610 横綱碑・大関碑・巨人力士碑 [Apr 28, 2019]

富岡八幡宮に行ったのは、あらかじめ予定していたことではなかった。

芭蕉記念館で展示を見て、深川図書館で芭蕉に関する本を調べて、清澄公園から門前仲町の駅に出た。そこから富岡八幡宮までは目と鼻の先である。ホテルのチェックインまで時間があったので、せっかくだから行ってみようと思った。

深川八幡宮は江戸でも指折りの八幡様であり、例祭には御神輿が出て多くの人でにぎわうということはニュースで知っていたが、勧進相撲の拠点で、江戸時代はここで大相撲が行われていたことは知らなかった。

だから、境内に横綱力士碑、大関力士碑があり、歴代横綱、大関、強豪関脇(力道山とか)のしこ名が刻まれているのは、今回初めて知ったことである。

大鳥居横のよく目立つ位置にあるのが大関力士碑と巨人力士碑である。横綱になるには大関になっていなければならないし、本来横綱は大関を兼ねるから横綱名も載っていておかしくないのだが、ここに刻まれるのは大関止まりだった力士である。

最近そういうケースがないけれども、大関が1人だけしかいない場合は、横綱の一人が「横綱大関」として番付に載る。大関は必ず二人以上番付に載らなければならない決まりだからである。

だから、横綱は昇進後速やかに名前が刻まれるが(稀勢の里も載っている)、大関は引退後にようやく名前が載る。歳とって急に強くなって横綱になるケースがなくはないからである。記憶に残っている中では琴桜とか。

大関碑の隣に建つのは巨人力士碑である。最初見た時この石碑は等身大かと思って、さすがにこれは伝説だろうと疑ったのだが、下の写真の「巨」と「人」の間くらいの高さにそれぞれの力士の身長に線が刻んである。

巨人碑にも刻まれ傍らに等身大の石碑も建っている釈迦ヶ嶽は身長226cmという巨漢力士であった。アンドレ・ザ・ジャイアントが223cmだから彼よりさらに高いということになる。猪木が卍固めできたのだから(w)全く勝負にならない訳ではないだろうが、江戸時代の力士は猪木ほどの体格はないので勝負にならなかっただろう。

ちなみに、ニコライ・ワルーエフは213cm、ジャイアント馬場は209cm、大相撲にいれば巨人力士碑に刻まれていただろう。バスケットボールでは230cm台が何人かいるけれども、格闘技系ではアンドレ、ワルーエフ、馬場が代表選手である。

横綱力士碑は本殿を横に入った目立たない場所にある。wikipediaによると、現在も使われている横綱の代数はこの石碑から採用されたということである。大相撲の歴史は相撲協会より古いからそういうことになるが、初代から三代までは番付上で横綱とは呼ばれなかったという。

横綱碑の前の石柱には、「魚がし」と刻まれている。スポンサーが魚河岸関係者だったのだろうか。そして、すぐ前に出羽の海一門の記念碑も建っている。他の一門から文句が出ないものかと思ったが、われわれの世代には春日野理事長(栃錦)の存在感が群を抜いていたので、誰も逆らえなかったのかもしれない。

[Jun 7, 2019]


ふだんから大勢の参拝客が訪れる富岡八幡宮の一画にそれらの石碑がある。


本殿奥に横綱力士碑。歴代横綱のしこ名が刻まれている。双羽黒、朝青龍はもちろん最新横綱・稀勢の里もある。


大鳥居からすぐの場所に大関力士碑と巨人力士碑。巨人碑は等身大ではなく、「巨」と「人」の間くらい、それぞれの力士の身長に合わせて線が刻まれている。