010 勝連グスク [Jun 15, 2009]

沖縄といえば、グスクである。「城」と書いて、「ぐすく」と読む。近年、「しろ」「じょう」という呼び方をする例も増えたけれど(例.首里城は、多くの場合しゅりじょう、となる)、本来はグスクである。

そして、グスクが本土の城とイコールなのかというと、これは一概にはいえない。確かに、首里城はじめ、今帰仁(なきじん)城、中城(なかぐすく)城など、沖縄の戦国時代ともいえる三山時代や第一尚氏末期の混乱期に、武将の本拠地として整備されたグスクは、本土の城と同義語といって差し支えない。

しかし、グスクの発祥はどちらかというと本土の神社、特に山岳信仰系の神社に近いもので、その多くは丘の上や、海を臨む高台にある。沖縄全体では大小規模合わせて数百のグスクがあったといわれており、おそらくは豊作、豊漁や天災からの守護を祈った施設ではないかと思われる。

今回訪問した勝連グスクは、世界遺産にも登録されている大規模なグスクである。首里城のある那覇市から北へ約30km、太平洋に突き出した与勝半島にある。コザからこの半島先端の与那城(この地名も、昔は”よなぐすく”と読んだが、現在は”よなしろ”)に続く道路から、見上げるばかりの石垣がそそり立っている。

道路の高さから、ずっと上り坂である。確かに城としては、守りやすく攻めづらいだろうと思われた。グスクの中には井戸もあって、篭城にも耐えられるようになっている。そして、丘の頂上付近にある一の郭(くるわ)、二の郭は、一転して神社としてのグスクを感じさせるものである。

二の郭には正殿の遺構(柱の跡など)が残されているが、規模は小さく、本土の城における天守閣というよりは、神社の本殿のようなイメージである。奥まった一角には木々の生い茂った林があり、その中には洞窟のような岩の割れ目が見えた。

さらに上、一の郭からは全方面に展望が開けている。西をみると、はるか沖に平安座(へんざ)島、伊計島を望むことができる。約10km沖にある平安座島へは海中道路が通っていて、いまや地続きであるこれらの島々がよく見える。また東をみると、湾をはさんで中城(なかぐすく)城方面が展望できる。地元の英雄アマワリが、はるか首里城をめざした道のりである。

勝連グスクを有名にしたのは、第一尚氏時代末期に強大な勢力を誇ったアマワリ(阿麻和利)である。アマワリは一説によると北谷の農民の出身であったが、この勝連を根拠地として勢力を伸ばしたという。貿易を行って上げた利益により、当時の勝連の繁栄は並ぶものがなかった、と沖縄の古歌謡集「おもろそうし」にうたわれている。

混乱する世相の中、アマワリは琉球全土の支配を目指し、中山王・尚泰久(万国津梁の鐘を造らせた王)の首里城を攻めるが失敗。最後はこの勝連グスクも落とされ、生まれ故郷の北谷方面へ逃亡したところを殺されたという。

それでも、この勝連周辺ではアマワリの人気は高く、小中学生による組踊「肝高の阿麻和利」は、沖縄のみならず東京でも公演されたほどの人気ということで、ポスターも数ヵ所に貼られていた。ちなみに「肝高(きむたか)」とは、おもろそうしに出て来る勝連の枕詞であり、豊かなとか気高い、という意味だということである。


世界遺産・勝連グスク。山の中腹から、頂上の一の郭、二の郭を臨む。


二の郭から一の郭。正面、木々の繁っているあたりが聖域。

[Jun 15, 2009]