560 五十六番泰山寺 [Mar 14, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

南光坊から再び駅の方向に戻り、線路の下をくぐって南側に出る。こちらの駅前も人通りは少なく、遍路シールが貼ってあるのも平和である。次の泰山寺までは、駅から伸びる道をひたすらまっすぐ進む。

ここ今治市は江戸時代の城下町から現在に至る地方都市なのだが、同じく城下町であった宇和島、大洲と比べてひと通りも車通りも少ない。駅前の大通りも信号を渡るたびに細くなり、とうとう一車線の住宅街になってしまった。この日も天気に恵まれて、日差しもきつく暑いくらいである。

しばらく歩くと汗だくになってしまい、やや広くなっている学校の門のあたりでひと休みさせていただく。校名を見ると今治西高校であった。今治西といえば甲子園の常連、野球の強い高校として記憶に残っている。最近は高校野球を見ることがないので今でも強いかどうかは分からないが、県立高校だけに昔のようにはいかないだろう。

さらにまっすぐ進むと、あたりはいよいよ住宅街である。奥ノ院である龍泉寺の案内が先に出てきたので行き過ぎてしまったかと思ったが、辛抱して進むと右手に巨大な建物が見えてきた。あれが泰山寺に違いない。すぐに左手が参拝用駐車場となり、そこから右に山門が見えた。

金輪山泰山寺(きんりんざん・たいさんじ)。山号の金輪山は裏山の名前で、寺号は延命地蔵経の文言から採られたという。ただ、泰山といえばまず思い浮かぶのは泰山王であり泰山府君であり、道教の聖地である泰山である。

(延命地蔵経はもともと仏教経典にあったものではなく、日本で作られたもの。だから内容をみても、道教や浄土教の影響が窺われる。このお経で地蔵菩薩の言っていることは、まるで阿弥陀如来である。)

泰山府君は死後の世界を管轄する。十王信仰では、四十九日に死者を審判するのが泰山王である。この泰山寺、今治市を流れる蒼社川の低地から金輪山に向かって小高くなった丘の上にあり、ご本尊が地蔵菩薩であることを考えあわせると、もともと水害や伝染病による死者を供養する霊場であったのではないだろうか。

山門を入ると正面に本堂があり、そこから右手に境内が広がっている。本堂の右隣が庫裏で、きれいに咲いているのは紅梅だろうか。その右の建物が同行会館で鉄筋の大きな建物。この会館が遍路道から見えたのであった。

お寺全体に比較的新しい建物であるが、中でも同行会館はたいへん新しい。現在の霊場会HPには宿坊なしと書かれているが、かつてはこの同行会館が宿坊として利用されていたようである。

庫裏・同行会館の向かいに大師堂。本堂に続いてこちらで読経させていただき、同行会館入口にある納経所でご朱印をいただく。南光坊ではバス遍路が大挙して訪れていたが、幸いこちらは通過したようでたいへん静かである。

時間に余裕があるので、境内のベンチに座ってひと休みする。丘の上にある境内からは、市内の住宅地を見ることができる。荷物を置いて座っていると、暑くもなく寒くもなく、日差しは穏やかで風もなく、なんとも過ごしやすい陽気である。こうやって、札所の雰囲気を感じることのできるスケジュールが好ましい。前日40km歩いたおかげである。

こちらのお寺には通夜堂があるということだが、どこだろうと探してみる。本堂・大師堂と庫裏・同行会館の他に建物は見当たらない。トイレはあるが、横に用具置き場のようなドアがあるだけで、とても通夜堂を置けるスペースではなさそうだ。きっと会館の裏にでもあるんだろうと思っていたら、帰って調べてみると、あのトイレの横のようだった。

水もトイレも使えるので、あの場所で不都合ということもないのだろうが、通夜堂のもともとの趣旨はお通夜で一晩過ごすことにあるのだから、なんだかなあという気がする。しばらくゆっくりして、11時10分前に出発した。

[ 行 程 ]
南光坊・別宮 9:20 →
[3.3km] 10:15 泰山寺 10:50 →

[Jan 26, 2019]


泰山寺へは南光坊から駅の反対側をひたすらまっすぐ進むが、道はどんどん狭くなる。


泰山寺の本堂(いちばん奥)と納経所。建物はたいへん立派で、遠くからでもすぐ分かる。


本堂から境内の逆側に大師堂。大師堂の並びにトイレがあり、トイレの横が通夜堂ということが帰ってから判明しました。