007 マダムYの素敵な幼少時代

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

マダムYはライオンのメスとトラの区別がつかない。

たてがみのあるのがライオンで、ないのがトラなんじゃないの?」と聞くと亭主は、

「縦縞のあるのがトラ、ないのがライオン。ライオンのメスにたてがみはないよ」と言う。

「ライオンにメスはいないよ。メスはトラ」とマダムYが続けると亭主は、

「???」となってしまう。そして、ライオンは草原に、トラは密林に住んでいるとか、ライオンのオスは寝ているだけでメスが狩りをするとか、ベンガルズとライオンズは違うチームだろうとか言い始めるのだけれど、正直なところマダムYにはよく分からないのだった。

最近は、こういう話をしていると娘からも軽蔑の視線を向けられるので、どうやらライオンとトラが違う動物らしいということは分かる。だが、半世紀にわたり同じ動物のオスがライオンでメスがトラと覚えてきたので、頭の奥底では理解していないのである。その原因をつらつら考えるに、どうやら亭主や子供たちが図鑑で覚えることを、自分は実体験で覚えてきたせいではないかと思う。

亭主は子供たちが物心つくとすぐに動物図鑑や植物図鑑、魚の図鑑を買ってきた。自分もそうやって育ってきたらしい。ところがマダムYは、小さい頃家の中で本を読んだ記憶はほとんどない。カエルやザリガニ、メダカやタニシの生態は図鑑でなく実物で覚えた。今でも、「ザリガニあります」の看板(印旛沼の近くでは、本当にこういう看板がある)を見ただけで、うれしくなってくるのだ。

だから、実際に暮らしているのを見たことがないライオンやトラのことなど、知らなくて当たり前だと思う。トラが木に登れようが登れまいが、どうせ動物園にしかいないのだから、知っていたところでどうなるものでもないのだ。ところが図鑑大好きの亭主は、ライオンとトラの違いが分からないのが信じられないと言う。

そんなことを考えていると、小さい頃のことがとてもなつかしく思えてくる。庭いじりをしたり花屋さんを回るのも楽しいけれど、日が暮れるまでザリガニを取って遊んでいるのも楽しかったなあと思う。マダムYの幼少時代は、それはそれはワイルドだったのである。


ライオンのメス(出典 Wikipedia)


トラ(出典同じ)

マダムYの幼少時代、両親は二人とも働きに出ていた。今では「共働き」と言われるが、当時はまだ「共稼ぎ」と呼ばれていた時代である。両親が帰ってくる5時過ぎまで、鍵を持たされていないマダムYは家に入ることができなかった。近くに親戚の家があったのでそこに行くように言われていたし、その頃は小さな子供に一人で留守番をさせることは考えられなかったのである。

ところが、マダムYはおとなしく親戚の家で本を読んでいるような子供ではなかった。帰りなさいと先生に言われるまで校庭で遊んでいるか、さもなければランドセルをその辺に放り投げて遊びに行くか、いずれにせよじっとしているのが大嫌いだったのである。

当時、舗装されていたのは幹線道路くらいで、住宅街の道はただの土か、せいぜい砂利を敷いてあるくらいであった。マダムYは走って遊びに行くので、よく転んでひざをすりむいた。家に帰れば赤チン(マーキュロ・クローム、昔の傷薬)があるのだけれど、家は鍵が閉まっている。そのためひざに砂利の破片がささったままで、何時間も遊ぶのであった。だから、40年以上経った今でもマダムYの膝頭には傷が残っている。

昭和30年代といえば、高度成長時代の初めの頃である。いまではマンションが並んでいるあたりも、川や田んぼであった。学習塾なんぞに行く子供はいなかったし、塾といえば習字かヤマハ音楽教室くらいしかなかったから、大抵の子供は暗くなるまで遊んだ。

マダムYも、カエルを捕まえたりザリガニを釣ったりして、日が暮れるまで遊んだ。その頃になるとお父さんお母さんが帰ってくるので家に入ることができる。そして夕飯を食べてお風呂に入ると、疲れ果てて寝てしまうのであった。当然勉強などしたことがない。ザリガニの釣り方ならいくらでも知っているが、ライオンとトラの区別なんて知るわけがないのである。

問題は宿題である。当時の学校でもよく宿題は出た。当然マダムYは宿題などやっていない(机に向かっていないのだから・・・)。どうするかというと、次の日の休み時間に勉強のできる子がやってきたものをまる写しするのだ。

ところが勉強ができる子がみんな宿題を見せてくれるとは限らない。中には、「宿題は自分でやらなきゃいけないんだよ」という子もいる。だからマダムYは、まじめで宿題をきちんとやってきて、しかも頼まれると断れない子を見つけるのである。子供の頃からそういう嗅覚だけは鋭いのであった。

さて、学校がある時はそうやって暗くなるまで遊んで時間をつぶしていた幼少時代のマダムYであるが、困ったのは夏休みの期間である。

すぐ近くに母親の実家があり、そこに行くように言われていたマダムYであるが、親戚とはいってもよその家はやはり行きづらい。旧家なので広さは十分あったし、年の近いいとこもいるので遊ぶのはいいけれども、一日中その家にいなければならないというのは、やはり子供心にも気が進まないものであった。

だから、学校のプール開放がある時には、朝一番から終了時間までプールにいるのが普段の過ごし方であった。学校のプールにいれば、なぜ家にいないのかと聞かれることもないし、どこで時間をつぶそうか考えたりしなくてすむ。当時は、両親が両方とも働いている家はそれほど多くなかったし、学童保育もなかったのである。

大人になって社会に出てから、マダムYが一人っ子で兄弟がいないというと、そんなな風には見えないと言われることが多かった。それはおそらく、子供の頃そうやって子供ながらに気を使って育ったからではないかとマダムYは思うのだった。

さて、夏休みのプール開放というのはずっと行われている訳ではなく、夏休みも半ばになると先生方もいなくなってしまい、校庭にもプールにも入れない。仕方なくカエルやザリガニで遊んだり、そこらへんに生えているいちじくの実をもいで食べたりして時間をつぶすのだが、日が高くなると外にいられないくらい暑い。そういう時どうするかというと、マダムYが向かうのは親戚の銀おじさんのところであった。

銀おじさんは、お母さんの兄弟で、実家の離れに一人で住んでいた。一日中、シャツとステテコと腹巻きという出で立ちなのだけれど、当時は特に気にならなかった。そういうスタイルの人はそれほど珍しくない時代だったのである(バカボンのパパもそうである)。

銀おじさんは、お勤めには行かず、家で内職をしていた。おじさんの離れに行くと、巨大な発泡スチロールの板と、たくさんのビニール袋があって、これがおじさんの内職道具なのであった。この発泡スチロールを一定の大きさに切って三つ折りにし、それをビニール袋に入れてホチキスで閉じるのである。

炎天下の外で遊ぶのがしんどくなると、マダムYは銀おじさんの離れに行って何時間もこの内職を手伝うのであった。昔のことだからエアコンなどはもちろんなかったけれども、直射日光の下にいないだけ楽なのである。一日に何百と作るので、夏休みの間にはおそらく何千という単位になっただろう。

何を作っているのか小学生のマダムYには分からなかったが、ずっと後になって、子供が幼稚園になって金魚すくいをした時に、何十年ぶりかに子供の頃作っていた発泡スチロールの塊を発見した。それは、金魚の水槽に入れて水をきれいにする「水作」という浄化装置のフィルターなのであった。

マダムYのお母さんの実家の離れに住んでいた銀おじさんは、お勤めはしていなかった。薪(まき)を割ったり家の修繕をしたりといった力仕事(当時は、内風呂の家でも薪を使って沸かしていた)や、水作作りの内職をしている以外の時間は、晩酌に向けて庭に七輪を出し、モツを煮ていることが多かった。

その頃はいまのようにスーパーマーケットなどなくて、米は米屋、魚は魚屋、野菜は八百屋で買うのが当り前だった。肉も、豚肉や牛肉、コロッケを売っている肉屋と、鶏肉や焼き鳥、鳥モツを売っている鶏肉屋は別だった。商店街にはたくさんのお店が並んでいて、お店の人も買う人もみんな顔見知りという時代だった。

銀おじさんは、内職でかせいだおカネをいつも腹巻の中に入れてじゃらじゃらいわせていた。そして、気が向くと商店街に歩いて行き、豚や鶏のモツを買ってきて昼間から七輪でモツ煮込みを作るのである。日が暮れる頃モツが柔らかく煮上がると、マダムYも分けてもらって食べた。味噌で味付けしたモツ煮込みはとてもおいしかった。

さて、マダムYが預けられていたお母さんの実家は地元では旧家だったので、お盆になると親戚の人たちがたくさん集まった。また、戦後まもなくの頃は、この一帯で一番大きなこの家を、いろいろな人が頼ってきたことがあったらしい。そうした人達が一升瓶を2本ずつ抱えて、お盆の時期にたくさん集まるのである。

当時は、お祝い事や法事というと一升瓶を持ってくるのが当たり前であった。その結果、仏壇の前は紐でくくられた一升瓶のセットが飲みきれないくらい並んだ。銀おじさんはそうした一升瓶のストックの中から何本か自分の離れに持ってきて、モツ煮込みを肴に一杯始めるのであった。

昔はそんな具合に、何かというと一族や縁のある人達が集まっていたのだけれど、いつの間にか、みんなお墓の中に入ってしまった。家に入れないマダムYをずいぶんとかまってくれた銀おじさんも、もともとあまり肝臓が強くなかったせいか、モツ煮込みでお酒を飲んでいるうちに早くに亡くなってしまった。

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プールに行ったり外で遊んだり、銀おじさんの内職を手伝ったりしているので、勉強なんて一つもしない間に夏休みは終わってしまうのだった。その当時、夏休みの宿題はとても多かったから、最後の日曜日に一家総出で宿題を片付けて、ようやく始業式に行くことができるのであった。

だから、漢字の書き取りも計算ドリルも、自分でやったことなんてあまりない。いずれにしても一夜漬けだから、ほとんど記憶に残らないのである。ライオンとトラの区別がつかなくたって仕方ないじゃないかと思うマダムYであったが、それはもちろん共働きの両親のせいではなくて、計画性のない自分のせいなのであった。(完)

[Aug 26, 2010]

006 マダムYの素敵お引越し

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

西暦1999年。この年の7月には空から恐怖の大王が降りてくるはずであったが、その少し前にマダムYの家には大きな災難が降りかかっていた。マンションの管理組合の理事を選ぶくじ引きに当たってしまったのである。

一家の住んでいたマンションは、亭主が大阪から東京に転勤で戻ってきた時に買ったもので、買った時点ですでに築8年が経過していた。JR総武線のT駅から歩いて30分、なぜかバスでも30分(遠回りするのである)という物件で、エレベーターなし5階建ての真四角をした建物は、マンションというより団地のような外見をしていた。

マダムYの家はそのエレベーターなしの5階、子供たちが小さい時分には、たいへん難儀した。140cm台しかないマダムYなのに、生まれてきた子供は年子で、上の男の子も下の女の子も、半年で10kgぐらいに成長した。10kgの米を買って帰るときなどは、まるで3つの米俵を持って階段を上がっていくような具合になった。

それでも、1歳と0歳だった兄妹が、中学3年と2年になるまでのおよそ14年間、さほどの不自由もなく暮らしてきたのであった。すぐ近くに小学校があって、同じ年の子供がたくさんいたのでママ友ができたし、亭主が30を過ぎてからようやく運転免許を取り、駅から遠い不便も解消されたからである。

ところが、いきなりの理事である。マダムYのマンションは14棟450世帯、この当時としてはかなりの大規模マンションであった。棟ごとに2年任期の理事を選び、14人の理事で管理組合の理事会を構成する。この理事会で、マンション全体の大事なことを決定することになっていた。

この時点で築20年を越えるマンションであるので、大規模修繕のための積立金の問題やら、管理費不払いの問題やら、一部の住民が無許可で共有部分を改修してしまう問題やら、この種の集合住宅にありがちな問題をマダムYのマンションもかかえていたのである。

しかし、問題はそれだけではなかった。管理組合の中では内紛が起こっていたのである。そのことは、管理組合総会に出た人から口コミで多くの住民に伝わっていた。人付き合いが苦手でおべっかなど使うことはとてもできない上に、間違ったことや筋の通らないことが大嫌いなマダムYの亭主が、そんな中でうまくやっていけるはずはないのであった。

会社から帰ってきた亭主に、「理事当たっちゃったよー」というと、いかにも嫌そうな顔をした。

「しょうがないよ。回覧板とか資料配るのは手伝うから。」
「そう簡単に行きそうもないんじゃない?」

管理組合内紛の騒動元となっているのは高梨氏という住民である。この人物は、管理組合というものは区分所有者の集まりであって、世帯主本人が来ないと話にならない、というのである。

普通のマンションでは、管理組合はかなりの部分形式的なものであり、実際の管理業務は管理会社が行うことが多い。だからマンションを買う場合、どこが管理を行っているかというのが重要なポイントとなる。管理会社がしっかりしていれば、管理組合で普通の理事がやることなどほとんどなく、亭主が出なくても奥さんで全く差し支えないのである。

ところがこの高梨氏、管理会社をやめさせて、自分達で管理をしようというのである。もともとこの高梨氏、マンションの初代の管理組合理事長で、どこかの保険会社に勤めていたそうだがすでに退職している。そして、その取り巻きに設計士だか建築士だかそういう住民が何人かいて、自分達は暇なものだから管理会社にぶちぶち言い出したのが内紛のそもそもの始まりであった。

「自分達で管理なんか、やってる暇ある訳ないじゃないか。向こうは日中暇なんだろうけど、こっちは仕事してるんだから。」
「自分達で管理するって、どうやってやるの?」
「なんでも、管理組合法人とかいうのを作って、自主管理するって言ってるらしいよ。そういうのに詳しい取り巻きがいるんだ。そりゃあ、管理会社に払う手数料が減るのはいいけど、管理費未払いの督促とか、トラブルの仲介とか、自分達でやるわけ?そんなの棟ごとに理事の仕事なんていわれたら、とてもじゃないけどやってられないよ。そもそも、東急コミュニティ管理っていうんでここ買ったんだから。」

内紛が拡大したのは、大規模修繕をめぐって管理会社が提示した見積りが発端であった。このマンションは相当古いので、月5千円の修繕積立金を若干増額させていただいて、きちんとした修繕をしたいのだがという東急コミュニティの提案に対して、冗談じゃない修繕積立を増やすのなら管理費減らせ、そもそももっと安く修繕できるじゃないかというのが高梨氏らの主張である。

それだけであれば、話し合いの余地はあるはずなのだが、高梨一派は、違法駐車が多いのも駐輪場の整理整頓ができていないのも、管理費未払いが解決できないのも住民が勝手に共有部分を改築してるのも、全部管理会社が悪いと言い始めたものだから、収拾がつかなくなっているらしい。

亭主はさっそく次の日、区分所有法の解説書やらマンションの管理組合に関する本を何冊か買って来て、夜遅くまで猛勉強を始めた。一文の足しにもならないのに、そういう勉強だけは面倒がらずにやる亭主なのであった。ただ、やたらと本を読むのは早いので、その夜のうちにはほとんど読み終えてしまった。

そして、その次の日には、パソコンに向かってばたばたと手紙を打ち始めた。マダムYにはよく分からなかったが、あとから聞くと、自主管理反対・従来どおり管理会社管理で行きましょうという文章を、現役員の人たち宛に送っていたらしい。そうこうしているうちに、役員改選の4月が近づきつつあった。

「お散歩に行こうか?」
と亭主に言われて、マダムYが付いて行った先は、歩いて30分ほどの住宅展示場であった。

結婚してから十五年、いままで住宅展示場などというものに全く興味を示さなかった亭主が、なぜいきなり連れて来たのだろうとマダムYには意外なことであった。だが、おそらくマンション管理組合の件で思うように行かないからであろうことは、大体見当がついた。

東急コミュニティへの管理業務委託をやめて、自主管理のための管理組合法人を作ろうという高梨氏らの計画は、亭主以外にはほとんど止める人もなく実現に向けて急ピッチで進んでいた。亭主は旧年度・新年度の各役員に話をしたようだが、旧年度の人たちにとって、あと1ヵ月でお役御免になるのに厄介事を引き受ける気にならず、新年度の人たちも長い物には巻かれろという考え方のようであった。

15社ほどのハウジングメーカーがモデルハウスを建てている展示場のうち、亭主は3つ4つ選んで中に入ると、説明しに出てきたメーカーの担当者にいろいろ質問している。時々、「木造なのに、エレベーターが付けられるんだー」とか、「ツーバイフォーにもいろいろあるんだなあ」とか独り言を言いながら、最後には決まって、「この家を建てるといくらになりますか?」と聞くのであった。

担当者が5千万とか6千万とか答えると、「やっぱりそんなに高いんだ」とか残念そうにする。おそらく亭主は、モデルハウスそのものが実際に建つと勘違いしているのではとマダムYは思った。モデルハウスは、メーカーが自社の技術や建材を見せるために見本として作るもので、実際はもっと安く作れることくらいマダムYも知っていたのである。

その次の週になると、今度は新聞の折り込み広告をいくつか持って、物件を見に行こうと言うのであった。しかし、近所の中古物件は狭い道の先にあって、運転の下手くそな亭主が当時の愛車マークⅡをこすらずに入っていけるようなところではなかった

「せっかく家を買おうというのに、ここじゃあ夢がないよね。」
「えー、家買うのー?」
「まだ決めてないけど、もう管理組合はたくさんだから」
「お金あるのー?」
「ないけど」

お金がないのに家を買おうというというのは無謀という他はないが、亭主が言うには、頭金はいま住んでいるマンションを売ればなんとかなる。あとはローンが組めるかどうかで、ローンさえ組める物件ならとにかく買ってしまえばなんとかなる、ということのようであった。思い立ったらすぐ実行に移すのが亭主のいいところであり、悪いところでもある。これで会社を2つ辞めて来ているのだ。

「このあたりだとちょっと値段が高いけど、もう少し行くとかなり安い。ちょっと気に入った所があるんで、行ってみようよ。」

そんなことを話している間に、車は成田街道を北へ、ひと気のない方へとずっと走っていく。

家計のことは亭主がやっているので、マダムYにはよく分からない。よく分からないので考えないことにしたが、つい1ヵ月前までずっとマンションに住むものと思っていたのに、理事のくじ引きに当ったとたん、いきなりこの騒ぎである。はたして本当に家など持てるのだろうかと半信半疑のマダムYであったが、本当に買えたらいいなとちょっとうれしくなった。

亭主に連れて行かれた先は、車で小一時間ほど来た先の、印旛沼の近くにある新興住宅地であった。

これまでマダムYが住んでいたあたりは、JR総武線沿線に古くから開けたところであった。そのため幹線道路でも片側一車線で申し訳程度の歩道が付いているくらいで、駅までたかだか3kmを渋滞の中30分近くかけて行くような場所だった。ところが、こちらの幹線道路は片側二車線+車道並みに広い歩道である。さすがに運転の下手な亭主が目をつけるだけのことはある、とマダムYは感心してしまった。

そして、住宅地の中の道ですら片側一車線+歩道である。まだ春だというのに、盛大に雑草が伸びている中に、番号と面積を書いた看板が立ててあった。メインとなる道路から奥へ、およそ二十区画が売り出されているようであったが、看板は雑草に隠れているし営業マンらしき人も見当たらない。あまり盛大に売り出している様子にはみえない。

「ここなの?」
「あれー、ここだと思うんだけどなあ。」

確かに、二車線道路の反対側にはしゃれた輸入住宅が並んでいる。しかし、こちら側はただの草むらである。普通、不動産の販売だと、プレハブがあるか少なくともテントくらいは張ってあって、営業マンが最寄の駅まで送迎してくれるものではないだろうか。ここは本当にちゃんとした分譲地なのだろうか、とマダムYは不安に思わないでもなかった。

とはいえ、街並みのきれいさは、これまで住んでいた総武線沿線とは全然違っていると思った。ブロック塀とか生垣とかはほとんどなく、どの家も広い敷地にコニファーやモミの木を植えて、きれいな芝生の庭にはお花が飾られている。まるで昔やっていた「金曜日の妻たちへ」に出てきた家のように見えた。ここは中央林間ではなく、印旛沼のほとりなのだが。

歩いて2、3分のところに小規模なショッピングセンターがあり、そこに販売センターの建物があった。二、三十人は楽に入れると思われる建物は鍵がかかっており、土曜日の昼間だというのにお客さんどころか営業マンも一人もいなかった。なんだ誰もいないのかーと思っていると、ようやく営業マンが車から下りてきたのであった。

「すみません、他の現場行ってたもので失礼しました。私、○○ハウジングの川中島と申します。さあ、どうぞどうぞ。」

川中島と名乗った長身痩せ型の営業マンは、縁なしのメガネとスーツで決めているのだけれど、ちょっと軽薄な印象を受けた。ただしこの川中島氏、銀行をリストラされて住宅業界に入ったということで、同じ銀行ドロップアウト組の亭主と通じるものがあったのかもしれない。

「あちらの販売区画の中で、どこが残っていますか」と亭主が尋ねると、
「どこが残っているといいますか、1ヵ所しか売れてございませんので・・・

なんと、ひと気がないのも道理。全然売れていないのであった。

「えー、ということは、買ってもそこら中空き地だらけになるってことですか?」
「いえ、最後まで売れなければ、全部建売りにして売ってしまいますから。最近は、注文住宅より建売の方が売れるんですよ」

いまいち信用できないような説だが、川中島氏が自信満々にそう言うので、そう受け取っておくことにした。しかし、実際にはその後このメーカーが撤退するまでの約5年間で、結局半分くらいしか売れず、そこら中が空き地という状態は続いたのである。最後建売りになったという点は川中島氏の予言どおりだったが。

「いつから売り出しているんですか?」
「先月からなんですが、いま土地の値段が下がってるのに、公団さんが土地の値段を下げてくれないものですから売れないんですよ。」

ということは、しばらく待っていれば値段は下がるということになる。しかし、マンション理事を一刻も早く辞めたい亭主は、売出し価格で買うことを決めてしまった。それも、お手頃価格のところは周りが全然売れていないので、唯一売約済の隣りにある角地を選んだのである。

「下手に安いところを買って、後から、あそこにしておけばよかったと後悔したくないからね」

と亭主は言うのだが、その結果70歳を超えるまで完済できないほどの住宅ローンを抱え込むことになってしまった。

ただ良かった点もあって、他に1軒しか売れていなかったため営業マンがほとんどかかりっきりで世話してくれて、ローンの手続きから、契約から、内外装の打ち合わせから、最優先で手続きを進めてくれたのであった。

そのおかげで、3月に初めてハウジングセンターに行って以来、4月に現地を見て、5月には仮契約、ローン手続きや細部の打ち合わせが終わって、7月には地鎮祭、8月からは工事に入り、12月には完成・引渡しというスピードで、新居は出来上がったのである。

並行して、子供の学校の手続きやらマンション理事を代わってもらうやらのごたごたがあったのだがこれも無事終了、子供の冬休みに合わせて12月23日にとうとう引越しをすることになった。

マンション下の道路に止められている引越しトラックから、5階の窓まで伸びてきた電動リフトで運び出される荷物を見ながら、マダムYはあわただしい引越しだったなあと思った。お正月には家を買うとか引越しするとか全く考えていなかったのに、年の暮れにはお引越しなのである。

結婚して初めての引越しの時、マダムYは二人目の出産のため里帰り中に亭主が転勤になったので、結局何もしなかった。今回は引越しに関わる諸々の出来事は経験したけれど、結局のところマダムYのやったことはというと、マンション理事の当りくじを引いたことに尽きるような気がした。

それくらい、亭主はこのマンションから一刻も早く出たかったのであろう。そういう意味では、マダムYの引いたのは外れくじではなくて、やっぱり当りくじだったのかもしれない、と思った。

そして、マダムYがそれまで何の興味もなかったガーデニングにはまり、一日を庭で過ごすようになるまでには、12月から次の春までかからなかったのでありました。(完)

[Apr 3, 2009]

005 マダムYの素敵な新婚時代

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

もうすぐ北京オリンピックが始まるのでビエラを買え、と小雪がしつこく言っている。そうか、またオリンピックかとマダムYは思う。マダムYがマダムになったのはもう24年前のロサンゼルス・オリンピックの年である。だからオリンピックというと、新婚時代のことを思い出してしまうのであった。 “005 マダムYの素敵な新婚時代” の続きを読む

004 マダムYの素敵な青春

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

苦しくて仕方がない。いくら息を吸っても二酸化炭素ばかりが入ってきて、酸素がちっとも肺に届かない。水の中でもないのに、空気の層は頭の数十センチ上にある。マダムYは身長が140と少ししかないので、満員電車に乗ると人の海の中に沈んでしまうのだ。

京浜東北線はいつでも満員で、埼玉県から東京の会社に通うマダムYは毎日人にもみくちゃにされながら通勤していた。押されるのは痛いし、周りに背の高い人が来ると空気が薄くなるし、おまけにときどき勝手にひとの体をさわる不届き者までいた。息が続かず、途中の駅で下りてしまうこともよくあった。 “004 マダムYの素敵な青春” の続きを読む

003 マダムYの素敵な午後

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

マダムYがいつものように素敵な午後、つまり借りてきたDVDを見ながらソファに寝転がってうとうとしているお昼寝前のひとときを平和に過ごしていると、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。前の家の奥さんかしら、とインターホンの画面を見ると、全く知らないおばさんである。マダムYは受話器を取りながら、ため息をつく。

「はい?」
「あの、わたくし二丁目に住んでおりますF原と申しますが」
「なんのご用件でしょうか」
「もしお時間がございましたら、聖書についてお話させていただければと思うのですが」 “003 マダムYの素敵な午後” の続きを読む

002 マダムYの素敵な休日

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

もうすでに日は高いのだが、シャッターがしまっている寝室は暗い。だからマダムYの休日の朝は目が覚めるまで始まらない。気がつくと、亭主の布団はすでに空だった。ふすまの端から細く伸びている光の強さと腹の減り具合からみて、7時8時というわけではなさそうだ。ふすまを開いてリビングをみると、亭主がノートパソコンを相手にトランプをやっていた。

「よく寝るねえ。もう9時半だよ」
と亭主はパソコン画面から目を離さずに言う。
「お休みの日なんだから、何時まで寝てようと勝手でしょ」
とマダムYは亭主の後ろに回ると肩をもむ振りをしながら首を絞める。
「やめろ~。いまKK来てるんだから。1200人で始まって、あと26人だぞ」
威張っているようだが、何が偉いんだか分からない。
「え、何!何で突然画面が消えるんだ~」
何か知らないが勝手にあせっているようだ。 “002 マダムYの素敵な休日” の続きを読む

001 マダムYの素敵な日常

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

そろそろとんねるずの食わず嫌い王が「実食」になる。今週のゲストは大好きなもこみち君だ。この時間になるとマダムYは眠くて仕方がない。ソファで横になってTVを見ながら実は半分目は開いていないのだが、もこみち君を見逃すわけにもいかないので必死に耐える。ふと気がつくと、いつも「見てないんだったらテレビ消して寝ろ!」とうるさい亭主がいない。隣の寝室に行ってちゃっかり寝ているのが見えた。

私の布団に寝てろって、言ってるでしょ」とどなる。と、おっくうそうに布団を移動した。そう、冬の間亭主は、マダムYの冷えた布団を暖めるのが仕事なのである。しばらくしてとんねるずも終わり、マダムYも寝室へと移動する。「ご苦労さん、自分の所にもどっていいよ」と布団の上から蹴っ飛ばすと、半分寝ぼけながら自分の布団に戻って「寒い」とか言っている。 “001 マダムYの素敵な日常” の続きを読む