490 四十九番浄土寺 [Oct 21, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

 

西林寺から浄土寺まで3kmほどであるが、田舎道の3kmと市街地の3kmは体感距離(?)が違う。田舎道はあたりの景色を楽しみながら1時間ほど歩いてもたいした負担はないけれども、市街地ではそうはいかない。

まず車通りが多い。車道と歩道が分かれている高規格道では車がスピードを上げて通り過ぎるので気を使うし、分かれていない道路ではぶつかりそうで気を使う。まして雨ともなると、水しぶきを掛けられるのは避けられないのである。

もう一つあるのは、信号待ちと一時停止である。信号が多いのは市街地だから仕方ないとしても、露地から出てくる車はほぼ例外なく頭を車道深くまで突っ込んでくるから、これをよけていたら走ってくる車にぶつかってしまう。一時停止は本当は「とまれ」の停止線で止まるべきところ、最近の警察はもっと前で止まれと指導しているようなのだ。

こういう地方都市の場合、道路は狭いのに車は多い。いまの時代バスや電車で移動しろというのも無理な話だし、区画整理や都市計画があったとしてもできるまで何十年かかるか分からない。もっとも地方では公共事業が最大の景気対策であるから、住む人さえ減ればすぐにでもできるのかもしれない。

西林寺の前のバス通りは片側一車線あったが、遍路シールは脇にそれて細い道を進むことを指示している。「たかい公園」という晴れていれば一休みしたい小公園の横を過ぎて、田園地帯を進む。そして再び車の多い道に出た。片側一車線あるが、歩道はあったりなかったりする。神経を使う上に、雨はいよいよ激しい。

病院の前あたり、屋根のあるガレージの軒先を拝借して現在位置を確かめる。全然進んでいないことが分かり、愕然とする。1週間以上雨の歩きが続いて、スケジュールがどうこうよりも、雨の中を歩き続けること自体がもう嫌だ。

浄土寺から30分ほど歩き、ようやく小野川を渡る。この橋の名前が「遍路橋」である。石手川を渡る橋も遍路橋というようなので、地元の人は遍路道にある橋を一般名詞的にそう呼んだのかもしれない。

遍路橋を渡ってもまだまだ浄土寺は見えてこない。というよりも、その前にあるはずの伊予鉄の線路が見えてこない。伊予鉄にぶつかる前に、片側2車線の立派な道路を横切る。国道11号線である。

国道11号線は若い番号から推測できるように四国の幹線道路で、松山から高松を経て徳島へと瀬戸内海沿いを通る国道である。これまでの歩き遍路では徳島から高知を経て松山と来たので54号、55号というローカル国道を通ってきたのだが、これからはこの11号を通る機会が多くなるはずである。これを通って行けないものかと思うが、残念ながら浄土寺も石手寺も通らない。

国道11号を渡ると、ますます道は細くなる。見通しがきかない上に、クランク状に続いていたりする。遍路シールもほとんどなく、江戸時代からある遍路石に従って歩かなければならない。

この方向で合っているのかと不安になりつつ細い通りを折れたり、ようやく現われた伊予鉄の踏切を渡ったりしているうちに、左手ずっと奥に山門が見えた。方向的にはあっているので、シールも何もないけれどもそちらに向かって歩いて行く。もう一つ大通りを渡ると、山門に「西林山」と扁額がある。浄土寺である。


西林寺を過ぎるといよいよ街中になる。へんろシールはこの方向を示しているが、交通量が多く道幅は狭く、雨の日はつらい道だ。


伊予鉄久米駅が近づくと、細い住宅街の道に古い標石が浄土寺への道を指し示す。


上の写真の「左」を折れると、浄土寺の山門が見えてくる。再び雨が激しくなってきた。

 

西林山浄土寺(さいりんざん・じょうどじ)、この浄土寺と次の繁多寺は、孝謙天皇の勅願所で源頼朝の寄進を受け、河野氏の庇護を受けたという共通点がある。河野氏が伊予の支配を安堵されたのは源平合戦で源氏に味方したからなので源頼朝は分かるが、孝謙天皇が出てくるというのはよく分からないところである。

先ほどお参りした四十八番札所の寺号・西林がこちらの山号になっているのも気になるところで、たびたび引き合いに出す五来重氏によれば八坂寺が勢力を持っていた時期の末寺だったのではないかという。

この浄土寺は、称名念仏の空也像があることで有名である。空也自身もこの寺にいたことがあると伝えられる。空也は平安末期の浄土教の僧で、寺を持たず巷に出て「南無阿弥陀仏」を唱え続けた。そのため空也が唱えた阿弥陀如来がそのまま仏となったというのが空也仏であり、京都の六波羅蜜寺のものはよく教科書に載っている。

となると、当然ご本尊は阿弥陀如来であると思われるところ、釈迦如来である。後の浄土宗系と同様、浄土教でも阿弥陀如来を重視するが、本尊がお釈迦様の寺は、阿弥陀如来や薬師如来、観音菩薩がご本尊の寺より古い歴史を持つものが多い。それ以前から霊場として盛んだったということであろう。

山門のところが雨が当たらないので、ずぶ濡れのリュックを下ろし必要なものだけ持って石段を登る。ただ、リュックを置いた場所が死角となって見えないのが気になる。どこかで、松山市内に入ったら荷物を置きっぱなしにすると置き引きに遭うから注意しろと書いてあったことを思い出す。街中だから注意するに越したことはない。戻ってリュックを背負ってお参りする。

本堂の横に、空也仏を説明する案内板が立てられているが、空也仏がどこにあるかは書いていない。本堂の扉は閉ざされていて、小さな隙間から覗くけれども中が暗くて分からない。それとも隣のお堂だろうか。いずれにしても公開していないようなので、手を合わせてお参りする。

納経所は本堂の横をしばらく進んだ庫裏の中にある。そして納経帳を差し出してびっくりした。筆を持っているのは高校生にしか見えない女の子で、しかもかなりの美少女なのである。手慣れた様子で「奉納 釈迦如来 浄土寺」と筆を走らせ、ご朱印を押す。たいしたものである。お寺の跡取り娘だろうか。

この子が他のお寺のおばさま達のようになる頃には、私はこの世にいないだろうな、と思ってしまった。そして、(例えば切幡寺とか岩本寺とか延光寺とかの)あのおばさま達もこの子の頃からご朱印を押していたのかなあと想像すると、なんだかおかしかった。

納経所から出ると、正午を回ったところだった。雨は依然として強い。ここ浄土寺の住所が「松山市鷹子町」だから、伊予鉄鷹子駅や「たかのこのホテル」はすぐ近くである。ただ、ホテルのチェックインはまだだし、次回ここからスタートというのもちょっと面倒かもしれない。

あれこれ考えて、いよいよ進めなくなるまでは石手寺を目指そうと決めた。時間的にも、石手寺に着くのは午後2時頃になりそうなのでちょうどいい。問題は、その前に風雨が強まってどうにも歩けなくなってしまうことである。でも、そうなった時は仕方がない。ともかくも次の繁多寺に向かった。

[ 行 程 ]
西林寺 10:45 →
[3.2km]11:40 浄土寺 12:15 →


浄土寺本堂。山門からまっすぐ進んだところにある。


こちらのお寺には国の重要文化財である空也仏があるが、残念ながら案内看板だけである。


こちらは大師堂。納経所は本堂・大師堂をさらに進んだところにありちょっと離れているので、用心のため荷物を取りに戻る。