812 水沢競馬場 [Oct 20, 2005]

かつて、JRAと地方競馬の交流は現在ほど開かれたものではなく、特に一流馬については地方馬がJRAに転厩するのがほとんど唯一の交流方法であった。加えて、芝に適性のある馬、例えばヒカルタカイに始まってハイセイコー、イナリワン、オグリキャップといった馬たちはそうした方法をとることにより大レースを勝つことができたが、ダートに適性のある馬にとっては当時JRAにダートの重賞がない以上あまり意味のあることではなく、結果としてその地方で競走生活を終えるのが常であった。

だから、昔はその地区その地区で驚異的な成績を収める馬が出現しても、その馬がJRAや他地区の馬と走ることはほとんどなく、実際その馬がどれくらい強いのか分からない、ということが多かった。それが現在のような形になったのはいまから10年前の平成7年。JRAのフェブラリーステークスが地方馬に開放されるとともに、大井の帝王賞、北海道のブリーダースゴールドカップといった大レースが逆にJRAの馬に開放されて、ダートの全国交流、統一グレードの原型ができてからのことである。

実はその時、岩手地区には驚異的な競走成績を残している馬がいた。その名をトウケイニセイという。父のトウケイホープも大井所属という生粋の地方馬で、成績はその秋まで41戦38勝2着3回、パーフェクト連対の記録を残していたがすでに9歳(現在の表記では8歳)である。往年の力は望めないとしても、やはりこの年に交流重賞となった地元岩手の「南部杯」で、JRA・他地区の強豪を迎え撃つのはこの馬しかいない、といわれていた。

前置きが長くなったが、このトウケイニセイをひと目見るために、10年前のちょうど今頃水沢競馬場へ行った。レースは10月10日の体育の日で、前日仕事が終わってから新幹線と東北本線を乗り継ぎ、水沢まで行った。駅前のホテルに泊まったのだが、何にもない街だったのを覚えている。関東地区なら、レース場がある駅の近辺には多少とも飲み食いできるところ、すし屋とか居酒屋とかがあるのだが、夜更けという訳でもないのに、本当に何もなかった。結局適当につまみを買い、ホテルでビールを飲んだ。

翌朝、タクシーで水沢競馬場に向かう。そのときの競馬新聞を見ると「10:00、晴れ、良、11℃」と書いてある。11℃というと、オートレースなら走路温度なのだが、競馬だから気温であろう。涼しいというより寒い。その寒いスタンドの前の方で、会社帰りの服装のまま、かばんを抱えてレースの始まるのを待った。荷物預かり所がなく、コインロッカーも満杯だったからである。1周1200mの小さい競馬場で馬はよく見えたが、なんともこじんまりした競馬場であった。

トウケイニセイはやはり盛りを過ぎていたのだろう。実際、500kgあるはずの馬体は小さく見えた。「この馬がねえ」と感じたのを覚えている。レースはJRAのライブリマウントが圧勝し、この年のフェブラリーS、帝王賞、ブリーダースGC、南部杯と交流重賞を独占した。2着には人気薄の大井のヨシノキングが入り、トウケイニセイは生涯はじめて連を外し3着に終わった。せっかく来たからとトウケイからJRA馬を買った私の馬券は紙くずになった。

競馬場のすぐ後ろに北上川が流れている。レースが終わると、その北上川の鉄橋を渡って、新幹線の水沢江刺駅まで2kmほど歩いた。こちらの駅前にも何もなかったのを覚えている。

[Oct 20, 2005]