082 大台山・御殿山 [Jan 30, 2019]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

1月のはじめに御殿山を歩いた時、もう少しあたりを歩いてみたいと思った。第一の理由は、ずっと木々に囲まれて歩いたのでどんな場所だったのかよく分からなかったということであり、もう一つは御殿山・大日山間で、すぐ下の斜面をモルタルで土砂崩れ防止工事をしていたのが気になったからである。

ネタ本の「房総のやまあるき」の中に、「大台山から御殿山」というコースがあり、ちょうどあのモルタルピークのあたりに出るらしい。1月終わりに1日だけ春めく天気予報の日があったので、行ってみることにした。

ところが、高速に乗ると間もなく、まったく動かなくなってしまった。車載TVをつけると、個人的に「かしゆか」と呼んでいる道路交通情報センターの早乙女さんが、「京葉道路は貝塚で事故のため、下りが7km渋滞しています」と言っている。高速に乗る前に聞きたかった。

おまけに道を間違えて、天神郷の駐車場に着いたのは予定より1時間遅れた。予定では、8時前に着いて館山行のバスに乗るつもりだったのだけれど、もう9時では仕方がない。ネタ本の出発点である寝不見川(ねずみがわ)バス停まで30分の歩きである。

県道の両側には、飼料を入れるタンクがいくつか見える。たくさんの牛を飼っているところがある一方で、壊れて使っていない牛小屋の跡も見られる。このあたりは日本酪農発祥の地ということだが、時代の流れは如何ともしがたい。

来る途中で聞いたラジオのニュースで、「農水省は、酪農家の廃業が相次いでいることから、来年度のバター輸入を50%以上増やすことになりました」と言っていた。これからますます子供が少なくなる中で、あえて子供に跡を継がせる酪農家が多いはずもなく、仕方のないことなのかもしれない。

県道から東にはいくつかの峰々が見えるが、山頂近くの木が刈り取られているのが大台山である。以前はKDDの電波塔が建てられ、1/25000図にもアンテナマークが書いてあるのだが、10年ほど前に撤去されたようだ。この間登った御殿山は、そこから稜線3つくらい向こうになるはずだが、上まで行けばもう少しよく見えるだろう。

寝不見川バス停から山の方向に入る。このあたりの集落を大塚といい、ここにある神社の鳥居が房総特有と言われる笠木一本鳥居である。地面と水平なのが笠木1本だけで、その下にあるはずの「貫(ぬき)」がない。一本ないだけで鳥居のように見えないのだから面白い。

鳥居のある豊受神社の先を左折、すぐに右折して平久里川を渡る。ネタ本には、「すぐ左の旧道に入る」とあるが、残念ながらイノシシ除けの柵が張られていて入れない。やむなく、もう一つのルートである林道を進む。(ただ、この先の状況をみる限り、たとえ柵を越えて進んだとしても、旧道はほぼヤブのようである)

林道に入ると、急に傾斜がきつくなる。この日は全く車とすれ違うことはなかったが、車も通れる幅だし比較的新しい轍の跡もある。ネタ本によると、「電波塔跡は伐採木の搬出基地に使用されている」とあるので、トラックが入ることがあるのかもしれない。


県道から見た大台山。かつては山頂にKDDの電波塔が設置されていて、電子国土にもアンテナの表示がある。


麓の集落にある豊受神社。笠木一本鳥居と呼ばれる独特の様式である。


「房総のやまあるき」に掲載のルートは、イノシシ除けのため通れなくなっていました。

 

左手に稜線を見ながら1時間近く進むが、なかなか分岐が現われない。それどころか道は下りになってしまった。どこかで見逃したかと思ったが、車が上がれる道のはずだからさすがに見逃さないだろう。と思ったら、下り坂の先に鋭角に戻る道があった。

ここから先、路面は簡易舗装で石垣で土止めをしているけれども、両側から草が伸びて道幅の半分近くをふさいでいる。さらに、道はどんどん狭くなる。それでも、この道に間違いはないので進むと15分ほどでコンクリの広場に出た。結構広い。

1/25000図では残っているはずの電波塔はあとかたもなく、柵もゲートも撤去されて、見えるのはコンクリの地盤と石垣だけであった。小さめのスケートリンクほどの広さがある。

さすがに周囲は藪となっているが、コンクリの部分はそれほど傷みもなく、いまでも何かの施設を置くことは可能であろうと思われた。あるいは、定期的に人手が入っているのかもしれない。

いま入ってきた進入経路以外、麓に下りる道は見当たらない。そして、周囲を覆っている雑草の丈が高くなっているので、眼下を見下ろすような雄大な景色という訳にはいかなかった。

それでも、茶色に枯れた草越しに麓の景色を見ることができる。そして、東側を振り返るといくつかの稜線が見え、一番奥に高く続くのが御殿山、鷹取山、大日山だろうと思われた。ただ、その前方にも山があるので、伊豆ヶ岳や富山のように山容がはっきりしている訳ではない。

そして、広場の入口にあたる部分の右手、石垣で少しだけ高くなっているあたりに三角点があった。三角点の傍らに、例の房州低(ひく)名山の立札が立てられている。その山名は、大台山ではなく余蔵山である。

「房総山岳志」「房総のやまあるき」では大台山だが、千葉日報から出ている「房総丘陵ハイキング・ウォーキング・ガイド」には余蔵山となっている。山の持ち主の屋号が「余蔵」というところから付いた山名らしい。

確かに、KDDの施設があったということは、入会山ではなく誰かの持ち物であった可能性が大きい。持ち主以外の住民には「大台山」と呼ばれていたらしいので、こちらの名前がよさそうではあるが、いずれにせよ1/25000図には名前が載っていないピークであり、結論は出ない。ここではネタ本に基づき、大台山としておく。

ここでしばらく休憩するが、まだ先は長いので11時に出発する。ここから鷹取山まで1時間、御殿山を経て麓まで1時間半、さらに駐車場まで30分のコースタイムなので、休みなしで歩いても駐車場に戻るのは午後2時を回る。事故渋滞と道間違いで遅れたのは影響が大きかった。


大台山頂上に至る道。かなりさびれてきているが、これから通る平群林道支線と比べるとまともだし、人の手が入っている。


KDD電波塔跡の空き地。石垣の上、高くなっているところが大台山(余蔵山)頂上。


山名は確定しないが、ここは三角点である。そして「房総低(ひく)名山」の立札がある。

 

登ってきた分岐まで10分ほどで戻り、先に進む。ネタ本に「林道に戻り北に少し行くと林道平群支線が右に分岐する」とあるので、GPSで場所を確認してから、右に伸びている道に入る。

ところが、これが平群支線ではなかったのである。結果的にはこの先に平群支線の分岐があったのだが、100mほどの違いなので緯度経度を読み切れなかった。

そこそこ道幅があり砂利が敷かれていて人も車も入っているのだけれど、300~400m先で林の中に入り、その先で唐突に道がなくなっていた。途中で枝分かれした道はそれ以上に細かったが、やはりすぐに行き止まりであった。

いったん戻って先に進むと下り坂になり、新しいベンチが置かれているところに「林道平群支線」の標識があった。あと100m進めば、迷うこともなかったのである。この日は朝方の事故渋滞もあり道間違いもあり、こういうめぐり合わせだったようである。

平群支線の分岐を過ぎて5分ほどで、慰霊碑の立つ花火工場跡になる。この事故が起こったのは、平成6年というからそんなに昔ではない。爆発事故により4名が命を失った大きな事故だった。

八犬伝の里見家で連絡用に使った浪煙(のろし)を起源とする花火は、この地の郷土文化として長く受け継がれてきた。ところが、この事故以降は全く行われなくなった。慰霊碑の先にある古い小屋が、おそらく作業小屋であり倉庫だったものと思われる。

花火工場の事故は昔からかなり多くあって、WEBを探すといろいろ出て来る。この間「もういちど日本」を見ていたら、秩父の伝統的な仕掛け花火の製造過程を映していて、何人かが木槌で火薬を固めていた。引火すれば間違いなく爆発する危険な作業である。

慰霊碑に手を合わせて先に進む。そして、花火工場跡より先には、納屋も倉庫もない。舗装道路の地盤はだんだん落ち葉に覆われて見えなくなり、やがて厚く土砂が積み重なって見た目では山道と区別はつかない。踏みしめる足の感触で、土の下は舗装されているらしいと分かるくらいである。

はじめは道の傍らに木が倒れかかっているくらいだったが、15分も進むと道路の中央を倒木がふさいでいる。歩く分にはよけて進めばいいけれども、車で通ることはできそうにない。さらに進むと、こぶし大よりやや大きい落石が道路に散乱し、倒木で道をふさがれる間隔も短くなってきた。倒木の間に野いばらが絡みついて抜けるのも一苦労である。

車は長いこと通っていないし、登山客だってここしばらく来ていないようである。GPSで現在地を調べると、まだ鷹取山までの半分くらいしか来ていない。前半戦でここまで荒れているということは、後半はいったいどうなっているんだろう。

少なくとも7~8年前に、「房総のやまあるき」改訂のために内田氏が歩いているはずなのだが、本にはこんな道だとは書いていない。とはいえガードレールが残っているので、かつて車が通った道であることは間違いない。

ところどころ両側から雑草が茂って、先に道があるかどうかすら定かでない。この林道平群支線は、大台山の取り付け道路よりも、道間違いした伐採用の一時的通路よりも、はるかに自然に還っている道路なのであった。

「房総のやまあるき」によると、このあたりに「増田ダム」「鷹取山入口」の道標があると書いてあるが、そうしたものは見つからなかった。あるいは、藪に埋もれて見えなくなっているのかもしれない。やがて、崩壊途上にある斜面に突き当たり、右方向に進路を替える。道幅はいよいよ狭く、藪はいよいよ濃い。


林道平群支線と間違えて、伐採中の山道に入ってしまう。この先は行き止まり。平群支線の分岐点には標識とプラスチックのベンチがある。


平成6年に爆発事故があり、4人が亡くなった元花火工場慰霊碑。戦国時代からの伝統であったが、事故以降は作られていない。


花火工場跡を過ぎると、林道とはいえ自然に還りつつある道である。倒木や落石もそのまま、少なくともここ数年、車は入ってきていない。

 

最後のガードレールがある少し先で、林道は唐突に終わっていた。

左手山側の斜面を見ると、稜線から見た崩落防止工事の形跡は見当たらない。そして、行き止まりになった先をよく見ると、斜面を上がる踏み跡らしきものが見えた。急斜面だし木の枝が伸びているけれども、登れないこともなさそうだ。

枝をかき分けて登って行くと、なんと、急傾斜の一番きついところに、上からロープが下がっている。残念なことに倒木の下敷きになっているので、安定した手掛りとはならないがないよりましだし、なにより登山道であることは間違いないのである。

ロープや太い幹や枝を手掛かりにして稜線まで出ると、錆びて穴が開いたミルク缶と森林標識標が見えた。確か、鷹取山の隣のピークである。ピークまで登って鷹取山側を見ると、例のフェンスとモルタルで補強された斜面を見ることができた。

ということは、ここを工事するために林道を通って人や荷物が来たことは、間違いない。フェンスはそれほど年数が経っていないようだし、モルタル面を見てもそれほど古い工事とも思えなかったが、林道があの状況ということは15年20年経っているのだろう。

それにしても、なぜこんな場所で土砂崩れ防止工事をしたのだろう。付近は数kmにわたり民家がないし、川も流れていないので氾濫の危険もない。植林されている訳でもない。水源でもない。ここが崩れて困るのは登山客だけであるが、房総のこんな場所はハイカーだってめったに来ない。

規模こそ違うものの、伊予ヶ岳の山頂直下でもこのような工事をしてあったことを思い出す。あちらの場合は、麓まで土砂が流れて民家に被害を及ぼすおそれがないとはいえないが、ここは本当の山の中なのである。

土砂崩れ防止工事の謎を解くべくはるばる林道を歩いてきたけれども、結局その謎は未解決のままであった。釈然としないものの、ここから先は御殿山を経由して、前回通ったコースを逆にたどるだけである。

ここの尾根歩きはアップダウンがきつく、なかなか消耗する。それも荒廃した林道歩きの後だったので、余計に響いた。息を切らせ、重い足を何とか上げながらようやく御殿山に着いた。午後1時を過ぎていた。

御殿山頂上の東屋でお昼にする。相変わらず、眼下の眺めは雄大だ。テルモスのお湯でコーヒーを淹れ、持ってきた菓子パンでお昼にする。デザートのミックスフルーツを食べていると、大黒様の方向から老夫婦が登ってきた。

「どこから登って来たんですか?」と聞かれたので、「大台山からです」と答えた。伊予ヶ岳とか大日山という答えを予想していたようで、よく分からなかったようである。ご夫婦は、前回私も停めた高照禅寺の駐車場から歩いてきたそうだ。

前日は突風が吹き翌日は雨から雪になったが、この日は風もなく暖かな1日であった。こういう日に出かけて歩くことができるのは、リタイアしたおかげである。駐車場まで戻ると3時前で、今回も日帰り入浴に寄ることができなかった。それでも、無事に行って帰ってこられたのは、何よりのことである。

この日の経過
天神郷駐車場(70) 8:55
9:30 寝不見川バス(47) 9:30
10:40 大台山(252) 11:00
12:35 モルタル法面ピーク(328) 12:40
13:00 御殿山(362) 13:30
13:45 大黒様(273) 13:50
14:40 天神郷駐車場(70)
[GPS測定距離 15.6km]

[Apr 22, 2019]


にもかかわらず、奥にもガードレールは残っていて、かつてはトラックや重機もここまで来ていたはずである。路面には落ち葉が腐葉土となり厚く積み重なっているが、その下は舗装されている。


林道末端まで進み、踏み跡と急傾斜を稜線に上がると、鷹取山の次のピークに出た。


フェンスやモルタルを見るとそれほど前の工事とも思えないのだが、あの林道を使って資材を運んだのだろうか。