214 坂の上の雲ミュージアム [Jul 26, 2011]

このところどこにも行けなくて、遠出をするのは出張ばかり。仕方がないので松山で時間が空いた時に、坂の上の雲ミュージアムに行ってきた。

松山は夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台となった場所であるため、坊っちゃん列車や坊っちゃん団子、坊っちゃん球場や坊っちゃん空港などなど、そこら中が坊っちゃんである。ただし坊っちゃんはもともと幕臣の子孫で、最後は東京に戻ってしまうことから、松山市としては坊っちゃんだけで町おこしをするには限界があったのだろう。

そこで司馬遼太郎「坂の上の雲」の登場である。いまや、街中に「坂の上の雲」と書いてある。こちらは1970年代の作品であるが(もともと産経新聞の連載)、NHKのドラマ化を契機に人気上昇した。舞台は坊っちゃん同様に明治である。正岡子規も両方に関係するので、まさに松山市にとって市民文学といってもいい作品である。

NHKのドラマでは、昨年行った江田島海軍兵学校で、秋山真之(さねゆき・弟)役のもっくんがロケをしたことは前に書いた。ちなみに正岡子規役は”丹下段平”香川照之、秋山兄は”TRICK”阿部寛である。(いま調べたら、今年の年末にも第三部をやるそうだ。)

ミュージアムは下の写真のように、コンクリート打ちっ放し・ガラス張りの前衛的な建物である。建物内部も変わっていて、「空中階段」という支えのない階段が構造の中間を突っ切っていて、順路に沿って展示をみて最後に空中階段を通って下りると、同じ場所を通らないで元に戻るようになっている。

展示されているのは、司馬遼太郎の生原稿や連載時の新聞、作品の舞台となった明治時代の歴史、主人公である正岡子規と秋山兄弟のバックグラウンド、そして日露戦争に関する資料などで、豊富な視聴覚資料を使って説明されている。

小説のさわりだけ書くと、江戸時代に身分の高かった正岡子規は予備門(後の一高)から東大へ進むが、秋山弟は藩士(武士)とはいえ身分が低かったため経済的余裕がなく、志半ばで子規と別れて学資のいらない海軍兵学校に進む。もともと頭が良かったため、そこで頭角をあらわすのである。小説とはいえ、基本的に実在の人物と歴史について書かれている(この点、坊っちゃんとは少し違う)。

(ちなみに、子規は「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」以外の作品を知る人はあまりいないが、秋山弟の「本日天気晴朗なれども波高し」「皇国の興廃この一戦にあり」は作者は知らなくても耳にした人は多いと思われる。)

しばらく前まで「反戦」というのが誰も逆らえない共通認識のようになっていて、日露戦争も「反戦」という軸足で語られることが多かったように思う。こうした展示を見ると、少しずつではあるけれど、戦前の歴史について是は是、非は非として語られるようになってきたのを感じる。

少し前にテニアンに行っていた頃、まだ現地の人で日本語を話す人がたくさんいるのに、日本国内でそれを知る人は決して多くはなく、たとえば南洋興発の資料一つにしても探してもあまり残っていないということを残念に思った。

ショーグンの下で鎖国をしていた国がわずか一、二世代のうちに世界の先進国に追いついてしまったことは、やっぱりすごいことだと思う。その意味で、戦前期の日本はもっとニュートラルに研究されるべきだし、おそらくこれからそうなるのではないかと期待している。


坂の上の雲ミュージアム。県庁通りを少しお城側に入ったところに建てられている。コンクリート打ちっ放しで、内部構造は珍しいそうである。


旧藩主・久松伯爵の別荘であった萬翠荘。ミュージアム3階からの眺めがすばらしい。

[Jul 26, 2011]