680 六十八番琴弾八幡宮 [Oct 15, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

観音寺をスタートする前に、スケジュールについて注意点を少し書いておきたい。遍路歩きにあたって、スケジュール策定の参考とさせていただいているサイトがいくつかあるが、それらの中でどうかと思うのが観音寺からの日程である。

あるサイトでは、68番から75番まで、70番奥ノ院を含めて9寺をお参りして午後5時半に善通寺に入る計画としている。参考とさせていただいて申し訳ないのだが、正直なところ、これは無理である。

私の場合、1時間遅く午前8時に出発したものの、弥谷寺を打ち終えたのは午後3時だった。仮に6時半に出発したとしても午後5時の納経終了までに善通寺に入るのはきわめて困難だし、2つ前の出釈迦寺あたりで途方にくれることになった可能性が大きい。そんな心配をしながら歩いても精神健康上よろしくない。

タクシーを呼んだとしても費用はそれほどかからないが、歩き遍路をしている以上タクシーはいざという時以外使いたくない。いざという時とは、ケガや体調不良、道路の不通や宿が満室といった突発事由であり、予定した速さで歩けないというのは計画に含めるべき事由である。

私の考えでは、この区間の日程は2日に分け、初日は琴弾八幡宮から弥谷寺がちょうどいい。そして余裕があれば、翌日は出釈迦寺から奥ノ院の捨身ヶ嶽禅定をお参りすることにしたらどうかと思う。
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2018年10月15日、前日は洗濯をして午後9時にはベッドに入ったが、体が痛くてよく眠れなかった。さすがに朝3時起きの5時スタートで雲辺寺の登り下り、さらに観音寺まで歩くというのはハード過ぎた。太腿をはじめ足全体が痛むし、リュックの重さで肩も痛い。風呂上りのバンテリンだけでは効かず、持ってきたロキソニンテープを手足4ヵ所に貼る。

それでも、午前4時を過ぎると寝ていられなくなった。ちょうどこの日はGamedayである。このホテルは古いけれども、wifiが使えるのでDAZNが映る。NFLのレッドゾーンを見て時間調整する。

6時25分からテレビ体操をして7時から1階のレストランで朝食。料金はホテル代に込みで5,900円、この日選んだのは和定食で、さば、焼き海苔、納豆、切干大根、卵焼きにご飯とお味噌汁。久しぶりに、ちゃんとしたご飯を食べた。

部屋に帰って、この日の支度をする。前日ここまで歩くのはしんどかったが、連泊になったのでこの日はデイパックのみである。荷物が軽いのもうれしいし、出発時間に気を使うこともなくのんびり出られるのも、今回の遠征では初めてであった。

午前8時にホテルを出発。琴弾山は駅とは反対側に市街を歩く。住宅や商店街、学校や郵便局、いくつか旅館もある。どの道を通っても、方向さえ間違えなければ大丈夫である。

住宅街の傍らに、大太鼓を乗せた山車が見えた。前日、小松尾山から観音寺市街に向かう途中でも太鼓の音があちこちから聞こえてきたが、この週末は秋祭りの最中である。伊予三島・川之江近辺では曜日にかかわらず10月13~15日固定ということだが、県境を越えてもそうなのだろうか。

10分もすると財田川にかかる橋を渡り、その向こう岸に大きな鳥居が見えてくる。琴弾八幡宮である。

観音寺といえば、銭型砂絵がたいへん有名である。土地の人々が、殿様を楽しませるため砂浜に大きく寛永通宝の砂絵を作ったという江戸時代の逸話に基づき、現在までずっと続けられている。

東西120m、南北90mの巨大な砂絵で、年に2回砂ざらえといって、掘り直して形を整えるらしい。琴弾八幡宮・観音寺・神恵院からは山の反対側にあたる。


この日の朝は和定食。前日まで厳しいスケジュールだったが、この日は7時から朝食をとることができた。


香川県に入ってもこの週は秋祭りが各地で行われていて、山を歩いていても麓から太鼓の音が響いていた。


観音寺駅前から10分ほど歩くと琴弾山が見えてくる。山の上が八幡宮。下には道の駅がある。銭型砂絵は山の向こう側。

 

六十八番札所は、もともと琴弾八幡宮である。「道指南」でも「霊場記」でも、「四国辺路日記」でもそれは変わらない。

経緯は、「霊場記」が最も詳しい。ある日、琴の調べとともに八幡神が宇佐から移ってきた。当時この山にいた法相宗の高僧・日証上人が応対し、八幡神ならば奇蹟を起こすよう願ったところ、一夜のうちに海が竹林に、浜が松林になったという。日証上人は村人に呼びかけて舟を山に上げ、「琴弾別宮」としてお祀りしたのが琴弾八幡宮である。

いつの時代からか神仏混淆し、阿弥陀如来をご本尊とする札所となった。明治の神仏分離により琴弾八幡宮と神恵院に分離され、神恵院は現在、観音寺と同じ境内にあることは周知のとおり。とはいえ、「霊場記」挿絵には現在と同じ琴弾八幡が描かれており、ご朱印をどこでいただくかはともかく、遍路としては訪れるべき場所であろう。

大鳥居のあるグランドレベルにも、立派な拝殿がある。あるいは、山の上まで登るのが大変な人は、こちらでお参りするのかもしれない。山上へは、大鳥居をくぐってすぐ右から石段が始まる。

石段は本殿まで381段で、なかなかハードである。この回の区切り打ちでは、弥谷寺や金刀比羅宮でさらに多い石段があるのだが、その第一弾ともいうべき長い登りであった。

一晩休んだとはいえ、前日に雲辺寺を登り下りしたばかりであり、さすがに一気には登れなかった。標高100mにも満たない低い山なのだが、なかなか終わりが見えてこない長い石段である。休み休み登る。

本殿は丸印に琴のマークが、透明なガラスに印刷してある。金刀比羅宮は丸印に金だから、ちょっと違う。本殿前にはお賽銭箱とともに、例の金属製納経札入れが置いてある。朝早くから、何人かの人がお参りしているけれども、お遍路姿は私以外にはない。

二礼・二柏手・一礼で拝礼し、納札する。本来納札とは、お経を奉納するか少なくとも読経してからするものとされるが、神前であれば神式の作法に従うのが無難だろう。

振り返ると、急な石段の下に観音寺市街が見える。真念が「観音まち数千の軒をならぶ」と書いている眺めである。観音寺市の現在の世帯数は約25,000、人口が約6万人だから、江戸時代からほとんど変わらない規模である。

というよりも、もともと観音寺というところは、琴弾八幡宮の門前町として発展してきたものだろう。物資の中継点・集積地としては丸亀と川之江に挟まれて大きくなりにくいし、近くにお城もない。山に囲まれているので、広い耕地がある訳でもない。

そして、観音寺市で最大の産業といえば、いまはJTに買収されてしまった加ト吉である(ブランド名「カトキチ」として残っている)。

加ト吉の社長は長く観音寺市長をしていて、観音寺グランドホテルも系列であった。加ト吉といえばもともと冷凍うどんで発展した会社で、それから多角化して冷凍食品に進出したけれども、私のイメージはいまだに「かときっちゃんの冷凍うどん」である。

その観音寺市街を垣間見ながら石段を下る。登る時と違って、下る時は楽ちんである。遍路地図をみると、麓にある観音寺へは本殿の裏から銭型砂絵展望台を抜けて行けそうなのだが、砂絵は見たことがあるし(何度も見るほどではない)、遠回りになりそうな気がしたからである。再び大鳥居まで下りて、道標にしたがって観音寺に向かう。

この日の経過
観音寺サニーイン 8:00 →[1.0km]
8:20 琴弾八幡宮 8:40 →[1.2km]
8:55 神恵院・観音寺 9:20 →

[Nov 9, 2019]


琴弾八幡宮大鳥居。グランドレベルにも拝殿があるのは、本殿まで登るのが大変だからだろうか。


八幡宮は琴弾山の頂上近くにある。標高100mに満たない山だが、長く続く石段はきつい。


琴弾八幡宮本殿。振り返ると、観音寺市内の眺めが眼下に広がる。例の納札箱が置かれているのは、お遍路のお参りが多いためだろう。