寺に行って、いやしの宿八丁坂に帰るという余裕含みのつもりであった。ところが、予報外れの6日連続雨に加えて予想外に難しいコースのため、考えていたよりもずっと遅い到着となったのである。
 
濡れた服や荷物を片付けたり洗濯していたら時間がかかってしまい、あわててお風呂に入り食事時間の6時に少々遅れて食堂に入る。この日用意されていた夕食は6人、すでにみなさん食事中で話に熱が入っていた(この他にも泊まり客はいたようだが、素泊まりのようであった。食事はどうするんだろうと疑問だったが、考えてみると歩き遍路とは限らないのである)。

そういえば、今回の区切り打ちで他の遍路の人達と一緒に食事するのは、10泊目のこの宿が初めてであった。前日のガーデンタイムでも遍路の人はいたが私はカウンター席で別々だったし、宇和パークでも席が離れていた。あとはホテルだったり泊り客が一人だったりして、こういう機会はなかったのである。

他の人達の話を聞いていると、先達になるには結局おカネが要りますとか、あまり興味のない話だったのでおとなしくしていた。興味を引かれたのは通夜堂の話で、どこそこの通夜堂はシャワーが付いているとか、どこそこは部屋が一つしかないのに男も女も関係なく泊めてしまうなどという話をしていた。

洗濯機に洗濯物を入れっぱなしだったので中座して乾燥機に移したりして落ち着かない夕食だったが、1泊2食6,800円、しかも山の中とは思えないほどの立派な夕食だった。さすがに人気のある宿だけのことはある。この宿のよかった点をあげてみると、
 
1.食事がたいへんにいい
繰り返しになるが1泊2食6,800円である。前日のガーデンタイムもそうだったのだが、これでちゃんとした夕食と朝食が付くのだから、たいへんに安い。内子のAZホテルが6,130円で食事サービスだが、業務用食品のバイキングで、それも悪くはないのだがやっぱりちゃんとした食事があるのはありがたい。

2.部屋がたいへんにきれい
部屋がたいへんにきれいで、濡れた服で入るのに恐縮したくらいである。濡れたものを置く場所は部屋の入口に若干とあとは窓際にある荷物置きスペースなので、工夫しなければならない。私は本館の一番奥に案内されたが、トイレは部屋にあった。

3.洗濯機・乾燥機無料
お遍路にとって、洗濯機・乾燥機無料はありがたい。戸外に出なければならないのは雨の時は少々つらいが、無料となれば贅沢は言えない。予報が大外れで一日雨だったので、たいへん助かった。

4.Wifiが使える
もう一つ、たいへん助かったのはwifi。ずっと雨続きで、かつ季節外れの大型台風がこの時点で沖縄付近に来ていて、そろそろ帰りの便が気になっていた。私のタブレットはWifiが通じてないと単なるゲーム機になってしまうので、非常にありがたかった。

食事が終わって部屋に戻り、洗濯物を整理して翌日以降のスケジュールを再検討する。翌日は三坂峠を越えて松山市内に入り、浄瑠璃寺前の長珍屋に泊まる。その次の日は松山市街の札所を回る。予備の荷物を送ってある「たかのこのホテル」に泊まるのは、長珍屋の次の日から2泊の予定である。

ところが、台風の進路によっては、歩くのが難しい事態も想定しなくてはならない。そして、万一飛行機が飛ばない場合はどうするのか。すでにリタイアしているので仕事の心配はないものの、足の状態が万全とはいえないので無理はできない。

あれこれ考えることはあるけれども、さすがに疲れたので午後9時まで起きていられなかった。そして、夜中に目が覚めてトイレに起きること5回。これはレインウェアを着ずに雨に当たって冷えたせいだろうか。あるいは普段飲んでいるノコギリヤシを飲まないせいだろうか。

この日の歩数は37,915歩、移動距離は18.0kmであった。

[ 行 程 ]
9:00 大宝寺 9:45 →
[1.7km]10:35 へんろ道県道合流点 10:35 →
[2.0km]11:05 いやしの宿八丁坂 11:35 →
[3.5km]13:10 八丁坂上ベンチ 13:15 →
[2.4km]14:15 岩屋寺 14:50 →
[0.7km]15:15 岩屋寺バス停休憩所 15:20 →
[1.9km]15:55 古岩屋荘前休憩所 16:05 →
[4.2km]17:10 いやしの宿八丁坂(泊) →


いやしの宿八丁坂。評判のいい宿だけあって、ずいぶん山の奥深くにあるのにそんなことを感じませんでした。


いやしの宿八丁坂の夕食。写真の他に雉だしの「こっこうどん」が付きます。この区切り打ちで初めて他の歩き遍路の人達とお話しした。


いやしの宿八丁坂の部屋。和室だったので、濡れた服や荷物で部屋を汚さないよう気を使った。