810 福島競馬場 [Mar 27, 2005]

いまは福島競馬というと4回東京(ダービーのある開催)の後で定着しているが、以前は裏開催といわれる、東京・中山開催時の競合開催であった。時期的には4~5月に1開催(4週8日)、10~11月に2開催(8週16日)、いずれも芝が弱くなっている季節である。そのため、福島競馬場の芝コースのインコースは慢性的に荒れた馬場となっており、ほとんどすべての騎手がコース半ばより外目を通るため、2000mが実質2100mになってしまうようなレースが多かった。

当時はよく福島に行った。もしかしたら、府中に行ったくらいは行ったかもしれない(当時船橋に住んでいた)。朝7時に家を出て、車で首都高から東北道に入り、福島西インターで下りて一般道で福島市内へ向かう。しばらくして国道との交差点あたりから渋滞が始まり、橋を越えるあたりまで続く。

この渋滞を抜けるのに30分位はかかってしまい大体着くのはお昼頃になるのだが、それでも無料駐車場に空きがあったのだから、今のように混んではいなかったということだろう。無料駐車場からは歩いても10分くらいで競馬場だが、親切なことに送迎バス(もちろん無料)も出ていた。時間に余裕があるときは高速を郡山で下りて一般道を通った。

競馬場の中はJRAだからそれなりにきれいであったが、今と違って飲食店があまりなく、立ち食いそばと売店くらいだった。場内もすいていて、締め切り間際でもそれほど並ぶことはなかった。お客さんも土地の人がほとんどで(でも、駐車場にはなぜか新潟ナンバーの車が結構あった)、話している言葉も土地の言葉だった。内馬場に行くとさらにひと気がなくて、いすを一列占領してもまったく問題なかった。

6月開催になってすぐのことである。まだ幼稚園だった2人の子供を連れて、福島競馬場に行った。例によって昼に着いて、子供を遊ばせながら午後最初のレースを待った。午後イチでやるくらいだから、最下級条件の古馬のレースである。狙うのは福島では抜群の連対率を誇る増沢末夫騎乗の馬。相手も前走で好走している馬で、枠連1点(当時馬連はない)1万円を買った。その頃会社を辞めて失業しており、1万円というと家族4人の1週間分の食費だった。

締め切り5分前のオッズをみると、新聞では予想オッズ10数倍であるはずのこの組み合わせが、なぜか50倍つけている。これはいかん、と思った。特に地方開催の場合、ある厩舎情報を得た者が大量に馬券を買うと、全体の発売金額が少ないのでオッズが動くという傾向があった。そして、その情報は多くの場合正しいのである。従って、本来あるべきオッズより低く評価されている馬は、まず来ないということであるからだ。

レースはその通り、人気を下げていた増沢の馬はいいところなく「後方まま」で敗れた。同枠の馬も対抗視した馬もだめだった。ああ、人生は「さすらいの馬券師」(注)のようには行かないなあ、と思った。後のレースはほとんど見ずに帰った。帰りの車で、後部座席でアイスを食べていた子供がアイスを落としたといって泣き出した。どうにかしてやりたくても、こっちは高速で運転中なのだからどうにもならない。泣きたいのはこっちだ、と思った。

(注)「さすらいの馬券師」は当時の競馬小説。重役の娘を離婚して会社をクビになった男が、会社を辞めて追いかけてきた元OLと一緒に退職金を元手に勝負し、勝って函館競馬場の近くで店を開いてめでたしめでたしとなる。いまは絶版。

全然話は違うが、競馬小説の最高峰は塩崎利男(元東スポの競馬デスク)の「極道記者」。この小説の中で好きなフレーズは「ロールで打って」。当時1000円以上の額面の馬券はなく、100万円勝負すると1000枚になってしまうのでバラバラだと扱いにくいし第一時間がかかる。そのため、1枚1枚切らなくていいから、ロール紙のままで寄越せ、という意味。この本もほとんど入手困難。

[Mar 27,2005]