470 四十七番八坂寺 [Oct 20, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

 

浄瑠璃寺まで下りてきた時間が午後3時だったので、先に進むことにした。ここから五十一番石手寺まで、10kmちょっとの距離に6つの札所があり、他に別格霊場の文殊院もある。特に浄瑠璃寺から八坂寺は1km足らずで、本当にすぐそこである。

足摺岬で、50kmとか60km、80kmを歩いて来た後では、あっけなく感じるほどである。徳島の十四番常楽寺から十五番国分寺までの距離の方がさらに短いのだが、あちらの場合は建て込んだ住宅街の中にあってなかなか見えてこないので、すぐそこという感じはしなかった。八坂寺はバス停ひとつ歩くとそこから奥に見えるのである。

妙に狭い山門をくぐると右手に納経所があり、石段を登って本堂・大師堂などの施設がある。以前ロッジカメリアでいただいたパンフレット「八十八霊場おもてなしの宿(愛媛版)」に、八坂寺の火渡り修行の広告が掲載されている。それを見て、境内の広いお寺と想像していたのだが、本堂こそ大きいものの境内は比較的こじんまりしている。

熊野山八坂寺(くまのさん・やさかじ)。熊野も八坂も修験道に関連の深い名前で、火渡り修行をしているくらいだし、何といっても寺を開いたとされるのは役行者小角だから、修験道の色彩がたいへん濃いお寺さんである。

ご本尊は阿弥陀如来で、真念「道指南」に恵心僧都源信の作と書かれている。源信は平安中期の僧で、浄土信仰の理論書である「往生要集」を著したことで有名である。浄土教の祖とされ(まだ浄土宗、浄土真宗は成立していない)、後の法然や親鸞に多大な影響を与えた。

役行者と阿弥陀信仰はすぐに結びつかないような気もするが、松山は一遍上人にゆかりの深い土地柄である。一遍上人が教義を確立し時宗集団を構成するまでに各地の霊場を回ったことは確かであり、その中には四十五番岩屋寺も含まれている。まさに一遍上人が、修験道と阿弥陀信仰を結びつけたのかもしれない。

ここ八坂寺は、もともと菅生山(大宝寺・岩屋寺)への参道にあたるため修験道が盛んな霊場であった。国家仏教の隆盛により復興したものの一時は衰え、源氏や越智氏の財力と源信・一遍など浄土信仰の隆盛とともに平安末から鎌倉期に再び盛んとなったものとされる。

四国札所の多くと同様、戦国時代に戦災被害を受け、真念の時代にはまたもや衰えていたようで、「道指南」の記事もご詠歌とご本尊を紹介するだけのあっさりしたものである。霊場記には、「古いお堂に風が凄まじく吹き付け、石段は苔に覆われている」と書かれているから、足摺の真念庵のような雰囲気であったらしい。

現在は、本堂も大師堂もたいへん立派である。本堂の建物内には、全国の信者から寄進された「万体阿弥陀仏」が納められており、本堂後ろから入って拝観することができる。ただし、宗旨は真言宗醍醐派なので、浄土信仰というよりも密教の色彩が濃いお寺である。

それを如実に表わしているのが、本堂と大師堂の間にある閻魔堂という小さなお堂である。向かって右に「極楽の道」、左に「地獄の道」と書いてあり、小さなゲートをくぐるとそれぞれに極楽、地獄の様子が極彩色で描かれている。

浄土信仰のお寺ならば、阿弥陀如来の本願で衆生すべて極楽浄土に救い取るのが本来だから、極楽だけではなく地獄もあるというのは、信仰のあり方として浄土信仰とは別ものと考えなければならないだろう。

この頃になって、再びぽつぽつと大きな雨粒が落ちてきた。午後4時を過ぎたところなので次の文殊院まで5時前には行けそうなのだが、もう暗くなりかけているのに雨に降られて歩くのも気が進まない。あきらめて元のバス通りに戻った。


浄瑠璃寺からバス通りを歩くと、すぐに八坂寺の入口になる。お大師様が出迎えてくれた。


バス通りを左折してまっすぐ進むと、八坂寺の山門が見えてくる。境内に比べて小さな山門だ。


山門から正面奥が本堂。大きな本堂で、中には全国から寄進された万体阿弥陀仏が納められている。

 

長珍屋さんには午後4時半に戻った。ちょうどいい時間である。ただ、ちょうどいいのは私だけではなかったようで、バス遍路の団体客とぶつかってしまい、入口が大混雑している。

これは参ったなあと思いつつ、とりあえず雨に濡れないエントランスの中に入る。そして、よく見てみると宿が宿泊客の受付をしているのではなく、バス遍路ツアーがエントランスで動かないまま翌日の予定などを説明しているのであった。

案内役の先達らしき図体のでかい男が、一般遍路客の下駄箱前で立ちふさがっている。宿にとって泊り客に変わりはないのに、自分達の世話しているお遍路以外は客でないという態度である。おそらく宿に対しても、使ってやっているのだから多少のことをしても文句は言われないと思っているのだろう。

とっさに、前日の「いやしの宿八丁坂」で聞いた話を思い出した。先達といっても知識とか経験とか信仰心で選ばれる訳ではなく、車でささっと回って納経帳にいくつもご朱印をいただいて、あとはなじみのご住職に推薦状を書いてもらうだけのことで、結局のところカネでなれるという話であった。

おそらく、こういうツアーの案内をするのに「公認先達」という資格にネームバリューがあるのだろうが、そんな心得で資格をとった人が常識的で気遣いの行き届いた対応などできる訳がない。現に、こうして自分達の商売に関係ないお遍路のことを無視するような態度をとるのである。嘆かわしいことだ。

そんなこんなで戸惑っていると、宿の奥様が「こちらにどうぞ」と私を見つけて案内してくださった。この奥さまには出発まで何かとお気遣いいただいて大変ありがたく思ったのであるが、おそらく奥さまが若い頃には個人客だけを相手に民宿としてやっていたのだろう。

だが、ひとたび莫大な設備投資をしてしまうと、どうしても売上を確保しなければならない。ディスカウントしてでも団体客を誘致しないと借金が返せない。その結果、個人客への対応が行き届かなくなるのは目に見えているが、奥様としてもそのあたりは気になるのだろうと思った。

団体客と鉢合わせになるのは嫌なので、食事は彼らの時間より遅らせて午後7時にお願いした。彼らの食事時間である6時ならお風呂が空いているだろうと思い、洗濯物を持って地下の浴室・ランドリースペースへ向かう。

まずコインランドリーに行くと、なんと洗濯機・乾燥機が5セット揃っていて、いままで泊まった宿の中で最大の台数だった。食堂の下の階にあって宿泊するエリアとは離れているので「24時間お使いいただけます」とあるのもうれしい。100円入れなくてはならないのだが、5セット確保する必要経費と思えば高くはない。

洗剤は売店で1回分の袋入りを分けていただく(無料)。ここには白衣や菅笠、経本や納経帳、遍路地図等の関連書籍など遍路用品がひととおり揃っている他、リポビタンDまで置いてあった。翌朝出発前に飲ませていただいた。

コインランドリーの奥が大浴場で、団体客が食事時間になる6時を過ぎてから入ったのだが、広々として湯船も大きく、たいへんくつろげる。この回の区切り打ちの中で、最高に気持ちがいいお風呂であった。その理由の一つが団体客と一緒に入らなかったことで、大勢で騒いでいたらゆっくりできなかっただろう。

1泊2食7,200円で、予約の電話をした時には「バストイレは共同です」と言われたのだが、ちゃんとトイレは部屋に付いていた。他の宿と同様、ずぶ濡れの服や荷物で和室を汚さないよう気を使ったが、これは宿のせいというより天気のせいだろう。

この日の歩数は42,862歩、移動距離は22.5kmだった。


八坂寺大師堂。本堂の左手にある。こちらも大きい。


本堂と大師堂の間に閻魔堂というお堂がある。右が極楽の道、左が地獄の道で、入るとジオラマがある。

 

夕食は、刺身、天ぷら、煮物、鍋、酢の物、フルーツなど盛り沢山で、瓶ビールの他に日本酒もお願いしてしまった。日本酒はベルリーフ大月以来1週間振りで、そろそろ今回の区切り打ちも終わりに近づき、無事ここまで来れたことを感謝しつついただいた。

さて、こちらの宿でもうひとつありがたかったのは、wifiが完備されていたことである。団体客がいたので少し心配したのだが、ツアーで回る人達だからwifiには用がなかったようでさくさく通じた。気になるのは台風の状況である。いよいよ沖縄近海からスピードを速めて北上しつつあった。2、3日後には確実に四国に近づくという予報である。

予約していたのは3日後の午前便であるが、すでに天候調査中に指定されていて、飛ぶ保証はない。逆に言えばペナルティなしでキャンセルできるということである。明日の宿である「たかのこのホテル」にはすでに荷物を送ってあるので泊まらなくてはならないが、最速で2日後の朝一で帰ることが可能である。

この時点では、新幹線、夜行バスなどいろいろな選択肢が考えられたが、とりあえず2日後のJAL松山・羽田便の予約状況を見てみる。すると、驚くべきことに夜便まですべてキャンセル待ちにもかかわらず、朝一のクラスJだけが一席空いている。これはお大師様のお導きだと判断して、すぐにクリックした。

翌日以降の話になるが、2日後の松山・羽田便は、午前中のANAが機材調達ができずに欠航となったので、朝一のJALは当然のことながら満席。空港ロビーも大混雑で、ぎりぎりのタイミングで帰りのエアを押さえられたということである。

そしてもし、安いからと言って新幹線を選んだ場合、この日は台風接近により遅れに遅れ、東京着が翌朝になったケースもあった。もし長珍屋さんにwifiがなかったら、JALの空席状況を見なかったらどうなったかと思うと、お大師様のお導きに感謝するとともに本当に冷や汗ものであった。

ということで、日程を1日切り上げることとなった。当初の計画では、松山市内に入って初日に石手寺、2日目に太山寺、円明寺までお参りしようと考えていたが、2日目の予定はキャンセルである。キャンセルしなくても、台風だから歩けなかっただろう。初日の石手寺にしたところで、台風接近と前線活発化により大雨大風が避けられず、どこまで歩けるか保証はない。

そして、今回歩き終わったところから次回の区切り打ちがスタートするから、できるだけ交通の便のいいところで終わることが望ましい。可能ならば、朝一の飛行機で松山まで来て、すぐに歩き始められる場所であることが理想である。

足の具合は、左足はほぼ完治して絆創膏もしないで済むようになったが、右足の親指は爪が完全に白くなり血がにじんでいて、指全体が赤く腫れあがった状態であった。何日間か痛みが出てロキソニンを飲んだが、よく1週間もってくれた。その晩はスケジュールのことも頭に浮かび、夜中まであまり眠れなかった。

翌朝食堂に入ると、すでに食べ終わっていた歩き遍路の個人客3人とご一緒することになった。歩き遍路だと6時台に朝食は当り前なのだが、バス遍路だとゆっくり起きて7時台であるらしく、団体客はまだいなかった。私の他には年配の男性2名、若い女性1名。ここに限らず、たいていの歩き遍路は男の年寄りか若い女性、あとは外国人である。

先客の話におずおずと参加する。前日の三坂峠は道がひどかったとか、次はどこに泊まりますか、などと当たり障りのない話である。話しているうちに、女性の方から「おととい岩屋寺でお会いしませんでしたか?」と尋ねられた。なんと、岩屋寺からいやしの宿に帰る途中、ハイペースで私を追い抜いて行った彼女なのであった。

この方は通し打ちでここまで来ているということであった。坂本屋はたわしが置いてあって助かりましたねとか、台風が来そうだから大変ですね、などと話をした。

[ 行 程 ]
浄瑠璃寺 15:35 →
[1.0km]15:50 八坂寺 16:15 →
[1.2km]16:30 長珍屋(泊) 8:10 →

[Sep 1, 2018]


雨が激しくなってきたので長珍屋さんに戻る。バス通りをはさんで向かいが浄瑠璃寺。


こちらの夕食もたいへん結構でした。区切り打ちも最後に近づいたので、ビールに加えて日本酒も注文。