540 五十四番延命寺 [Mar 13, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2018年3月13日の朝となった。この回の区切り打ちは天気には恵まれて、予報段階から連日の晴天が予想されていた。前回は観自在寺から石手寺まで1週間以上雨が続き、この回も出発前の週は雨で寒かったのだけれど、久しぶりに傘とレインウェアなしで歩くことができたのはありがたいことだった。

今回の3泊4日の中では、ほとんどの札所間が短距離であるのに対し、五十三番と五十四番の間だけは30km以上ある。松山から今治まで、札所がないからである。そして、伊予の札所は26あるのだが、その半分以上の14札所が松山市と今治市にある。古くから開けた地域だったのである。

それはそれとして、松山から今治までの間、宿泊地がないので一気に歩いて今治市街まで行くことになる。となると、40kmを超える距離歩かなければならない。久万高原への峠越え35kmとは違って、高低差がほとんどない瀬戸内海沿いの国道歩きではあるが、厳しい道中になることが予想された。

そして、前日に駅一つ分だけでも歩ければよかったのだが、体力に余裕がなく、円明寺をお参りしたらすぐ近くの伊予和気駅に足が向いてしまった。となると、翌朝は一番の電車に乗るしかない。宿の朝食は最初からパスしていたし、ホテルも駅のすぐ前だからよかったものの、この日も4時半に起きなくてはならなかった。

朝食は前の日にコンビニで買っておいたハムとレタスのサンドイッチ190kcal、スープパスタ180kcal、野菜ジュース79kcalとヨーグルト125kcalで合計574kcal。家でパソコンを打っているのなら十分なエネルギーであるが、これから40km歩くにはかなり心許ない。どこかで栄養補給が必要だろう。

身支度して15分前にホテルを出て、5時59分の始発電車に乗る。あたりはまだ暗い。さすがに四国は西にあるので日の出が遅いのである。それでも、駅2つ走る間にはヘッデンがいらないくらいに明るくなった。無人駅なので、車掌さんに切符を渡して下りる。GPSの電源をONにし、午前6時10分、長丁場のスタートである。

さて、伊予和気から国道196号に出るには、遍路地図によると円明寺の先の角を右に折れ、さらにファミリーマートの角を右に入るといいようだ。このあたり遍路シールの矢印が見当たらないが、線路と海岸の間を東に進めばいいはずなので、道なりにのんびり歩いていく。

最初は工場と倉庫に囲まれた道であったものが、住宅地になった。住居表示をみるとまだ「和気」である。そろそろ「堀江」になる頃なんだがなあと思ってさらに進むと、なんということか、目の前には防波堤がある。こんなところで瀬戸内海に出てしまったのであった。

本来であれば、和気から堀江に斜めにショートカットすべきところ、海岸まで一気に出て、そこから防波堤に沿って堀江という、三角形の2辺を進むようなルートをとってしまったのである。仕方がない。ここまで来たら戻るよりもう1辺を進む方が近い。前日にこんなことをしていたら、疲れていたのでかなり落ち込んだに違いない。

防波堤に沿ってボートを置いてあるお店が続き、河口にぶつかったので内陸部に入ると、車通りの向こうに堀江郵便局が見えた。郵便局の前の道が、遍路地図の示すメインルートである。ちょっと遠回りしたが、なんとか遍路道に復帰したようだ。

ここからしばらく、土讃線に沿って進む。ようやく堀江駅を過ぎ、光洋台、粟井、柳原と過ぎて次の駅が伊予北条である。伊予北条には番外霊場の養護院があり、円明寺から養護院まで11.1kmと遍路地図にある。朝の目標としては、この養護院を目指すことにした。

5時59分の松山始発各駅で前日歩いた伊予和気に向かう。四国だけあって6時前はまだ暗い。


伊予和気から遍路地図どおりに歩いたはずなのに、海岸に出てしまった。とりあえず瀬戸内海を望むことができた。


ようやく正規の遍路道に復帰して、しばらく海沿いを進む。途中、東屋などはないのでファミマで一休み。

 

堀江に近くなったあたりで「今治まで39km」という標識をみたので、あまりの長さに気が遠くなったのだけれど、いくらも歩かないうちに「今治まで35km」となったのはうれしかった。

しばらくは海沿いの道を進む。歩道があるのだが、たいへん幅の狭い歩道で、しかも高校生がやたらと自転車を飛ばしてくるのでそのたびに止まってよけなければならない。通学時間帯なので仕方がないのかもしれないが、歩道を走る自転車は、本当は押して歩かなければいけないのだ。

海鮮北斗という、海に張り出した巨大な飲食施設の横を抜け、粟井の井戸という何やら由緒のありそうな旧跡を過ぎて、午前7時半、行く手に四国遍路の救世主ともいうべきファミリーマートが見えてきた。そろそろ休み時間だし、イートインコーナーのあるファミマは大変ありがたい。

チキンカツサンドと温かいカフェオレをお願いし、朝が軽かったので栄養を補給した。遍路地図を見ながら、今後の方針を検討する。考えることは二つ。伊予北条から峠越えのルートをとるのか国道を行くのかが一つ、もう一つはお昼をどこでとるかである。

前者については体調との相談だが、国道ルートは2km近い遠回りになるので、基本的には峠越えのルートを選びたい。だが、どんな道なのか不安が残る。もし山道になるようであれば、2kmの距離差以上に時間がかかるかもしれない。

そして後者については、お昼頃に通る「遍照院近くの遍路嫌いのラーメン屋」には近づくなというWEB情報である。となると2~3km前にある「海賊うどん」が候補だが、時間的にやっているかどうか、そもそも今も営業しているのかという問題がある。とにかく伊予北条まで進むのが先決である。

午前8時の時報を聞いて出発。このあたり、車通りの多い道路だし海もあまり見えないので、地図で想像するようなのどかな道ではない。そして、対向車線を何分かおきに「松山市駅」行きのバスが通るのも気になる。別にJRの駅でなくても、適当なバス停まで歩けばこの日のスケジュールが少しは楽になったのである。

1時間ほど歩いて、ようやく伊予北条の街中に入る。大通りから少し脇道にそれると養護院があった。こじんまりしたお堂だが、「納経所」と書かれた窓口がある。残念ながら窓が閉まってカーテンが引かれている。窓口の下に抽斗があり、スタンプ類が置かれているのは蓮華寺と一緒である。

この養護院は杖大師とも呼ばれ、夢枕にお大師様が現れて杖、草鞋、数珠など身の回り品を置いて行ったという言い伝えがある。本堂に手を合わせて退出しようとすると、門前にいた3名ほどのご老人に呼び止められた。

「歩き遍路ですか、大変ですねえ」

「ありがとうございます」

「私も札所は回らせてもらったが、体力がないのでもっぱら車です。がんばってください」

こうした受け答えがあって、峠越えの道を選びたくなったから妙なものである。峠越えの途中には鎌大師というこれも番外霊場があり、街中にも大きな案内板が行き先を示している。

大通りに復帰していったん国道沿いに南下、行先表示に沿って東に向きを変える。とたんに車通りがなくなり、静かな田園風景が広がった。心配したような山道ではなく、山の上まで舗装道路が続いているのが見える。なにしろ、車の騒音がなくなったのでたいへんリラックスする。

この鎌大師の道は正解であった。坂はきついが道は舗装されていて、歩くのには全く問題はない。そして鎌大師はきちんと整備されているお寺さんで、境内は広く、東屋もあるしトイレもちゃんとある。

お大師様が自ら鎌で刻んだ大師像をご本尊としているということで、真念「道指南」に「かうの坂ふもとに大師堂」と記されている古いお寺である。本堂に並べられている十二支の焼き物が気になったが、これはこの後、菊間を抜けるあたりで真相が判明することになる。午前10時まで、こちらで小休止させていただいた。


伊予北条には杖大師とも呼ばれる養護院がある。お大師様の杖が寺に伝わる。


伊予北条から鎌大師への遍路道に入る。また山道かと思って心配したら、きちんとした舗装道路でした。

お大師様が自ら鎌で彫った大師像が伝わる鎌大師。東屋・トイレも整備されていて一休みするのに最適。干支の焼き物が気になるが、その正体はおいおい明らかになる。

 

鎌大師からさらに坂道を登る。頂上付近は社会福祉施設になっていて、そこには「トイレお使いください」とうれしいことが書いてある。しばらく平らな道の後は下り坂で、そこにも遍路休憩所があった。ここは海に向かって開けていて、鎌大師に続いて再び腰を下ろし景色を楽しむ。峠道を選んだ甲斐があった。国道ではこうはいかなかった。

休憩所からはたいへん傾斜の急な坂道を下り、人里に下りる。真念「道指南」のあさなみ(浅海)村で、江戸時代にはここに番所があった。つまり、松山藩と今治藩の境ということである。この浅海を歩いていたら、農作業中のおばさんから「お接待」と収穫中のいよかんを2ついただいた。今回の区切り打ちで初、久々のご接待であった。

再び国道196号と合流する。もう11時なのでお昼にしていい時間だが、果たして「海賊うどん」はやっているだろうか。江戸時代と同様、今日でも松山市と今治市の市境となっている海沿いの国道を進んでいくと、海に突き出した建物が見えてきた。

すぐ近くまで行くと、ちょうど店のおばさんが暖簾を出しているところだった。よかった。やっている。「いいですか」と店の中に入る。もちろん最初の客で、食べ終わるまで私ひとりしかいなかった。

メニューを見て、せっかくなので一番高い「海賊うどん」をお願いする。この海賊うどん、他のメニューでトッピングされる肉、えび天、油揚げ、天かす、とろろ昆布、わかめなどが舟型の器にすべて乗ってくる豪華版で、これで700円である。おまけに、おいなりさんを1つご接待していただいた。続けてのご接待、たいへんありがたい。

おばさんが一人でやっているお店で、かつ開店して早々だったので天ぷらを揚げるところから始めたため、30分ほどかかったが、その間、窓の外に広がる瀬戸内海の景色を楽しんだり、置いてある「土佐の一本釣り」を読んだりしてゆっくりすることができた(例の台風に突っ込んでいくところである)。

11時50分、身支度を整えて午後の部スタートである。あと延命寺までは残り15~6kmのはずなので、納経時間には間に合うはずである。国道歩きなので、例によって㌔ポストを見てペースを計って行く。ここから1kmごと、13分・13分・15分・14分・13分。1~2分余計にかかっているのは菊間にある番外霊場・遍照院の写真を撮ったりしていたためである。

遍照院近くにあるラーメン屋には「参拝帰りにどうぞ」と書いてあるが、にもかかわらずお遍路は嫌いというのだから看板に偽りありである。隣にファミリーマートが建設中であったが、経営が一緒だったらどうしようと気になるところであった。

遍照院のある菊間市街を抜けると、石油コンビナートである。その近くで、遍路シールに沿って国道から旧道に入る。国道の両側が瓦店で、その半分以上が現在では営業していないように見えたが、旧道に入っても小規模な瓦店が続いている。コンビナートに向かう海岸線では、防波堤の内側がすべて瓦店である。

そういえば、この前後の住宅地では、鬼瓦が4つ5つある家やら、外壁の上に七福神の焼き物を乗せている家が目立って多かった。鎌大師本堂にあった干支の焼き物もおそらくそうで、すべてこの地域で製造されている瓦なのであった。

半分以上閉まっている瓦店や、放置されている在庫品をみて、いろいろ考えさせられた。たまたまこの地域に生まれ、瓦店の仕事をするのは運である。でも、いまや新築住宅に瓦を使う時代ではない。仕事を増やそうとすれば鬼瓦などアクセサリー的な焼き物を売るしかないが、それだって限度がある。

私の若い頃には、どんな業種であっても努力次第で仕事を増やすことができると言われていた。確かに、京セラだってtotoだって窯業から出発した会社だから可能性はゼロではない。でも、この仕事をずっと続けている人には悪いかもしれないが、生き残るのはほんの一握りであって、ほとんどの瓦店は続ければ続けるほど赤字になってしまう。

努力次第でどうにでもなるというのは建前に過ぎず、それでうまく行かなくても誰もどうにもしてくれない。自分自身を振り返って、運がよかったんだろうと思う。瓦屋さんに生まれていたら、私などでは状況を打開できないことは明らかである。


鎌大師からの下りでは、海に向かって景色が開けている。峠道を歩いてきた甲斐があった。


海賊うどんでお昼にする。店名の海賊うどんは、すべての具が乗った豪華版。これで700円でなおかつ接待のお稲荷さんをいただきました。


菊間の石油コンビナート前。右に続くしもた屋はすべて瓦店。閉まっているところも多い。

 

そんなことを考えながら太陽石油のコンビナートを抜け、ちょっと疲れたのでバス停のベンチでひと休みした後、再び国道を歩く。

ここからのペースは㌔ポストごとに14分・14分・13分・13分で、大西町の大規模公園の近くまで来た。側道に遍路シールがあって「延命寺まで5.8km」と書いてある。なんとか、目処がつくまで進めたようである。大規模公園の休憩所がなかなか見つからなかったが、いちばん奥に見つけてリュックを下ろす。時刻は午後2時半。

あと6kmを1時間半でクリアすれば、納経時間には間に合いそうだ。すでに8時間以上歩いているので、さすがに足全体が痛む。伸ばしてマッサージし、3時10分前に腰を上げる。あと6kmプラス今治市内まで4km、合計10kmならこれまでだって歩いてきた距離である。

ところが、先が見えてきたと思ったとたん、足が伸びなくなる。JR線路沿いの側道に入ったのでペースがわからないけれど、㌔13分では歩けていないことが分かる。踏切を越え、大西駅の周辺に入ってきた。「ご苦労さん。あと4kmだよ」と声がかかる。ありがたいより先に、あとまだ4kmもあるのかと思ってしまった。

再び国道と合流するところでファミマをみつけ、まだ大規模公園の休憩から30分ほどしか経っていないにもかかわらず、たまらず入ってしまう。マンゴーのジェラートをお願いする。ベンディングマシンでホットミルクを入れるのは、前回の区切り打ちで何度かやったのでお手の物である。

時刻は午後4時前。1時間しかないけれど、あと2kmほどだからいくらバテても大丈夫だ。疲れて足が上がらなくなった場所で思い出すのは、小松大師から牟岐の間、海部を抜けて那佐湾、神峯寺の下り、延光寺の往復、歯長峠を越えて明石寺までといったところだが、それらはすべて同じ時間、午後3時を過ぎたあたりである。まして今回はすでに30km歩いて来ている。

4時10分前にファミマを出発、再び合流した国道をしばらく進むと、今治市街に向かう道との分岐となる。車の多くはそのまま国道を進むので、交通量がいっぺんに少なくなった。小学校の見える長い直線道路を必死に歩き、延喜の交差点を過ぎると、道が一層狭くなる。歩道がなくなる場所もあり、車をよけながら道路表示に注意する。

やがて左に延命寺の表示があり、遍路シールにしたがって進むと、池が見えてきた。車遍路の人達が、車を下りて歩いている。やっと着いた。もう午後4時半を過ぎている。結構ぎりぎりの時間になってしまった。

納経所には「お参りをすませてから来てください」と書いてあったが、「ぎりぎりだからいいですか」とお願いしたら大丈夫だった。大汗をかいて息をきらせているので、「どちらから歩かれました?」「松山から」と答えると、「途中で泊まらないで松山からずっとじゃ大変でしょう」と言われてしまった。

近見山延命寺(ちかみさん・えんめいじ)。近見山は今治市を一望する山の名前で、延命寺から近見山の向こう側が今治市である。瀬戸内海やしまなみ大橋の好展望地であり、もともと、その近見山に堂宇があったものが戦国時代に焼かれてしまい、現在地に移転したものと伝えられる。

こちらのお寺は、池からすぐの位置に仁王門があり、そこから奥に山門がある。普通は逆なのに珍しいと思って説明を読んでみると、この山門はもともと今治城の城門であったということである。明治維新で取り壊しになりそうなところを、延命寺に持ってきて移築したそうである。


大西町手前の海浜公園でひと休み。ここまで来れば大丈夫と思ったのだが。


大西駅近くで国道から古い住宅街に入り、「延命寺まであと4km」と声をかけられた。まだ4kmもあるのかと思って、ちょっとめげた。


延命寺まであと2km。さすがに30km以上歩いて来ると、もう足が上がらない。

 

遍路シールにしたがって進むと、池が見えてきた。車遍路の人達が、車を下りて歩いている。やっと着いた。もう午後4時半を過ぎている。余裕があると思っていたのに、結局ぎりぎりの時間になってしまった。

納経所には「お参りをすませてから来てください」と書いてあったが、「ぎりぎりだからいいですか」とお願いしたら大丈夫だった。大汗をかいて息をきらせているので、「どちらから歩かれました?」「松山から」と答えると、「途中で泊まらないで松山からずっとじゃ大変でしょう」と言われてしまった。

近見山延命寺(ちかみさん・えんめいじ)。近見山は今治市を一望する山の名前で、延命寺から近見山の向こう側が今治市である。瀬戸内海やしまなみ海道の好展望地で、もともと近見山に堂宇があったものが戦国時代に焼かれてしまい、現在地に移転したものと伝えられる。

こちらのお寺は、池からすぐの位置に仁王門があり、そこから奥に山門がある。普通は逆なのに珍しいと思って説明書きを読んでみると、この山門はもともと今治城の城門であったということである。

明治維新で取り壊しになりそうなところを、延命寺に持ってきて移築したそうである。明治といえば神仏分離・廃仏棄釈とすぐ結びついてしまうが、こうやってお城で壊されそうなものをお寺に持ってきて保存したりするところもあったのである。

四国札所でも神仏分離・廃仏毀釈の影響はかなりあったのだが、九州のようにほとんどのお寺が廃寺になってしまったような地域と比べると、数多くのお寺が今日まで残っている。一時廃寺になっても、間もなく復活したところも多い。八十八ヶ所の伝統がイデオロギーをしのいだということだろう。

もうご朱印をいただいているので、落ち着いてお参りする。山門入って正面が本堂であり、左手に納経所がある。大師堂は本堂と納経所の間を左に登って行く石段の上にある。もともと山号にあるように近見山の頂上に堂宇があったというから、その名残りかもしれない。

本堂の柱や欄間にはたくさんの納札が貼られたままになっている。少々なら珍しくないが、多量に残っているのは珍しい。現代のものではないようだが、いつ頃のものなのだろう。

お寺に大小は関係ないけれども、昔は同じ「圓明寺」であった五十三番と五十四番が、かたや街中にあるコンパクトなお寺で、かたや境内に山も池もある大規模なお寺という違いはたいへん興味深い。

境内が広いので、ゆっくりしていたら午後5時を過ぎてしまった。ホテルには午後6時着と伝えてあるのと、暗くなる前に着きたいので重い腰を上げる。次の南光坊への遍路道は、池まで戻らずに左にある丘を越えて行く。ここまで来れば市街まで歩くしかないが、足腰はいよいよ重く、少々の坂道がつらい。


こちらのお寺は、仁王門をくぐってから山門がある。この門はかつて今治城の城門であったものを移築したそうだ。


延命寺本堂。左手納経所。納経所の奥を左に石段を登ると大師堂がある。かつて近見山の山頂に堂宇があった名残りかもしれない。


本堂右手に遍路道が続く。仁王門まで戻ってはいけない。

 

境内が広いので、ゆっくりしていたら午後5時を過ぎてしまった。ホテルには午後6時着と伝えてあるのと、暗くなる前に着きたいので重い腰を上げる。次の南光坊への遍路道は、山門まで戻らず、境内途中から左にある丘を越えて行く。足腰はいよいよ重く、少々の坂道がつらい。

延命寺から大谷霊園までの遍路道は、道が集落の中を斜めに行ったり来たりするので、「へんろ道→」の案内がないと分かりづらい。方向としては途中から見える高速道路の高架を直角に横切ることになる。高速道路を越えると、また登り坂となる。ちょうど大谷霊園の中央くらいまで、つらい登り坂が続く。最後と思ってがんばるしかない。

大谷霊園は山一つを墓地にしてしまったような大規模なもので、いくつかの区画に区切られている。ちょうど敷地の真ん中、一番高くなっているあたりに管理施設と休憩所、オープンスペースがある。

大谷霊園という名前からして、おそらく浄土真宗系の墓地と思われる。今日、もっとも寺院数・信者数が多いとされるのが浄土真宗系であるが、例の神仏分離・廃仏毀釈の時、浄土真宗系への影響が相対的に少なかったということが原因のひとつであるらしい。

なぜ神仏分離・廃仏毀釈の影響が小さかったかというと、幕末の混乱時、薩摩・長州の志士が本願寺に大変お世話になったからだそうである。本願寺には皇室の血も入っているので、さすがの明治新政府も遠慮したのかもしれない。奈良の興福寺が大幅に縮小されたり、内山永久寺が廃寺になったりしているのと比べると、かなりの違いがある。その当時から、地獄の沙汰もコネ次第なのだ

もう日暮れ近い時間で、オープンスペースにはテントが張られている。あるいは、歩き遍路の人だろうか。今治市内には泰山寺に通夜堂があるのだが、ここは広いし水もトイレもあるので、WEB等で調べるとここに泊まる人もいるようだ。

ここから今治市街までようやく下り坂である。松山・今治間でよく見かけた軍人仕様の墓石群もある。出口のところに巨大な慰霊碑があって、そこから市街地に進む。下り坂から平地になると、体が登り坂だと思うらしく歩くのがつらい。でも、あともう少しの辛抱である。

今治城と間違えるようなお城のような変な建物の脇を抜け、学校の横の用水路を通って、市街中心部に到着した。横断歩道の目の前にCoCo壱番屋があったけれど、止まってしまうと歩くのが辛くなるのでホテルまでがんばる。後から思うと、ここで食べておくべきであった。

駅前までまだ何百mかある。そして、予約してある今治アーバンホテルは駅の反対側である。ひいこらしながら、ようやくホテルに着く。エレベーターは1つしかなく若い連中が行ったり来たりしているので階段を上がり、ようやく2階にあるフロントに着くと、「xx様のご予約は新館です。いったん出ていただいて50mほど先になります」と言われた。

再び重いリュックを背負い、はるか向こうにある新館まで歩く。午後6時10分ホテル着。もう体力はほとんど残っていなかった。部屋の隣がコインランドリーなのは大変ありがたかったものの、レストランは朝食しかやっていない。売店もない。コンビニも食べる店も駅前まで戻るしかないが、もう一歩も外に出たくない。

館内の自動販売機にある食べ物はカップヌードルとおつまみだけで。仕方がないからカップヌードルを買ってお湯を沸かし、洗濯をしながらご接待のいよかんとビールで夕飯にすることにした。そのコインランドリーも、「使用は夜8時まで。施錠9時。朝の使用は8時から」などと書いてある。あまり親切ではない。

レストランをやっていないビジネスホテルでは、デリバリーでピザとかお寿司とか取れるところもあるのだが、そういうメニューもない。朝食付きで予約したのに食券を渡されなかったのでフロントに電話すると、「忘れてました」と言われた。これで7,500円である。「お遍路の方にご接待です」と今治タオルをいただいたが、もう二度と今治に泊まるのはやめようと思った。

この日の歩数は66,348歩、GPSで測った距離は40.4kmと、とうとう40kmを突破して過去最長となったのでありました。

[ 行 程 ]
(JR松山(泊)→)JR伊予和気 6:10 →
[6.6km] 7:45 ファミマ松山磯河内店 8:00 →
[5.9km] 9:15 養護院 9:20 →
[1.7km] 9:45 鎌大師 10:00 →
[4.1km] 11:10 海賊うどん(昼食) 11:50 →
[6.6km] 13:15 太陽石油バス停 13:25 →
[5.5km] 14:35 星浦海浜公園 14:50 →
[3.0km] 15:35 ファミマ大西店 15:50 →
[3.0km] 16:35 延命寺 17:10 →
[4.0km] 18:10 今治アーバンホテル(泊)

[Jan 5, 2019]


行き先案内に従い集落の道を右へ左へと進み、高速の下を通る。遍路地図はほとんど役に立たない。


大谷霊園内をショートカットして今治市街へ向かう。霊園内の休憩所にテントを張っている人がいた。


この日の移動距離は40kmを超え、ホテルに着いたら一歩も外に出る気がしなかった。夕飯はカップヌードルとご接待のいよかん。