650 六十五番三角寺 [Oct 13, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

ビジネスホテルMISORAの夜、午後10時から朝の3時まで一度も起きずに熟睡した。3時からは寝たり起きたりで、リュックが重いためか背中がとても痛い。5時を過ぎたので国道沿いのすき屋まで歩く。5時からやっている朝定食を食べるためである。まだ星がくっきり見えて、これから進む東の中空にオリオン座が鮮やかだった。

納豆定食320円は格安である。帰りに自販機で、地元プライベートブランドの栄養ドリンク110円を購入。タウリンが1000mg入っているので、リポビタン並みの効果は期待できる。再び部屋に戻って支度すると、ほどなくバスの時間になる。ホテルの滞在時間は12時間、洗濯して眠って支度したらもう出発の時間である。

背中は痛むけれども、足はほとんど痛まない。おととい横峰寺の登り下りがあって、前日は約30km歩いて疲れは出ているはずだが、太腿もふくらはぎも大丈夫だし、マメもできていない。前日、延命寺で松の木をさすったご利益だろうか。背中もさすっておけばよかった。

とはいえ、この日はまたもや長丁場である。まず伊予土居から伊予三島まで10km歩いて、それから三角寺への登り。三角寺から椿堂に出る予定であるがどういう道なのか分からないし、時間によっては三角寺から川之江市街に直接戻るかどうか決断しなくてはならない。

6時40分のバスで伊予土居に向かう。昨日歩いた道をほとんど止まらずに飛ばして行く。7時10分過ぎにコープ前バス停着。乗車時の㌔ポストが176.4、下車時が164.9だから11.5km、約3時間分進んだことになる。この数字は徳島までの距離を示しているが、高松までの距離はすでに100kmを切って2桁になっている。

バス停近くのセブンイレブンへ寄って買い物をし、いよいよ伊予三島に向けて歩き始める。前日から、歩いていると方々で太鼓の音がした。どうやら秋祭りのようで、このあたりは山車を引いて収穫を祝うようだ。まだ時間が早いので太鼓は鳴らないが、山車を格納してある場所やスポンサーの名前を貼り出した掲示板がある。この日は土曜日、お祭りもたけなわだろう。

(どこかで聞いたのだが、土曜日だからお祭りという訳ではなく、このあたりのお祭りは曜日にかかわらず10月13-15日に行われるようだ。ということは、13日土曜日の宿がどこも満杯だったのも無理はない)

前日に引き続き天気はいい。ほとんど平坦でまっすぐな道なので、快調に足が前に出る。最初の4kmを13分ずつのペースで歩いて、土居ICの入口で一休み。ベンチ・休憩所はなくて、立ったままなのであまり休んだ気がしないが、それでも小刻みに立ち止まって水分を補給するので疲れが少ない。

いざり松のご利益か、区切り打ち4日目にしてようやくペースがつかめてきたようだ。次の4kmも13分・14分・14分・13分で通過して、伊予三島市街の入口に到着した。朝早く出た甲斐があって、まだ9時半前である。下り坂の正面に瀬戸内海、その前の埋め立て地に工場の煙突が見える。

伊予三島市と川之江市が合併して四国中央市となったが、もともとJRの隣駅だし市街地はほぼ続いている。旧・伊予三島市はエリエール大王製紙の企業城下町といわれるが、名前からしてもともと三嶋神社の門前町のはずで、三嶋神社の本社はおなじみ大三島の大山祇神社である。伊予三島としてはそちらが伊豆三島と名乗れといいたいところかもしれない。

いよいよ市街地に入ってくると、ロードサイド店やいろいろなビルが国道の両側に並ぶようになり、やがて海側と山側の二つの道に分かれる。海側の道は市街に入るもともとの国道11号で、山側は市街を迂回するバイパスのようだ。そして、山側を進む方が、三角寺には近い。

バイパスに入り坂道を登るとファミマがあった。イートインコーナーはなかったが、バナナミックスフラッペで一息つく。前年のお遍路歩きからファミマのフラッペは指定飲料となっており、水分と栄養補給を一度にできるのでうれしい。時刻は9時50分、三角寺まであと5km、お昼前には着けるかもしれない。

(実際にはここから先は山道があるし、遍路地図の距離表示がいい加減なので5kmよりずっと長かった)


6時40分のバスで昨日の伊予土居駅付近に戻る。四国中央市に入り、高松まであと100kmを切った。


右手の稜線は、新長谷寺から三角寺に向かう。伊予三島まで、ゆるやかに坂を下って行く。


伊予三島市街に入り、バイパスに沿って右折する。

 

ファミマの後、もしかしたら三角寺に自販機がないかもしれないと思い、ショッピングセンターでいろはす500mlを補充する。すると、おじいさんが話しかけてきた。

「どこから来たんだい?・・・千葉?・・・私も東金にいたことがある。東京はみんな早く歩くから疲れちゃう。こっちはみんなのんびりしてるからね。

三角寺はあの鉄塔の見える方角だよ。山の上までは行かないからそんな距離じゃない。道案内がたくさんあるから迷うことはないよ」

と教えていただいた。確かに、これから先の住宅街では古い丁石や案内の石柱が行き先を指示してくれる。遍路地図では、伊予三島市街から三角寺までいくつかの経路を示してあるけれど、古い標識に沿って歩くと高速道路の下を通って戸川公園の脇を通る道に誘導される。

案内標識にしたがって戸川公園まで行くと午前11時。ここから三角寺までトイレはないようなので、公園のトイレに寄って行く。奥の東屋の方を見ると誰かいる。歩き遍路の先客かなと思ったら違った。

「お接待しているので、寄って行きませんか。」

なんと、東屋のテーブルにはペットボトルや栄養ドリンク、ポットとお茶・コーヒーが用意されている。お茶菓子もふんだんにあって、これだけ準備されていて寄らないのはかえって失礼にあたる。リュックを下ろして、せっかくのご接待に与かる。

1時間前にファミマで冷たいものを食べたので、こちらでは温かいお湯と、みかん、バームクーヘンなどをいただく。食べながらお話をお伺いする。休日にはこうしてボランティアをしているが、歩き遍路の人はそれほど多くないし、公園の奥まで来ないで通り過ぎてしまう人も結構いるということである。

道の状況をお伺いしたところ、横峰寺のように通行止ということはなく、上まで特に問題なく登れるようである。こちらで15分ほどゆっくりさせていただいた。たいへんお世話になりました。

戸川公園から上も、遍路地図を見るとすぐ山道になるように思えるが、かなり上まで民家が続く。路面もしばらくは舗装道路が続くので、そんなに心配するほどのことはなかった。これまでと同様、辻辻に標石や丁石があるので古くから使われた遍路道であることは間違いない。

舗装道路を15分ほど登ると、海に向けて景色が開けた場所に出る。季節柄コスモスなども咲いて、たいへん雰囲気がいい。するとにベンチが出てきた。戸川公園で休んだばかりだったが、せっかくの景色なので腰を下ろす。近くに「ひびき休息所」と書いた柱が立っていた。

眼下に広がるのはみかん畑、その向こうには水田があり、住宅街、町と続いて海沿いには工場の煙突が並んでいる。胸がすくようないい景色である。言葉もなく見とれていると、下の畑から誰かの声が聞こえる。「ちょっと待ってな」と聞こえたような気がした。時間にも余裕があるので、ベンチに座っていい景色を眺めさせていただく。

しばらくすると、かなりの傾斜がある畑の中をおばさんが登ってきた。みかんを6つ持ってきて、「これ食べなさい」とご接待していただいた。「ありがとうございます」とお礼を言うと、すぐまた畑仕事に戻って行ったのだけれど、このすごい坂道を、みかんを下さるためだけに登って来られたのは申し訳なかった。

みかんと言えば、高知で食べた「山北みかん」がおいしかったのだが、今回何ヵ所かで買ったりご接待していただいたりして食べた愛媛みかんもたいへんおいしかった。特にこの時期のみかんは「極早生」(ごくわせ)で、粒が小さい割に甘くておいしいのである。帰ってから、通販で冬の間何箱かお願いした。

戸川公園でご接待してくださったボランティアさん。休日はこちらでご接待することが多いそうだ。


三角寺へは坂道を登って行く。遍路地図のイメージとは違い、高速道路を過ぎても人家がずっと続く。


ひびき休憩所付近。瀬戸内海を望む高台で、とても景色がいい。

 

ひびき休息所から三角寺まで30分と案内表示に書いてあったのだけれど、ここから先は登山道になるので話はそれほど簡単ではなかった。並行して沢が流れ落ちている急傾斜の道で、ここまで比較的楽だった分、余計にきつく感じた。

古くからの丁石があるのでそれを励みにして登るのだけれど、丁石の残り二町から車道と合流して、そこからさらに500m歩くのであった。正午のチャイムを聞いて休憩所を出たのに、三角寺に着いたのは12時45分。伊予三島市街に入ってから3時間近くかかってしまったが、何ヵ所かで休憩したりお接待されたりしたので、正味歩いたのは2時間くらいだったかもしれない。

登山道を登り、合流した車道を歩き、さらにはるか上まで続く石段を登り切ってようやく三角寺の山門であった。山門の下には鐘がつるされていて鐘楼を兼ねている。山門には横書きで「三角寺」と墨書されている。

由霊山三角寺(ゆれいざん・さんかくじ)、五来重氏によると三角とは護摩壇のことで、弘法大師が護摩壇を築き、背後の龍王山の龍を鎮めて水が出るようにしたという伝説に基づいている。由霊山は「霊場記」に「もろこしの梅の名所なり」とある。

山門の奥に庫裏があり、本堂・大師堂は左手の奥まった場所にある。かなり高くまで登ってきた割には、広い空間が開けている。山門の左が南になるので、本堂・大師堂の方に太陽があってたいへんまぶしい。本堂と大師堂の間には、地蔵菩薩立像が置かれていた。

伊予の多くの寺と同様、戦国時代に一度焼亡し、再建されたのは江戸時代である。本堂の基礎部分はコンクリで補強されているが、これは昭和46年に行われたという修復によるものであろう。目立つのは内陣を仕切っている木の引き戸で、ここだけが真新しい黄色である。何か謂れがあるのかもしれない。ご本尊は大師御製と伝えられる十一面観音菩薩。

「霊場記」には、背後の山を隔ててさらに山奥にある別格札所の仙龍寺は三角寺の奥ノ院と書かれている。五来重氏によると、その仙龍寺よりさらに山奥にもともとの奥ノ院跡があって、この旧・奥ノ院と三角寺・仙龍寺が一体となった霊場があったと推察している。

ともあれ、三角寺だって歩いてくるには大変な山奥にあるし、仙龍寺だってもっと奥にある。そのさらに奥というから、たいへんな山奥であっただろう。四国はまだまだ奥が深いのであった。

さて、納経が終わってまだ時刻は午後1時半である。遍路道の登りで予想以上に時間がかかったけれど、考えていたよりもかなり早い。遍路地図によるとここから椿堂まで6kmだから、午後3時には着きそうだ。お参りした後、川之江にあるスーパーホテル四国中央に午後5時くらいには着くかもしれない、と思った。(もちろんそんな甘いものではなかった)

石段を駐車場エリアまで下りる。遍路地図には長野商店と書いてあるがそういう店はなくて、軒先でみかんを売っているだけである(駐車場の脇に自販機がある)。戸川公園とひびき休息所でご接待していただいたおかげで、伊予三島のスーパーで補充したペットボトルがまるまる残っていたのでここは素通りする。

しかしこの後、椿堂の先、国道近くのJAまで自販機は見当たらなかったから、ここが最後の給水所であった。そして椿堂までは、普通に歩くと6km1時間半では到底着かないのであった。

この日の経過
ビジネスホテルMISORA →[バス]コープ前バス停 7:25 →[10.8km]
9:45 川之江市街(ファミマ) 10:00 →[3.6km]
11:05 戸川親水公園ご接待 11:25 →[1.6km]
11:50 ひびき休息所ご接待 12:00 →[1.6km]
12:45 三角寺 13:25 →

[Aug 12, 2019]


予想以上にハードだった遍路道を登り、もう一度舗装道路を歩き、さらに石段を上がってようやく山門に達する。


三角寺本堂。内陣への引き戸が妙に真新しい。


本堂からお地蔵様を挟んで大師堂。