480 四十八番西林寺 [Oct 21, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

文殊院八塚古墳群を見て、バス通りに戻る。ここまで来るとずっと家並みが続いており、古墳群のように少し中に入らないと空き地はない。次の四十八番に向かうにはどこかで右に折れなければならないが、とりあえず遍路シールの道案内があるのでそれに従って進む。

雨はいよいよ強くなってきた。こういう時に東屋があると助かるのだが、住宅街では望み薄である。ようやくバス通りから離れて、川の方向に向きを変えた。あたりの状況はよく分からない。傘を差して前に進むのが精いっぱいである。

雨に濡れて寒い。普段は歩いていると汗をかくのでそれほどトイレは近くないのだが、この時は寒くてそうはいかなかった。この
日のコースは1時間ごとに札所があるので心配するには当たらなかったが、それにしても寒かった。

倉庫のようなところを左に折れるように指示があり、車の入れない細い道を進むと、立派なお堂の前に出た。「札始大師堂」と書いてある。ここを目指して来た訳ではないのだが、せっかくだからお参りしていこう。お堂の引き戸を開けると中は結構広い。椅子も置いてあるので、しばらく雨宿りさせていただくことにした。

お堂の隣に普通の民家のような建物があり、トイレはそこにあった。靴を脱いで室内に上がるようになっていて、とてもきれいである。あるいはお寺の施設なのかもしれない。もう一度大師堂に戻ってひと休みする。

奥にはお大師様の像があり、香炉の横に大師堂の縁起が書かれた印刷物が置かれている。それによると、そもそもこの大師堂は折からの大雨で大水となったため、弘法大師が法力をもって作られ仮の住まいとされたのがはじまりという。

その後、土地の長者である右衛門三郎に復興の相談にいったところ、お大師様を乞食坊主と思った右衛門三郎に鉄鉢を割られ、それがもとで三郎の子供八人が次々と死んでしまうという例の話につながるわけである。

悔い改めて大師を追うことになる右衛門三郎がまず訪れたのがこの大師堂で、それからここの大師堂を「札始大師堂」と呼ぶことになったそうである。ということは、お大師様も私と同様に大雨で困ってここを作ったということだ。

外の雨は引き続き激しく、雨宿りしていてもおさまる兆しはみえない。もともとそういう予報なのだから仕方がない。こういう天気のために予備日を作るべきだと思う一方で、それでも歩くからお遍路なのだということもできる。難しいところである。

いつまでも雨宿りしている訳にもいかないので、意を決してお堂を出る。傘を両手で支えながら札始大師堂から少し歩くと、片側一車線の太い通りに出て、そのまま重信川にかかる久谷大橋を渡る。

札始大師堂の由来書によると、重信川の名は、江戸時代にこの川の治水工事をした松山藩の家臣足立重信の名前をとったものだそうで、右衛門三郎が弘法大師に寄進して工事していれば衛門川か三郎川になっていただろうと書いてあった。時代は800年ほど違うが。


文殊院・西林寺間にある札始大師堂。右衛門三郎がお大師様にお詫びするため遍路を始めた場所といわれている。


札始大師堂内部。大雨の中ずぶ濡れで歩いてきたので、屋根のある大師堂はたいへんありがたく休ませていただきました。


重信川を越え、いよいよ松山の中心部に入ってくる。車の数も浄瑠璃寺あたりとはかなり違う。

 

川を渡ったところが大きな十字路で、まっすぐ進むと西林寺、左に折れると300mで杖の渕公園と表示がある。杖の渕は大師が杖で突いて水が出たといわれる旧跡で、もともと西林寺の境内にあったといわれる水源であるが、なにしろ大雨で、往復600mを歩こうという気になれない。

後から振り返ると、この日は一日中風も雨も強かったのだが、特に激しかったのは札始大師堂の前後、西林寺の前後と石手寺にいる間だったように思う。移動中に多少弱まってくれたのはありがたいが、いずれにせよ杖の渕公園のあたりでも激しい雨であった。

その冷たい雨の中、横断歩道で私を抜いて行ったのは半ズボンの若い人と髭もじゃの中年男、いずれも外国人であった。この時間ここにいるということは浄瑠璃寺かそのあたりから歩き始めたと思われ、長珍屋にはいなかったので一体どこに泊ったのだろうと疑問に思ったことでした。

そして、その二人連れに西林寺で会ったのだが、その半ズボン姿は、若い男とばかり思っていたら女の子だったのである。歳の差があるのでおそらく親子だろうと思ったが、なんともいえない。この近くの宿は長珍屋しかないから、あるいは松山市内に住んでいるのかもしれない。

せっかくの土曜日なので、この大雨の中でも歩くわざわざ歩くのだろうか。やはり大雨の中、八丁坂の遍路道を歩いていた外国人カップルを思い出した。

杖の渕公園の交差点を越えて100mほどで、右側に西林寺がある。通りから直角に折れていったん川沿いを進み、もう一度直角に折れて、八坂寺と比べると巨大という他にない山門をくぐる。10時20分着。札始大師堂で雨宿りしたので、文殊院から1時間ちょっとかかった。境内はかなり広い。

清滝山西林寺(きよたきやま・さいりんじ)。山門の上には「清瀧山」の扁額が掲げられている。「霊場記」では清涼山となっている。いずれにしても寺近くにある杖の渕にちなんだ山号である。現在では杖の渕公園と数百メートル離れているが、霊場記の挿絵では西林寺のすぐ横にある。

というよりも、杖の渕のすぐ横にお堂がひとつあっただけなのが西林寺なので、もともと杖の渕が主で西林寺が従なのかもしれない。雨の中、本堂・大師堂で読経して納経所でご朱印をいただく。長珍屋で一緒だったバス遍路の団体客はかなり前に進んだようで、姿が全く見えないのは静かでよろしいことであった。

山門のあたりで雨宿りしつつ、今後の方針を再検討する。時刻は11時前。次の浄土寺まで3km、この日の宿である「たかのこのホテル」は浄土寺のすぐ近くである。ただ、お参りの時間を考えても12時前後には着くので、まだチェックインできる時間ではない。

次回の区切り打ちスタートを考えた場合、今回の終了地点は浄土寺まで進んで伊予鉄の駅まで歩くか、石手寺まで進んで市電の道後公園が望ましく、あとは強まる一方の風雨との兼ね合いである。ともかくも、浄土寺までは行かなくてはならない。10時45分に出発した。

[ 行 程 ]
文殊院 9:10 →
[2.3km]9:35 札始大師堂 9:45 →
[1.9km]10:20 西林寺 10:45 →


西林寺は大通りに面している。こういう場所にある札所はしばらくぶりだ。


西林寺境内と、正面が本堂。こちらをお参りしている頃、また雨が激しくなってきた。


本堂右手に大師堂。お大師様が杖で叩いて清水を得たとされる杖の渕が500mほど離れたところにあるが、激しい雨のため断念。