460 四十六番浄瑠璃寺 [Oct 20, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2017年10月20日、いやしの宿八丁坂は朝になった。まだ明るくなっていないものの、窓の外には雨の音がする。これで7日連続の雨である。季節のいい時を選んで来ているつもりなのだが、ずっと雨降りだったり台風が接近したり、普段の心がけがよくないのだろうか。

計画段階では、この回のお遍路は内子から久万高原まで35kmの峠越えが最大の難所で、そこを過ぎればあとは余裕だと思っていた。ところが、案に相違して岩屋寺の往復は厳しい道のりであった。でも、さすがに久万高原から先は松山市に向けて下って行くだけで、それほど苦労しないと思っていたのである。もちろん、そんなことはなかった。

1週間以上の雨降りと何度も繰り返した峠越え、また遠征序盤で足の爪をおかしくしたため、肩も背中も足も体中が痛む。特に、前日に山野袋が壊れて岩屋寺までずっと抱えて山道を歩いたことが響いて、腕と肩が痛い。そして、夜中トイレに何回も起きたため、少し寝不足である。

天気予報によると、前線が活発化してこの日も雨が予想されるものの、午後の降水確率は午前中よりも低い。一方、沖縄にいる台風はスピードを上げて北上する気配であり、3~4日の内に本州に接近する可能性が高くなってきた。予報円の中には、もちろん四国も含まれている。

午前7時に食堂に行くと、すでに他の皆さんは食事を終わって、出発した人もいるようだ。夕食をご一緒した通夜堂泊まりの男性は、翌日は八坂寺と言っていたから私と同様それほどの距離は歩かないはずだが、通夜堂には早く入らないといけないのかもしれない。

朝食はあぶった魚の干物と、焼き海苔、豆腐、ウィンナ、お新香、サラダ、それにヤクルトが付いた。それほど急ぐ必要がないので、ゆっくり食事をとる。支度をして8時過ぎに出発。この日も朝から雨だが、午後に札所があるのと降水確率が低くなっていることに期待して、上はレインウェア、下は白衣にした。

前日来た道を峠御堂トンネルまで戻り、今度は山道には行かずにちゃんとトンネルをくぐる。歩道がなく路側帯も狭いのだが、にもかかわらず左側を歩いてくるお遍路がいるので閉口する。常識のない連中もかなりいるようで、これではお堂に鍵をかけられてしまうのも無理はない。

トンネルから先、県道はかなり曲がりくねって距離のロスが大きいが、前日の経験に懲りて迷わず舗装道路を進む。それでも宿から1時間弱で大宝寺の分岐点まで来た。逆方向は登りが長いので若干のタイムロスはあるかもしれないが、前日歩いた山中の遍路道に比べるとずっと早いし安全である。

久万高原で国道に出るところの角に、於久万大師がある。ここは、当地に住む老女「於久万」が弘法大師をご接待したとされる場所で、「於久万」の名前がここの地名「久万高原」になったという伝説がある。お堂には「四国霊場番外札所」の表札がかかっていて、ご朱印は大宝寺で押してくれるということである。

さて、このあたりから私が歩いているのと同じような速度で、横に選挙カーが並んで大声で候補者名を連呼している。週末が総選挙で、それと同じ投票日に県議会議員選挙があるようだ。とにかくうるさい。「沿道からのご声援、ありがとうございます」と大声を張り上げるのだが、実際には雨なので誰もいやしないし、誰も声援などしていないのだ。

少し先にある道の駅・久万高原でひと休みしようと思っていたのだが、選挙カーも道の駅に来て止まった。また大月の時のように演説会を始められたら嫌なので、トイレを借りただけで早々に出発する。選挙に出る連中というのは、なぜあんなに大声で、他人の邪魔になるような立ち居振る舞いをするのだろう。そもそも、なぜに私の遍路期間中に総選挙などやるのだろう。


「いやしの宿八丁坂」から久万高原町に戻る途中の峠御堂トンネル。左に登る山道が前日歩いた大宝寺からのへんろ道。


久万高原市街に戻ってきた。これで7日連続の雨で、鴇田(ひわだ)峠の方向は雲の中である。


於久万(おくま)大師。岩屋寺から戻ってくる県道が、国道と交差するところにある。久万高原の名前はここからきたという。

 

久万高原から松山まで単に下るだけだと思っていたら、実は三坂峠という峠道なので、登って下る難路である。

もちろん、下りの方がずっと長いのだが、登りの方も久万高原が標高480m、三坂峠が710mだから標高差で200m以上ある。距離にしても於久万大師の角から明神ポケットパークまで7~8kmあるから、休みなしに歩くのは結構疲れる。選挙カーのせいで道の駅で休めなかったのは影響が大きかった。

久万高原から続いていた家並みは西明神簡易郵便局のあたりで途切れ、林の中を登って行く坂道になった。西明神、中明神、東明神と、このあたりどこまで行っても地名に明神が付く。東明神まで来るといよいよ山の中で、こういう場所にありがちな資材置き場や採石場、生コン工場などが国道の両脇に見える。

そして、このあたりでもともとの国道33号と、自動車専用の三坂トンネルに分かれる。もちろん、歩き遍路は旧国道を通らなければならない。分岐の先に、民宿「桃季庵」の看板があり、それらしき建物を見ることができた。道路建設のため建てたプレハブを再利用したと聞いているが、国道から少し離れているのでよく分からなかった。

三坂トンネル分岐からさらに傾斜がきつくなったが、坂の途中に明神ポケットパークが見えたのでここで久しぶりの休憩にする。午前11時、いやしの宿から約3時間かかった。愛媛県に入ってこれまで何ヵ所かにあったポケットパークと同様、東屋があり、トイレと水を使うことができるが、自販機は置いていない。

ここまでもずっと小雨が降っていたが、ポケットパークで休んでいる間にいよいよ本降りになった。午後になると降水確率は低くなるという予報なのに本降りになるというのは、前日に続いて予報が外れたのか、それとも山の天気だから仕方がないのか、いずれにしても不安なことである。

さて、ここから先は遍路地図では点線のへんろ道一択である。浄瑠璃寺まで標高差600m以上下る。どういう道なのか見当もつかないが、途中に坂本屋という民宿跡があるというから、それほどハードな登山道でないことを期待した。いずれにしても車道を通るとたいへんな遠回りで、遍路地図には距離さえ書いてないくらいである。

へんろ道への分岐はポケットパークから30分ほど、松山まで26kmの国道キロポストの向かいに入口がある。この頃になると、雨だけでなく霧が濃くなってきて、見通しが20mほどしか利かなくなった。幸い、自動車の多くは三坂トンネルの方に行ったらしく車通りはなかったが、横断するのが危ないくらいの霧である。

へんろ道に入ってしばらく民家の脇を通り、いよいよ山道に入る。その入口には「この先、歩行者専用。危ないと思ったら引き返してください」と書いてある。引き返そうと思った時には簡単に引き返せないんだよなあと思う。心配させるようなことは書かないでほしいし、本当に危ないなら整備してほしい。松山市は金持ちなので、予算はあるはずである。

さて、三坂峠は、真念が「松山の城堂々とし 中ににょっと伊予の小富士 駿河の山に劣らず 嶋しま山やま嶋 遍路の憂きをはらす」と道指南でも絶賛している名勝である。(駿河の山とはもちろん富士山である)

ところがこの日は雨が降っている上に、霧で全く見通しが利かない。遍路道は標高をどんどん下げて行くけれども、前方に見えるのは白い霧ばかりで、どこが山でどこが海なのか全く分からない。

12時15分前に遍路道に入ったので、浄瑠璃寺まで4時間かけても大丈夫である。しかし、途中で進退窮まって引き返さなくてはならない場合、山道を登り返して国道を遠回りしたら5、6時間かかるかもしれない。

転んだりしてケガをした場合、鴇田(ひわだ)峠でさえタクシーを呼ぼうと思えば呼べる(いくらかかるか見当がつかないが)。ところがこの三坂峠のへんろ道は、全く助けを呼べない場所である。歩き遍路が多く通るならともかく、この日はすれ違う人も追い抜いていく人もいないのであった。


「いやしの宿八丁坂」から3時間歩き続けて、三坂峠に近い明神ポケットパークでようやく休憩。雨は止まない。


ポケットパークからちょうど2kmで、右にへんろ道への分岐。霧が出て来て見通しは全くきかない。


へんろ道へはこの先を進む。ここから先へは車は入れない。この状況で「危なければ引き返してください」と言われても不安が増すだけである。

 

三坂峠の下りに入る。連日の雨で道がぬかるんでいて、ずっと足下に注意しなければならない。スイッチバックの急坂でスピードが出ない上、ところどころ側面が崩れているところもあるし、道が川になっているところもある。遍路道というよりは登山道レベルの道というべきである。

この回の区切り打ちで何度か峠越えを経験したが、その中でも最も困難な道であった。疲れたといえば久万高原への鴇田峠越えや、大宝寺から峠御堂トンネルまでの方が疲れたけれども、あの時以上に足場が悪かった。へんろ道はたいてい砂利くらい敷いてあるのだけれど、この道は泥の中を下りて行くのである。

ひとしきりスイッチバックを下りた後は、谷に沿ったトラバース道である。見通しが利かないので、実際にどういうところを歩いているのか分からない。建物の屋根のようなものが見えたと思ったが、そこまで下りても何もないということが2、3度あった。

谷に近くなると、今度は登山道を遮って川が流れている。足が乗る程度の大きさの岩を足場にして、なんとか渡渉する。この川は普段からこんなに水量があるのか、あるいは連日の雨でこうなったのかよく分からない。いずれにせよ、山歩きの経験のない年寄りが歩くとすれば危険の多い道と言わざるを得ない。

さらに下って行くと、今度は山側の斜面が崩れて土砂が登山道を覆っている。滑らないよう慎重に進む。すでにウォーキングシューズは半分以上泥に埋まり、速乾白衣も泥まみれである(後の話になるが、この泥汚れはとうとう落ちなかった)。

あとから振り返ると、こういう天気の時には時間がかかっても国道を行った方がよかったように思う。下りるのに1時間かかるのだから登り返さなければならなかったとしたら2時間である。いよいよ進退窮まってからの登り返しは精神的肉体的な負担が非常に大きい。それよりも、転落事故でも起こした日には誰も助けに来てくれない。

1時間歩いてようやく東屋が見えてきた。12時45分一ノ王子休憩所着。一ノ王子とは修験道で道中に設けた祠のことで、修行者を守護する神仏が童子の姿をとるとされることからそう名付けられた。もちろん、菅生の岩屋に向かう修験者が建てたものであろう。

この休憩所は谷川が流れるすぐ脇にあり、全体が苔で深い緑色に染まっている。大雨で水量も多く、谷沿いの湿気の多い場所でじめじめする。雨はざーざー屋根に当たるし、川のざーざー流れる音も重なる。腰は下ろしたものの、ゆっくり休めなかった。

ここで遍路地図を見てがくぜんとした。三坂峠からこの休憩所まで、地図ではほんのわずかの距離で浄瑠璃寺までの10分の1も来ていないのに、すでに1時間かかっているのである。このペースでいけば、浄瑠璃寺に着くころには午後8時になってしまう。とりあえず、「あと1100mで坂本屋です。一休みしていってください」という案内書きを頼りに重い腰を上げる。

すると、休憩所を出てすぐに道が太くなり、車が通れる幅になった。傾斜は相変わらず急だが、左に切れ落ちた谷には物置小屋が見え、電線も走っているので人がいるということである。荒天だし、高知・愛媛県境で痛めた足の状態もよくない。誰も通らない困難な道を歩いてきただけに人のいる気配を感じてたいへんほっとした。

15分ほど歩くと家畜小屋のような建物があり、そこから下は簡易舗装となったのでさらに歩きやすくなった。とはいえ30度の傾斜が15度になったくらいのもので、急坂には変わりはなくペースも上がらない。

谷の底で何かの畑を作っており、狭い谷の間を3相3線の電線が上に伸びている。この上には今休んでいた休憩所があるだけで他には何もなかったように思うのだが、何か電気を使う施設があるのかなと不思議に思った。


三坂峠の説明看板があるあたりから、道は下りになる。このあたりは普通の下り坂だが、すぐにスイッチバックになる。


連日の雨で路肩が崩れているところもあり、道が川と化しているところもある。登山道なら驚かないが、遍路道である。


峠から1時間の一ノ王子休憩所から先は車も通れる道になり、谷筋には電線も走っていて安心する。この写真は振り返って撮影。

 

一ノ王子休憩所から40分歩いてようやく傾斜が緩やかになり、家並みが見えてきた。真念「道指南」にも名前の出ている桜集落である。集落の入口に、坂本屋跡がある。明治時代終わりから昭和初めまで、ここに遍路宿があった。

その頃の遍路道はさらに過酷であったことは想像できる。いまの時代なら久万高原から国道を歩いてきて、登山道になるのは三坂峠から一の王子休憩所までの1時間だが、三坂峠までの登りと一の王子からの下りが登山道レベルだったとすれば、このあたりで日が暮れてもおかしくない。
 
「坂本屋」の表札はかかっているが、表にはすべて戸が立てられていて中に入ることはできない。横を入るとトイレがあるようだ。水道があって蛇口を捻ると水が出る。そして、親切なことにタワシが置いてある。ここを通る人の靴がドロドロであることを分かっているのである。ありがたく使わせていただく。

坂本屋から坂を下りて行くと桜集落の民家となる。たまたま、JAの移動販売車が来ていた。軽トラより少し大きいくらいの車で、野菜などの食品、生活用品を販売している。急坂だし道幅は狭いので、これくらいの車でしか上がってこれないのだろう。それでも、このあたりに住んでいるお年寄りにとって、なくてはならない移動販売車である。
 
それにしても、江戸時代からある古い集落なのに、バスが来ないような過疎地なのだ。集落には十数軒の家があったが、半分は誰も住んでいないように見えた。九十九折の坂を下りながら考えた。景色は間違いなくすばらしい。自然にも恵まれていて、水もおいしいだろう。松山市街まで車で行けば1時間かからない。それでも、歳とって坂の多いところで暮らすのは大変だ。

桜集落を抜けると、道はいくつかに分かれる。遍路道の矢印は山の方に続いているが、過酷な山道を下ってきてまた山に入るのは嫌だ。ここまで来ると、ようやく道幅がある普通の舗装道路になったので、一番太い舗装道路を下る。

このあたりでは土砂を運ぶトラックが行き来していて、ようやく街に近づいたような気がした。三坂峠から苦労して下りてきたが、やっと先が見えてきた。トラックが通る道を避けて家並みの方に進むと、ちょっと開けた一画に小ぎれいなお堂が建っていて「あみかけ大師」と書いてある。大師関連の旧跡・網掛石である。

お堂の前は公園風に整備されていて、雨さえ降っていなければ腰かけてお昼を食べられる場所もある。網掛石は弘法大師が網を巻いて石を運んできたという伝説があり、ここを通る遍路は石の割れ目に納札を挟んでいく習いとなっていたという。無事に峠を越えることができたという意味であろう。その気持ちはたいへんよく分かる。

そして、あみかけ大師前に石柱が立っていて、「浄瑠璃寺3km」と書いてある。ここから浄瑠璃寺まで1時間かからないということである。時間は14時10分、一ノ王子から1時間20分で着くことができた。遍路地図をみると三坂峠から一ノ王子までの7~8倍あるように見えるから、峠越えにいかに時間がかかったかということである。
 
すぐに丹波のバス停があり、松山市駅までのバスが出ている。バス停の近くに「丹波の里接待所」という屋根付きの立派な休憩所があり、このあたり次々と休む場所が出てきた。さきほどまで腰かける場所もなく坂本屋でも道端で立って小休止していたのに、あるところにはまとめてあるのであった。


かつて遍路宿であった坂本屋跡。土・日は開いているとのことですが、この日は戸が閉まっていました。水道があったので、ドロドロの靴を洗わせていただきました。


坂本屋を経て桜集落へ。舗装されているが急傾斜の細い道だ。松山市内とはいえ山の中である。


バス停のある丹波集落近くまで来て、ようやく道が平らになる。網掛け石のあたりから撮影。

 

網掛け石のところに浄瑠璃寺まで3kmと表示があったのですぐに着くだろうと思ったら、結構時間がかかった。その理由のひとつは、バス通りとはいえほとんど一車線しかない狭い道路だったにもかかわらず、松山市内に入って車が多くなってきたからである。

郵便局の横を抜けて網掛け石から40分ちょっと歩くと、まず鉄筋の4階建て、長珍屋の建物が見えてきた。民宿旅館という名乗りであるが、外見はホテルといってもおかしくない。この日の宿がこちらである。まだ午後3時前、一ノ王子ではどうなることかと思ったが、意外に早く着くことができた。あとは浄瑠璃寺から先、どこまで回れるかである。

荷物を預けていこうかと一瞬思ったが、よく考えたら山野袋は壊れてリュックの底だし、デイパックは松山に送ってしまった。納経帳や経本を裸で持ち歩く訳にもいかないから、荷物は重いけれどリュックのまま行かざるを得ない。

狭いバス通りをはさんで向かいに続く石垣が浄瑠璃寺である。境内に上がる石段の脇に、松山の誇る正岡子規の句碑「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺」が立てられている。もともとの句碑は石に行書体で彫られていて読みにくいが、その前に説明書きも建てられている。

医王山浄瑠璃寺(いおうさん・じょうるりじ)、医王も浄瑠璃もご本尊である薬師如来にちなんでいる。「霊場記」に、「昔のことは伝わらず寺の荒廃については分からない」とあるし、「遍路日記」にも「昔は大伽藍なれども今は衰微して小さき寺一軒」と書かれているくらいなので、江戸初期には大掛かりな寺ではなかったようだ。

ただ、寺伝によると奈良時代に行基が開き弘法大師が再興したという歴史の古い寺で、菅生山が古くからの霊場であったことは間違いないので、そこからの遍路道が下ってきた浄瑠璃寺も重要な寺であったことは確かである。前にも書いたように、薬師如来の信仰は仏教伝来以来かなり早い時期に成立している。

右衛門三郎もこの近辺の物持ちであったとされ、この先の八坂寺や文殊院、松山市街にある石手寺の周辺では山伏姿の右衛門三郎像が結構見られるのであるが、浄瑠璃寺にはなく、あるのは正岡子規の句碑だけである。このあたりの寺の名前で5・7・5にうまく合うのは浄瑠璃寺だけなので、子規もいろいろ考えてそう詠んだのだろうか。

バス通りから左に折れて境内に入ると、一直線で本堂が見える。参道の途中、左手に納経所があり、右手に手水場やベンチがある。雨が小降りになってきたので、ベンチにリュックを置いてお参りさせていただく。

「医王山」の扁額が掲げられた本堂には20人ほどのグループが読経中だったので、先に大師堂をお参りする。しばらくひと気のない山道を歩いてきたせいか、人がたいへん多いような気がする。参拝者が引けてきたのを見計らって本堂にお参りする。もしかするとこれからこのグループと宿が一緒かと思うと、峠道とは違った心配事が出てきた。

幸い、納経所での待ち時間はなかった。「歩き遍路さんですか?」と尋ねられたので、そうですと返事する。峠道の様子や今日の泊まりはどこかなどとお話ししていると、「少々お待ちください」と奥に入られて、みかんを2つお接待していただいた。

降り続いていた雨は、いったん止んでいる。まだ午後3時半なので、雨さえ降らなければもう少し先に進んでおきたい。1km先の四十七番八坂寺か、さらに1km先の番外霊場文殊院か。大きなリュックを背負ったままバス通りを歩き続ける。

[ 行 程 ]
いやしの宿八丁坂 8:10 →
[10.0km]11:00 明神ポケットパーク 11:15 →
[2.0km]11:45 三坂峠遍路道分岐 11:45 →
[1.5km]12:45 一ノ王子休憩所 12:50 →
[1.1km]13:20 坂本屋跡 13:25 →
[2.6km]14:10 網掛石 14:15 →
[3.0km]15:05 浄瑠璃寺 15:25 →


1車線しかないバス通りの右に長珍屋、左に浄瑠璃寺がある。山門前の石段には、正岡子規の句碑が立つ。


参道と本堂。本堂前の扁額には「医王山」と書かれている。


こちらは大師堂。この後納経所で、みかんをご接待していただきました。