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023 小田嶋隆「地雷を踏む勇気」 [Oct 30,2013 & Jul 7, 2022]

「日経ビジネスオンライン」連載のコラムをまとめた本で、この作者もなかなか面白い。やはり私と同年配(1956年生まれ)で、大学卒業後就職先を1年未満で退職、その後引きこもり、30代にはアル中になっていたというたいへんなお人である。小石川高校の同級生・電通CMプランナーの岡康道との対談本もあるが、単独の本も相当面白い。

この本で鋭いと思ったのは以下の記述。大震災時の原発再開に伴う九州電力のやらせメール事件に関する記事である。

—————–(引用はじめ)—————————-

これは、昨日今日の付け焼刃の無能ではない。
きちんと筋金の入った、十分に訓練の行き届いた無能だ。
単純な浅慮や無神経で、ここまでの無能さは達成できない。
つまり、無能であることが求められ、無能であることが評価される機構がシステムとして維持されている場所でなければ、これほどあからさまな無能は生まれ得ないということだ。

—————–(引用おわり)—————————-

わが国の大企業と呼ばれる会社に勤めて、こういった感想を持たない人はほとんどいないといっていいのではないか。とはいっても、このようにクリアカットな文章で本質をまとめることができる人はほとんどいない。それができるからコラムニストをやっていられるとしても、これはすごい。

「無能であることが求められ、無能であることが評価される機構がシステムとして維持されている場所」すばらしい!得てして企業の中にいると、「なぜああいう人間ばかりが偉くなるんだろう。」「それに引き替え、なぜ自分の評価は低いのだろう。」「どいつもこいつもバカばっかりだ。」などと査定・評価が公正であるべきと思ってしまうが、実は方向性が逆だったのである。

例えばこの間、JR北海道が線路幅が規定より広がっていることを検査で見つけていたにもかかわらず、何の対応もしないまま放っておいた事件があった。サラリーマンを長くやっていると、ああいう事件がどうやって起こったかはほぼ見当が付く。保守担当が重要視されていないからに違いない。(その後のニュースで、運転ミスをごまかそうとしてATSをわざと壊した運転手が異動させられたのが保守担当だった。やっぱりね。)

どこの会社でも、提供している製品・サービスの品質維持は最も神経を使わなければならないはずだ。それは、万一何か起こった時にダメージが計り知れないほど大きく、会社の存亡に関わるからである。にもかかわらず、こうしたポジションをまじめに勤めることは会社では評価されない。これは作者ではなく私が言っていることであるが。

これが行きつく先はどうなるのか。正直よく分からない。多分、ろくな事にはならないだろうと思う。それならどうするのかにも、明確な処方箋はなさそうだ。われわれに分かるのは、別にそんなに人を出し抜こうとしなくても、普通に暮らせば人生はそれなりに楽しいということくらいだろう。

他にも、ナンバーワンとかオンリーワンとか言っているけれど、現代というのは競争(ナンバーワン)からも個性(オンリーワン)からも下りている状況なんじゃないですか、とか。気分は必ずしも晴れないけれど、自分が言いたいことか言葉で表現されるのは楽しいものである。

「火事場でもないのに馬鹿力を出すのはただの馬鹿。」「人材は木材と似ている。樹木から皮をはぎ、形を整えて木材とするように、人間から角をとりへこませて規格化すると人材になる。」というフレーズも結構好きです。

[Oct 30,2013]

ウクライナ侵略以降日経ビジネスオンラインの連載が中断し心配していたが、さる6月24日コラムニストの小田嶋隆氏が亡くなった。享年65。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

私と同年齢になるが、学年はひとつ上。いずれにしても同年代である。それもあって氏のコラムは愛読していて、そのためだけに日経ビジネスオンラインの無料会員になっていたくらいである。

氏のコラムは辛口と言われるけれども、私の目にはそれほどきついことを言っているようには見えない。当り前の感受性を持つ人が、当然感じるであろうことを書いているだけと思っている。

私の書評で採り上げた「今のサラリーマン社会は無能を組織的に作り上げて選抜するシステム」だって、氏のように順序だてて説明できないだけで、普通はそう感じるだろうと思っている。

加えて、私が氏を身近に感じる大きな理由が、パソコン黎明期に業界でライターをしていたことである。

アスキーとか徳島のソフト会社(一太郎のジャストシステムだろう)といった話が出てくると、パソコンが海のものとも山のものとも分からなかった当時のことをなつかしく思い出す。

私も、NECの6601というパソコンを親に買ってもらって、ドクター中松が発明したフロッピーディスクにいろいろデータを入れて遊んでいた口である。日本語の特殊性があるので、日本のメーカーも海外に対抗できると思われていた。

「日の丸コンピュータ」なんて言葉さえあった時代で、にもかかわらずNECのフロッピーは富士通では使えなかった。マイクロソフトのように互換性とか世界標準という観点はなかったのだから、負けて当然である。

時代は流れて、ハードもソフトも半導体も、国内メーカーでは勝負にならないことがはっきりした。おそらくその分岐点となったのがWindows95の大騒ぎで、その頃から国内メーカーで世界レベルなのはゲームソフトくらいになってしまったのである。

小田嶋氏の話をしているつもりがコンピュータ談義になってしまったが、パソコン黎明期だけでなく、大学紛争後のキャンパスや、バブル直前直後・男女雇用平等法以前・派遣法以前など、氏と私は同じ空気の中で過ごしてきた世代である。

われわれより5つ6つ上になると「団塊」最後の年代で、授業を妨害しに来たくせに就職するとちゃっかり企業戦士となり、先輩面して威張っていた連中である。みんながみんなそうではないにせよ、「団塊」とか「全共闘」なんて全然信用できない。

氏にはアル中体験記もあって、ほとんど精神力でアル中を克服したすごい人である。アルコールを断つということは、人間関係を絶つことだと書いていた。言うは易く行うは難し。なかなかできないことである。

切り口鋭いコラムがもう読めないのも残念だが、自分と同じ時代を生きて同じようなものを見、同じように感じた人がいなくなるのはとても寂しい。そういう年頃だということは分かっているけれども、改めて毎日くじ引きしていることを感じる。

[Jul 7,2022]

コラムニストの小田嶋隆氏が逝去。享年65。この人のコラムを読むためだけに日経ビジネスオンラインの無料会員になっていただけに残念。自分の年代が当たり籤を引く時代になったことを改めて感じる。