0461 追悼 島田信広 [Oct 22, 2007]

「オートの鉄人」と呼ばれ、私のホームグラウンドである船橋オートで一時代を築いた島田信広元選手が先週食道ガンのため亡くなった。享年57歳。選手時代の登録地は長野だったが、うちの近所の成田赤十字病院ということである。

同い年の飯塚将光(選手デビューは島田より2年早い)が20代から大活躍し、それまで最強だった川口から船橋へと「オート界最強」の座を奪った。その頃、島田は一流の下の方、そこそこ強いのだが全国区になると今一歩実績が上がらないという選手だった。さらに6年後輩になる岩田行雄が頭角を現し、次の時代は岩田とみられていた昭和60年代、なんとそろそろ40歳になろうとする島田の躍進が始まったのである。

他の競技と同様、オートレースも強い選手は若い時から強い。もちろんオートバイに乗って行うレースだから年齢による実力の低下は目に見えるほどではないが、それでも一瞬の判断や反射神経の衰え、落車によるダメージや振動による体力の低下の影響など、普通は30代の半ばを過ぎると成績は下がってくるのが普通である。実際、同い年の飯塚はその時期から下り坂にさしかかっていた。

しかし島田は、この時期から再上昇し全国区の選手に成長したのである。活躍し始めた時期は、なんと12年後輩になる片平巧と重なる。20代半ば、まさに伸び盛りの片平と、本来なら「昔は強かった」と言われるはずの40代島田が、オート界のトップを争った。オートレース界の最高峰であるスーパースター王座決定戦で、平成2年から島田が5連覇、7年から片平が4連覇と、約10年間、オート界はこの二人を中心に回ったのである。

ちょうど私がオートレースに足繁く通うようになった時期、船橋オートはこの二人がしのぎを削っていた。普通開催で、それこそ気が向いた時に行ってもオートレースの最強メンバーが見られるのだから、全国一オートレースをやるのに恵まれていたといえるだろう。また、大レースで浜松、山陽、飯塚に遠征しても、この二人をはじめ船橋の選手を中心に買っていればいいのだから、予想が非常に楽であった。

島田に話を戻すと、彼のレースの特徴は苦手な部分がないということであった。これは、長らく一流の下あたりで積んできた経験が生きていたと思うが、タイムが早い上に差すのが巧く、晴でも強いのに雨だとさらに強い。

オートレースは1周500メートルのコースを平均時速約100kmで回るのだが、200mもない直線を時速150kmくらいで飛ばし、急減速してコーナーを回らなければならない。その際、インコースを回れば前の車を抜きやすいかわりにコーナーがきついのでスピードが出しにくいし、アウトコースを回ればスピードは出しやすいけれどもインに入られるので抜かれやすい。だから、一流選手でも得意不得意があり、例えば片平、岩田はイン、飯塚、高橋貢(伊勢崎)はアウトが得意なコースである。しかし、島田はその両方が得意なのであった。

また、雨が降ってコースが濡れると当然滑りやすくなるので、40mとか50m後ろからスタートしなければならない一流選手は(オートレースは距離のハンデがある)雨になるとなかなか上位には来れない。前を抜くためにはできるだけインコースに入るべきなのだが、晴れの時よりやや外よりにコースをとらなければ滑ってしまうからである。しかし島田は、雨でもイン・アウトをうまく使って、気がついてみると先頭に立っていた。

なつかしく思うのは、いまや若手というより中堅選手となった池田政和(船橋)や浦田伸輔(飯塚)が売り出し中の頃、予選レースは大差でぶっ千切って勝ち進んでくるのに、準決勝あたりで島田と当たると何十メートルと開いている差をあっという間に詰められて、残り2周くらいで抜かれて逆に大差をつけられてゴールというレースを何回もみたことである(これが片平だと、残り半周でちょうどつかまえる)。

いまやオート界最強は片平から高橋、池田時代を経て平成11年デビューの田中茂(飯塚)が席捲している。一方で、飯塚将光をはじめ、小林啓二、篠崎実、阿部光男(先日亡くなったノリックのお父さん)、鈴木章夫といった島田と同年代ないし上の選手が走っているのをみると、まだまだやりたかったことがあったに違いないと思う。謹んで、ご冥福をお祈りしたい。

[Oct 22, 2007]