昔の原稿を整理していたら、コロナで高橋さんが大騒ぎされた記事をみつけた。
新聞もTVもネットもすべて、彼をとんでもないみたいに批判していたけれども、今にしてみれば誰が正しかったのか明らかである。ちゃんと自分の頭で考えないからだ。
2021年5月14日の記事をそのままupしてみる。
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SUB:高橋さんの言ってることは間違ってないが・・・
高橋洋一内閣官房参与のコロナさざ波ツイッター投稿が、各方面から集中砲火を浴びている。私の読んでいるいくつかのブログでも、何バカなこと言ってるんだという論調ばかりである。ただ、言ってることは間違いじゃない。
コロナの感染者数、死者数がヨーロッパやアメリカ、最近感染拡大しているインドなどと比べると桁違いであることはそのとおりで、自粛自粛とみんなが口をそろえる中で客観的な数字に基づいて指摘することには意義がある。声をあげないだけでそう思っている人は少なくないはずである。
ツイッターというのは注目されなければ意味がないみたいなので(そもそも私は持っていないので推測だが)、過激な見出しで多くの人の気を引くのが重要なのだろう。高橋参与は感染症専門家ではなく経済の専門家なので、ポジショントークとして経済重視になるのもやむを得ない。
感染しても9割以上は安静にしていれば治るし、昨年来の死者数累計は約1万人。自殺者が年間2~3万人、ガンで数十万人亡くなることと比べれば確かにさざ波で、経済活動をストップしてもコロナ対策最優先というのは、議論の余地があることは確かである。
重症者が急増して救急搬送の受け入れ先がなく医療が崩壊しているというが、全国で千人を少し超えた程度である。大阪府で病床利用率が100%近いが、そもそも200~300人しかコロナ集中治療室を用意していないこと自体行政の怠慢である。府知事の見てくれに騙されてはいけない。おカネがないからできないという事情はあるにせよ。
だから、国際的な人の移動が起こるオリンピックはともかくとして、この程度の感染状況で緊急事態だの営業自粛だのやりすぎじゃないですかというのは、マスコミ情報に踊らされず自分の頭を使えば普通に考えることであって、謝罪だの撤回だのという話ではない。
日本人は集団ヒステリー的なところがあるので、みんなと違うことをしたり言ったりすると自粛警察が出たり袋叩きに遭ったりする。確かに、みんな我慢している時に水をかけるようなことを言うなという気持ちは分かるけれど、みんな同じ方向を向いているのは気持ちが悪い。
ただ、そういう突出した言動、行動をとると、多くの人の反感を買うのである。学者たるもの反感を気にして言うべきことを言わない訳にはいかないが、そうした小さな反感が積み重なって現実のトラブルに結びつくことが厄介である。
高橋さんは私と同じく1980年に社会に出た同世代である。秀才揃いの大蔵省の中でもクビひとつ抜けた頭脳で、大蔵省で1年先輩の加藤官房長官も若い頃度肝を抜かれたのではないかと思う。内閣官房参与になったのもその関係と思われる。
経済学部に入る前に理学部数学科を卒業しているので、歳は私より2つ上になる。エリート中のエリートである高橋さんだが、いろいろ不幸なできごとがあって並外れた能力の割に恵まれていない。本当は、政治家と絡んだり、あまり聞かない大学の教授をしているレベルではない。
もちろん、本はたくさん書いているし千葉ニューの図書館にも何十冊と置かれているので経済的にどうこういうことはないだろうけれど、私より歳が上なのにまだ階段を昇らなければならないというのは気の毒なようでもある(本人はそう思っていないだろうが)。
ツイッターに投稿しても言葉尻をとらえた記者連中に追い回されるだけで、ほとんどの人は統計数字を見ようとしない。それでも、他に言う人がいないから自分が言わなければならないという志は誰でも真似できるものではない。
私ごときがアドバイスできることではないが、心静かな環境で過ごしてほしいものだと思う。
私より2つ歳上なのだが、まだ階段を昇らなければならない高橋内閣官房参与。客観的な数字に基づいた主張は責められるものではないが、集団ヒステリーの日本では袋叩きになってしまうのが気の毒だ。
ご関心があればコロナ記事の当時のバックナンバーはこちらで。