590 五十九番国分寺 [Mar 15, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

午前8時には宿坊を出ることができた。本堂でもう一度「ごびんずる様」に挨拶して出発する。登りでは長く感じた谷沿いの参道も、下る時はあっという間に仁王門が見えてきた。気になっていた復興記念碑を改めてよく見る。

昭和30年の建立となっている。仙遊寺のパンフレットによれば、昭和22年の山火事で全山が焼失し、本堂が再建されたのが昭和28年という。そう言われると、大師堂の隣に建っていた古い建物もそのくらいのように思われる。おそらく本堂に続いて、大師堂と庫裏が建てられたのだろう。

いずれにしても、ご住職がこの山に入ったのが40年前というから1970年代、つまり昭和50年以降のことだから、全焼した伽藍を再建した時とは時代が違う。当時のご住職とはどういう関係なのか、気になるところである。

さて、復興記念碑の向かい側、車道から分かれて右側に国分寺への登山道入口があり、「四国のみち」と書いてある。南光坊や泰山寺、八幡宮では四国のみち標識に気がつかなかったな、と帰ってから調べてみると、四国のみちは今治市街は通らず、山の方から仙遊寺に出て国分寺に向かうのであった。

この国分寺への下り坂、逆打ちでは大変と思ってしまうくらいきつい山道だった。登りは犬塚池のあたりだけ山道であとは舗装道路だったのだが、下りは延々と山道が続く。四国のみちなので擬木などで整備してあるものの、荷物を持って登るのは大変そうである。

30分ほど山道を下って、突然という感じで人里に出た。ここまで森の中、家もなければ田畑もないという景色だったのが、右左に民家が続く集落である。しかし、商店もなければ自販機もない。ずいぶん大きなお寺と墓地の横を通る。吉祥禅寺と書いてある。大きな通りを渡って、郊外の住宅地になる。ようやく自販機が登場して一息つく。

結局、下りで初めて現れた商店は、1時間近く歩いた国道196号沿いのコンビニだった。逆打ちの場合は、ここが最後の補給基地になる。だが、今回は順打ちだしこの日が区切り打ち最終日なので、特に補充するものはない。

振り返ると佐礼山が見え、その頂上近くに仙遊寺の建物が見えた。前日に宿坊から見えた絶景は、このあたりを見下ろしたものであった。下りでは1時間で下りて来られたが、登りは倍近くかかるだろう。

コンビニから先は徐々に建て込んだ住宅街となり、遍路シールに沿って進む。JRの線路近くの道は狭く、斜めに伸びる分岐も多いのでどちらが正規ルートだか分からない。電柱の遍路シールと遍路地図を確認しながら行き先を確かめていると、自転車で通りかかったおばさんが「ご接待」と手袋をくれた。なぜ手袋なんだろうと思いつつ、お礼を言って受け取る。

線路を渡って国分寺まですぐと思っていたのだが、結構距離がある。道幅が狭くて車に気を遣うのと、下りから平坦になって推進力が弱まったためかもしれない。郵便局に寄って財布の中身を補充する。ここから先、午後は電車と飛行機に乗り継ぐ。歩くばかりでないのでおカネがかかるのだ。

ようやく国分寺が見えてきた。午前10時ちょうどに到着、下りの6.1kmに2時間かかった。


復興記念碑前から、車道と分かれて登山道に入る。


仙遊寺からの下り坂は、登り以上にハードだ。しばらく登山道が続き、突然村里に出る。


麓まで下りて仙遊寺を振り返る。右の山が佐礼山で、頂上近くに小さく仙遊寺が見えている。

 

金光山国分寺(こんこうさん・こくぶんじ)。聖武天皇によって各国に置かれた国分寺の一つである。伊予の国府と国分寺はここに置かれたので、古代は松山ではなく今治が政治経済の中心であったことが分かる。しかし、藤原純友の乱に始まり戦国時代までの度重なる戦乱により荒廃し、「今は茅葺きの小さな堂となっている。衰えぶりに心が痛む」と霊場記に書かれている。

今治の札所はお寺のある山をそのまま山号としているところが多いが、ここ国分寺は周囲が平地である。江戸時代にはすでに金光山という山号であったと霊場記にあるので、もちろん金光教より古い。ご本尊である薬師如来の瑠璃光浄土から名付けたものだろうか。

石段を数段登って本堂エリアに達する。それほど大きな境内ではないのは、かつて荒廃していたものを近年になって再興したからと思われる。本堂と大師堂が棟続きになっており、建物自体それほど古いものではない。天平時代の国分寺は現在より150mほど東にあり、高さ70mの七重塔があったとされる。現存していればもちろん国宝級である。

考えてみれば、札所は寺であるから塔があって不思議ではないのに(塔はもともとお釈迦様のお骨を納めたもので、本来の寺は金堂・塔・回廊がセットである)、これまで回った中では五台山とか石手寺くらいで、他は多宝塔か石積みの十三重塔があるくらいで、意外と少ない。真言密教ではあまり重視されないのかもしれない。

そして、国分寺の創立は弘法大師が生まれるよりずっと昔なのだが、境内入ってすぐの場所に弘法大師の石像がある。「握手弘法大師」と書いてある。握手してくださいという意味なのか、右手を差出し握手の形をしている。もちろん、現代に作られたものであろう。海外からの参拝客を意識しているのだろうか。

このあたりの地名は国分というので、かつて周辺一帯は国分寺の敷地だったのだろう。少なくとも、国分寺を中心に開かれた土地であったことは間違いない。そして、このあたりの律令時代の郡名は越智郡である。越智氏・河野氏の越智である。この周辺から越智氏が勢力を広げ、伊予が開かれたのはここからである可能性は高いのである。

奈良時代に国家仏教が隆盛し、全国統一したばかりの大和朝廷の後ろ盾のもと、全国に国分寺が開かれた。しかし、律令国家から藤原摂関政治に移る過程で国家財政は破綻し、国分寺の多くは衰退した。越智氏の勢力も同時に衰え、それが上向くのは源氏の世になってからである。

八十八ヶ所の原型が整ったのは鎌倉末から室町期と考えられるが、それからすぐに戦国時代となり、札所の多くは兵火に焼かれることとなった。それらが復興したのは江戸時代になってからであり、札所のいくつかは日本中にある本山・末寺よりもさらに新しく整備されたものである。

そう考えると、伊予国分寺がかつて広大な寺領を有し栄えた山であったことを示すのは、現代まで残っている地名だけといえなくもない。少なくとも握手大師は、その発想を非難するものではないが、霊場にふさわしいものとはいいにくい。

現在はたいへんコンパクトになった国分寺の境内で、リュックを下ろしベンチに腰かけて、ゆっくりしながら今後の方針を再検討する。帰りのエアの時間を考えると、14時30分壬生川(にゅうがわ)発の特急で松山に向かうことが望ましい。計画では、番外霊場の世田薬師、臼井御来迎、日切大師といった旧跡を経由して壬生川に向かうことを考えていたが、残り時間はあと4時間しかない。

遍路地図にはJR壬生川駅までの経路が載っていないのだが、壬生川には出張で何度か来ていて、土地勘はある。直行すれば大体12km、寄り道して2~3kmプラスといったあたりかと思われた。お昼を食べる時間も考えると、あまり余裕がない。

幸い、この日も風がなく穏やかな日で、前日までと違い雲が広がっているのでそれほど暑くはない。寄り道するかどうかは後から考えるとして、ひとまず壬生川近くまで行こうと腰を上げる。なぜか足が進まないのは下りから平地になったからだと思っていたが、後から考えると「朝粥」の影響でHPが不足していたのであった。


国分寺の本堂(左)と大師堂(右)は棟続きになっている。


現在の国分寺は高台にあり、このあたりの地名・国分からすると周囲一帯はすべて国分寺の境内であったと思われる。後姿の握手大師。

 

国分寺を出て、左に向かう。しばらくは街道沿いに点々と田畑と人家が続く風景で、やがて住宅街に入る。JRの駅でいうと伊予桜井が近いようで、そう案内看板に書いてある。

このあたりは国道196号から離れた道なので、道幅が狭く一車線しかないところが多い。桜井小学校の横を抜ける。「あいさつでみんなに元気パワーアップ」の標語が掲げられている横を、車がスピードを落とさずに通り抜けて行く。お遍路はともかく、学校の近くなので気を使っていただきたいところだ。

倉庫や事務所が多くなると、国道との合流が近い。片側一車線で歩道もある道路に出たので安心して歩くことができるが、まっすぐ伸びた道は距離が長く感じる。このあたりではパワーが足りないなあと感じていた。国分寺を出たのが10時半、もう11時を過ぎている。

朝粥は大きな汁椀に一杯いただいたので、その場では満腹しておかわりする必要は感じなかった。しかしこの状況をみると、いろいろなWEBで仙遊寺の次の日はガス欠に注意せよと書いてあるにもかかわらず、どうやら軽視しすぎたようである。遍路宿の朝食はたいていボリュームたっぷりなのは、伊達ではないのであった。

国道に合流して歩道を歩くのだが、車がすぐ横を通らなくなったのになかなか足が進まない。高速まで1kmか2kmの距離を歩くのに四苦八苦し、残り数百mの道の駅に全然着かない。ようやく高速道の分岐を過ぎ、道の駅・今治湯ノ浦が見えた時にはほっとした。

疲れていたせいか、ここで大きなミスをしてしまう。食券販売機を見て、「海の丼1000円」とあり、海鮮丼だと早合点してこれを選ぶ。厨房に食券を出し、トイレに行って帰ってくるまでの2、3分でもうできていた。早く食べられて何よりと思いつつ、一抹の不安が浮かぶ。トレイを持って席に着き、丼のフタを開けて愕然とした。

なんと、ご飯にアジの刺身が5切れほど乗った上に、生卵をかけているのである。早いはずである。前にも書いたことがあるが、私は生卵は食べられない。山小屋などで出ると、わざわざ返しに行くくらいである。どうしよう。ただでさえエネルギーが不足している時にこれでは。

子供用に小分けする小皿とスプーンがあったので、生卵をどけようとするが、こういう時に限ってうまくいかず、黄身がつぶれてしまう。白身はご飯にしみてしまって一体化している。泣きそうになった。アジの刺身にわさびと醤油をたっぷりかけて、生卵のない部分のご飯を食べる。おまけに貝の味噌汁はたいへん不味い。

半分というよりも3分の2以上残して返す。ソフトクリームは食堂でやっておらず売店まで行けと言われる。ミックスソフトを頼んで出て来るまでの間に、「大三島レモンソースのソフトクリーム」というたいへん魅力的なものがあるのを見つけ、こっちにするんだったと肩を落とす。どうやらこの道の駅は私とは相性がたいへん悪いようである。

とはいえ、半分以上残した海の丼とソフトクリームで補給した後は、相当に足が軽くなったのには自分でもびっくりした。どうやら、朝粥の影響は想像以上に大きかったようである。海の駅を出てからすぐ国道沿いに定食屋があり、そのすぐ先を折れるとうどん屋さんもあったようなので、あせって道の駅にする必要はなかったのであった。


国分寺を過ぎ伊予桜井へ。もうすぐ国道197号に合流する。近くに学校もあるので車はあんまり飛ばさないでほしい。


道の駅今治湯ノ浦。ここでのメニュー選択に大失敗。

 

道の駅を出ると、200mくらい前に親子連れのようなお遍路さんの姿が見えた。前日の仙遊寺でも親子連れがいたけれども、そちらは息子さんが社会人なので見た目では親子とは分からなかった。

この日に前を進んでいた親子連れは背丈が大分違う。信号待ちで距離が詰まってくるのだが、私と歩くペースが似ているらしくずっと等間隔で前を歩いている。気になって歩きづらい。

壬生川までの最短距離はこのまま国道196号を進むコースなのだが、このままあと1時間以上も前を歩かれるのは嫌である。遍路地図によるともうすぐ世田薬師との分岐がある。親子が国道をそのまま進んだら世田薬師へ、逆の場合はその逆にしようと決めた。分岐で、親子は国道をそのまま進んだので、世田薬師方向に右折した。

世田薬師への道は坂道を登り山の中に入って行くので、ここはもしや車道で遍路道は別にあるのかと思って一度引き返したが、よく見ると電柱に遍路シールが貼られておりここで合っているようである。再度行先変更して坂道を登って行く。

道の駅を出たのが正午前、壬生川発の特急が2時半。遍路地図には壬生川までの距離が載っていないが、おそらく8kmくらいと思われた。その8kmの中に坂道が含まれていると余計に時間がかかる。国道を進んだ方が正解だったかとちょっとあせる。

なんとか登りをクリアして、世田薬師から下り坂となった。12時30分に世田薬師通過。お城のような石垣と白壁の向こうにお堂が見え、色とりどりの幟が立てられている。時間的にお参りするのは難しくなったので、一礼して通り過ぎる。

ここから伊予三芳にかけての下り坂は景色がよかった。今治への途中にあった鎌大師からの下りによく似ていたが、鎌大師の方は急坂で足下に気を使わなければならなかったのに対し、こちらはなだらかな坂で景色を楽しみながら歩くことができた。

この先、三芳から壬生川、伊予小松にかけての一帯は標高が低いデルタ地帯で、かつては水害も多かった。「四国辺路日記」では、この地にあった一ノ宮(六十二番札所)について、「道より一町バカリ田ノ中ニ立玉ヘリ。地形余リヒキクシテ洪水ノ時悪鋪」と書いているが、現在ではもちろん治水が行き届いている。

田植え前の水田とビニールハウスの混在した田園地帯を進む。いよいよ壬生川に近づくまで、このあたりはまだ農地がほとんどである。今回の区切り打ちの最後に穏やかな場所を歩くことができたのは、親子連れが国道を行ってくれたおかげである。

2kmほど進んで住宅地に出た。まっすぐに区画整理された道の両側に、新しい住宅が並んでいる。その中で右手に、「臼井御来迎納経所 道安寺」と大きな札の掲げられたお寺が建っていた。弘法大師ゆかりの旧跡である。特急の時間が気になって、残念ながら臼井御来迎がどこにあるか分からなかった。

伊予三芳駅付近で遍路道は右に分かれ、次の札所である横峰寺に向かう。ここからJR壬生川駅までは遍路道ではないので、道案内なしである。少し不安だったが、すぐに距離表示が現れた。伊予三芳駅が1km、壬生川駅が5kmである。時刻は午後1時、ずいぶん急いで旧跡も素通りした甲斐あって、2時半の特急には間に合いそうである。


世田薬師からの坂道を下りて行く。景色はたいへんいい。


坂道を下り切って田園地帯を行く。国道を歩いたのでは、こういう雰囲気は味わえない。

 

平地の5kmで1時間半あれば、ほぼ安全圏である。あとは道間違いをしなければ大丈夫。伊予三芳駅のあたりは商店が立ち並びかつては賑わっていたと思われるが、いまではあまりひと通りがない。

駅を過ぎると再び田園地帯となる。しかし道路が新しく作られていて、遍路地図とは微妙に違う。方向を間違えないように進む。残り2km、拡張された太い道路沿いにファミリーマートを見つけたが、駅に着くまで何があるか分からないので寄らずに先に進む。

そして、実際に進んでみると、地名が壬生川になり線路を渡っても、そこに壬生川駅はない。踏切で線路を見ると近くに駅らしきものが見えないので覚悟はしていたものの、少しヒヤヒヤした。記憶では、線路に並行して進めば着くはずだ。

とはいっても、商店街が続くばかりでちっとも駅前にはならない。地名表示は「壬生川」から「三津屋」になってしまった。バス停をみると壬生川駅行になっているので行き過ぎていない。午後2時を過ぎた。向こうに見える信号がおそらく駅前通りだろうと自らを励ましながら歩くと、果たしてそうだった。

14時05分壬生川駅着。まだ20分ちょっとの余裕がある。駅のキオスクが閉店してなくなっていたが、隣のパン屋さんにイートインコーナーがある。不足していたお昼のエネルギーを補充するため、菓子パンを買って食べる。ようやく落ち着いた。

14時31分発特急しおかぜ11号は、平日の午後という時間帯にもかかわらず3~4割は席が埋まっていた。にぎやかな学生グループの声を聞きながら40分走り、松山には15時17分に着いた。

飛行機まで時間があるので、駅前の「キスケの湯」に向かう。ゲームセンターの中にあるのでどんなものかなと思ったが、650円払って入ってみるとたくさんの湯船がある本格的な日帰り入浴施設であった。この日も半日だけとはいえよく歩いたので、ゆっくりと足をもみほぐす。

この日の歩数は39,973歩、GPSによる移動距離は20.2km。距離だけからすると今治市内だけ歩いた前日より長い。この日までで終了した第8次区切り打ちの合計では、4日間で87.0km歩いた。

お風呂の後は生ビールを飲み、リムジンバスで空港に着いてさらに生ビールを飲む。空港レストランでいただいたステーキ重は、この回はじめてのお肉であった。カップヌードルですませたり宿坊で精進料理を食べたり、脂っ気が少ない4日間であった。

松山からのジェットスターは満席、スカイアクセスも第1ターミナルから乗ってきた中国人客ですでに満席だった。それでも、15分立っていると千葉ニュータウンである。帰りは成田空港に限る。

[ 行 程 ]
仙遊寺 8:10 →
[6.2km] 10:00 国分寺 10:30 →
[4.8km] 11:35 道の駅今治湯ノ浦(昼食) 11:55 →
[9.2km] 14:05 JR壬生川

[Apr 13, 2019]


午後1時で壬生川駅まで5km。ほぼ大丈夫な距離になってきた。


午後2時過ぎにJR丹生川駅に到着。ここは特急停車駅なので、次回スタートしやすい。