651 番外霊場椿堂 [Oct 13, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

三角寺のところでも書いたが、遍路地図によると三角寺から椿堂間の距離は歩道で6.0km、車道を通っても6.4kmと書いてある。本当にそうなら、1時間半あれば着くはずである。路面は登山道ではなく、舗装道路である。しかし着かない。道案内通りに歩いて、私の場合はGPS測定値で7.4kmあった。休憩時間を除いても1時間55分かかっている。

この日は川之江のスーパーホテル四国中央に戻ることにしていたので、多少のタイムオーバーは問題なかったけれど、もしここから峠越えで民宿岡田という計画にしていたら、大変なことになるところだった。もし民宿岡田に泊まるのであれば、その前日は伊予三島に宿をとって、お昼には三角寺を出るくらいでないと明るいうちには着けないと思う。

三角寺の駐車場には、椿堂へは登ってきた方向に戻れと指示がある。そして、この先工事で通行止があるとも書いてある。土地勘がないので、どこで工事なのかよく分からない。とはいえ、歩きでも通れないのならもう少し厳重に書いてあるはずだと思って奥に進む。

意外だったのは、三角寺の奥にも民家が続いていることだった。そして、道はだらだらと登り坂である。椿堂まで下りだとばかり思っていたので、かなり当てが外れた気分だ。重いリュックを背に、肩で息をしながら先に進む。最後の一軒屋は前の家からかなり離れていたが、おばあさんが家の前の道を箒で掃いていた。どこまで掃くのだろうかと思った。

このあたり、昔の地図をみると「三星CC」と書いてあって、WEBをみると2000年代初めまでクラブハウスの残骸が残っていたようである。いまはどこにあるのだろう。すでに壊されてしまったのか、あるいは深く茂った森の中に残っているのか。

(2000年代初めというと、例のレオマの親会社・日本ゴルフ振興が破綻した頃である。場所からいって、何か関係あっておかしくない。)

私の若い頃、バブルという時代があった。いまだに覚えているのは、銀行で審査の書類を作っていて、とある会社の今後の売上・利益の見込みを前年度並みと見積もったところ、当時の上席者から、「△△君!、売上も利益ももっと上がるだろう。それだけ利益が多くなれば、もっと貸したって大丈夫なはずだ」と書類の書き直しを指示されたことを思い出す。

そんなのは審査じゃないと思ったが(30年以上経った今でもそう思う)、立場が下だったし争うほどのことでもなかったから言われたとおりにしたけれども、そんな会社なのでやがて一回目の転職をすることになった(会社自体も合併でなくなった)。

転職と同時に生活を切り詰める必要が生じて、今でも奥さんは「みんなが贅沢をしている時、私は魚一匹買うのも考えるほどの生活だった」と言うのである。もしかしたら私がもっとバカになればバブルの大波に乗れる生活ができたのかもしれないが、そういうことをしていたらいまこうして平和に暮らせていないだろう。

ともあれ、バブルの残骸は見つからなかったが、道が二つに分かれるあたりでようやく下りになった。右に行く道も左に行く道も、車がやっとすれ違えるかどうかの細い道である。右の道は「仙龍寺方面」とあるから、さらに山奥に向かうのだろう。左の道が「椿堂方面」でこれから向かう道であるが、民家は全く見えない。

椿堂方面からは、忘れた頃に車が上がってくる。広島とか岡山とか、地元以外のナンバーだ。三角寺方面からは来ない。おそらく三角寺前に工事中の表示があったためであろう。左手側、海の方向から太鼓の音が聞こえてくる。お昼を回って、お祭りが始まったものと思われた。

1時間ほど歩くと、ようやく人里に出た。遍路地図には三角寺から半田休憩所まで3.5kmとあるが、私のGPSによるとたっぷり4kmあったし、方向表示にも三角寺まで4kmと書いてある。

このあたり、参勤交代で使う街道と遍路道が交差する場所であり、江戸時代には旅籠も置かれたそうだ。土佐の殿様が休憩される小屋を格納してあった倉があったそうで、そういう説明書きがある。

大きなカーブで道は下って行き、やがて平田の集落になる。半田休憩所はこの集落にあるが、行政とか観光協会が建てたものではなく、地元の方が駐車場の一画に建てたもののようだ。遍路地図をみると三角寺から椿堂まで山道を歩くような気がするが、実際にはずっと舗装道路であり、平田集落からは民家と田畑が続いている。


三角寺から奥に道は続いているが、予想に反して登り坂である。そして、この先にも民家があるのには驚いた。


三角寺から1時間歩いて、ようやく人里に出た。このあたり、土佐の殿様が参勤交代で通った街道と遍路道が交差するところで、江戸時代には旅籠も置かれていたと書かれている。


半田休憩所のある平田という集落。ここから椿堂のあたりまで、田畑と民家が続き安心して歩ける道だが、遍路地図に書いてあるほど近くない。

 

しつこいようだが、遍路地図には三角寺から椿堂まで歩道で6.0km、車道を通っても6.4kmと書いてある。ところが半田休憩所まですでに4km歩いて、案内表示によると椿堂まであと3km。足し算すれば7kmである。

半田休憩所からはどんどん標高を下げて行く。これまでは道の半ばまで落ち葉が覆っていて道幅も狭く見えたのだが、このあたりはきちんと整備されていて車幅線も見えるので道幅が広く感じる。畑仕事をしていた2人組のおじさんに話しかけられた。

「どこまで行くの。椿堂?」

「はい。椿堂までお参りして、スーパーホテルまで歩きます。」

「それは大変だ。かなり距離あるよ」

と言われたのだけれど、椿堂から川之江に戻っても約10kmで、しかも下りだからそんなに大変だとは思っていなかった。むしろ、椿堂から雲辺寺方面に向かう方がもっと大変だろう。距離は10kmくらいで変わらないかもしれないが、峠越えの登り坂になる。

それから民家が続き、高速道路の下を抜けて30分以上歩き、ようやく眼下に幹線道路が見える高台に着いた。あれがこれから歩く国道192号線である。ここから国道に下りて行く途中に椿堂がある。

邦治山常福寺(ほうちさん・じょうふくじ)、弘法大師が立てた杖から椿の木が生えたという伝説から、椿堂と呼ばれるようになった。山号は、寺を開いたとされる邦治居士の名前から採っている。別格二十霊場の十四番札所である。

お寺の前の墓石のように見える石柱にも、霊の小坊主の案内板にも、椿堂とは書かれているが常福寺とは書かれていない。そういえば、途中の道案内もすべて椿堂だった。

山門が赤く塗られ、梵鐘が山門の中に吊るされているのは三角寺と同じである。三角寺は山の上だけど、ここは集落の中だからやたらに突くとうるさいだろう。ちなみに私は、鐘楼の鐘を突くことはほとんどない。

境内の不動明王も山門同様に赤い。集落全体が川沿いの斜面に建てられているので、境内はそれほど広くなく、奥行きもない。歩いてきたのは私だけだったが、車でお参りしてきた人達が何人かいて、お参りするのもご朱印をいただくのもちょっと待たなければならなかった。

お参りを終えるともう4時近かった。とはいえ、日が暮れるにはまだ間がある。時間によっては椿堂からタクシーを使わなければならないかと思ったが、予定どおりスーパーホテルまで歩くことができる。

椿堂から国道に出るのに、最初「四国のみち」の標識のとおりに行ったら逆方向に向かっていたので、引き返して細い道をそれらしき方向に進むとすぐ国道だった。何時間振りに自販機を見つけ、コーラで喉を潤す。この日も、横峰寺の日に続いて、エネルギーゼリーでお昼をすませてしまった。

国道192号はマイナー国道だが、それでも国道なのでちゃんと㌔ポストがある。そして、途中に2度、高速道との交差があるので目安になる。下り坂でもあり、1日の終わりで疲れていたにもかかわらず、㌔13分のペースで4km歩き、川之江市街に入った。

ここからちょっと迷ってしまい、地元の人に道を聞いてスーパーホテルのあるイオンショッピングセンターに着いたのは午後5時45分。かなり遠回りしたように思ったが、GPSで見るとほとんどロスはなかったようだ。

イオンの前では、お祭り期間中ということで太鼓の山車が何台も出てデモンストレーションをしている。その音を聞きながら、ショッピングセンターのインド料理店でチーズナン定食を食べた。太鼓の音はホテルのユニットバスまで聞こえたが、防音がちゃんとしてあって客室ではほとんど聞こえなかった。

この日の歩数は58,799歩、GPSで測定した移動距離は32.1kmでした。

この日の経過
三角寺 13:25 →[4.0km]
14:35 半田休憩所 14:45 →[3.4km]
15:30 椿堂 15:50 →[7.1km]
17:45 スーパーホテル四国中央(泊)

[Aug 24, 2019]


半田休憩所からさらに45分歩いて、ようやく眼下に片側一車線の幹線道路が見えてきた。愛媛・香川・徳島三県の県境へと続く国道192号線である。


国道と合流する少し前に、椿堂常福寺がある。


常福寺本堂。赤く塗られた不動明王が印象的だ。集落全体が斜面にあるため、敷地はそれほど広くはない。