660 六十六番雲辺寺 [Oct 14, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

「えーと、6時だと一杯ですね。」

前日の夜、スーパーホテルの直通電話でタクシー会社に予約をすると、予想しなかった答えが返って来た。

「どこまで行きますか?・・・椿堂?・・・でしたら、5時10分過ぎか7時前でしたら予約できますが、どうしましょう?」

どうやら、朝早くに出勤している運転手さんは一人しかいないらしい。前日に電話してよかったと胸をなでおろす一方で、5時にするか7時にするか。いずれにしても計画を立て直す必要がある。

「5時10分でお願いします」

「分かりました。それではホテルの前に付けますから」

考えてみれば、山歩きに行く時でも5時の始発電車に乗る訳だから、そんなに驚くことではない。逆算すると3時過ぎには起きなければならないが、スーパーホテルの健康朝食をとる時間がないのは最初から折込済で、すでにイオンで朝のサンドイッチとサラダ、野菜ジュース、ヨーグルトは買ってある。あとは早く寝るだけだ。

部屋に戻って片付けをして、午後9時には灯りを消す。さすが安眠を売りにしているスーパーホテル、そのままあっという間に眠って、午前2時まで目が覚めなかった。そのままうとうとして、3時を過ぎたので起きる。

この日が、今回の区切り打ちで最もハードであることが当初から想定していた。青空屋も民宿おおひらも取れず、この日の宿は観音寺駅前のサニーインである。ただでさえ終盤最大の遍路ころがしとされる雲辺寺を打ち終わって、さらに小松尾山を経て観音寺市街まで歩かなければならないのであった。

朝食をとり、支度をして午前5時にロビーに下りる。スーパーホテルなのでフロントにはシャッターが下りている。しかし、すでにホテル前にはタクシーが1台、待機していた。運転手さんに声を掛けると、私が予約していた車であった。

焼山寺遍路転がしの時も、今治40kmウォークの時も、こうやってまだ暗いうちから歩き始めたのであった。眠いとか疲れたとか、弱音を吐いてはいられない。タクシーは前日に歩いてきた道を逆コースでたどり、15分ほどで椿堂下に着いた。料金は2000円ちょっと。早い時間から、お世話様でした。

時刻は午前5時20分。あたりはまだ真っ暗である。とはいえ、街灯が等間隔で明るく点いているのはさすがに国道で、星を見ることはできない。登り坂をゆっくりと登り始める。警察の派出所を過ぎ、街道沿いに続いている民家の脇を抜けて行く。

目安になるのは、ここでも㌔ポスト。最初の1kmを14分30秒、登り坂にしてはまずまずの入りである。意外にも、集落はずっと続いている。遍路地図をみると椿堂から先は山道のような印象だが、そんなことはない。「しんきん庵・法皇」の周囲にも人家がある。バスの終点はまだ先だ(1日1本だけだが)。

次の2kmを14分・14分でクリアして、「しんきん庵・法皇」のあたりまで来ると明るくなってきた。休憩所の中から誰かが手を振っている。この時間からすると、休んでいるだけではなく野宿したのかもしれない。調子が出てきたところなので、休まずに歩き続ける。

いよいよ坂がきつくなってきて、次の1kmは15分かかった。このあたりがバスの終点だが、川を挟んで民家は結構ある。1時間ちょっと歩いたので、水分補給の小休止。

よく見ると、道路の向こうに止めてある廃車のバスの行先表示が「素泊バス」となっている。そして、中に灯りのようなものも光っている。誰か泊まっているのだろうか。あたりには水もトイレもないようなのだけれど、大変だなあと思った。


前日歩いた椿堂下の国道までタクシーを使う。まだ夜明け前なので真っ暗。


1時間ほど歩く間に夜が明けた。法皇休憩所を過ぎ、最後の民家付近から峠の方向を見上げる。


境目トンネルは愛媛と徳島の県境にあたる。

 

このあたりは愛媛・香川・徳島3県の県境にあたり、国道192号を直進する境目トンネルは愛媛県から徳島県に入る。直接香川県に入る曼陀峠は通り過ぎた「しんきん庵」のあたりから左折して山道になるが、今回はオーソドックスに国道を通って佐野集落から登る計画としていた。

このあたりのルート選択は、前日に戸川公園のボランティアさんとも話になったが、慣れないうちはこの道が一番いいでしょうということであった。

「佐野から林道に出るまでの登りはきついですが、その後はさほどのことはありません。先日の台風でも特に被害があったとは聞きませんので、大丈夫だと思います。でも、その後観音寺までは結構長いですね」

境目トンネルに入ったのは午前6時25分、歩き始めて1時間を過ぎたあたりだった。17分歩いてトンネルを越える。すると、あたりは霧の中だった。

気温表示があって、通過時点の気温は9℃。椿堂から登ってくる途中でも、山の上に雲がかかっていたのは気づいていたが、こんな霧がかかっているということは、下から見ると雲の中ということである。昨日までよく晴れていたのに、山の天気は油断ならない。

トンネルを出て間もなく「水車」というドライブイン・食堂があると遍路地図には書いてあるが、残念ながら廃業していた。結構大きな建物なのだが、この場所ではそんなに客は来ないだろう。同じ名前の真念庵「水車」は大丈夫だろうか。

「水車」のあたりで、後から来た外人さんに抜かれる。この時間ここにいるには、私同様に川之江からタクシーを使ったか(別のタクシー会社でないと空いてなかった)、でなければ野宿である。「しんきん庵・法皇」で見た顔とは違ったような気がするし、廃バスに泊まったのだろうか。聞いてみればよかった。

さて、真念「道指南」では、三角寺の後で奥ノ院(現在の別格十三番札所仙龍寺)に寄る場合も寄らない場合も、現在の椿堂ルートで阿州国境の坂を越えるとある。第一目的地は佐野村。ここに番所があった。

現在ここに、雲辺寺のこちら側でほとんど唯一の宿である民宿岡田がある。トンネルを出て1kmほど歩いて側道に入り、二宮金次郎の立つ学校脇を抜けると、民宿岡田があった。午前7時半通過。

TVでよく見る顔のおじいさんが、放送と同じように物干場に浴衣を干していた。挨拶をして通り過ぎる。椿堂下から2時間余りだから、昨日峠越えをすれば午後6時過ぎに到着した計算になる。無理すればなんとかなるかもしれないし、夕方の登り坂ではこんなに早く歩けなかったかもしれない。

いずれにしても、ホテルに6時に着くのと、民宿に6時に着くのは大違いである。民宿であれば午後4時には着きたいものだし、椿堂の時点で午後4時だったのでかなりあせっただろう。つまり、伊予土居スタートで民宿岡田というのは、かなり飛ばさないと無理ということである。

民宿岡田に泊まるのであれば、前日は伊予三島泊まりが安全である。伊予三島ならビジネスホテルが多いし、隣の川之江という手もある。そうすれば、翌日の観音寺までの時間も2時間早くなる訳だから、雲辺寺の登り下りもそれほどあせらずに済んだと思う思われる。地図だけで計画を立てるのは難しい。


境目トンネルを越えると、あたりは深い霧に覆われていた。


国道から左へ、佐野集落への側道に入る。


佐野は、江戸時代に阿波の番所があったところである。傍らを流れるのは馬路川の支流で、やがて吉野川となり徳島へと流れる。

 

佐野の集落に入る。徳島県内としては辺地もいいところで、ほとんど民家はないのではないかと思っていたら、そんなことはなかった。国道沿いはもちろん、遍路道である側道沿いにも民家が並んでいる。郵便局の前を通ったら、結構新しく建て替えてあった。まだお客さんが多くいるということである。

半面、自販機はあるけれどもコンビニはなく、民宿岡田が唯一の宿泊手段である。なぜなんだろうと考えて、気がついた。歩いて4時間もかかっているから田舎だと思ってしまうが、川之江から15kmであれば普通に通勤通学圏内である。車で20分のところにイオンもファミレスもあるので、買い物に行くのに何の不便もない。

トンネルを越えて徳島県だけれど、実際には愛媛経済圏である。だからコンビニがなくても大丈夫だし、「水車」にお客さんが来なかったのもみんなイオンに行ってしまうからである。遍路歩きをするからこのあたりに宿がほしいのであって、そうでなければ四国中央市にはたくさんホテルがあるのであった。

TVでは、雲辺寺への遍路道は分かりづらいと民宿岡田のおじいさんが言っていたように、標識がないところもあるので迷う。登山道への入口は材木置場の前で、ここには道案内がたくさん貼ってあるが、ここから先はなかなか難しい。しばらく舗装道路を進み、そこから細い道を通って高速道路の下を抜ける。

高速道路の前後はかなり傾斜がきつい。思わず、簡易舗装の交差点でリュックを下ろす。狭い道なのに、軽トラックが登ってきたのをよけながら、ペットボトルのミネラルウォーターで一息つく。そういえば、タクシーを下りてから一度も座って休んでいない。唯一の休憩所であった法皇の休憩所には、野宿と思われる先客がいたからである。

高速道路のすぐ横を登るのは、あまり見ない景色である。車が全く通らないのは、時刻が早いからか、あるいは交通量そのものが少ないからだろうか。高速道路の向こうはすぐ山であり、こちら側も急斜面の登りである。

このあたり、崩落防止工事の掲示版によると、木地屋谷という地名らしい。ということは昔、ここを登った山中に木地屋の集落があったということである。木地屋とは、ろくろを使って木を削り皿や器を作る職能集団で、多くの材木を必要とすることから人里離れた山中に集落を作ったとされる。

急斜面を登り始めて、その後に緩斜面になり、再び急斜面になる。路面は岩交じりで、ほとんど登山道である。こういう場所を歩くときは登山靴が欲しいし、荷物ももう少しコンパクトにしたいのだが、お遍路歩きではそうも言っていられない。

登山道に入って45分、丁石のある少しだけ広くなった場所で一休み。谷から登ってくる急登はなんとかクリアしたようだが、まだ峠は見えない。佐野集落の標高は240m、林道との合流点が665mなのでまるまる400mの標高差である。私の登りペースからすると1時間半くらい、ということはおそらく半分位しか登っていないだろう。

休憩地から先に再び急登があり、トラバース道があり、なかなか終わりが見えてこない。道幅は狭くベンチもなければ休めそうな場所もない。分岐点もない一本道なので、道間違いの可能性がないところが救いだ。なんとかがんばっているうちに、ようやく行く手に峠地形が見えてきた。午前9時ちょうど、登山道に入って1時間半で林道との合流点に出た。

ベンチも何もなかったが、乾いた舗装道路の上にリュックを下ろし、エネルギーゼリーで栄養補給。考えてみれば、4時前に朝食をとって以来、水分補給だけでここまで来た。この先も、山を下りるまで食べられる場所はないかもしれない。ゼリー飲料でもカロリーメイトでも、食べられる時に食べて体をもたせるしかない。


民宿岡田を過ぎ、郵便局の前を通って、材木置場の前が雲辺寺への登山道入口である。案内がたくさんある。


雲辺寺への登山道に入る。急傾斜の坂道を登ると、高速道のすぐ脇になる。


ここの登りがきついことは、三角寺前の戸川公園のボランティアさんから聞いていた。急傾斜と緩斜面がかわるがわる現れる。

 

10分休んで再びリュックを背負う。ここから先は例の四国のみちで、雲辺寺まで2kmと標識がある。四国のみちは県境の境目トンネルに入る前、法皇休憩所のあたりから曼陀峠に入り、尾根道をここまで歩く。距離的にはやや長くなるが、四国のみちのページをみると佐野集落経由と所要時間はほとんど変わらない。

戸川公園のボランティアさんの言っていたとおり、ここから先は比較的楽だった。傾斜は急ながら舗装されていて、時々車も通る。右足と左足を交互に出していれば、いつかは目的地に着くというコースである。

しかも、道標に残り距離まで出ている。いくら山道は距離じゃなく標高差だといっても、一応の目安になることは間違いない。天気もよく風もなく、歩くには申し分のない気候である。

唯一心配なのは水が残り少ないことであったが、残り1.3kmほどに水場があった。木々が短く伐採され、下は石垣になっていて、上の方から黒い水道用パイプで水を引いてある。付近の看板をみると「四国電力管理地」とあったので、大丈夫だろうと飲んでみた。500mlのペットボトルが空だったので、ここで補充した。

林道合流地点から雲辺寺まで、2kmを1時間15分ほどかけて歩いた。その間、車で通る人は何人もいたのだけれど、遍路歩きの人に追い抜かれることもなければ、すれ違うこともなかった。それは、下りの小松尾山までの間も同様である。

考えてみれば、今回の区切り打ちでは、追い抜かれたのは横峰と佐野の2人の外人さんくらいで、すれ違った人はいなかった。お寺の近くにお遍路姿の人はいたけれども歩きかどうか分からないし、騒がしいのでパスした延命寺前のグループも納札に来なかった。

こんなことは、去年・おととしの遍路歩きではなかった。横峰の平野林道で作業していたおじさんが言っていたように、1日に何人かはいるのだろうが、逆に言えば何十人という単位でないということである。10月といえば秋のお遍路シーズンである。お遍路歩きをしている人の絶対数は、明らかに減っているのではないかと思う。

水場で飲料水を補充し、坂道をさらに500mほど登ると、道はカーブとなり向こうから来た道と雲辺寺に至る道の三叉路となる。ここが残り1km地点で、「四国のみち」の半分消えかかった大きな看板がある。いい加減塗り直せばいいのにと思ってよく見ると「環境庁」と書いてある。ずいぶん古くからこのままのようだ。せっかく小泉大臣になったのだから、予算が付けばいいのだけれど。

そして、このあたりは東西南北いろいろな土地に下りることができるようで、このまままっすぐ下ると、徳島県の阿波池田市に出ることになるらしい。途中で折れると香川県の三豊市、雲辺寺を経て進めばこれから目指す観音寺市である。

この地図看板の先で車道とへんろ道は分かれるが、結局合流するのでどちらを通っても同じことだろう。だんだん道が立派になってくると、雲辺寺である。

順打ちの遍路道を通って来ても山門は通らず、境内の途中、本堂の横あたりから入ることになる。何だかロープウェーで参拝する人を念頭に置いているような気がして寂しいが、それが実際のところだから仕方ないのかもしれない。

10時15分到着。佐野集落から3時間、椿堂から5時間かかって、八十八札所最高標高を誇る雲辺寺に着くことができた。


登山道から車道に合流してからは、登り坂ではあるが舗装道路で歩きやすい。途中に水場があり、飲み水を補給した。


雲辺寺まで残り1kmのあたりに四国のみちの古い看板がある。これによると、四国のみちは県境の前で峠に上がるようだ。


雲辺寺に到着。遍路道からだと、山門からではなく本堂の横に直接出る形になる。

 

雲辺寺には着いたが、遍路道から歩いて入ると参道の途中から入った形になるので場所がよく分からない。このお寺は、ロープウェイで登って来た参拝者が山門から順路に従って進むのである。

まず手水場を探すけれども見当たらない。弘法大師が杖を突いて作った水堂という建物が目の前にあるのだが、「ここは水を飲むところです。手を洗わないでください」と書いてある。でも、他に手水場が見つからないので、仕方なくお賽銭を置いて水を飲むついでに素早く両手をすすぐ。

巨鼇山雲辺寺(きょごうさん・うんぺんじ)。「鼇」は大きな亀。雲辺寺山を巨大な亀になぞらえての山号と寺では伝えるが、五来重氏は海洋宗教につきものの亀石からの発想ではないかとしている。いずれにしても、弘法大師以前からあった霊場であることは間違いない。

水屋の前の階段を上がると本堂である。山の上なのに立派な建物だが、考えてみれば歩いてこなくてもロープウェイもあるし車道も通っている。この山にはアンテナ塔もあるくらいなので、大きな工事も問題ないと思われる。

本堂はコンクリート造で、それほど古い建物には見えない。中に入ると、仏様に直接お参りできる。比較的新しく見える石造の千手観音像である。札所のご本尊の多くは厨子の中か御簾の後ろで見ることはできない。こちらの仏様は大々的に前に出ている。

霊場会HPによると、本当のご本尊は経尋作の千手観音菩薩坐像で12世紀というから平安末期の作、国の重要文化財である。重文なのでネットを探すと画像が出てくるが、この石造りの仏様とは違うようだ。あるいは、ご本尊は秘仏にしているのかもしれない。

疑問なのは、私の持っている真念「道指南」には(講談社学術文庫「四国遍路道指南全訳注」)、雲辺寺のご本尊は十一面観音と書いてあることである。それもさし絵付である。ところが、霊場会HPも他の資料も千手観音なのである。

雲辺寺が江戸時代から当寺が千手院と称していたこともあり、大師御製かどうかはともかく古くから千手観音がご本尊とされていたことは間違いなさそうなのだが、単なる「道指南」のケアレスミスなのか、よく分からない。

五来重氏によれば、千手観音は海洋信仰、十一面観音は山岳信仰と関わりが深く、そのため山の上にある雲辺寺も、千手観音がご本尊で海にちなんだ亀を山号としているというのだが、山岳信仰の霊場であれば十一面観音であってもおかしくない。このあたり今後の研究課題として考えてみたい。

大師堂は本堂から灯籠の並ぶ坂道を登って行く。嵯峨天皇・清和天皇勅願の石碑があり、建物自体は比較的新しい。帰ってから調べたところ、背後にある奥殿が古くからある建物らしい。霊場会HPにも載っていないのだが、せっかくだから見ておきたかった。下調べが足りなかった。

大師堂で読経した後は、再び本堂近くに戻ってご朱印をいただく。このお寺も納経してくれたのは美人であった。札所の納経所には、なぜか美人が多い。


本堂はコンクリ造で近年の建物である。ご本尊である石造りの千手観音像が印象的である。


本堂から大師堂へは、灯籠の並ぶ坂道を登って行く。


大師堂。嵯峨天皇・清和天皇勅願の石柱が置かれている。背後の山沿いに奥殿があるのだが見逃した。

 

さて、この雲辺寺は他の札所と比べてたいへんひと気が多く、どこを歩いてもざわついている。ほとんどの参拝者は遍路ではなく、雲辺寺だけをお参りしに来た人達か、観光客かどちらかである。さすがにロープウェイの存在は大きいということであるが、同様にロープウェイのある太龍寺よりも、さらに人出が多いようだ。

もちろん、香川と徳島の経済力の差ということもあるのだろうけれど、お寺の経営努力という側面もあるような気がする。本堂や大師堂を新しくしたり、古くからのご本尊を秘仏にして新しい石造りの前立仏にしたり、山門をロープウェイの方に作っていることもそうかもしれない。全体に、昔からのお遍路よりも現在の参拝客重視という雰囲気を感じる。

それが本当にいいことなのかどうかは分からないけれども、集客という点では効果をあげている。私の地元にある成田山新勝寺だって、江戸時代以来の伝統にプラスして、新規設備投資に余念がない。

それに、これほどの山の上では、どんどん新しくしていかないと、風雪にさらされてどんどん建物が傷む。歴史ある本堂や大師堂も渋くていいけれど、限られた収入で次の世代にどうやって残すか考えた場合、計画的な設備改修はどうしても必要である。先週も書いたけれど、減る一方のお遍路に頼っていては存続はままならない。

この先の遍路道は、標識が少ないのでちょっと分かりにくい。登って来た時とは反対側に、水堂の横から「ロープウェイ駅→」の案内にしたがって進む。

しばらく進んで石段を下りると、立派な山門があり、傍らに手水場もあった。やはり、多くの参拝客がこちらから来ることを想定しているのだろう。参道脇には新しく大きな建物があるが、用途はよく分からない。

このお寺でちょっと困ったところは休むところが少ないということで、気がついたのは納経所前のベンチだけだった。特に歩き遍路の場合、登ってくる途中で天候が急変するということもあるし、そもそも天気のよしあしを選ぶことができないケースが多い訳だから、参拝者休憩所くらいは欲しいと思う。

この時も、山門近くには自販機しかないし、納経所のベンチまで戻るのも面倒だから、仕方なく立ったままでコーラを飲んでお昼休みにした。四国遍路仕様のコーラで、瓶型の缶に遍路姿の女の子のデザインである。容量は缶より少ない300mlで、いっぺんに飲むにはちょうどいい量である。

山門からさらに下ると、両側に五百羅漢の石像が並ぶ独特な雰囲気の参道を通る。最近製作されたもので、苔がほとんど付いていない。例の腹を開いている羅漢を探したのだけれど、五百体もいるので探せなかった。

ロープウェイ駅への道を分けると、巨大なアンテナの基地局が建っている。このあたりは香川・愛媛・徳島三県の県境の高い山だから、アンテナを立てるにはもってこいだけれど、ここまで道路を伸ばすのは大変だったろう。

アンテナ基地の先になると道は少し細くなり、さらに道が分かれて「四国のみち」はいよいよ登山道となる。もちろん、遍路道もこちらの細い道である。雲辺寺で少しゆっくりしたので、時刻は午前11時。次の大興寺までは9kmという表示がある。山道とはいえ下りなので、3時間あれば着くだろうと考えていたのだが、もちろんそんなに甘くなかった。

考えてみれば当り前で、雲辺寺は標高900m以上あり、大興寺は100m以下である。標高差が800mあるのだから、そんなに楽な道である訳がないのである。

この日の経過
スーパーホテル四国中央[タクシー]→ 椿堂 5:20 →[4.7km]
6:25 境目トンネル[855m] 6:40 →[2.9km]
7:30 遍路道入口 7:35 →[1.9km]
9:00 林道分岐 9:10 →[2.4km]
10:15 雲辺寺 10:55 →

[Oct 5, 2019]


「巨鼇山」の扁額が掲げられた山門。「鼇」は大亀。こちらも比較的新しいもの。


山門からロープウェイ駅に向かう参道には、比較的最近作られたと思われる五百羅漢がいらっしゃる。


雲辺寺山はお寺があるだけでなく、県境の稜線であることから大きなアンテナ塔が建てられている。その先で、車道と遍路道が分かれるが、ここからの遍路道がまたハード。