072 源信「往生要集」 [May 29, 2019]

この本の題名と著者は、大学受験の日本史では必須である。だから昔から暗記して知っていたことは間違いないのだが、この歳になるまで読んだことがなかった。人生、いくつになっても勉強である。

なぜ今頃になってこの本か、という説明をしなければならない。発端は、昨年秋の第9次お遍路で、善通寺に行った時のことである。

宿坊「いろは会館」のすぐ近くに、閻魔(えんま)堂という建物がある。この中には閻魔大王はじめ十王、脱衣婆、懸衣翁など地獄の面々が鎮座しているのだが、その背景を調べてみたら、これまでの認識が十分でなかったことが分かったのである。

これまでの理解では、十王信仰は比較的新しくできたもので、仏教本来の教えとは別であると思っていた。たしかに十王信仰は、中国の道教や日本の末法思想・怨霊信仰などの影響を受けて成立したものであるが、全く別物とは言い切れない。というのは、源信のこの著作があるからなのである。

日本史的な理解では、「往生要集」は平安仏教のひとつ浄土教の基本的なテキストである。つまり、鎌倉仏教の浄土宗・浄土真宗のように念仏・阿弥陀信仰を徹底しておらず、従来の仏教思想の範囲内で阿弥陀如来を重視するという立場にとどまっているように思い込んでいた。

だから、基本となるのはあくまで仏教本来の「六道輪廻」であり、魂の平安を得るためにはこの無限ループから離れて、阿弥陀如来の極楽浄土に往生する他はない、というのが源信の説くところかと思っていた。ところが、そんな単純なものではなかったのである。

まずオープニングでは、六道のひとつである地獄界の様子が事細かに表現されている。もちろん、天界や人間界など他の世界のことも書かれているのだが、地獄界が群を抜いて細かく、また視覚的に訴える内容で、かつ分量も多い。それは、第一章だけでなく「往生要集」全体を通していえることである。

実際、第三章以降では浄土信仰はいかにすぐれているか、その修行はどのように行うべきかが経本や理論を根拠に述べられているのだが、第二章まで、特に第一章冒頭と比べるとインパクトに欠ける。正直、なぜ第三章以降が必要なのかという印象である。

それは、源信はもともと比叡山の学僧であるからである。「往生要集」に書かれていることすべて、「△△経にそう書いてある」「高僧の誰某が著作でそう書いている」などと根拠をあげている。つまり、「往生要集」は源信の創作でもオリジナルでもなく、過去の文献から導いた論文なのである。

お経の種類は多く内容も膨大である。高僧の数もそれ以上に多い。だから、お経や高僧の著作を根拠としてこうした論文を書くことは、浄土教・阿弥陀如来に限らず、戒律でもできるし座禅でもできる。もちろん法華経至上主義でも書けるのだが、源信の工夫は、地獄の記事をオープニングに持ってきたというところにある。

つまり、浄土信仰のPRにあたって、六道輪廻とか末法思想とかいった小難しい理屈ではなくて、「地獄はこんなに恐ろしいところですよ。行きたくなければ阿弥陀如来におすがりして極楽浄土に往生しましょう」という、仏教関係者でなくても感覚的に理解できる説明としたのである。

こうした説明に飛びついたのが位人身を極めていた藤原一族で、同時代の藤原道長はさっそく写本を作らせたし、息子の頼通は平等院鳳凰堂を造った。視覚に直接訴える地獄絵図も多く描かれて、多くの庶民が阿弥陀如来への信心を深めたのである。

 

先週書いたように、「往生要集」は過去の仏典をもとにした研究論文である。だから源信は、この「往生要集」を当時における先進国であり仏教の本場でもあった宋に送っている。今日でいうところの博士論文のような位置づけであったかもしれない。

しかし残念ながら、唐代以降の中国は少なくとも軍事的には先進国ではなくなっていた。遼や金といった北方民族に圧迫され、やがて宋はモンゴル世界帝国に滅ぼされることになる。浄土信仰も中国では根付かなかった。

「往生要集」と並んで日本史の暗記項目であるのが「日本往生極楽記」である。これは、源信と同じ浄土教サークルに属して一緒に勉強していた慶重保胤(よししげのやすたね)の著作で、わが国においてどういう人達が極楽往生したかという、一種のドキュメンタリーである。

保胤はもともと役人で、従五位下の中級貴族であった。花山天皇の側近で、政治改革に力を入れたが志半ばにして行き詰まり、官位を捨てて出家した。だから、「日本往生極楽記」は、正確には慶重保胤改め僧・寂心の著作ということになる。

保胤の理想としたのは文治政治で、財産とかコネではなく能力のある者が政治をすべきだという主張であった。残念ながら、わが国ではこうした主張は、過去現在を問わず受け入れられないことになっている。花山天皇は法皇になってからも影響力を保ったし、保胤自身もいまでいう政令・通達を起草したくらい有能だったのだが、藤原一門の権謀術数には敵わなかった。

話を戻すと、十王信仰はもともと道教の影響を受けて中国で作られた偽経(釈迦の教えではないお経)をもとにしているが、わが国において広く受け入れられたのは、十王信仰の分かりやすさに加えて、「往生要集」が地獄の存在を広くアピールしたからと考えて間違いなさそうだ。

「往生要集」に書かれた数字の中で、たいへん気になったことがある。それは地獄にいる日数なのであるが、地獄の1日は人間界に換算すると9百万年であるという。これは、生物学的には、ヒトの祖先とチンパンジーの祖先が枝分かれした時期にあたる。

そして、地獄にいなければならない年数は500年、つまり9百万×365×500で人間界の1兆6千万年ということになり、ビッグバンの10倍以上昔ということになる。つまり、地獄に落ちたら最後、ビッグバンが何回も起こるほど、永遠に苦しまなければならないということである。

地獄の後はまた別の世界に転生するのではなく、落ちたら最後、永遠の苦しみが待っているということで、これは経典に根拠があると書いてある。となると、何とかして極楽浄土に行きたいと思うのが人情である。

ここから、十王信仰による死後の裁判への距離は、ほとんど離れていない。つまり、十王信仰の土台は「往生要集」がすでに固めてしまっているということで、仏教と十王信仰の距離は私が考えていたよりもずっと近いことになる。

「往生要集」は、中世において最も重要な必読書のひとつであった。徳川家康の旗印「厭離穢土欣求浄土」は「往生要集」の第1章・第2章の表題だし、「平家物語」のエピローグ・灌頂巻は「往生要集」の内容を踏まえて書かれている。

こうしたことは当時の人々にとっては常識であっただろう。中身も読まないで作者と題名だけ覚えているだけだと、私のように見当違いの理解をしたまま長い年月を過ごすことになる。心しておかなければならない。

[May 29, 2019]


受験では必ず覚えなければならない本でしたが、60過ぎて初めて読みました。