612 川口オートレース場 [Mar 15, 2007]

首都高川口線を下りて西進し、国道122号線岩槻街道を突っ切ってしばらく走ると、青い球形の地球の出来損ないみたいなオブジェが現れる。川口オートレース場である。付近には有料駐車場がたくさんあるのでそのうちの一つに車を止めてレース開始前の場内に入ると、「愛と~希望の~夢を~抱きしめ~、キューポラのあ~る街をみつ~け~た」の歌が流れている。平尾昌晃作曲の川口オートテーマ曲「ぶっちぎりの青春」である。

キューポラとは鋳物(鉄を溶かして鋳型に流し入れ成型したもの)を作る際の溶解炉とそこから延びる煙突のことで、昭和30年代鋳物工場が林立していた川口市は吉永小百合の主演映画にちなんで「キューポラのある街」と呼ばれた。しかしその鋳物工場はバブル頃を最後にほとんどが廃業してその跡地はマンションとなり、いまではキューポラを見つけることは非常に困難である。ちなみにうちの奥さんは川口生まれで、子供の頃道路を挟んで向かい側はずっと鋳物工場だったそうである。

そのように前時代的な歌詞なのだが、作曲の平尾昌晃もかなり古い。日劇ウェスタンカーニバルといっても何のことやらという人がほとんどというのはともかく、今の若い人は「ラブレター・フロム・カナーダ(カナダからの手紙)」だって知らないだろう。ちなみに私はこのデュエット曲は結構好きである。ともかく熱心なオートファンで知られる平尾昌晃が採算度外視で作ったこの曲が、今日も川口オートレース場に響いているのであった。(とはいえ、倖田來未も平尾昌晃音楽学校らしいから、そんなに古くもないのかな?)

川口オートは古くからオート界のメッカといわれており、いまでも他レース場の倍以上の売上げがある。これを反映してスタンドも大きく、他とは比較にならない収容能力を誇っている。ただし最新の設備と最高のグレードを誇るロイヤルボックスが1、2コーナー中間付近にあって、スタート地点は遠いしゴール前は見にくいしという点が玉に瑕。とはいえオートの場合ゴール前で接戦になることは必ずしも多くないから、勝負どころの3、4コーナー一般席で十分楽しいのだが。

そして特筆すべきは場内の食べ物屋の多さである。他のオートレース場はあまり客もこないせいか大したものを売っていないのだが、川口はなかなかである。夏のきゅうりそのまま1本とか、冬の串カツとかモツとか、いろいろ楽しめる。個人的にはソーセージカツなんて結構好きです。もちろんそば、ラーメン、定食関係すべて場内のどこかにある。

一方でちょっと物足りないのは予想屋さんの質。船橋のミスター船橋、伊勢崎の名門社に代表されるようにオートレースは予想屋さんの解説が買い目を決めるかなり重要な要素なのだが、川口の予想屋さんは概して無口で、黙って予想を売るだけである。1コーナースタンド下あたりに選手のロッカー室の配置表とか派閥一覧とか張っている予想屋さんがいて、「ここは同じ広瀬門下で抜かない」とか言っていた(川口は結構同門で決まることが多い)のだが、そういう能書きがないと面白くないのがオートレースである。

 

 

川口所属で最も有名な選手というと、やはり元SMAPの森クンということになる(もっともジャニーさんに言わせると「SMAPはデビューのときから5人なの!」ということのようだ)。川口ではそこそこ走るが全国区ではちょっと、というデビュー前から大体想像できたポジションに定着しているが、彼のデビュー戦のフィーバーは思い出深い。

養成中にフェンスに激突して同期の選手たちより遅れた森且行のデビュー戦は、今から10年前の平成9年の夏。ただでさえ暑い夏の埼玉で、大量のファンが押し寄せて川口オートレース場はすごい熱気に包まれた。走路が熱くなるとタイヤがすべるので0ハン逃げの森クンには絶対有利であったが、スタートでもし食われる(後ろからスタートした選手に抜かれる)ようだと着外となることは確実。この日のレポートはパソコン通信時代のNifty会議室に載せた私の名文があったのだが、残念ながらとっくに会議室は閉鎖されて今は見ることはできない。

普段は1、2窓しかない単勝売場が森クンの単勝を買う大勢のファンのために特設されたりしてスタート時間は遅れに遅れた。そして走路温度50数度という熱走路の中、見事森クンは逃げ切って初勝利をあげたのである。もちろんオート最盛期にはそれ以上の来場者があったのだが、この時の来場者数の記録はあれから十年破られていないはずである。

個人的に好きなのは森クンよりはちょっと先輩になる広木幸生(ひろき さちお)選手。オートレースには「十分な余裕がなければインコースから抜いてはならない」というルールがあるのだが、実際にはほとんどインコースから抜いている。「十分な余裕」というのは、「インから抜いても抜かれた選手が落車しない」とほぼ同義語であるからだ。しかし広木の場合、十分な余裕があろうがなかろうが前を走る選手のインコースに切り込む。前の選手も急に来られると対応できないからぶつかってしまい落車してしまう。

こういうレースがしょっちゅうあることから、ファンの間では広木のことを「人間魚雷」と呼んでいる。この人間魚雷は百発百中で標的を沈めるので事故や失格がたび重なり、とうとう彼は長期間のあっせん停止(レースに出させてもらえない)を食らってしまった。前途有望でありかつルックスもいいので女性ファンが多い選手であるのだが、残念なことである。ちなみに、彼は川口以外では意外とおとなしいレースをするので人気の盲点になる。個人的には山陽で何度か広木絡みの穴車券を取らせてもらっている。

他にも、森クンの同期若様こと若井選手とか、最強の実力者でありながら度重なる整備違反で広木同様レースに出させてもらえない福田茂選手とか、今では「ノリックの父」としての方が有名になってしまったが昔は大レースを何度も勝っていた阿部光雄選手とか、いろいろ個性豊かなメンバーが揃っているレース場なのであるが、印象に残っている選手を一人だけ上げろといわれると、個人的には「キコウシ」土田栄治・元選手を推薦したい(キコウシというのは彼のオートバイの呼名)。

この選手のレース振りというのはまさに圧巻だった。一番弱い選手よりさらに30メートル前から(だから普通の中堅選手より7、80メートルは前)スタートして、わずか100メートル先の1コーナーではすでに抜かれているという恐るべき選手(とはいえないが)であった。その調子だからゴールでは半周どころか1周(500メートル)近く遅れていることもしばしばで、着順は常に8着(ビリ)。たまに7着があると欠車でもともと7車立てであるか、落車や失格があった時に限られていた。

どうしてあのような選手が存在できたのか不明であるが、それでも彼の車券(当然5-5または6-6)が数百倍つけたということは買う人がいたということだから不思議である。オートレースは勝たないと後半のレースには出られない仕組みになっているので彼は常に午前中の1レースとか2レースが指定席であり、いずれ登録消除(クビのこと)になることは確実なので、朝早いレースで大した金額も買っていない時には、彼の負けっぷりを見るのが結構楽しみであった。

[Mar 15, 2007]