067 京極夏彦「巷説百物語」 [Apr 6, 2006]

近年の新進作家といわれる人の中で最も「読ませる」作者の一人が京極夏彦であることに、疑義を唱える向きはあまりないのではないかと思う。

「読ませる」というのは、文字通り一つの作品が非常に長く読むのに骨が折れるという意味も含んでいるのだが、読者をうならせるという本来の意味でもまれにみる逸材といっていい。小説を読んでなるほどと思うのは一つは作者の知識であり、併せてそれを最大限に活かすためのプロット、すなわち仕掛けである。京極夏彦の場合、そのいずれにおいても読者の予想をかなり上回ることに成功している。

あまり説明してしまうとネタバレになるので概要だけいうと、彼の作品のテーマとなっているのは基本的に怪異である。いわゆる妖怪変化や不可思議な出来事である。それがモチーフとしてあるのだが、実際には人間の物語である。表紙や挿絵に惑わされて単なる怪談の類と考えていると、その予想は大きく裏切られることになる。その意味で、彼の代表作は「巷説百物語」ということになるだろう。

百物語は、一人がひとつずつ怪談を語っていき、それが終るつど目の前のろうそくを消していく。ろうそくは百本あって、その百番目のろうそくが消されて真っ暗闇になったとき、そこで不思議な出来事が起こっているというものなのだが、このシリーズ「巷説百物語」「続巷説百物語」「後巷説百物語」では、最後の話でその百物語が行われる。とはいっても、もともと独立した作品として発表されており、その一つ一つが百物語の仕込みというか、ひとつひとつの怪奇談となっている。

主人公というか語り部となっている山岡百介は、もともと武士の出であるが縁あって商家の養子となる。しかしもともと商才があるわけではなく、養親が亡くなるとさっさと楽隠居して、諸国に怪談を収集しに行くという設定である。非常にうらやましい身の上であるが、御行(おんぎょう、行者のこと)の又市をはじめとする不思議な連中にいつのまにか巻き込まれて、さまざまな事件に関わりあっていく。

京極夏彦の作品では他に「鉄鼠の檻」(てっそのおり)という長編の作品があり、これもまた読ませる。禅宗をテーマとした作品で、最初からヒントが示されているという点で、推理小説のような味わいがある。しかしそのヒント自体読者の及ぶところではなく、ここでも作者の博識にうなってしまうのである(禅宗の奥義は不立文字~文字に表すことができない~であり、これでいいのかという疑問はやや残るが)。

あと、ひとつだけ言いたいのは直木賞のことで、シリーズ最終編である「後巷説百物語」が受賞したのだが、これは反則だと思う。というのは、続編の場合、登場人物の造形がすでに前作までで行われているため、読む前の時点で読者にはすでに先入観や予備知識があり、そうでない作品とは出発点が違うからである。でもこれは作者の罪ではなく選者の罪であろう。もっといえば、「覘き小平次」で当然受賞してしかるべきだったと思う(なんとこの時、受賞作品なしである)。


大沢在昌、宮部みゆきと共同でマネージメント会社「大極宮」を運営している。3人とも売れっ子というのはすごい。

[Apr 6, 2006]