017 磯田道史「武士の家計簿」 [May 2,2012]

2003年に新潮新書で発表された時に話題になった本だが、つい最近まで読んだことはなかった。なぜそれを今になってかというと、お察しのとおり映画版がWOWOWで放送されたからである。映画を見て疑問に思った点があったものだから、原典に当たってみた。ただし、原典は論文であり、「合わない4文を探して来い」などという場面はない(絵の鯛で済ませたという記事はある)。

最も疑問に思ったのは、御算用者・猪山家は、なぜ親子同時に出仕しているのだろうということであったが、原典を読むと御算用者はいわゆる薄給の専門職で、「高○○石」という領地持ち(知行取り)ではないからなのである。つまり、「家」として藩に仕えているのではなく、「個人」として藩の仕事を下請けしているというイメージである。

さて、猪山家が大借金を作った背景は、映画では割愛されているが原典には書かれている。前田家が将軍家から正室を迎えた際、本郷に赤門を建てるなど大々的な婚礼を行ったのだが、その際に江戸詰めの猪山信之(中村雅俊)が活躍し、扶持取りの専門職から知行取りに出世したのである。

江戸詰めは生活費もかかるし、婚礼にかかる準備で付き合いも必要だったはずである。出世のために各方面への付け届けもしただろう。地位を上げるためにはそれなりの持ち出しもあったのである。結局、将軍家から迎えた溶姫付きの会計係は、信之から直之(堺雅人)、成之(伊藤祐輝)に受け継がれ、それが猪山家浮上の要因となった。

だから、中村雅俊の「これは姫君様から直々に下された云々」という台詞は、身分にふさわしくない金のかかる趣味人という捉え方をすべきではい。それは、先祖代々の平社員から課長職に抜擢された記念品なのである。ちなみに、映画にあったようなお助け米の不正を追求するのは彼らの仕事ではないし(当然、原典にもない)、もし本当に自分の担当外の仕事に手を出していたら左遷で仕方がない。

さて、もう一つ疑問に思ったのは、本当に毎日の食費を切り詰めたのだろうかということであった。江戸時代には、殿様でもない限り一汁一菜は普通だし、色とりどりのおかずの入った弁当など持って行かない。だから江戸詰めになって玄米でなく白米の食事になると、ビタミンB1不足で「江戸患い(脚気)」になったのである。

そのあたりは原典でもはっきり書いていない。ただし、猪山家の年間支出約650万円のうち、80万円が米で副食費は10万円足らずだから、米中心の食生活だったことは確かである。大口の支出となるのはむしろ寺への支払いを含む交際費で、例の鯛の話もその流れでとらえるべきであろう(当時、交際費を渋ることは家の面目に関わることだった)。

ちなみに、上の金額は私の換算レートで計算したもので、原典のものとは違っている。私は、千両箱=1億円で計算していて、これだと小判1両は10万円となる。銀1匁は約1500円、銭1文は約20円、江戸時代の”百均”である四文屋は約80円均一という計算になり、結構しっくりくる数字だと思っているのである。

[May 2,2012]