550 五十五番南光坊 [Mar 14, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

前日は40km歩いて疲れ果ててしまい、お風呂に入って洗濯を終えると9時前だというのにベッドに倒れ込んで寝てしまった。真夜中に目を覚まして、だるい体に鞭打って太ももとふくらはぎにバンテリンを塗る。そして再びぐっすり寝る。朝方、寒気がして暖房をつけた。個別エアコンではなく集中冷暖房なので、調節できているかどうかよく分からない。

レストランは朝しかやってないしデリバリーはできないし、コインランドリーは時間制限ありだし本館と新館は離れているし、値段(朝食付き7,500円)ほどの宿ではないように思うのだが、前日フロントで満室と言っていたから、稼働しているし採算は取れているのだろう。

しかし、周囲をみると地元のホテルばかりで、全国チェーンのホテルは見当らないし、東横インやルートインなどビジネスホテルもない。そうしたホテルが進出してくればこのサービスでやっていけるか首をひねるところだが、いまのところは需要が供給を上回っているものと思われる。

そういえば、かつての松山市内がそうだった。最近、ようやくロイネットができたものの、東横インも比較的最近できたものだし、全日空ホテルや第一ホテルを除けば地場のホテルばかりだし、需要に供給が追い付いておらず予約を取るのがひと苦労だった。最近になってようやく大街道周辺に、新設されるホテルが多くなってきたのである。

午前7時の朝食開始から30分ほど遅れてレストランに入るが、心配したような混み具合ではなかった。無料ではないから頼む客はあまりいないし、だからフロントも朝食券を渡すのを忘れるのだろう。

朝食は意外とおいしかった。ロールパンとコーンスープ、ハムエッグ、ウィンナ、ナポリタン少々、マカロニサラダとグリーンサラダ、フルーツとヨーグルト。ロールパンはおかわりできて、飲み物がつく。前の晩はカップラーメンだけだったので、ロールパンは2つ追加してもらった。久しぶりにお腹いっぱいになってうれしかった。

前日に今治市街まで歩くことができたので、この日のスケジュールは大変に楽である。佐礼山まで山登りをしなければならないものの、移動距離としては15kmに届かないくらいである。朝もゆっくりできるし、いろいろ見る余裕がありそうだ。

午前8時半ホテル出発。前日にはこの時間すでに10kmほど歩いていたことを考えると、たいへん余裕がある。駅前に戻り、大通りを北上していく。ちょうど通勤時間帯だが、人も車もそれほど多くはない。適当なところで左に折れ、南光坊を探す。本当の街中であるので、ホテルから10分も歩くと見えてくる。

駅前からの最短距離を進むと、南光坊の山門を通らずに横から入ることになる。面白いことに山門横の「別宮山南光坊」の石碑は山門の外ではなく境内の側を向いている。

では山門はどこを向いているのかというと、もちろん大三島を向いているのである。お隣にある大山祇神社も、山門と並んだ位置に鳥居が建っている。そして驚いたことに、まだ9時前だというのに大型の観光バスから遍路姿のお年寄りが大勢下りてくるのである。

ここでは団体客と個人客は別に対応してくれるのは分かってはいるが、50人近いご朱印帳が来るのでは大変である。リスクヘッジのため、お参り前に納経所に向かう。


南光坊には今治駅前の通りを進む。通勤時間帯のはずだが、ひと通りは決して多くはない。


海側には立派な仁王門が立つ。境内は中に駐車場があるくらい広い。門の内側に向かって石碑が立っている。


南光坊本堂。バス遍路の朝のコースになっているのか、まだ午前9時前なのに人でいっぱい。

 

別宮山南光坊(べっくさん・なんこうぼう)。山号に残っているように、もともとの札所は別宮である。別宮というからには本宮があるはずで、本宮は大三島にある大山祇神社である。真念「道指南」は札所は「三嶋宮」としているが、「海上七里有 故にこれより拝む」として、別宮にお参りする行程としている。

松山市には右衛門三郎と一遍上人の伝説がある寺が多かったが、今治市に特徴的なのは越智氏・河野氏につながる札所が多いということである。

これまで見てきたように、八十八の札所の中には空海に関係の深いお寺の他に、空海以前の古い信仰にちなむものが少なくない。土佐の五社とか今治の別宮(南光坊)、佐礼山(仙遊寺)は、四国草創期の支配者・越智氏との関係が深い霊場である。

もともと大三島は、大和朝廷以前の四国の覇者とみられる越智氏の氏神である。大山祇神社とも三嶋大社とも呼ばれる。海上安全にご利益のある神様で、熱海の次にある東海道新幹線の三島は、三嶋大社があることからその地名となったほど、古代には霊験あらたかな神様であった。

三嶋大社と大三島大山祇神社の関係は明らかでないとする見方もあるが、律令時代以前からの古い神社で、神社の名前も祀っている神様も同じならば、どちらかが勧請したものと考えるのが自然である。

その大三島まで、江戸時代でも今治から舟を使えばそれほど遠くはなく、現代であればしまなみ海道でつながっている訳だけれども、八十八の中に選ばれているのはあくまで「別宮」である。真念「道指南」もそれ以前からあるご詠歌でも、同じ垂迹なので別宮にお参りする、とされているのである。

ご朱印をいただいた後、本堂にお参りする。ご本尊のご真言は「なむ だいつうちしょう ぶつ」で、他の札所のようにサンスクリット由来の真言ではない。漢訳前の原語は「マハー・アビジュニャー・ジュニャーナ・アビブ」というのだが、確定された漢訳語がないためか、大通智勝仏とお呼びしている。

大通智勝仏は、法華経化城喩品の冒頭に登場する仏様であり、この世界が微塵に砕かれて細かな塵となり再び固まって世界となり、それを何千億回繰り返すほど昔に悟りを開いた仏であるとされる。

それほど昔の仏様を釈迦がなぜ弟子たちに講義しているかというと、大乗仏教の「久遠実成(くおんじつじょう)」の理論を説明するためである。簡単にいうと、お釈迦様はゴータマ・シッタータとして悟りを開いたのではなく、はるか昔にすでに仏として悟りを開いていたという、一種のたとえ話である。

その大通智勝仏を本地仏とするのだから、三嶋明神も起源が古いと考えられていたことは確かである。何しろ、アマテラス(本地仏は大日如来)、イザナギ(同釈迦如来または阿弥陀如来)よりも時間的に古いとされている仏様なのである。

いまであればビッグバン以前には時間がないので140億年より前はないと言われるかもしれないが、当時はそんなことを言う弟子はいなかった。もし言われたとしたら釈迦は、膨張した宇宙が熱量死していつの日か再びビッグバンが起こり、それが何百億回も繰り返される時間だ、と言うかもしれない。

愛媛県第二の都市・今治にあるだけあって、境内も本堂もたいへん立派である。団体のバス遍路が終わるまで待って、ご本堂・大師堂と納経させていただく。屋根の高さが建物本体と同じくらいあって威圧感がある。境内中央にすっくと立っている回向柱は、高知市の種間寺を思い出した。

南光坊をお参りした後、通りを隔てた大山祇神社にお参りする。観光バスの連中はこちらには来ない。せっかくの機会だし、すぐ近くにあるのだからお参りしていけばいいのにと思う。明治の神仏分離以前には、こちらが札所であったのである。

大通智勝仏という耳慣れない仏様は、もともと大三島の垂迹仏とされた仏様で、それでご詠歌にも「別宮とてもおなじ垂迹」と謳われている。そして「道指南」では、他の札所にはご本尊の絵姿が描かれているのに、大通智勝仏の絵姿はなく、ご本尊がどのような仏像であるかも記載がない。おそらくご神体であり見ることはできなかったからであろう。

拝殿はみごとな檜皮葺で、愛媛県の重要文化財になっている。せっかくお参りしたので、社務所でご朱印をいただく。神社ではあるが、見事な達筆である。「日本総鎮守 別宮 大山祇神社 御前 平成卅年三月十四日」と書かれている。

[ 行 程 ]
今治アーバンホテル 8:35 →
[0.7km] 8:50 南光坊・大山祇神社(別宮) 9:20 →


南光坊大師堂。こちらも人でいっぱい。


道路を隔てた大山祇神社。神仏分離前はこちらが札所だった。訪れる人はほとんどいない。


大山祇神社(別宮)拝殿。みごとな檜皮葺きで桃山時代の建築。ご詠歌に謳われているように、大三島にある三島明神と同体とされる。