440 四十四番大宝寺 [Oct 18-19, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

十四ヶ橋から大宝寺までは、内子から大瀬、三嶋神社、鴇田(ひわだ)峠を経て久万高原に入る。現在では国道380号、農祖峠など別ルートもあるが、真念「道指南」では鴇田峠の決め打ちである。「天然の幽景 目をおどろかす」と絶賛しているエリアである。

ただし、内子から久万高原に至るまで峠越えで約35kmの距離があり、ちょうどいい位置に宿がない。落合トンネルから広田に出ていったん泊まることも考えたが、内子から約20kmだとかなり早く着いてしまう。ところが落合トンネルから先は、久万高原まで約15kmの間に宿がない上に2度の峠越えになる。今回の正念場ともいえる一日であった。

(十四ヶ橋のところで書いたように、内子・小田間にはバス便があるので、大洲に泊まって翌日大瀬あたりまで歩き、内子に引き返して泊まればスケジュールが少し楽だった。)

きついことは初めから分かっていたが、内子に入るまで4日間雨が続き、この日も雨予報となることまでは予想していなかった。35km歩くだけでもきついのに、標高100m以下から歩き始めて570mまで登り、いったん下ってまた790mまで登り、それから300m下るというアップダウンを、しかも雨の中である。お遍路は天候を選べない。仕方のないことである。

AZホテルの朝食は午前7時からなので、食べてから出発してはとても夕方までに着かない。だから朝は自分で用意した。そして、道中には昼を食べる食堂も売店もないという情報である。だから前日にホテルで教えてもらった近くのスーパー「フジ内子店」に行ってみたのだが、探し方が悪いのかサンドイッチが見つからない。

後から考えると、助六寿司でもおにぎりでもよかったのだが、パンにこだわってしまった。食べなれたランチパックは何とか入手できたけれど、菓子パンでよさそうなものはない。朝食にヨーグルトとリポビタンD、昼食にバナナとヴィダーインゼリーを用意するのがせいぜいで、このあたり連日の疲れで頭がまともに働いていなかったようである。

午前3時半に起きる。体調は悪くない。左足のマメは収まった様子で、右足の爪はテーピングで固定している限り痛みはない。5時半に出発。この日は長丁場なので、前日に引き続いて最初から上下レインウェアである。前の晩からこの時間に出ることを伝えてあったので、ちゃんとフロントの人がいた。

まだ外は真っ暗だったので、ヘッデンを点けて歩く。予報では雨だが、まだ降っていなかった。せっかくなので、内子座を見ていこうと役所の方向に戻る。まだ真っ暗なのに、犬の散歩をしている人や軽トラに乗って朝の支度をしている人達に会う。街並みは古いけれども、両側に並ぶ建物は由緒ありそうである。

内子座は通りから少し入ったところにあり、色とりどりの幟が目印となる。ベンチも置かれているので、晴れていれば多くの人達が訪れるのだろう。大洲もそうだが、この内子は生糸や蝋などの集積地として栄えた土地である。それらの商売で大儲けした人達がパトロンとなって大正時代に作られたのが内子座であった。

いまや、生糸も蝋も生産が縮小してしまい、この建物も取り壊される寸前まで陥ったのだが、古い街並みを残そうという動きが高まり、改修されて今日に至っている。中には昔ながらの桟敷席があり、能・狂言や歌舞伎、文楽などの公演が定期的に行われている。何よりのことである。建物は暗くてよく見えないが、ポスターや浮世絵風の飾り看板が付けられているのが見える。

内子座に寄った後、道なりに山の方に向かう。古い街並みには、薬屋や酒屋、米屋などの看板がかかっている。実際に営業しているのか飾りで残しているのか、暗いのでよく分からない。でも、しばらく街並みは続いていたので、かなりの規模といっていいだろう。

道の駅まで来た時、ちょうど午前6時のチャイムが鳴った。大洲ではないので「おはなはん」ではなく普通のチャイムだった。あたりは明るくなってきた。道の駅内子は早くも開店の準備をしていて、中には電気が点いている。歩き始めたばかりでまだ休むには早いので、そのまま通り過ぎる。

ここで道は国道56号線から分かれて379号線に入る。道は川に沿って登り坂だが、ほとんど平坦に感じられるくらいの緩い傾斜である。しばらく歩くと地面に刺された柱に「52」と書いてある。メジャー国道のものとはかなり違うけれども、キロポストのようである。これがあると目安になり、歩くのがたいへん楽になるのだ。


内子座は大正時代に生糸や蝋の製造で大儲けした当地の有力者が作った小屋で、いまでも歌舞伎などの公演が行われている。まだ暗いので誰もいなかった。


ようやく夜が明けた。国道379号線は小田川をさかのぼって進む。

 

天気予報を聞いて、いくつか考えたことがあった。降水確率が午前40%、午後80%なので、ほぼ確実に雨が降る。距離は35kmとこれまで歩いた中でも最高に長く、しかも標高差800m近い峠越えがある。まず第一に、雨が降り出す前にある程度の距離を稼いでおかなくてはならない。第二に、大雨になって峠越えが難しいとすれば、より安全な道を選ぶ必要がある。

前者については、内子から約20kmの落合トンネルまで、正午前に到着することを目標とした。落合トンネルから残り15kmを6時間なら、どんなにへたばっても何とかなる。

そして、後者の経路については、へんろ道にこだわらず車道を歩くことも考慮に入れた。なにしろ、仏木寺への「四国のみち」で大変な思いをしているし、遍路地図のルートもあてにならない。場合によっては、距離は長くても国道を経由した方が安全かもしれない。

内子から国道379号に入り、小田川に沿ってなだらかな登り坂を遡って行く。遍路地図をみると両側を山に挟まれた狭い谷を進むような印象があるが、実際には川の両側が開けていて、山は後方にある。

しばらくは人家が続き、その後点々と農家が続く田舎道になる。㌔ポストを頼りに歩く。379号に入ってからしばらくして52kを見つけ、その後も15分置きに㌔ポストを見つけた。49kを通過したのは午前7時ちょうど。その後長岡山トンネル392mを通過、次に見つけた㌔ポストは47kを7時半。登り坂ではあるが㌔15分のペースを維持している。

住居表示が大瀬になった。遍路地図によると大瀬にはいくつか遍路休憩所があるはずなのに、国道を歩いていると見当たらない。仕方なく、道端にあったベンチに座って小休止。

すぐ前で路肩の斜面を工事していて、ずいぶん上の方から地面に何かを投げ落としている。谷に反響してたいへんうるさい。空全体がどんよりと曇り、いつ降ってきてもおかしくない空模様だが、いまのところ大丈夫である。歩き始めて間もなく「四国のみち」の東屋があった。休んだばかりなので、ここは通り過ぎる。

大瀬はノーベル文学賞作家・大江健三郎の出身地で、旧道に入れば記念館があるらしいが、そもそも大江健三郎を読んだことがない。

川端康成だってろくに読んだことはない。日本の純文学作家でちゃんと読んだのは、夏目漱石と村上春樹くらいのものである。ノーベル文学賞が何を基準に選んでいるのかよく分からない。もっとも他人のカネが他人に行くだけのことで、正直どうでもいいことだが。

川を挟んで国道側から旧道方向を眺めていると、見覚えのあるお堂が目に入った。千人宿記念大師堂である。これは、この地の篤志家がお遍路さん1000人を泊めたことを記念して昭和初期に建てたものということで、現在も善根宿として使われている。遍路地図にも載っているし、いろいろなWEBで紹介されているので、見覚えがあったのである。

千人宿大師堂を 通り過ぎると柳瀬トンネル348m。トンネルを出てしばらくすると梅津バス停の前に小振りの休憩所が見えてきた。「休憩所 お寄り下さい」の表札と、中に額装された八十八ヶ所のご朱印が見えるので、バスの利用者でなくても休んでよさそうだ。

バス停前の道路には、「内子道の駅まで13k」とペイントされている。すでに13km余り歩いてきたということである。時刻は午前9時半、リュックを下ろして休ませていただく。

朝食が4時台だったので、ここでバナナ2本の栄養補給。皮はビニル袋に入れてちゃんと持ち帰る。トンネルをくぐるごとに微妙に空模様は変化していて、このあたりでは進行方向の空が明るくなってきた。今のところ計画どおり歩けているけれど、雨が降らない間にできるだけ前に進まなければならない。10分休んで出発。

このあたりでは道端に柿の無人販売屋台が置かれていて、車を止めて買っていく人を時々見かけた。道の両側から山の斜面にかけて、だいだい色の実をつけた柿の木畑が大規模に広がっている。値段をみると、100円でビニル袋に6~7個入っている。私は柿を食べないので相場がよく分からないが、帰って奥さんに聞くと格安だそうである。

ちょうど収穫の時期にあたるようで、どの木にもほどよい大きさに育った柿が実っている。その木々が山の斜面の高いところまで続いているのは壮観であった。

そのすぐ先が、小田川と田渡川(たどがわ、と読むようだ)の合流地点である突合(つきあわせ)である。遍路地図は突合の集落に入る経路をとっているが、国道の行先表示に沿って進むと集落に入る前に左折して吉野川トンネル330mをくぐる。これまでも車通りは多くなかったが、道が分かれてさらに少なくなった。


内子から3時間ほどで大瀬集落に到着。ここは大江健三郎の出身地だ。現役の善根宿・千人宿大師堂も川の向こう側にある。


梅津バス停前にある休憩所。弘法大師様のお姿が見えるので、遍路も休んでよさそうだ。


写真だと分かりにくいですが、山の斜面はすべて柿の木で、柿色の実が無数の点々になって見える。路肩で直売もされている。

 

田渡川に沿って中田渡、上田渡の集落があり、中田渡には「なみへいうどん」というお店がある。しばらく前から案内板があったので、山小屋風の小さな店だろうと思っていたら、製造直売の工場兼の店舗で、小ぶりの道の駅くらい大きいのには驚いた。

食べていけたらよかったが、営業時間は午前11時からで、まだ10時40分。空模様を考えて先に進まざるを得ないのは残念なことであった。なみへいうどんの開く11時には、次の上田渡の集落に着いていた。ここには薬師堂があって、遠くからよく目立つ。幟も見えたのでお店もあるのかと思ったが、休日だけのようで自販機しかなかった。

こちらの休憩所もバス停待合室を兼ねている。しかし、内子・小田間は定時バスだったのに対し、このあたりのバス停には「買い物バス乗り場」と書いてある。いわゆるデマンドバスで、地元の方が役所に電話して予約するバスなのであった。時刻は午前11時を過ぎたところなので、ここで昼食休憩とする。

ここから落合トンネルまであと1kmほどだし、この先ちゃんとした休憩所があるかどうか分からない。それに対して、この休憩所には水洗トイレが付いている。薬師堂前の自販機で温かいコーヒーを買い、前日スーパーで買ったランチパックでお昼にする。ランチパックの味は全国共通で、しかもピーナッツバターなので当たり外れがない。

11時半出発。幸い、ここまで雨は降っていないが、午後は降水確率80%である。15分歩くと落合トンネル103mに着いた。このトンネルは平成4年の竣工だが、工事後20~30年とは思えないくらい年期が入っている。金属部分はサビだらけだし、コンクリ部分は苔むしている。はじめは、こんなになるまで手入れしなかったのかと思った。

もちろん、過疎地帯でそんな所まで手が回らないということもあるのだろうが、おそらくそれ以上に影響するのは、この地域はたいへん雨が多いということである。そういえば、ここまで登ってくる道にあった地すべり防止のコンクリにも分厚く苔が生えていた。本州であれば主に北側の斜面がこうなるのだけれど、こちらでは北側だろうが南側だろうがこういう状態なのである。

このあたりを歩いている時に不愉快なことがあった。正確な位置は覚えていないけれど、私が登りで、向こうから私同様に遍路姿の年配男が歩いて来た。この日唯一出会ったお遍路である。「こんにちはー」「こんにちはー」「どちらまでですか」「久万高原まで」ここまでは何の問題もない。

だんだん距離が縮まって、すぐ横に並ぶところまで来るとそのじいさんが「私も久万高原から来たんですけどね。朝から・・・」立ち止まってべらべら話し出したのである。相手をせずに通り過ぎたが、たいへん気分が悪かった。

用事があれば遠くからでも言えばいい。「水が手に入るところはありますか」「タクシーはどこで呼べそうですか」など差し迫った用事であれば、お互い様だから手伝えるところは手伝う。しかし、どうでもいい話を自分が下り坂の時にするというのは、何を考えているのかということである。その間、相手は登り坂で立ち止まなくてはならないのだ。

山に行くと登り優先なのは、下りで急ぐと転落の危険があるということが一つと、足を止めるのは下りの時は簡単だが登りの時はリズムが崩れて負担が大きいからである。登ってくる人にできるだけ負担をかけないようにという思いやりなのだ。

どうでもいい話の相手をするために、なぜこちらがきつい思いをしなければならないのか、たいへん腹立たしかった。そもそも、登りの時は息が切れるので話しづらいのだ。


突合(つきあわせ)集落の前で国道が分岐する。歩きのときは久万高原方面ではなく、「松山・砥部方面」へ379号を直進。


上田渡(かみたど)集落の交差点に薬師堂が見える。水洗トイレと自販機もあり休憩適地。この後こういう休憩所はほとんどない。


内子から20km歩いて、お昼前に落合トンネルに到着。銘板によると平成になってからの竣工だが、それ以上に古く感じられるほど苔と錆びがいっぱい。

 

落合トンネルを越えたところで、国道と県道が分岐する。まっすぐ国道を行けば砥部町を経て松山に出るが、久万高原に行くには右に県道を進まなければならない。ほっとしたのは、行先表示に「久万高原町 23km」と書いてあったことである。

この日の朝、風雨が激しくなったら峠越えはあきらめて国道を歩こうと思っていた。幸い、雨は降らずにここまで来て、あと久万高原まで残り15kmというところだが、車道を通っても23kmであれば6時間あれば着く。まだお昼前だから、その場合でもなんとか夕飯には間に合う計算である。

県道は曲がりくねった登り坂で、しかも道幅が狭い。国道から県道になって、ぐっと傾斜が増したような気がする。

WEB情報によると水場があるということで、確かに道端に水が出ているところが何ヵ所かあった。遠征の初めの頃のような天気であれば喉を潤していくところだが、雨がいまにも降りそうな天気で汗をあまりかかない。喉も乾かないので、しばらく前に買ったペットボトルで間に合ってしまうのだ。

遍路地図をみると落合トンネルから三嶋神社までひと気のないところを歩くような気がするし、実際に人家の見えない山の中を歩くケースは多かったのだが、点々と集落があるのは意外であった。

ひとしきり登ったところに小集落があり、そこには例の買い物バスの東屋がある。傍らに村内案内図の大きな看板があり、ここから三嶋神社までいくつかのバス停があるようだ。そして三嶋神社から先にも、いくつかの集落とバス停がある。

道は一車線の細い道になったり、再び片側一車線の整備された道になったり統一されていない。集落と集落の間はひと気のない山の中であり、こんな場所で道路を整備してどうなるものでもないと思うのだが、まあ地方には地方の事情がある。道の駅大月の選挙演説で主張されていたとおりである。もっとも、この山の中までは選挙カーもやって来ないのはありがたいことであった。

落合トンネルの次の集落にはバス待合の東屋があったが、次の集落は数軒しかなく、そのいくつかは廃屋であり、バス停も見つけられなかった。さらに登ると、川を挟んで反対側に家々が点在している。ここは結構開けているけれども、見る限り商店もなければ自販機も置いていない。そんなふうに落合トンネルから1時間歩くと、細い道の先に鳥居が見えてきた。三嶋神社である。

こんな山の中にあるのに、三嶋神社の鳥居はそれほど古びてはいない。境内にある石柱の年号も平成に入ってからのもので、地元のお医者さんが寄進したもののようだ。本殿もかなり大きく、欄間には絵が寄進されている。まず二礼二柏手一礼でお参りする。ここには古いながらトイレもあったので使わせていただく。昔のような、コンクリを打っただけのトイレだった。

そして、もうひとつ驚いたのは、道路の向かい側に商店があったことである。お昼の時間帯なので店の人は奥にいたようだが、ともかくも自販機が置いてある。上田渡の休憩所前以来、1時間半振りに見た自販機であった。

この先、久万高原まで飲み物を調達できないかもしれないので、ペットボトルを1本調達する。そして、この頃からいよいよ雨がぽつぽつ降りだした。もう午後1時なので80%の予報からみて仕方がないし、まだ傘が必要なほどではない。

三嶋神社から先も、まだ民家が点々と続く。しかし、ここから先には東屋のようなバス停待合室はない。しばらく歩くと分岐点となり、右が車遍路、左が歩き遍路と書いてある。歩き遍路の方向には「上畦々」(かみうねうね)という集落名が書かれている。歩き遍路道を行くと車では峠を越えられないようだが、そんな奥にも集落はあるのだろうか。

分岐点からは、ますます傾斜が急になるが、道は舗装してあり車も通ることができる。そして、しばらく前からぽつぽつ降っていた雨が、いよいよ本降りになってきた。空を見ても雲は濃く暗く、とても止みそうな気配はない。

ちょうど車の折り返しに使われるような道幅の広くなっている場所があった。車どころか人も全く通らないので、端の方でリュックを下ろしリュックカバーをした。再びステッキを縮めてリュックに差し、代わりに折り畳み傘を開き、本格的な雨対応の準備をする。


落合トンネルを越えたところで、右折して県道に入る。久万高原まで車道を通っても23kmという表示を見て少し安心した。


落合トンネルから1時間歩いて、12時45分に三嶋神社到着。鳥居は意外と新しく、平成になってから改修されたようだ。左手に商店があったのは意外だった。


とうとう雨が本降りになってきた。道端に寄って雨対応の身支度を整える。

 

ところで、今回新調したものの中で大変役に立ったのは、モンベルの折り畳み傘だった。折り畳み傘は歩き遍路の必需品で、特に菅笠を使わない私にとって重要な備品である。

ところが、過去に藤井寺で1度、土佐佐賀で1度、あまりの大雨で折り畳み傘が壊れて役に立たなくなってしまった。特に土佐佐賀の時には、傘の裏から水滴が漏れた上に、強風で柄が折れて使い物にならなくなったという苦い経験があった。

そこで今回、軽くて丈夫な折り畳み傘はないか探したところ、amazonでモンベルの登山用折り畳み傘を見つけたのである。税込で5000円以上と安くはないけれども、本体重量150gとたいへん軽い上、モンベルであれば登山での使用を想定しているから大雨大風への対応力もすぐれているはずである。実際、かなりの強風にあおられても裏返ることはほとんどなかったし、裏側から水が漏るということも皆無であった。

そのモンベル折り畳み傘が最高に活躍したのがこれから登るところの鴇田峠(ひわだとうげ)であった。上畦々(かみうねうね)集落の最後の家は道端で畑をやっていたのでおそらく住んでいると思われたが、そこから奥はいよいよ山だった。

まだ車道になっているのは農業用の車が通るからのようで、実際に軽トラが止まっていた。網で入れないようにしてあり中は木が組み合わされてずっと続いていたので、椎茸か何かの栽培であろう。その奥でいよいよ舗装がなくなり、車は入れない本当の登山道になっている。

分岐のところに、例の遍路道の石柱が立っている。行先案内もあって、大宝寺まで7.8kmと書いてある。まだ2時だから平地であれば4時には着く距離であるが、もちろんそんなに生易しいものではあるまい。それでも、案外と距離が縮まった。そして、一つめの下板場峠まではもちろん登り坂なのだが、そこそこ道幅もあって地盤もよく、例の仏木寺の「四国のみち」よりずっと歩きやすい道であった。

ひとしきり登って舗装道路にぶつかると、そこが下板場峠であった。午後2時到着。標高570mということだから、房総のどの山よりも高く登ってきたということになる。ここが市町村境界で、そこから先は久万高原町となり、下に伸びているのは舗装道路だけである。遍路地図を確認すると、峠から麓の集落まではこの県道が唯一の経路なのであった。

下板場峠まではずいぶん山奥という印象だったのだが、久万高原町に入るとすぐに民家が現われた。家も比較的最近建てられたもので、急に時代が40~50年新しくなったような気がした。

15分ほど歩くと麓の集落に出る。ここから県道は大きく迂回して久万高原町に向かうが、直行する峠越えが鴇田峠まで2.2km、などという表示を見てしまっては、もう峠越えをするしかない。苦しいのはあと少しである。

まず、「四国のみち」の案内図にあったところの鴇田峠登山道休憩所を目指す。ところが、麓から1.8kmというので大したことはないと高をくくっていたら、すぐに登り坂が始まってなかなか進まない。しばらく歩いたら道端に私設の屋根付き遍路休憩所があったので、ひと息つかせていただく。

大変しっかり作ってある休憩所で、屋根が大きく、座っている分には雨が当たらない。たいへんありがたい休憩所であった。ちなみに、しばらく先にある「四国のみち」休憩所は雨ざらしだったので、こういう天気の時はゆっくり休むことはできない。

14時45分出発。私設休憩所から先はいよいよ厳しい登り坂である。とはいえ、まだ本当の登山道という訳ではない。1kmほど先の登山道休憩所からは、いよいよ本当の登山道になった。大雨の中、峠を越えようとしている人は自分以外には見当たらない。たいへん心細いけれども、道標にあった「鴇田峠 0.9km」を心の支えにして歩く。


一つ目の峠越え、下板場峠への登山道入口。石柱が汚れて見えるのは、「鴇田峠」の下に「下板場峠」と板が貼ってるため。

ひとしきり登山道を登ると下板場峠で車道と合流する。ここから久万高原町で、ここからは舗装道路を下る。


下板場峠と鴇田峠の間にある私設の遍路休憩所。屋根のある休憩所はここしかありません。

 

下板場峠への遍路道はそれほどハードではなかったが、鴇田(ひわだ)峠への遍路道はまさに登山道で、しかも連日の雨で道の真ん中が川になっている。両側からは丈のある雑草が行く手を阻む。泣きそうになりながら折り畳み傘を手に登り坂を進んで行くと、太い砂利道と交差した。

遍路地図をみると、山中を大きく迂回して行く林道のようであった。下板場峠までの車道は県道できちんと舗装されているが、鴇田峠への車道は本当の林道で砂利道である。傍らに再び登山道の分岐があり、「鴇田峠 0.5km」と書いてある。あと500mなら、がんばるしかない。

「1、2、3、4、…」と歩数を数えながら前に進む。山道だから歩幅50cmとして、1000まで数えれば着くはずである。雨はいよいよ強くなってくる。途中に「大師のなんとか」という旧跡の看板があったが素通りする。いよいよ雑草の丈が高くなってきた。あたりは暗くなって、おまけに霧が出たのか雲の中に入ったのか、白く霞んで見通しが利かない。

と、坂を登ったとろが丘のようになっており、そこに「鴇田峠」の看板が立っていた。15時30分到着。下板場峠から1時間半、三嶋神社から2時間半かかったけれども、あとは山を下るだけなので夕食前には宿に着くことができそうだ。朝5時半からがんばって歩き続けたが、やっと目処が付いてほっとする。

とはいえ、雨は強くなる一方なのでここでゆっくりしていても仕方がない。早々に下りに移る。峠付近には、「鴇田峠便所 0.4km」という身もふたもない道標が立っているだけなので、とりあえずそこを目指す。片手が傘なのでステッキが使えず、急坂がさらにきつく感じられる。しばらく急坂を下ると、砂利道が見えた。

屋根も見えたのであそこがトイレかと思ったらそれは物置で、さらに200m先だった。トイレは思ったより大きく、しかも東屋があって雨宿りができる。とにかく雨に濡れないで傘を差さなくてすむ場所はありがたい。久しぶりにリュックを下ろして小休止した。

遍路地図を見ながら考えた。ここから久万高原市街まで、登山道を下ると2.2km。しかし雨は強く見通しが全く利かない。急こう配の下り坂で転倒してケガでもしたら大変である。時間にも余裕があるし、ここから先は車道を下ってもそれほど長い距離を歩かなくてもよさそうだ。いずれにしても、安全が一番大切である。右足と左足を交互に出していればすむ道の方がいい。

と思って車道を進んだのだが、この道が意外とハードな道であった。砂利道なのは分かっていたが、砂利よりも大きな岩が敷いてあるので、平らに足を置けない上に足の裏が痛くなる。それでも、谷の方向を見ると霧で真っ白になっていたので、そちらを下ったらこわい思いをしたことは間違いない。

かなり迂回した林道ではあったが傾斜はそれほどでもなく、やがて雲の間から久万高原の街が見えてきた。さらに下っていくとお墓と斎場のような建物が出てきて、そこから先はちゃんとした舗装道路になった。雨は相変わらず強く降っていたけれども、人里まで下ってくれば遭難することもない。

午後5時前に国道33号線に出た。この国道は、高知市から山の中に入り、久万高原を経て松山市に直接入る道である。ちょうど国道に出たところにコンビニがあったので、買い物をしてから宿に向かう。

この日の宿は国道沿いのガーデンタイムである。17時15分宿に到着。この日の歩数は64,852歩、移動距離は36.7kmで6日連続の30km超えとなった。移動時間は12時間にわたり何度も峠越えがあったので、実質40km歩いていたのではないかと思う。


鴇田峠への登り坂は、連日の雨で川のようになっていた。泣きそうになりながら登る。


峠からの下りは安全策をとって林道を選ぶ。へんろ道を選んだ場合は、霧の中の急傾斜で危なかったかもしれない。


霧のきれ間から久万高原市街が見えてきた。一日苦労して歩いた甲斐があった。

 

久万高原の宿は、2度の峠越えをしなければならず到着時間が読めないので、市街に入って一番近そうなガーデンタイムを選んだ。1泊2食で6,700円。1日歩くと、布団から寝起きするだけでもつらいことがあるので、洋室でベッドなのはありがたい。さすがに朝早くから長い距離を歩いてきたので、宿の階段を上り下りするのもつらいほど足腰が疲れてしまった。

それでも、服やタオルは洗濯しなければならず、洗濯機のある1階と3階の部屋を泣きそうになりながら往復する。フロントのお姉さんから「乾燥機は時間かかるので、近くにコインランドリーありますよ」と言われたのだが、雨が引き続き激しいのでなんとか中で済ます。

ざっと乾燥機に掛けた後、部屋のユニットバスに干しておいたら翌朝までには乾いた。大浴場もあるのだけれど、部屋のユニットバスが新しくてきれいだったので、風呂もこちらですませて、その後は換気扇を回して乾燥室として使った。

宿の中は意外と広くて、廊下の両側に約10室ずつ部屋が並んでいる。最初、部屋に冷蔵庫がないので困ったが、エレベーター横に共用の大きな冷蔵庫があった。

この宿は家族で経営していて、フロント担当はきれいなお姉さんである。フロントの奥がレストランになっていて、夕飯時に行くと、お客さんで一杯だった。一人なのでカウンターを案内されたら、隣で中学生?のお嬢さんが食事をしていた。

フロントのお姉さんはレストランも担当していて、「生ビールは大中小どれにしますか?」と聞かれる。いまどき大ジョッキがあるとは珍しいので、大をお願いする。

椅子席も座敷も一杯で、泊り客というよりも地元のお客さんのようだった。厨房はお父さんと息子だろうか、二人が忙しく働いている。選挙が近いためか、偉そうなバッジを着けている人もいるが、誰もあまり気を使っていないのは面白かった。

久万高原には旅館・民宿や飲食施設が多いと思っていたが、あるいは営業している店はそれほど多くないのかもしれない。もしかすると、きれいなお姉さんがいるから地元のたまり場となっているのかもしれない。

夕食は刺身があり小鉢がありから揚げとサラダがあってさらに鍋が付く。ビール大を空けながら、ハードな1日を振り返りつつお料理をいただく。朝早くから35km歩いてどうなるかと思ったが、無事に温かいご飯を食べられるのは実にありがたいことである。

ちなみに、こちらの宿に予約電話をした時、夜の8時くらいだったのだが、「今たいへんばたばたしているので、明日の朝にしてくれ」と言われたのである。私はその時接近している台風のせいかと思って恐縮して切ったのだが、もしかするとレストランの方で手一杯だったのかもしれない。ガーデンタイムの予約電話は、朝が鉄則である。

部屋に帰って、濡れたものを乾かしたり洗濯物を整理したりする。残念ながらwifiがないので、洗濯をして夕飯をいただき荷物を整理して風呂に入ると、スケジュールを検討するくらいしかすることがない。

翌日以降はそれほど長い距離を歩く必要はなくなる。計画段階でも、この日の鴇田峠を越えればあとは余裕だと思っていて(それは大きな勘違いだったのだが)、とにかく大きなヤマは越えたと安心していた。少なくとも、朝早くに出発する必要はないと思ったので、午前7時に朝食をお願いした(お遍路としては遅い時間である)。

部屋にはたいへん大きい48型のTVがあるけれども、見るのは天気予報くらいである。窓に叩き付けている雨は翌日の午前中には止むという予報である。連日早起きして気合を入れていたのだが、翌朝遅くまで寝ていられるこの日になって、夜中にしみじみと、疲れたなぁと思った。左足のマメは引き、右足の爪も小康状態なので助かった。

翌朝になると、レストランは前の晩よりずっとすいていた。泊り客だけだからだろう。私が一番遅いし、食事をとらずに早く出発したグループもあったようだ。厨房も、おかあさんお一人で準備している。ご飯・味噌汁と卵焼き・鮭・焼き海苔・野菜サラダ・ポテトサラダと大変にぎやかである。前日の洗濯機・乾燥機も無料だったし、こちらの宿もかなりの格安である。

午前8時半出発。この時間に出るのは、道の駅までの送迎があったベルリーフ大月以来久しぶりのことである。雨は小降りになっていたが、それでも傘は必要である。これで6日連続の雨。国道に沿って進むと、宿のすぐ先が久万高原の町役場だった。

ここから遍路地図にしたがって旧道に入る。しばらく旧道を歩いて東に向きを変え橋を渡ると、大宝寺の山門がある。ただ、この山門はよくある神社の一の鳥居と同じく街の入口にあるので、大宝寺はまだまだ先、坂を登って行かなければならない。


民宿ガーデンタイムは国道沿いにある。部屋数は見た目より多い。夜は地元のたまり場のようになっている。


レストラン併設なので、食事はたいへんいい。お膳の他にお鍋も付く。生ビール大ジョッキもうれしい。


国道を右折し久万川を渡ると大宝寺の山門。ただ、ここから先も民家が続き、お寺まであと数百m歩かなければならない。

 

菅生山大宝寺(すごうさん・だいほうじ)。「道指南」はじめ江戸初期の案内本では単に「菅生山」である。文武天皇の御世、一人の猟師が山に入ると泰山鳴動し、光り輝く十一面観音像から閃光が放たれていた。猟師は観音像にお堂を建て菅を敷いてお祀りしたことから菅生山と称したのだという。

寺伝によると、この話を耳にされた文武天皇から当時の年号である「大宝」を賜ったとしているが、この記事は当時の公文書である続日本紀にはみられない。ちなみに、年号も寺号も、本来は「だいほう」と濁るのが正しい。われわれの世代は「たいほうりつりょう」と清音で覚えたものだが。
 
大宝年間の大きなできごととして、身分制度や服飾規程を改めたこと(大宝令)と持統上皇の崩御があり、そのため奈良の大きな寺では法要が営まれているが、その中に大宝寺の記事はみられない。伊予に関する記事も、国司(伊予守)が代わったこととイナゴの害がひどかったことくらいしか載っていない。まだまだ伊予は辺地だったのである。

たびたび引き合いに出す五来重氏の「四国遍路の寺」では、大宝寺と岩屋寺はもともと一つの寺だったとあり、「霊場記」にも岩屋寺は弘法大師が開いた菅生山の奥ノ院と書かれている。

実際に行ってみても大宝寺は塔頭があって寺としての施設が整っているのに対し、岩屋寺は奇岩に囲まれたまさに行場である。とすると、この2寺はもともとワンセットで、しかも修験道起源の霊場なのではないかと思われる。

山門から民家の間を10分ほど歩き、駐車場の奥からいよいよ道が狭く傾斜が急になる。ようやく左に大宝寺へのスイッチバックの石段が分かれる。雨のためだけではなく、周囲は木々に囲まれてたいへん暗い。宿からちょうど30分、午前9時に大きな草鞋が奉納されている仁王門に着いた。この頃から、また雨が激しくなった。

まだ朝早いのに、バス遍路と思われる団体客が本堂に上がる急な石段のあたりに屯ろしている。もう下りて来ていたので、お参りは済んだものらしい。大宝寺・岩屋寺とお参りして松山市内に下るものだろう。こんなに早くに出なくてはならないのだろうかと思った。

(この日の午後、岩屋寺に行くと、バス遍路でも駐車場から30分近く登らなくてはならないということが分かった。きっと、こんなに早くに大宝寺をお参りしても、岩屋寺で2時間近くかかってお昼になってしまうのだろう)

先に納経所に行って団体客をやり過ごす。しばらく待ったが誰も納経に出てきてくれないので、呼び鈴を押すとダミーのようで全然鳴らない。おかしいなと思ってよく見ると呼び鈴の横にドアホンがあった。押すと「お待ちください」と声が出てようやくご年配の女性が現われた。予想外に時間はかかったが、バス遍路の団体客が引けて静かになった。

雨の降りしきる中、本堂・大師堂とお参りする。本堂エリアは意外と広く、鐘楼のあたりは雨が当たらないので、リュックを置かせていただく。バス遍路の団体客がいなくなるとたいへん静かで、雨の音だけが山中に響く。石段の傾斜はかなり急なので、振り返って下を見ると鎮守の森だけで参道は見えない。しばらく、ベンチに座って山の空気を呼吸する。

本当は、読経してご朱印をいただくだけではなく、こうしてお寺にゆっくりしてその空気に浸り、寺社の発する気のようなものを感じることが大切なのだと思う。

宿を予約して歩いているとどうしてもスケジュールが気になって先を急いでしまうが、こうして静かに座っているだけでも来し方行く末のことをいろいろ思う。そういえば、この大宝寺にも宿坊があるようだが、噂によると団体客が来た時だけ開くらしい。すべて商売ベースのようでたいへん寂しいことである。

さて、スケジュールに余裕があるとはいえ、そろそろ出発する刻限である。石段の下から再びにぎやかな声が聞こえてきたので、立ち上がりリュックを背負う。

ここから先、車道は駐車場まで戻って県道に出るが、距離的には山道を峠御堂トンネルの出口までショートカットする方が近い。駐車場からかなりの登り坂だったことを思い出し、下ってまた登り返すのは大変だと思い山道を進むことにした。

遍路地図によると、峠御堂トンネル出口まで1.4km。しかしこの山道は、想像したような整備してある遍路道ではなくて、アップダウンのたいへんきつい登山道だったのでした。

[ 行 程 ]
内子・AZホテル 5:30 →
[10.7km]8:10 大瀬道端ベンチ 8:20 →
[4.7km]9:30 梅津バス停休憩所 9:40 →
[5.6km]11:10 上田渡バス停休憩所 11:30 →
[1.4km]11:50 落合トンネル 11:50 →
[3.7km]12:45 三嶋神社 13:00 →
[2.5km]13:50 上板場峠 13:55 →
[2.2km]14:35 私設東屋 14:45 →
[2.2km]15:45 鴇田峠休憩所 15:55 →
[3.7km]17:15 久万高原・ガーデンタイム(泊) 8:30 →
[1.6km]9:00 大宝寺 9:45 →

[Jul 14, 2018]

久万高原から登ってきた道から左へ、ここから大宝寺の参道を登る。降り続く雨もあってたいへん暗い。まっすぐ進むと岩屋寺への遍路方面。


大師堂からみた大宝寺本堂。雨の中、バスお遍路も去ってたいへん静かにお参りできました。


本堂と並んで建つ大師堂。こちらの軒下にあるベンチで休ませていただきました。

431 番外霊場十夜ヶ橋 [Oct 17, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

注.十夜ヶ橋永徳寺は2018年7月の西日本豪雨により、大きな被害を受けました。謹んで、お見舞い申し上げます。大洲市全体がTVで繰り返し放送されている状況ですが、十夜ヶ橋も橋の下にある弘法大師お泊り関連の施設が完全に水没してしまい、本堂も床上まで浸水、復旧には時間がかかりそうです。四国別格霊場会公式サイトで、最新情報をご確認いただいた上でご参拝ください。 “431 番外霊場十夜ヶ橋 [Oct 17, 2017]” の続きを読む

430 四十三番明石寺 [Oct 16, 2017]


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仏木寺から明石寺まで10.6kmだからそれほど遠い訳ではないが、宇和島市と西予市の境である歯長峠を越えて行くのでかなりの起伏がある。いまではトンネルが掘られているが、昔の峠越えにはかなりの困難を伴ったと思われる。その割に道指南では、「はなか坂」とあっさり書いてあるだけである。 “430 四十三番明石寺 [Oct 16, 2017]” の続きを読む

420 四十二番仏木寺 [Oct 16, 2017]


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稲荷山龍光寺の次は仏木寺である。遍路地図ではこの間2.6km、40分ほどで着くことになっているが、これがまた大変な道であった。これが元でこの日のスケジュールが押してしまう結果となったのだから、日程には余裕を持たなければならないということである。 “420 四十二番仏木寺 [Oct 16, 2017]” の続きを読む

410 四十一番龍光寺 [Oct 16, 2017]


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2017年10月16日の朝になった。午前5時起床。気になっていた足の治療ができたので安心したこともあり、今遠征で初めてぐっすり眠った。朝食は前日コンビニで仕入れた、シャキシャキレタスとコールスローのサンドイッチ、オレンジジュース、飲むヨーグルトとコーヒー。普段食べている朝食に近いので安心する。 “410 四十一番龍光寺 [Oct 16, 2017]” の続きを読む

401 番外霊場龍光院 [Oct 15, 2017]


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朝になった。真夜中すぎからほとんど眠れなかったのだが、時間になれば起きなくてはならない。靴下を履いて寝たので、足の傷でシーツを汚すようなことはなかったのは何よりであった。前日に、「朝は6時に用意しますから」と言われていて、階下からは食事を用意する音が聞こえてくる。外は雨。5時台の天気予報でも、1日雨と言っている。 “401 番外霊場龍光院 [Oct 15, 2017]” の続きを読む

400 四十番観自在寺 [Oct 14, 2017]


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秋沢ホテルの夜は、あまりよく眠れなかった。ベッドに横になったのが夜の8時半と早すぎたせいか、夜中に目が覚めた。体があちこち痛い。前の晩、コインランドリーが下の階にあって、エレベータが面倒なので階段で上り下りしていたら、膝のあたりがくがくした。パブロンとロキソニンを飲んで何とか眠った。 “400 四十番観自在寺 [Oct 14, 2017]” の続きを読む

390 三十九番延光寺 [Oct 13, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2017年10月13日の夜が明けた。夜のうちに降っていた雨は止んで、ベランダから見える入り江の岩壁には白い波がおだやかに打ち寄せている。前日は暑くてたいへん苦しかったが、この日も暑くなりそうな気配である。 “390 三十九番延光寺 [Oct 13, 2017]” の続きを読む

381 番外霊場月山神社 [Oct 12, 2017]


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さて、迎えて7回目となる四国札所の区切り打ち、今回は土佐清水からのスタートである。1年ぶりにスケジュールの制約がないので、高知空港に入って松山空港から帰るという長丁場のコースとしたのだが、計画段階で、前半と後半のペースがえらく違うことが気になった。 “381 番外霊場月山神社 [Oct 12, 2017]” の続きを読む

380 三十八番金剛福寺 [Apr 2, 2017]


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真念庵を出て、行きとは逆方向に山道を行く。お堂は荒廃気味だったのだが、参道は道幅こそ狭いけれども整備されている。丁石がいくつかあったので、ドライブイン水車まで4~500mは歩いただろう。 “380 三十八番金剛福寺 [Apr 2, 2017]” の続きを読む