017 年金生活雑感 習慣を見直す・組織に属するリスク[Feb 27, 2019]

1年半ほど前に新聞をとるのをやめて、つい最近はWOWOWを解約した。年金生活に入り、こうして長く続けた習慣を見直すことが多くなっている。

年金生活に限らず、収入の範囲内で暮らさなければ生活が破綻する。リタイアして収入が激減し、支出を切り詰める必要が出てきたのは気が重いけれども、不老不死ではないのだからいずれはリタイアしなければならない。心身がまずまず健康で頭が働くうちにそうできるのは、考えようによっては幸いなことである。

最近どこかで読んだことだが、長く続けたことをやめるのに抵抗感が強いのは、脳の働きだそうである。脳が単に費用対効果をシミュレーションするだけであれば、長く続けたかどうかはそれほど優先順位の高いことではなさそうだ。にもかかわらず抵抗感があるのは、そう考えることが脳にとって有利だからである。

「脳」にとって有利という意味は二つある。ひとつは「体」にとって有利なので「脳」にとっても同様に有利ということで、例えば寒ければ暖房をつけるとか厚着をして暖かくするという反応である。これは、人類の(あるいは生物の)進化の中で培われてきたもので、そういうシミュレーションができなければ、生き残ることが難しかっただろう。

こういう種類の脳の抵抗にしたがわないことは、好ましいこととはいえない。例えば、「早寝早起き」とか「なるべく人混みに行かない」とか「定期的に体を動かす」とかいう習慣は、その方が心身のコンディションを保つのに有効だから、「脳」も求めるし「体」にとっても快適である。

「脳にとって有利」のもう一つの意味は、「体」にとっての得失は不明ながら「脳」にとって有利だということである。これは、進化の中で培われてきたシミュレーションとは違う。そうした事柄は、脳が抵抗したとしても本当に必要かどうかよく考えることが必要である。

例えば、新聞宅配の制度などは百年経つか経たないかであり、新聞をとるかとらないかは人類の進化とはかかわりがない。なのに脳がなぜ抵抗するかというと、その方が「脳」にとって有利だからである。

おそらく、文字情報を入力することを「脳」が好むのだろう。だから、新聞をやめる前にはかなり抵抗があった。しかし実際やめてみても特に困ることはないし、いまでは図書館に行って新聞が置いてあっても、用事がない限り読むことはない。実は必要なかったのである。

WOWOWについても同様で、20年近く契約してきたものを解約すると、考え付かないだけで実はよくないのではないかと思ったりしていた。でもよく考えてみれば、WOWOWにしたところで大切なのは既存顧客よりも新規顧客である。

想像するに、人類がこれまで生き延びるに際して、「よく理由は分からないけれども長く続いていることは、続けた方がいい」と考える方が有利だったということがあったように思える。

例えば、「できるだけ手足・身体を清潔に保ち、定期的に洗浄する」という習慣を持った集団は、そうでない集団より伝染病や食中毒に強く、生き延びるのに有利だっただろう。しかし、細菌やウィルスを知らなければその理由を正しく説明することはできない。そうした場合に、「よく分からないけれども長く続けてきたことだから」が有効に働くことになる。

いまの時代、多くの習慣・性向を科学的に吟味することができる。限られた資源をより心身に好ましい方向に使うためには、長く続けてきたことでも要不要を見極めることが大切だし、そこで「脳」が求めるのか「体」が求めるのかをよく考える必要がある。

「体」が求めていないのに「脳」が求めるものは、やめても実害がないことが多い(すべてではないにしても)。「体」が求めていないということは人類(生物)が生き延びることに直接関係ないということに、ニアリーイコールなのである。

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先週、年金生活を送るにあたって長く続けてきた習慣を見直すということを書いている時に、思い出したことがあったので忘れないうちに書いておこうと思う。

それは、リタイアするにあたってどこにも所属しなくなることを心配する向きがあるが(名刺がなくなる、といった類)、これまで特に負担になったことはないし、おそらく今後もないだろうということである。

もっとも私の場合、会社を3回替わっているのでもともと帰属意識が希薄であり、就職以来ずっと同じ組織で働き続けてきた人とは違う。とはいえ、自らのアイデンティティが組織にしかないというのは、寂しいだろうと思っている。

確かに、組織に属していた方が何かと安心なように思える。生活の保障はもちろん、何か突発的なトラブルが発生した際、後ろ盾があるとないとでは深刻さが違う。それによって余裕ができるという側面はあるだろう。

とはいえ、「何か突発的なトラブル」が、自分発であるのか、組織発であるのかは大きな問題ではないだろうか。誰しも無意識に「自分発のトラブルが生じて、組織が後ろ盾になる」ことを想定しているけれども、「組織発のトラブルが生じて、自分に悪影響が出る」ことは想定していない。

でも実際には、そうしたケースが生じる可能性は無視できない、というよりもその方が大きいような気がする。私がこれまで身近に見てきた中でも、長期信用銀行や山一証券は組織発の大きなトラブルで組織自体がなくなってしまったし、私の属した3つの組織のうち2つは、いまでは組織として残っていない。

自分発のトラブルは起こさないように自ら注意することは可能だが、組織発のトラブルをすべてウォッチすることは不可能である。であれば、軸足は自分の方に置く方が結果的には安心だし、ストレスも少ないはずである。

そして、いま現在、組織の多くがやっていることはせんじ詰めれば「カネ儲け」であって、自分や社会を幸福にすることではない。「カネ儲け」はある時点を超えると自己目的化し、もともと「自分や社会を幸福にする」ことが目的だったはずなのに、「カネ儲けのためのカネ儲け」になってしまうのである。

おそらくほとんどの人は、就職する時に「仕事を通じて自分や社会を幸福にする」ことを目的としていたはずだが(官僚なんて本来そういうものだ)、上の言うことを素直に聞いているとそうはならない。まず「他人(他社)のことなんてどうでもいい」と思うようになるし、次に「自分のことすらどうでもいい」と思うようになる。公共の福祉なんて眼中になくなるのである。

そんな組織ばかりじゃないと綺麗事を言ってはみても、現実はほとんどすべての組織がそうやって動いている。理想とか公共の福祉とかは、広告を打つ時くらいしか顧みられることはない。それに適応した人だけが生き残っていくのである。

確かに理想と現実との格差に打ちのめされるのは誰にもあることだが、誰だって「他人のカネ儲け」を手伝うために社会に出るつもりはない。もちろん「自分が儲けたい」と思うのは自由だが、それにしたってほとんどのマンパワーは他人のカネ儲けに使われるのである。

そんなことに時間と労力を費やすくらいであれば、早々にそんな組織から抜け出して、自分の望む方向に時間と労力を使った方がよさそうである。成果としてはゼロかもしれないが、少なくともマイナスにはならない。

長い目でみるとそうした組織が長く生き残る訳はなく、いずれは長期信用銀行や山一証券のようになることは避けられない。ただし、「いずれは」が私の生きている間である可能性もまた少ないので、私のような考えに賛同が得られそうにないのはつらいところである。

[Feb 27, 2018]