410 中京競馬場 [Mar 1, 2006]

中京競馬場は名古屋市のちょっとだけ外、豊明市にある。名鉄の中京競馬場前駅からとことこと歩いていくと(確か、バスもある)、10分ほどで着く。織田信長の奇襲で有名な桶狭間古戦場は競馬場のすぐ近くである。

いまは競争体系が変わってしまって、中京競馬は半分ローカルという位置づけに変わってきているが、かつては東京、大阪に次ぐ日本の三大都市圏の競馬場として、JRAの番組面においてもかなり中央開催に近い扱いがなされていた。よく覚えているのはハギノトップレディの勝った高松宮杯(当時)であるが、その頃中京の最高額賞金レースがこの高松宮杯であった。今と違って2000芝、しかも宝塚記念が5月だったので、春の天皇賞に向かないスピード馬は、宝塚記念から高松宮杯というローテーションをとることが多かった。

昭和52年にはトウショウボーイが勝ったこのレース、昭和56年にはこれも人気のあった桜花賞馬ハギノトップレディが高松宮杯に臨んだ。中京のコースは平坦で、さらにコーナーがきつくバックの直線がかなり手前にある押しつぶれた形のコースとなっているため、先行するスピード馬にとってかなり有利である。だから、ハギノトップレディ(逃げ馬)はかなり堅いとみていたのだが、いかんせん牝馬である。レース展開が向かないとまったくダメというケースも考えられたのだが、それは杞憂で6馬身差で圧勝した。

その頃もう一つ中京の呼び物レースであったのはきさらぎ賞で、このレースは大抵京都か阪神の裏開催だったにもかかわらず一流馬が参加するレースであった。というのは、当時は今ほど東西の輸送がスムーズではなくて、関西の明け3歳の一流馬はダービー前に府中を走るということはほとんどなかった。だから、同じ左回りの中京を一度使っておきたいという関係者が多く、2月のきさらぎ賞はかなり注目されたのである。競馬ファンならご存知のとおり、右回りと左回りでは、馬の走り方が違う(どちらの前脚を先に出して走るか)からである。

この競馬場も久しく行っていない。昔は競馬場の回りは畑や林ばかりだったが、今ではどうだろうか。でも、1200mの宮杯など見たくないし、きさらぎ賞も中京で行われないことが多くなってしまった。ちなみに、なぜトップレディの宮杯をよく覚えているかというと、この日宮杯まですべてのレースを外し、宮杯は取ったけれど焼け石に水で、この日がわが生涯における最大負け記録というのが20年近く続いたからである。

[Mar 1, 2006]