077 関八州見晴台 [Oct 26, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

10月10日から17日の第9次四国お遍路歩きでは、横峰寺、三角寺、雲辺寺、弥谷寺、捨身ヶ嶽と標高差のある道をいくつか歩いた。その割に、ふくらはぎや太ももが痛くなることもなく過ごしたので、帰って1週間経ったら山に行きたくなった。

あまり本格的な高さはきついような気がしたので、前回の伊豆ヶ岳に引き続き秩父である。今回は西武線を使った。10月26日金曜日、いつものように朝一番で都心に向かい、6時半池袋発の特急で飯能へ。

埼玉県西部にはあまり行ったことがないので、駅名を聞いても土地勘がない。所沢は立川あたり、入間市は福生あたり、飯能は青梅あたりと中央線に換算するけれども、現地の人にとっては全然違うのだろう。

飯能から先はいよいよ青梅線各駅停車の世界で、西武秩父が奥多摩駅の見当となる。前回・今回と訪れた正丸・吾野近辺は御嶽ということになり、実際に朝一番で出て午前8時前に着くのも同じである。

ちょっと違うのは、青梅・奥多摩間の多くの駅が無人駅であるのに対し、西武線の西吾野駅にはちゃんと駅員さんがいる。正丸もそうだったが駅のトイレもきれいで、登山客を想定して東屋もあるし、登山ポストも置いてある。

なかなか都会ではないかと思って高台にある駅から下って行くと、がさがさという大きな音がした。何かと思ったら、道路脇の柿の木から何かが飛び去って行った。なんと猿である。奥多摩で猿を見るのは奥多摩湖の先なので、秩父はなかなか山深いようであった。

そういえば、駅のトイレに「熊の出没情報が寄せられています。クマ鈴をつけましょう。1個XXX円」と貼り紙があったことを思い出した。クマ鈴は持って来てあるので、さっそく手元に準備する。

駅からしばらく民家はなかったが、線路をくぐって北側に出たあたりから住宅地となり、いったん付けたクマ鈴を外す。「高山不動」の立て札に従って歩いていくとすぐ登山道になってしまったので、これはメインルートではないと引き返す。今回参考としたのは、西武鉄道のHPに載っている「ハイキングコース24選」のうち「高山不動を訪ねる道」である。

5分ほど歩いて、標識が右折を示している。西武鉄道推薦ハイキングコース、不動三滝から高山不動に達する道である。すぐに登り坂が始まるが、しばらく民家も建っている。脇を流れるのは高麗川の支流・北川で、激しく水が流れて行く。数日前に歩いた横峰寺の平野林道とよく似ている。

民家が見えなくなりさらに坂道を登って行くと、いきなり人工の構造物が前方に現れた。こんなところに道路などある訳はないので1/25000図を見ると、「武甲鉱業ベルトコンベヤ」と書いてある。何を運んでいるのだろうと思って帰ってから調べてみると、セメントの原料となる石灰石を、武甲山から日高の太平洋セメントの工場まで、20数km運んでいるということだ。

道路を作るのと同じだからたいへんな費用がかかったはずだが、それでも採算が取れているということはそれだけ多くの石灰石を運んでいるということだ。武甲山を半分掘ってしまった訳だから、それくらい多いということであろうか。

駅から1時間歩く頃、ようやく林道から登山道への分岐に到着した。登山道に入ると最初の滝への分岐が現われるが、ひとまず先を目指す。ひとしきりスイッチバックを登ると、峠状の地形が現われた。草むらに腰を下ろして水分補給。一休みした後、その先に進んでみると、なんと民家が現われた。

ポツンと一軒家かと思ったが、よく見るとその向こうにも屋根が見えて、再び車も通れる林道と合流してしまった。最初に現れた民家は谷の方向に景色が開けていて、庭にいくつかベンチが置いてありその向こうにはお墓もあったが、登山道はそれらとは逆の林道方向に続いている。

ということは、そもそも登山道に入らなくても、林道をずっと歩いていればここまで来れたものと思われた。


出発地の西武線西吾野駅。駅員さんもいて、トイレもきれい。駅前には東屋もあるのですが、すぐそばに猿が柿を食べに来てました。


林道を登って行くと、突如出現する構造物。高速道路が通っている訳ではなく、武甲鉱業ベルトコンベヤと1/25000図に書いてある。


登山道に入ってしばらくすると、突如民家が出てくるので驚く。ぼつんと一軒家かと思ったら。再び林道に出たのでした。

 

ポツンとでない一軒家の先で再び林道に合流して、コンクリートで簡易舗装された道を登って行く。そのまま進むと関八州見晴台まで行けるようだが、「→高山不動」と書かれた案内にしたがって登山道に入る。

このあたりで2つ目の滝への案内があったが、ここも通り過ぎる。今回は滝を見るよりも、関八州見晴台まで余力を残して到達することが主眼である。体力を温存しければならない。

やがて3つ目の滝への案内が現われた。ここを逃すとせっかくの滝をすべて見逃してしまうのと、「0.1km」の表示があったのと、高山不動方面からざわざわした声が聞こえてきたこともあって、3つ目の滝、白滝を目指す。0.1kmにしては長すぎるような気がしたが、実際GPSを見ると200mはあったようだ。

白滝は落差10mほどの小さな滝だが、途中3つ4つの釜があり、何段にも分かれて落ちている。飯能市の立てた「白滝」の標識があるが、訪れるのは私だけである。斜めったトラバース道であまり安心な道ではなく、一般ハイキング客向けではない。

もとの道に戻って、あと1kmの高山不動に向かう。滝への分岐は谷のいちばん低いところで、ここから尾根まで上がるので、例によってスイッチバックのきつい登りである。さいきん覚えた、「なるべく足元を見る」作戦をとる。上を見ると先の長さにうんざりしてしまうから、足元を見てとりあえず今すぐのことだけ考えるのである。

途中、倒木が行く手をふさいでいるが、何とか通り過ぎる。木が倒れるような大風は10月初めに続けざまに来た台風だろうから、それ以来倒れっぱなしということになる。今回のルートでは何ヵ所かで見た。東京都の管理と比べるとちょっと差があるようだ。

尾根に登ってからの距離の方が長く、高山不動までなかなか着かない。しかも、せっかく登ってきたにもかかわらず、下り坂なのはくやしい。でも、道がそうなっているのだから仕方がない。やがて人工物が見えてきて、高山不動尊の石段下に出た。10時25分到着。残り1kmに30分以上かかった計算になるが、山道は距離ではない。

石段下のベンチで、リュックを背負った登山客が一休みしている。私同様シルバー世代である。平日のこの時間に、現役世代が来られる訳もない。それにしても、上の方からにぎやかな声が聞こえる。白滝分岐でもざわざわしていたし、何なんだろう。しばらく休んでから、急な段差の石段に挑む。

この石段は傾斜が急な上に、幅が小さくて足全体乗せることができず、しかも踊り場がない。中央に鎖が繋いであるので、これを頼りに休み休み登る。不動尊の本堂前には、結構な人がいる。

仏具を出して手入れしている一段がいて、にぎやかな中年女性のグループがいる。そしてなぜか、高校生くらいのグループもいる。いずれのグループもいま私が登った石段を登った気配はなく、みなさん元気一杯である。

説明書きがある。この不動尊は間口五間、内陣三間X二間を格子戸で区切る密教建築のスタンダードに則っていて、江戸時代中期の建築という。そういえば、四国お遍路歩きでも、この大きさの本堂をいくつか見たことがある。なるほどこれが当時の基準となる大きさだったのだな、と納得する。

後から気がついたのだが、この本堂へは石段を登るのではなく、裏の車道から下ってくるのがデフォルトのようで、それだったら疲れないはずである。本堂横にトイレと東屋があり、自販機さえ置いてある。

高校生のグループは、石段からではなくトイレ逆側の本堂横から現われて、トイレに向かっている。お参りする以外に、何か用事があるのだろうかと思ったが、この後高校生の大集団に出会うことになってしまうとは、この時点でまだ分かっていなかったのでした。

高山不動尊本堂から関八州見晴台までは、境内の案内表示には高校生の来たトイレ・東屋の反対側を示していたが、西武鉄道監修のハイキングコース図には「トイレと東屋の間を抜けて行く」と明記されている。案内板はないものの、そういう道が上に続いていたので、西武鉄道の指示にしたがい登って行く。

5分も登らずに再び車道と合流し、なぜかたくさんの車が止まっている。長テーブルとパイプ椅子が置かれておばさんが何人か座っていて、「XX高校PTA」と書いてある。不動尊前に屯ろしていた中年及び高校生の集団はこれだったらしい。素通りして、関八州見晴台に向かう。


3つある滝の中で、一番不動尊寄りの白滝。登山道から5分ほど狭い道を登る。


高山不動尊への残り1kmは結構ハード。今月の台風のためなのか、倒木が登山道をふさいでいる場所もあった。


高山不動尊。間口五間という立派な建物で、ここに至る石段は狭くてハード。よくみんな来られるなと思っていたら、裏に車道が通っていたのでした。

 

関八州見晴台まで車道を通っても行けるようだが、東海自然歩道の標識が現われ登山道に誘導される。この道は個人的に「高速登山道」と呼んでいるように、環境省管理のもと整備が行き届いているので有名である。(「四国の道」はそうでもないのだが)

高山不動尊から標高差150mほど、途中で丸山という小ピークを越えて、なだらかな坂道を登って行くと30分ほどでそれほど苦労せず展望台に到着する。白滝から高山不動までの道よりも歩きやすいのは、「高速登山道」の面目躍如である。

見晴台には東屋が置かれ、高山不動尊奥ノ院がある。かつてはこの奥ノ院が修行の場だったのかもしれない。関八州見晴台と呼ばれるだけのことはあって、周囲4方向開けている。以前より樹木が茂っているとのことで、掲示されている昔の案内図と同じ景色は見られないが、それでも関東一円の山々が視界に入ってくる。

この日は薄曇りで遠くが霞んでしまい、新宿の高層ビル群や東京湾、富士山は見ることができなかったが、ぼんやりと檜洞丸あたりまでは望むことができ、まるで水墨画のように重なる山並みを楽しむことができた。

東屋の他にベンチがいくつかあり、そのうちの一つに座ってお昼休みをとる。半月前のお遍路歩きの時から、固形物を食べるよりエネルギーゼリーとかフルーツ詰め合わせパックを食べる方が調子がいいように思うので、今回はEPIガスは持ってきていない。ただ、思い思いに昼食をとる周囲のシルバー達を見ると、EPIガスが多数派のようであった。

しばらく休んで下山に移る。登りと同じ道を下っているつもりだったのだが、見覚えのない場所に出た。しかも、大勢の高校生が歩いている。何が起こったかと思った。

とりあえず、下り方向に歩くけれども、高校生の集団と同じ流れである。西武鉄道のパンフレットを見るけれどもよく分からない。電子国土データのプリントアウトも見たが、このあたり道が込み入っていてよく分からない。落ち着いて現在位置を確認したいのだが、高校生が大騒ぎしているので頭が働かない。

ところどころに「午前10時から午後4時まで、県立XX高校の強歩大会を行います。よろしくお願いします」と書いてある。前回は幼稚園・小学生の団体、今回は高校生の団体である。たまたま来ているのに、来るたびに大集団に合ってしまうのは、普段の心がけが悪いのだろうか。

高校生は簡易舗装のコンクリの道を下って行く。この先ずっと一緒なのはたまらないので、「→八徳」の標識にしたがって登山道に入る。八徳はこれから通るはずの集落なのでここを通れば帰れるはずだが、ハイキングコースがこの道である保証はない。でも、騒がしいよりましである。

登山道に入ると途端に静かになった。とはいえ、案内標識がないので、あとどれくらい歩けば麓に着けるのか分からない。道はスイッチバックでどんどん標高を下げて行くが、行く手に見えるのは森ばかりで人里がある気配はみえない。あるいは遠回りしているのかもしれないが、下っているのだから目的地には近づいているはずである。

ずいぶん歩いたような気がしたが、傾斜がなだらかになり道幅も広くなり、地元の水道施設のような構造物が見えてくると間もなく八徳集落になった。関八州見晴台からほぼ1時間かかったが、結局この道が西武鉄道推奨のハイキングコースだったようである。

八徳は谷間の小さな集落だが、建っている家は農家でなく普通の民家である。ずいぶん山の中にあるけれども、普通のおじさんが家の周りを見回っていた。そういえば、奥多摩の山中、いまは廃村となった峰集落に住んでいたのも、もともと秩父から移住してきた一族という。先祖代々山の中に住んでいると、少々の山は平気なのかな、などと思ってしまった。(よく考えると、失礼なことである)

八徳集落から先は、吾野駅まで約4kmの舗装道路を歩く。途中から、再び高校生の群れが合流してきてにぎやかになった。私が迂回している間に中心集団は先行したようで、比較的まばらになってそれほどうるさくもなくほっとした。途中、先生方が監視しており、その表示を見ると吾野駅まで20km歩くという学校行事だったようである。

この日はいい天気になるはずだったのだが、1日曇りで気温が上がらず、大汗をかいたまま服がかわかず、濡れたまま歩いたのでたいへん寒かった。吾野駅から送迎バスで休暇村奥武蔵に行き、日帰り入浴でようやく温まった。

30分ほどお風呂休憩の後で吾野駅に戻ると、先生方が机や椅子の後片付けをしており、最終集団の生徒が電車を待っているところだった。もっと楽にこなせるコースかと思っていたのに、歩いてみるとちゃんときつかった。それでも、翌日以降足が痛くなることはなかったので、コンスタントな山歩きで体力は付いてきたようであった。

この日の経過
西吾野駅(208) 7:50
8:50 登山道入口(252) 8:50
9:05 高畑一軒家付近(379) 9:20
9:35 白滝(512) 9:40
10:25 高山不動尊(562) 10:45
11:25 関八州見晴台(775) 11:45
12:55 八徳集落(334) 12:55
13:50 吾野駅(161)
[GPS測定距離 12.6km]

[Dec 3, 2018]


高山不動尊からさらに30分、標高差150mほど登ると奥ノ院のある関八州見晴台。東屋の他にいくつかベンチもあり、10人以上お昼をとっていました。


晴れていれば都心の高層ビルも望めるということだが、この日は曇りで山並みもおぼろ。でも、うっすらと丹沢あたりまでは見えた。


帰りは高校の行事とぶつかって、ずいぶんとにぎやかでした。最後のひと登りで、吾野駅までもうすぐ。