081 御殿山・大日山 [Jan 8, 2019]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

前回は嵯峨山を歩いたのだけれど、道なき道にちょっとめげてしまった。房総の山らしいといえばらしいのだが、平らに足を置けない道はあまり楽しくない。どこかいい山はないかと思って探していたところ、御殿山がちゃんと整備されているようだった。

御殿山は伊予ヶ岳のさらに南にある。高さは363mでさほどでもないが、房総としては高い部類に入る。南房総市のホームページにハイキングコースとして掲載されているし、ネタ本である「房総のやまあるき」にも掲載されている。

予定より30分遅れて、高照禅寺駐車場に着いた。なぜか駐車場がほぼ一杯で、大型ダンプから重機を下ろしている最中だった。作業半径に近づかないように遠くに車を止める。駐車場は広くトイレもあるのだが、隣の敷地との区別がよく分からない。幼稚園バスも止まっていたので、大丈夫な場所ではあるのだろう。

支度をして出発したのは8時20分。県道を横切って登山道に向かうと、まさにそこまでの橋の工事が始まるところだった。「いいですか?」とお伺いすると、「車じゃなければいいですよ。帰りも声かけてもらえれば」ということだった。

初めは舗装道路、やがて簡易舗装、遂には登山道という順序は、房総ではよくあるパターンである。ずいぶん傾斜がきつく、みるみる高度を上げる。写真を撮りながら歩いていると、後ろから来た人(私と同様のシニア)に抜かれた。

登山道に入っても、道はしっかりしているし、ところどころ擬木とチェーンで路肩を区切ってある。遊歩道の案内看板もあったので、きちんと予算をつけて整備しているものと思われた。ありがたいことである。とはいえ、傾斜はたいへん急だ。何ヵ月か前に登った四国の捨身ヶ嶽の急坂を思い出した。

30分ほど登ると、「大黒様」と書かれた高台に到着する。麓の方を見つめて微笑む石造りの大黒様は、まさに打ち出の小槌を振り下ろさんという雰囲気である。足下からは麓の村々の景色が広がり、なんとも雄大である。

横に立てられた看板にこの大黒様の由来が書かれている。もともと麓の集落にあったものだそうだが、「縁起をかつぐというくらいだから、大黒様もかついで山の上にいた方が気持ちがよかろう」という訳で、集落を望むこの高台に移されたそうである。この高台の標高は240mくらいで、麓との標高差は150mほどになる。ちょうど新宿新都心のビルくらいであろうか。

ここで、先ほど抜かれた人と「いい景色ですね」と話をした。「千葉の山はあまり来なかったけれど、高さはないけれどたいへん景色がいい」と言っていたから、県外から来たのかもしれない。ずいぶん早起きしないとこの時間には登れないだろう。

大黒様を過ぎると、わずかの間なだらかな稜線となるが、房総だからそれも長くは続かない。まず御殿山への登りである。ただ、大黒様までかなり登ってきているので、それほど長くはない。15分ほどで御殿山頂上に到着した。

御殿山は、三角点のある山頂がまずあって、一段下が広くなってそこに東屋が建てられている。山頂には石の祠と三角点がある。三角点の近くに房総でよく見る「房州低名山」の立て札があるのだが、誰かが「低」の字を消して読めないようにしている。

なぜこういうことをするのだろう。「房州低名山」は安房地域の地方紙・房日新聞の企画で、「百名山」に掛けて「ひくめいざん」と読む。房日新聞は地元密着した記事が多く、山の記事も充実しておりWEB検索でよく見つかる。「低名山」とするところに面白さがあるし、だいいち人の作ったものを傷つけるというのはどういう神経だろう。

「低」は余計で「房州名山」でいいではないかというつもりなのだろうが、だったら気の済むように自分で作って立てて歩けばいい。その看板が汚されたり壊されたりすれば、作った人の気持ちが分かるだろう。

こういう人間はきっと、「低」と言われると自分のことを言われているようで腹立たしいのだと思う。嘆かわしいことだ。せっかくの看板を汚すことで、他の人が不愉快な気持ちになることは勘定に入らないらしい。考え足らずとしか言いようがない。


高照禅寺駐車場から30分ほど登ると、大黒様の高台に出る。昔、麓の住民達が地域の守り神としてここまで担ぎ上げたものという。


大黒様の前には、麓の集落の眺めが雄大に広がる。胸のすくような風景である。


さらに15分ほどで御殿山頂上に着く。房総の山々にある「房州低名山」の看板の「低」の字を消している考えの足りない者がいる。

 

御殿山頂上の三角点のすぐ下に東屋があり、ちょうど景色を望める方向に向けて作り付けのベンチが置かれている。前の人は先に行ったようで私ひとりである。腰を下ろすと、目の前に絶景が広がっていた。

低い稜線をひとつ挟んで、向こうに見えるのは伊予ヶ岳である。伊予ヶ岳の標高が336m、御殿山が363mだから、こちらの方が30mほど高い。左に津辺野山、さらに富山と続き、その向こうには東京湾が広かっている。雲の上から、富士山も見えた。

わずかに雲はあるが申し分ない天気で、風も全くなく日差しがぽかぽかと暖かい。こんな景色のいいところで、こんないい天気に恵まれることなどめったにない。リュックからテルモスを出し、カロリーメイトと白湯でティータイム。何とも言えないいい気持ちだ。

(ちなみに、登った次の日から寒気が下りてきて、気温も下がり北風が吹く寒い日が続いた。こういうグッドタイミングで山に行けるのも、リタイアしたおかげである。)

しばらくのんびりした後、稜線を先に進む。御殿山への登山道はいま登ってきた高照禅寺ルートの他、東から登るルートがいくつかあるが、そのうちの一つがトラロープで通せんぼされて「この先、土砂崩れにより通れません」と書いてあった。

さて、御殿山から大日山に至る稜線には国土電子データでみると3、4ヵ所の小さなピークがあり、房総ならではのアップダウンのある尾根歩きになりそうだ。それは予想していたのだが、予想に違わない急傾斜であった。

まず御殿山からの下りが逆落としのような急坂で、やっと平坦になったかと思うと、今度は急坂の登りとなる。20分ほどで着いたピークには、古いベンチと行き先標示だけで、山名を示すものがない。周囲を見回すと、右少し先に自然石の石碑があり、そこに例の「房州低名山」の小さな立て札があった。ここが鷹取山である。

この鷹取山、標高は364mで御殿山より高いのだが、周囲を木々に覆われていて暗く、見通しもほとんどきかない。いつからあるのか、錆びて朽ち果てたミルク缶がある。来る途中にあった「酪農発祥の地」と何か関係あるのだろうか。ここは休まず先に進む。

再び急傾斜の坂道になるが、幸いにハイキングコースとしての整備は行われていて擬木で階段状になっており、嵯峨山のようではない。「房総のやまあるき」の内田栄一氏の別の本「房総山岳志」には、「鷹取山から大日山まではヤブがひどい」と書かれているのだが、2019年冬現在そういうことはない。

二つ目の急坂を登って行くと西側で崩落防止工事をしてあり、山中には不似合いなカラーフェンスが登場する。フェンスの間から覗くと、向こう側には民家も田畑もないのに斜面をモルタルで土留めしてあって、よくこんな山奥を工事したものだと思った。伊予ヶ岳山頂近くもそうだったが、われわれには山奥でも地元にとっては崩落したら影響が大きい土地なのだろう。

この土留め工事のあたりが2つ目のピークで、ここから先それほどの急傾斜はない。淡々と続く山道を進むと途中で分岐があり、「大日山→」のカードにしたがって右に進む。その先のピークが宝篋印塔山であった。

宝篋印塔山は本によって「宝篋山」「法経山」「宝篋塔山」などとも書かれているが、もともと1/25000図にも記載されていないピークであり、山頂に置かれた宝篋印塔にちなんでそう呼ばれていたようだ。地元の看板にも「宝篋印塔」とのみ書かれている。

思うに、そもそも場所を示す言葉として「宝篋印塔」と呼ばれていて、後にピークを表わす言葉として使われる際に、山なのだから「宝篋印塔山」と呼ぶようになったものと思われる。ただし、南房総市のHPに書いてある宝篋印塔山の位置は全くずれていて、実際は大日山のすぐ近くにある。

山頂には、手書きの山名標「宝篋山」と、山名のもととなった石造りの宝篋印塔が置かれている。宝篋印塔には宝篋印陀羅尼経の梵字が刻まれていたということだが、長い年月で摩耗してしまい読むことはできない。

その宝篋印塔のすぐ後ろに、この山の謂れについて書かれた古い看板がある。近くで見てみたのだけれど、字そのものが薄くなっていることに加えて、看板が汚れてしまい読むのが困難である。「昭和三十何年に県の教育委員会が調査した際、顧問である誰某がどうこうした」というようなことが書かれていた。

看板を立てても半世紀すればほとんど読むことはできないし、石に刻んだとしても長い年月の間には摩耗する。私がこうして書いた文章はデジタルデータとして残るかもしれないが、電気がなければ復元して読むことはできない。後の世に何かを残そうとするのは、なかなか難しいことのようである。


御殿山頂上からの眺めもまた雄大だ。富山、津辺野山、伊予ヶ岳と並んだその向こうに東京湾、さらには富士山も望むことができる。


房総の尾根歩きは、なだらかな稜線は決して長く続かない。強烈なアップダウンが2度3度と続いて足腰に響く。


宝篋印塔山は呼び名が統一されておらず「宝篋山」「宝篋塔山」などとも書かれている。おそらく地元看板にあった「宝篋印塔」がもそもの呼び名だろう。

 

宝篋印塔山からは10分ほどで大日山となる。ほとんど登り下りすることなく擬木の囲いが見え、その向こうから石を積んだ祠が現われる。宝篋印塔山と大日山の間の鞍部に、第二次大戦中にこの山に墜落した館山航空隊兵士の慰霊碑があるということだが、残念ながら通り過ぎてしまった。

擬木の囲いは比較的新しいので、この山頂もハイキングコースとして整備したのだろうが、残念ながらベンチは朽ち果てており、腰を下ろす場所はない。けれども景色はすばらしく、西側に東京湾と、南側に館山の先、洲崎あたりの海岸線を望むことができる。ここにもパノラマ図があって、条件がよければ大島はもちろん、三宅島まで見えるということである。

大日山という名前から想像つくように、古くから大日如来が祀られてきた山である。登山道を少し下ったところに増間寺とも閻魔寺とも呼ばれる廃寺があるので、あるいはその関連かもしれない。

その廃寺があったのは奈良・平安時代で、もう千年昔のことである。森の中に瓦などが遺されており、古くから言い伝えられてきた。近年調査も行われたものの、確かなことは分からない。すぐ近くの館山には安房国分寺があったから、この大日山付近も奥ノ院として修行の場であった可能性がある。

登り始めてすぐシニア単独行に抜かれたが、鷹取山あたりでもう一人シニアの人とすれ違い、大日山の頂上直下ではおかあさん二人子供二人とすれ違った。平日の昼間にこれだけの人とすれ違ったり抜かれたりするとは予想外で、よく歩かれているコースのようだ。

さて、実はこの日、8時には出発して12時に下山、バスで駐車場近くまで移動するという計画を立てていた。ところが、駐車場に着くのが予定より30分ほど遅れてしまい、歩き始めたのが8時20分になってしまった。

なぜ遅れたかというと、高速料金節約のため、鋸南富山ICが最寄りであるところ、姉崎袖ヶ浦ICで下りて一般道を南下したからである。ロマンの森から君鴨トンネルを抜ける道は何度も通ったおなじみの道なのに、久留里街道を行き過ぎて1車線国道に入ってしまった。さらに、長狭街道を過ぎると410号線は曲がりくねって早く走れず、結局30分ほど余計にかかったのである。

大日山を下り始めたのは午前11時、もうこの時点ではあきらめていたのでゆっくり歩いた。幸い、下山口までは整備されたハイキングコースで、個人的に呼ぶところの高速登山道・東海自然歩道と変わらなかった。何度も言うけれども、嵯峨山とはかなり違う。

下山口の県道分岐まで30分ほど、そこから舗装された県道をのんびり歩く。バス停のある滝田郵便局に着いたのは12時20分、まさに出遅れた20分だけバスの時間に間に合わなかった。

県道を伊予ヶ岳に向かって北上し、30分ほど歩くとお堂のある犬掛というところに着く。このあたりは、八犬伝の里見氏ゆかりの土地らしい。ここまで来ればもうすぐ駐車場だろうと思ってGPSを見ると、どう控えめに見てもあと5kmはある。

5kmだと、少なくとも1時間かかる。もう午後1時だから、車に戻れるのは2時である。途端に、登山靴の重さが気になりだした。お遍路で5kmなら気にするほどでもないが、ウォーキングシューズと登山靴では重さが違うし疲れも違う。

そこから先、国保病院前を通り、伊予ヶ岳駐車場前を通り、バスで来れるはずだった平群車庫バス停を過ぎてもまだ高照禅寺には着かない。結局戻れたのは、2時10分過ぎ。大日山から約3時間ノンストップで歩いたのだった。

帰ってからGPSを確認したところ、出発してから大日山下山口まで歩いた距離は5.5kmなのに、そこから駐車場に戻るまで12km歩いていた。12kmだったら3時間かかっても無理はない。

大日山から御殿山経由で来た道を戻っても同じくらい時間がかかっただろうし、コースの大部分が展望のない道だったので下を歩いた方が景色はよかったけれども、それにしても疲れた。

予定では日帰り温泉に寄るつもりだったが、車の中で着替えてそのまま家路を急いだ。帰りもまた細い道に入ってしまい、3時間かかって家に着いた。夕飯を食べてお風呂に入って、午後7時半にはもう布団に入ってしまった。景色はよかったけれども、たいへん疲れた1日だった。

この日の経過
高照禅寺駐車場(90) 8:20
9:00 大黒様(250) 9:05
9:20 御殿山(363) 9:40
10:05 鷹取山(364) 10:05
10:40 宝篋印塔山(337) 10:40
10:50 大日山(333) 11:00
11:30 登山道・県道分岐(100) 11:30
12:20 滝田郵便局(33) 12:20
14:10 高照禅寺駐車場
[GPS測定距離 17.5km]

[Mar 25, 2019]


大日山は麓の人々が大日如来をお祀りしてきた山という。現在は「大日如来」と記された石碑が残る。


大日山から下ってきたところ。コースは整備されているが、落ち葉や枯草が積み重なってしまっている。


下山口からは延々と舗装道路を歩く。バスの時間に間に合わず、3時間近く歩いて膝ががくがくした。