312 北ノ庄城址 [Oct 3, 2012]

先日福井に出張した際、ちょっと時間があったので北ノ庄城址に行ってみた。ここは、JR福井駅から歩いて10分ほどのところにある。

織田信長の筆頭家老であった柴田勝家が、本能寺後に豊臣秀吉と後継争いとなり、敗れて北ノ庄城で滅ぼされたことはもちろん知っていたが、北ノ庄が現在の福井ということは不勉強で知らなかった。もっとも、ここ福井は北陸道から畿内への要路にあり、だからこそ柴田勝家が配置されたのである。柴田滅亡後は、結城秀康(家康の次男)以降、越前松平家の領有するところとなった。

幕末には四賢侯の一人松平春嶽が藩主を務め、それなりに豊かな地域であったようだが、現在の福井はシャッターの閉まった商店も多く、お世辞にも繁栄している地方都市とはいえないようだ。それでも北ノ庄城址の一角は、昨年の大河ドラマ「江」の影響もあって柴田時代の城の復元模型なども展示され、新しい銅像なども置かれている。

この銅像達、見た目で製作時期に違いがある。新しいのが三姉妹像で、これはおそらく大河ドラマの際に作られたものだろう。三姉妹は北の庄落城の際に脱出し、その後数奇な運命をたどることとなる。それより古いのがお市の方の像。お市の方は浅井氏滅亡の際には脱出したが、北ノ庄では柴田勝家とともに自害したのである。

そしてもっとも古く見えるのが柴田勝家像。こちらは4人の女性とはちょっと離れて、床几に腰かけ前方を見据えている。この勝家を祭神とする柴田神社も、この一角にある。この柴田神社、建立は比較的新しく明治時代に入ってから。上にあげた福井藩最後の藩主松平春嶽らの発意によるものである。

ここで妙なのは、なぜ明治時代に入ってからこの柴田神社を作ることができたかということである。江戸時代は豊臣家崇拝はタブーで、その意味で淀君の育った北ノ庄というのは微妙な立場にあるものの、柴田勝家は有名なアンチ秀吉派であり、お市の方も秀吉を嫌っていたのだから、徳川時代に復権できていてもおかしくはなかったように思うのである。

考えてみると1ヵ月ほど前には、やはり出張の合い間に京都・高台寺に行った。高台寺が北政所ゆかりの寺なら、北ノ庄城は淀君ゆかりの城。短期間に秀吉関係の史跡を訪ねるというのも、何かの縁だろうか。


ビルの谷間に鎮座する柴田勝家像。ここ北ノ庄城址には、柴田神社が祀られています。


お市の方(後方)と三姉妹像。三姉妹の方は比較的新しく、おそらく大河ドラマの際に作られたのではないでしょうか。

[Oct 3, 2012]