620 六十二番一ノ宮 [Oct 10, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

六十二番を書くにあたって最初にお断りしておきたいことがある。それは、以下の文章は伝聞情報のみではなく、実際に嫌な思いをした上で書いたということである。

その上で確信を持って書くのだが、他に手段がないのならともかく、関係する方々が手を尽くして代替手段を用意してくださったのだから、ありがたくそれを使わせていただくのがベターであり、現時点において最善の手段であると思う。

その場限りの一見である私ですらたいへん不愉快な思いをするのだから、関係する近隣社寺の方々、霊場会の方々が、長年にわたり私の数百倍数千倍も嫌な思いをされていたことに疑問の余地はない。もちろん、お大師様への信仰が篤ければそんなことをするはずもない。

実際にどういうことがあったかを書くことは、たいへん不愉快であるだけでなく、読む人にとっても何の利益にもならないだろう。また、「悪名は無名に勝る」と考える人もいる訳だから、静かにスルーすべきだろうと思う。

ひとつだけ言えば、本堂への視界をふさぐバリケードのような柵も、信仰の場にそぐわないプレハブの料金収納所も実際に見た。それでも、一枚の写真もないのは、そういうことと推測いただければと思う。

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もともと六十二番札所は一ノ宮であった。ところが古くから伊予一ノ宮は三嶋宮大山祇神社とされており、すでに南光坊が五十五番札所となっているのに、なぜここに再び登場するのか、「四国遍礼霊場記」でも疑問を呈している。

意外と詳しいのは澄禅の「四国辺路日記」の記事である。そこには、「一ノ宮は一町ほど田の中に入った場所にある。低い土地にあってたびたび洪水があるので南の山にお移ししようとしたのだが、いまの土地がいいというお告げがあってそのままにしている」と書かれている。

「辺路日記」の1653年と「道指南」の1692年の間に、一ノ宮は現在の位置に移された。いま、三嶋神社のあるあたりの地名を「新宮」というのはその名残りであろう。末社かもしれないが伊予一ノ宮の三嶋神社であり、他に候補となる神社も見当たらないことから、かつて札所であったのは現在の三嶋神社で間違いなかろうと思う。

遍路日記に「南の山」という表現があるが、壬生川方向から歩いて小松に向かうと、香園寺のあるあたりはこんもりと緑が茂って山のように見える。山の中腹にある大きな建物は小松高校で、その手前に三嶋神社がある。香園寺から下りてくると、三嶋神社のある山の裏手に出る。

この山はもともと古墳だったようで、香園寺側には石碑が建っている。「お移ししようとしたのだが、いまの土地がいいというお告げがあった」のは、あるいはそういう配慮があったのかもしれない。四国のこのあたりの古墳ということになると、河野氏と無縁ではないからである。

神社の登り口は香園寺からは山の反対側になり、森に沿って山を半周する。国道11号沿いに、コンクリート製の大きな鳥居が屹立している。大三島に本社があり、今治に別宮があるにもかかわらず一ノ宮とされているのだから霊験あらたかだったものと思われるが、今日でも多くの崇敬を集めていることがうかがえる。


中山川を渡ったあたりから見た小松方向。左の高台に見える建物が小松高校で、その前あたりに三嶋神社がある。


三嶋神社はこの周辺でたいへん大きな神社である。神社全体が丘の上にあるのは、もともと古墳であるからだ。


本殿へは、大鳥居を抜けて石段を登って行く。鳥居や石柱は比較的新しいが、ところどころに古い時代の石碑や灯籠がみられる。

 

大鳥居をくぐり、石段を登って行く。灯籠や石柱、足下の石はそれほど古いものではなさそうだが、削れて読めなくなっている碑文や黒ずんでいる狛犬を見ると、200年より新しいということはあるまいと思う。

境内は山(古墳)の上にあるにもかかわらず、見た目よりも奥行きがあって広い。阿波一ノ宮や土佐一ノ宮と比べても見劣りしない広さである。本殿の間口はそれほど広くないが、巨大な注連縄が周囲の空気を圧している。

「霊場記」で、「推して一乃宮と号す。いつれの神といふ事を知らず」(一ノ宮と称してはいるが、どなたを祀っているのか分からない)とひどくそっけない表現となっているのが不思議なくらい、立派なお社である。二礼二柏手一礼でお参りする。

霊場記で疑問を呈するとおり、各国一つずつ札所となっている一ノ宮がなぜこの場所なのかはよく分からない。けれども、阿波一ノ宮も本来であれば式内大社である大麻比古神社であるのに、焼山寺の次に一ノ宮がある。三嶋神社を勧請したこの神社が石槌山麓にあることもあって古くから崇敬を集め、八十八に含まれることとなったのであろう。
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さて、六十二番札所については、現在、霊場会が香園寺山門近くに礼拝所を置き、ここで納経を受け付けている。併せて、前後いくつかの札所には、礼拝所で納経を受け付けるので、六十一番香園寺→六十二番礼拝所→六十三番吉祥寺とお参りするよう案内板で注意喚起を行っている。

正直なところ、そこまでする必要があるのだろうかとこの時点までは思っていた。あえてそこまでやらなくても、お遍路それぞれが自ら判断して妥当と思われる方をお参りすればいいと考えたのである。

これは私自身の認識の甘かったところで、現在は、「尋常ではない手段であるが、そうされるだけのことをしているのだからやむを得ない」と思っている。実際、六十二番礼拝所ではご詠歌さえ新しいものを用意しているが、おそらくこれは訴訟対策である。

そもそも、六十二番札所は一ノ宮であって、神仏分離で寺に移ったといってもたかだか150年のこと、四国遍路の長い歴史に比べればまだまだ短いのである。

そして、札所はもともと修験道以来の霊場であり、少なくとも弘法大師の霊蹟である以上お大師様の教えを尊重するものでなければならない。そうでない場所でご朱印をいただいたところで、スタンプカードと同じことである。

おそらくこの問題は、私が生きている間に解決するかどうか微妙なところだと思う。土佐一ノ宮の善楽寺・安楽寺だって、解決までには四十年の月日が必要だった。問題は根深いようだし、関係者は私より若いようなので、一朝一夕で和解・解決とはいきそうにない。

2019年現在の状況でいえば、もともと札所であったと考えられる三嶋神社をお参りし、歩いてすぐの場所にある六十二番礼拝所で納経するのがベストだと思う。

この日の経過
香園寺 13:25 →[0.4km]
13:35 三嶋神社 13:45 →

[May 11, 2019]


石段を登って本殿を望む。ここなら少々の水が出ても安心である。境内の石柱等をみると江戸時代の年代があり、よく調べれば遷宮の経緯を示すものもあるかもしれない。


三嶋神社本殿。太い注連縄のある立派な建物だが、お正月とか七五三ではないので無人のようであった。


霊場会六十二番札所は、一ノ宮の裏手、香園寺山門近くにあり、ここから六十三番吉祥寺に向かうことが推奨されている。尋常ではないと思ったが、そうされるだけのことはあると痛感した。