614 東京競馬場とジャパンカップの思い出 [Nov 29, 2009]

今年も、ジャパンカップの季節になった。早いもので、今年は第29回になる。私が最後に府中の東京競馬場に行ったのは第2回のジャパンカップの時だから、もう27年も前ということになる。

学生のときはたびたび訪れた府中だが、就職して忙しくなるとどうしても足が遠のいてしまう。船橋に住んでいたので中山競馬場はすぐなのだけれど、府中に行くとなると、新宿から京王線に乗るか、当時開通した武蔵野線で府中本町まで、いずれにせよ2時間以上かかるのである。

当時、日本最長の直線を持つ大きな競馬場で(現在は新潟の1000m)、ダービーと秋の天皇賞(3200m)が代表的なレース。左回りのコースは当時中京と府中しかなかったが、新馬戦などで、時々右回り1200mというレースを行うこともあった。向こう正面直線の彼方には、ユーミンの歌った「中央フリーウェイ」が走っていた。

ジャパンカップの第1回は、国際競走とはいってもアジア、アメリカからの招待馬のみで、レベルは決して高くはなかった。トルコ代表は来日したものの調教で故障し、「インドのシンザン」という触れ込みのインド代表・オウンオピニオンは、トライアルの富士ステークスで大差負けする始末である。

来日の代表格は芝のGIを勝っていたザベリワン、カナダ代表のせん馬フロストキングあたりで、日本馬は天皇賞馬ホウヨウボーイ、モンテプリンスといった一線級が出走したのでいい勝負になると思われたのだが、結局優勝したのはGⅡ実績しかなかった米国牝馬のメアジードーツ。日本勢は外国の準一線級相手に全く歯が立たず5着が最先着、世界とのレベルの差を示されてしまう。

第1回の国際招待が無事終了して、第2回はいよいよ本格的に世界の強豪に声をかける。ヨーロッパ、オセアニアからの招待馬が登場しただけでなく、レベルも格段に高くなった。ワシントンDCに優勝し、凱旋門賞にも出たエイプリルラン、フランスの牝馬GIを勝ったオールアロング、そして米国で芝のGIを勝ちまくっていたせん馬、ジョンヘンリーが来日したのである。

 

 

この第2回ジャパンカップを見に行くことができたのは、当時たまたま仕事の取引先であった競馬情報誌の副社長、Aさんに誘っていただいたからである。今思えば、ぺーぺーの私にいい席で見せていただくなど望外のことだが、ともかく世界の強豪を目の前で見れるのだから、願ったり叶ったりである。

特にジョンヘンリーは当時の世界最高賞金獲得馬で、非常に楽しみだった。一つ前のレースは見ずにパドックに向かい、じっくりと見る。エイプリルランは牝馬なのに、男馬並みの筋肉で(今では日本にも、ウオッカのような馬がいるが)、一際目立っていた。ところがジョンヘンリーはというと、なんだか小さい馬で、とても貧相に見えた。

世界の一流馬に活躍してほしいという期待から、この馬から買うつもりだったのだが、やめようかどうしようかと大層迷う。結局、初志貫徹でこの馬から買ったのだけれど、やはりというか全くいいところがなく、見せ場もないまま馬群に沈んでしまった。レースは直線でオールアロング、エイプリルランとの競り合いを制して、伏兵の米国馬ハーフアイスト(Half Iced)が優勝した。

当時は、招待馬は経費すべてがJRA持ち、関係者もみんなファーストクラスで来日して、負けても持ち出しなし賞金が取れれば丸儲けという仕組みになっていた。マスコミにも、観光気分の遠征馬がいて安心して馬券が買えないという批判があったくらいで、すべての馬がきっちり仕上げているという訳ではなかった。

むしろ、準一線級の馬が高額賞金狙いでぎりぎりに仕上げてくるということもあり、こうした結果は十分予想範囲ではあったのだが、馬券の勝ち負けだけではなく、ちょっとがっかりしたのは確かである。

今でこそ当り前だが、当時はゼッケンに英語で馬名を表示するのはこのレースくらいだったので、とても新鮮に感じたものである。連れて行ってくれたAさんが、「○○さん、トドロキヒホウ(日本馬、Todoroki Hiho)を見て、みんなトドロキハイホーって言って喜んでるんだよ」とおっしゃっていたのをなぜか覚えている。

あれから早いものでもう四半世紀以上になる。今では日本馬が勝たないのが珍しくなったジャパンカップだけれど、当時はいつになったら日本馬が馬券に絡めるんだろう、と思っていたのでありました。

[Nov 24,2009]