816 青森県立郷土館 [Feb 9, 2012]

この間の青森で、青森県立郷土館という博物館に行ってきた。ここが予想以上に良かったので、当地を訪問される方にはぜひお勧めしたい。

十和田湖に近い酸ヶ湯温泉で4mの積雪があり、青森県境に近い秋田県の玉川温泉では雪崩の被害があったように、先々週からの寒波で北日本は相当な影響を受けた。下の写真にあるように、青森市内でも歩道と車道の間に高い雪の壁が出来ていた(この中に本当の壁がある訳ではない)。

こうした状況なので、青森市に宿をとる場合に、駅前でなくてワシントンホテルにしてしまうと、結構な距離を歩く羽目になる。歩くと10分かそこらなのでタクシーに乗るかどうか迷う一方で、雪が深いのでカートを引いていくにはちょっと辛い。大通りには融雪のため温水が出ているので、ところどころ水たまりになっているのも面倒である。

青森県立郷土館は、そのワシントンホテルのちょっと先にある。元はどこかの銀行の店舗だったということで、戦前の風格のある格調高い建物であるが、出入口だった場所が雪でふさがってしまっている。本当の出入口は自動ドアで、職員の方が雪かきをしてくれている。

入口すぐ横にロッカーがあるのでコートを預けようとすると、「中はまだ寒いから着て行った方がいいですよ」と言われる。外は零下6度。それでも雪壁で風がふさがれるためなのか、体感気温はそれほど寒くはないのが不思議である。開館時間(9時)を過ぎたばかりなので、室内もまだ寒い。

2階と3階が展示室となっていて、中はかなり広い。青森県の自然や歴史、暮らしに関する資料が整理されていて、時間がたつのが早く感じる。思わず見入ってしまった視聴覚資料は、鎖国時代に漂流してロシアに流されてしまった人の話と、戦中・戦後の青森市のスライド。青森市も、テニアンから飛び立ったB29の爆撃で、相当の被害を受けたのである。

さて、東北に行くと気になるのが、零細農民の暮らしである。現代では品種改良により北海道など寒冷地でも稲作が可能であるが、江戸時代には寒さに強い品種などないから、東北といえば冷害とセットであった。現代の常識では、米ができないなら他の手段で何とかしようと考えるが、江戸時代には他の生産手段も移動の自由もない。自分だったらどうするかと考えても、なかなか考えつかない。

江戸時代末(というより明治時代初め)、薩長の討幕軍に抵抗したということで、会津藩松平家が強制移転させられたのが斗南(となみ)藩、十和田湖畔から下北半島にかけての領土であった。主君に従って多くの家臣が極寒の地に移転してきたが、寒さと飢えで命を落とすものが少なくなかったという。

ちなみに、現代の青森で全国トップシェアを誇るのがりんごの生産であるが、りんごの苗木が日本に入ってきたのは明治時代に入って以降のことである。りんごに関する資料も、3Fに展示されている。(ちなみに、りんご以外ではにんにくも全国1位だが、りんごと違って輸入品のシェアが大きい)

このように生死が紙一重だから、信仰の世界も非常に重要となる。「おしらさま」や「虫送り」をはじめとする北国独特の民俗資料も、ここには数多く展示されている。自然条件が厳しくなると、念仏や座禅、法華経といった鎌倉仏教のような理論的観念的なものよりも、アニミズムというか原始宗教に近くなってくるのは面白い。

夏の気候のいい時期なら十和田湖や八甲田山、下北半島の雄大な自然を堪能するのも気持ちが晴れるが、あまり外に出られない冬は、こうした文化施設でこの国の来し方行く末に思いをはせるのも悪くはない。


青森市は街中でもこんな雪です。ここは歩道、雪の壁の向こうが車道。


北国独特の屋内。板の間にござ、囲炉裏。私の祖先も、こうした囲炉裏端で長い冬を過ごしたのだろうか。

[Feb 9, 2012]