580 五十八番仙遊寺 [Mar 14, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

八幡神社には午後1時の時報が鳴るまでいた。市街からだろう、サイレンかチャイムのようなものが聞こえた。今治市街・瀬戸内海を望む大変いい景色で、また風もなく暖かい日だったのでゆっくり過ごすことができた。

仙遊寺の宿坊には、午後3時到着と伝えてある。遍路地図には五十三番・五十四番間の所要時間は40分と書かれているが、山門を過ぎてから本堂まで20分かかるという情報もある。標高255mと2.4kmから考えて、標高差で40分、距離で40分の約1時間半はみる必要があるように思われた。

帰りは栄福寺には寄らず、集落を通る道路と交わる地点まで下る。交差点に、遍路地図には載っていないが小さな売店・食堂がある。「手作りソフトクリーム」と書いてあるので、「ソフトクリームはありますか」と入って聞いてみると、「4月からなのよね。今日は暑いからみんなに言われるんだけど」と、残念なお答えであった。

すぐ後からお昼を食べに家族連れが入ってきたので失礼したが、結果的にみると最後の補給基地であった。店の前には自販機もあり、少ないながら土産物も置かれていた。もっとゆっくり見れば、何か非常食にできるものを見つけられたかもしれない。

このあたり、前日のホテルで夕食をカップラーメンといよかん1つで済ませた経験が物を言っていて、いよいよこのままでも1泊2食付いていればなんとかなると思っていた。

泰山寺から登ってきた道をそのまま奥に進む。左手に高くなっていた八幡宮の稜線が低くなってきて、その低くなった稜線に向かって道が登って行く。ほどなく、アースダムの地形が見えてきた。

瀬戸内はアースダムの本場であり、愛媛県に入ってよく見かけるようになった。あの、龍光寺・仏木寺間の中山池もそうである。

降水量は平均して少ないものの、ひとたび大雨が降ると川幅では収まらないくらいになるので、治水面からも農業用水確保の面からも、古代からアースダムが建設されてきた。行基や空海も、札所の由来で語られるだけでなく、実際に各地の治水工事に携わったと史書に書かれている。

空海が満濃池建設に従事したのは記録で確認できる史実であるから、宗教家であっただけでなく土木建築等の知識も持っていたのだろう。もっとも、当時の先進国である唐に派遣されるというのはそういうことで、薬学とか地理・歴史など各分野に広く知識があったと考えられるのである。

アースダムとは、簡単にいうと川を堰堤でせき止めてため池を作るものである。まったく水の出口がないと巨大な水圧がかかって決壊してしまうし、必要な場合に水を供給するのが目的だから、水量が調節できるよう水の出口が設けてある。放っておくと土砂で池が浅くなってしまうので、定期的に放水するのが「池の水全部抜く」で有名になった掻い掘りである。

「池の水」では掻い掘りして有害外来生物を駆除しているが、中世の掻い掘りで得られた魚介類は農民にとって貴重な蛋白源であった。いまや、こうしたため池に棲んでいる魚など臭くて捨てるしかないので、現在では掻い掘りはほとんど行われない。

栄福寺の上にあるアースダムを犬塚池という。昔、栄福寺と仙遊寺の鐘に合わせて行ったり来たりする犬がいて、ある日両方の鐘がいっぺんに鳴ったものだから、どうしていいか分からず中間の池で溺れ死んでしまったという伝説がある。伝説のとおり、池の先にそびえているのが佐礼山で、この池は宿坊の窓から見ることができる。

道なりにダムの端まで行く道と、堰堤を登る道が分かれていて、登り口のところに「名勝 八幡山 犬塚池 佐礼山」と石碑が建っている。ここを登ると、ダムに沿った堰堤上の細道になる。かなり大きな池で、これだけあればずいぶん広い水田に水を流すことができるだろう。

ダムの端まで進むと集落から通じてきたさきほどの道と合流し、山の中に入って行く。遍路シールがないので心細いが、丁石がときどき現われ、ここが古い遍路道であることを示している。しばらく歩いて車道に出て、ここから上は車道歩きとなる。

「ここは私道であり、道路保全のため協力金をいただきます。納経所にお支払いください」と料金表が書かているが、幸い歩行者は無料のようである。バス遍路からはいくらでも取ればいいと思うが、お寺にとってみればバスや車の参拝客が大多数であり、貴重な収益源でもあるだろうからそうそう無理な価格設定もできないだろう。


栄福寺から山道を登ると、アースダムの犬塚池に達する。後方が佐礼山で、宿坊の窓からこの池が見える。


山道には遍路シールは少なく、昔ながらの丁石が目印となる。


再び車道となり、栄福寺から1時間少しで仙遊寺仁王門に達する。

 

佐礼山仙遊寺(されいさん・せんゆうじ)、道指南では単に「佐礼山」である。

例の五来重氏はもともと「泉涌寺」であったと推測しているし、実際に急傾斜の参道には「お大師様お加持水」もあるのだが、実際に佐礼山に来てみると、山上から瀬戸内海への雄大な景色が印象的である。寺を作ったとされる阿坊仙人が雲と遊ぶようだったという伝説の方がしっくりくる。

天智天皇の勅願という寺伝と実際に資金提供したのが越智氏であったことを考えあわせると、もともと白村江直後の海防の必要性から開かれた山というのはありそうなことである。

だが、実際に唐が攻めてくることはなく、壬申の乱で非天智系の大海人皇子(天武天皇)が政権を取ったこともあって、唐との関係は改善に向かった。それにより、防衛拠点としての作礼山は、従来どおり海上安全の神に戻った。あわせて、山岳宗教の拠点となったのである。

八幡宮を出てから1時間弱、午後2時前に仙遊寺の仁王門に到着。門の前は広くなっていて、その一角に東屋が置かれている。水も自販機もトイレもない。とりあえず、リュックを下してひと休みする。ここから境内本堂エリアまで、評判の急傾斜が待っている。

仁王門で、参道は車道と歩道に分かれる。車道は仁王門をくぐらずに、そのまま山腹を右に登って行くが、歩道は谷に沿って直登する。傾斜も、車道よりずっときつい。仁王門のところに、「本堂まで徒歩20分」と書かれているし、さまざまなWEBで難所とされているところだ。

だが、足下はコンクリートの階段が続いていて、手すりもある。多くの参拝客は車で本堂まで登ってしまうので、混みあうこともない。そして、ゆっくり登っても15分もかからないで本堂レベルに達することができる。それほど心配することはない。

とはいえ、同宿した人の誰かは、しんどいから帰りは車道を下ると話していたので、感じ方には個人差があるのかもしれない。もちろん、どの程度歩いてここまで来たかによるだろう。私の場合は今治市内発なので、この日のスケジュールが楽だった。

参道から境内に上がると、本堂の向かい側にある鐘楼のあたりに出る。午後2時40分到着。仁王門の東屋で休んだので、実質1時間半。見込んだとおりの時間で、遍路地図にある40分というのは、ちょっと無理である。

ずいぶん上まで登ったように感じたし、実際に標高255mの高さがあるので佐礼山の頂上(281m)近くにあるのだが、境内は広く、狭い場所にひしめき合っているという感じはない。霊場記の挿絵をみても頂上から少し低くなったところに神社と本堂、庵があるので、江戸時代からこの場所にあるのだろう。

霊場記挿絵によると、佐礼山本堂と仙遊寺の場所は離れていて、仙遊寺は国分寺への分岐あたりに描かれている。このことから、かつての仙遊寺は現在より下の位置にあり、佐礼山の別当寺であったものと思われる。

大師堂の隣に昭和に建てられたと思しき古い住宅がある。かつての庫裏かもしれない。古い住宅の隣が大師堂、さらに奥が本堂で、本堂の向こうに宿坊と駐車場がある。まず手水場を使わせていただき、本堂、大師堂の順にお参りする。翌朝にお勤めがあるので、またゆっくりお参りできる。

納経所は、本堂の中である。副住職にご朱印をいただいた。

「これから次も回られますか」

「いや、今日はこちらを予約させていただいてます。もう入れるでしょうか。」

「大丈夫ですよ。入ってすぐが食堂で誰かいますから、声をかけてください」

ということで、まだ午後3時前であったが宿坊に入らせていただけた。


仁王門で車道と別れ、谷沿いの石段を登る。徒歩20分と書いてあるが、それほどはかからない。


本堂エリアに登ってきた。山の上にあるのに、かなり広い境内である。


本堂手前に大師堂。隣の古い建物はかつての庫裏か。

 

宿坊である創心舎は本堂の横の真新しい建物である。入ってすぐに食堂があり、すでにこの時間から支度している係の人がいた。私が最初かと思ったら、すでに到着した人がいて、2番目だった。

「お風呂はいま用意していますので、後ほど声をおかけします。お茶とコーヒーはこちらに用意していますので、ご自由にお飲みください。夕食は6時からです。明日朝のお勤めは、夕食の時にお寺から説明があります」

見たところ、お茶の用意はあるが自販機はなく、好きな飲み物を買って飲むという訳にはいかないようだ。もしや、酒・ビールもないかもしれないと心配になったが、後からコインランドリーに行くと横にビールのケースがあったのでちょっと安心する。結局、非常食等は補充できなかったが、出されたものを食べていれば特に不便はない。

宿泊室は2階。階段を上がってすぐ大広間で、サンドバックが置かれていた(翌朝のご住職の話からすると、空手教室で使っていたらしい)。広くとられた窓からは翌日に下りる今治市東部の眺めが広がり、もちろん瀬戸内海の島々も一望できる。

霊場記が「逸景いづれの処より飛び来る。ただ画図に対する如しとなり 」と述べている、まさにそのとおりの絶景であった。

案内された部屋は6畳くらいの板張りの部屋で、畳ベッドが置かれていた。奥にユニットのバス・トイレが付いており、こちらも使っていいとのことであった。部屋の窓からは、さきほどの大広間とは角度が異なり、木の枝の間から今日登ってきた犬塚池・八幡宮の方向が見えた。

コインランドリーの洗濯機はいま風ではなく旧式の輸入品で、最近では函館市内の富岡温泉近くで使ったのと同じ型であった。洗濯機に入れてすぐにお風呂の用意ができたとの連絡があり、私の前に来ていたと思われる佐渡からのお客さんと一緒だった。

翌日のご住職のお話によると、弘法大師ではなく私が掘った温泉だということであったが、県の調査した泉質表も貼られているちゃんとした温泉である(アルカリ性単純泉だったと思う)。湧出温度は10℃ほどなので鉱泉ではあるが、肌にすべすべして心地がいい。

お湯に漬かりながら、「ご住職のお話は長いらしいですよ」とか「ここの精進料理は本当に精進料理だ」とかお話しする。考えてみれば、お遍路さんと話をするのは前年の浄瑠璃寺、長珍屋以来のことであった。

部屋に戻り、洗濯物を乾燥機に移して少しうとうとする。乾燥機の方はいま風で、100円12分の時間制である。ホテルの乾燥機だと200円で60分使うとふわふわに仕上がるのだが、200円分だけ使ってあとは部屋干しする。幸い、速乾白衣はこの時間でも乾くし、CW-Xやウーロンのアンダーウェアは脱水だけで乾燥機にはかけない。

午後6時、夕食の時間となった。赤いお膳に、玄米ご飯、お吸い物、野菜天ぷら、野菜の煮物、高野豆腐、切干大根といったすべて野菜の精進料理である。ビールもお願いできたので、ひとまず安心。前日のカップラーメンに比べれば、ボリュームも十分だし何も言うことはない。

ただ、十年前に高野山に泊まった時の精進料理と比べると、少しだけボリュームが足りないような印象があった。とはいえ値段も違うので贅沢は言えないし、一日歩いてきたのでそう思うのかもしれない。こちら仙遊寺は1泊2食6,000円と信じられないくらいの格安なのである。

こちらの宿には食堂以外の場所にTVがなく、wifiが通じるのも食堂近辺に限られる。とはいえ、この山の上でネットが通じるだけでもありがたいことである。部屋にTVがあったとしても見ないし。

歯を磨いて翌日歩く場所を下調べして、午後8時には寝てしまった。この日の歩数は19,944歩、GPSによる移動距離は10.2kmとたいへんのんびりした一日でした。


宿坊・創心舎。本堂とは棟続きで雨に濡れずにお勤めすることができる。


宿坊展望室からの眺め。今治市街・瀬戸内海を一望することができる。


仙遊寺宿坊の精進料理。禁アルコールかとひやひやしましたが、ビールを飲むことができました。

 

翌朝6時からは、朝のお勤めである。WEB等の情報では、ご住職のありがたいお話が大変に長いと評判である。

前日の風呂で一緒になった佐渡の方とも、「長いといっても30分くらいでしょう」「いや、もっと長いという話ですよ」などと話題になっていたのだ。白衣に着替えて本堂に入ると、まだ10分前なのにすでにご住職は袈裟を着て待機されていた。

午前6時になって泊り客全員が揃うと、住職と副住職が朗々とお経をあげはじめ、一段落したところで端から焼香を勧められる。ご本尊の前に遺影と位牌が置かれていたので、檀家のお葬式か法事があったのかと思っていたら、数年前に亡くなった奥様のものだと後ほど話に出てきた。

鯖大師のように護摩を焚く訳ではないので、お勤めの時間はそれほど長くはない。だが、ご住職が話し始めてからがやっぱり長かった。長いと知っていたから私はそれほど驚かなかったが、予備知識がない人は面食らったに違いない。お寺でよく使う低い椅子に座っているので、足が痺れるということはない。

まず、集まった泊り客(この日は9名であった)に、順にどこから来たか、歩きか車かを訪ねてそれぞれご住職がコメントする。印象に残ったのは、息子(30代?)が通し打ちをしていて、様子を見に来た父親とこの寺で落ち合ったという親子がいたことであった。「親子というものは、大切なものだ」というコメントがついた。

その後、泊り客の話と関連するようなしないような話があり、その後はご住職の身の上話が延々と続いた。法話はどうしたんだと思わないでもなかったが、結構おもしろく聴かせていただいた。大筋、以下のようなお話である。

—————————————————

○ 私がこの寺に来て40年になる。出身は名古屋、もともとは在家であった。家内は岡山で、家内の兄貴が大学の先輩である。(すると、ここのお寺の代々のご住職ではないのだろうか)

○ 子供は5人いて、副住職は婿養子である(男の子はお寺を継がなかったのだろうか)。副住職からは、「当山復興一世」と呼ばれている。50代の時に借金をして寺の施設を新築した(前日泊まった宿坊のこと)。お風呂は天然温泉で、これも私が掘った。あと何年か経つと弘法大師様が掘ったことになるかもしれない。

○ 現在68歳になる。肺ガンのステージ4で胸のあたりにはいつも違和感があるが、こんなものだとあきらめている。家内は、私より後に肺ガンが見つかったのに、先に死んでしまった。

○ 先日、7mの高さから落ちて背骨を何ヵ所か折ってしまった。落ちたすぐ横が大きな岩で、そこにぶつかっていたら死んでいただろう。リハビリして歩けるようになったが、教えていた空手道場はいまはやっていない。

○ 田畑が3町歩あり、夕食にお出しした玄米は自家製である。このあたりは動物が多く、動物除けのワナに鹿とか猪がよくかかっている。坊主が狩猟免許というのはおかしいかもしれないが、人間は命をいただかなければ生きていけない。鹿肉はおいしいけれども、みなさんには精進料理を出している。

○ 家内が亡くなって7年ほど経つ。いまは娘が身の回りのことをしてくれるけれど、食事にせよ何にせよ家内のようにはいかない。今思うと大変ありがたいことであった。みなさんも、生きている間に、もっと「ありがとう」を言った方がいい。

○ 四国遍路の世界遺産運動は私が始めた。私も若い頃歩き遍路をしたことがあるが、まだ途中で止まっている。野宿をしていたが、多くのお遍路はちゃんとした宿に泊まっているので、海外旅行以上に費用がかかる。

○ 寺のご本尊は千手観音菩薩。京都の清水寺にも立派なものがあるが、私はこのご本尊の方が素晴らしいと思う。せっかくなので、よく見て行っていただきたい。写真撮影してもいいですよ。

○ 今治市は最近知名度が全国区になったが(注.加計学園の獣医学部新設問題)、市長が全く経緯を知らなかったなどということはありえない。政治家なので知らないと言わなくてはならないのかもしれないけれど、こんなことをしていては常識を疑われるだろう。

——————————————————-

などなど、ご住職のお話は尽きることなく続いた。思ったのは、体調がすぐれなくてこれだけ話せるということは、体調がよかったらどれだけ続くんだろうということである。それとも、奥様を亡くされてこうして朝のお勤めで話す以外はあまり口を動かすこともないのかもしれない。

本堂から退出するとすでに時計は7時10分を示しており、1時間を優に超える長いお話であった。朝のメニューは玄米で炊いた朝粥。副食には梅干し・たくあんとひじき、それにゆで卵を切ったものが付けられていた。誰かが、「精進料理なのに卵がある」と言ったけれど、さすがに鹿も猪も付いていなかった。

[ 行 程 ]
栄福寺・石清水八幡 13:00 →
[1.7km] 14:10 仙遊寺仁王門 14:20 →
[0.8km] 14:35 仙遊寺(泊) 8:10

[Mar 9, 2019]


宿坊から見た本堂。塀の向こうが廊下になっていて、ガラス戸を開けて入る。


ご本尊の前で朝のお勤め。ご住職いわく「清水寺の千手観音よりうちの方がいい」


噂通りの長いお話の後、朝食は玄米の朝粥。