029 年金生活雑感 もう一度就職先を選べるとしたら [Nov 7, 2019]

ちょうど40年前、1979年10月1日は私の時代の就職活動解禁日だった。その頃のことを思い出して、現代の若い人達の参考になるかと思って書いてみたい。

いまのようにパソコンやスマホでエントリーシートを作成してなんて時代ではなく、朝一番で面接会場に行って訪問表に必要事項を書き込むと、ひたすら面接の順番を待つという毎日だった。

当時は世間を知らなかったので就職面接はそういうものだと思っていたけれども、よく考えると、面接希望者が多いのが半分と、残りの半分は他社に訪問できないようにしたのではないかと思う。そうでなくても面接会場はばらばらなので、移動するだけで時間がかかる。1日に3、4社回るのがせいぜいであった。

その3、4社も、総合病院並みに、2時間待ちの5分面接で、脈があれば「明日また来てください」というだけである。結局のところ、10月前半で訪問できた会社は10に届かなかった。当時の大企業のうち、ごくごく一部しか訪問できなかったということである。

当たり前のことだけれど、その会社の雰囲気や職場環境をみるためには、就職情報誌などの書き物を読んだだけではだめで、実際に訪問して採用担当者に話を聞くことが必要である。だから就職先選びというのは、実際には「運・不運」と言わざるを得ない。たまたま訪問したごく一部の会社しか比較対象にならなければ、ベストの選択などできる訳がない。

私の場合どうだったかと思うのは、その訪問先の何社かを、たまたま紹介されたとか、知り合いが勤めているという理由で選んでしまったことである。そんな関係では、何かあったときに何の助けにもならない。それは就職後に思い知った。

「ああすればよかった」というように過去を振り返ることは、若い頃からしないようにしている。すでに結果が出ていることをくよくよしても気が滅入るだけだし、時間の無駄である。そんなことをしている暇があったら、これから先どうするか考えた方がいい。

常々そう心掛けているのだが、就職に関してだけは、こうすればよかったということを時々考える。40年前のことなので今更どうしようもないのだが、もう少しやり方があったように思うのである。1年でも2年でも大学に残って勉強するなり、いろいろ考えればよかったと思う。

ただ、リタイアして3年経ち実際に時間ができてみると、それほど単純なものではなかったように思えてきた。私の世間知らずは筋金入りで、3年経とうが5年経とうが、おそらく結果はたいして変わらなかっただろう。

何しろ、会社は日本中に何万とある。大企業に限っても千以下ということはない。そのうち、当時の就職活動解禁日である10月1日以降数日の間に訪問して話を聞ける会社は多く見積もっても10か20だろう。

ということは、最大限訪問できたとしても、話を聞けるのは候補先の1%程度であり、選択肢に入る時点で、偶然が左右する要素が大きすぎる。別の言葉で言えば「運・不運」である。

サラリーマンを終えて若い人にアドバイスするとすれば、その「運・不運」の中で、誰か紹介してくれる人がいるとか、知り合いが一緒だとかいうことで決めるのはやめた方がいいということである。そういうコネにもならない人間関係は、いざ困ったことが起こった時に何の助けにもならない。

そして、きちんとした試験に受かったとか、簡単でない資格を取ったということがあれば、そういう実績は大切にした方がいいかもしれない。ただ、そういうことを含めても、「運・不運」の要素はそれ以上に大きいことはおそらく間違いない。


最初に就職活動をしてから40年が経った。どこに就職するか運・不運の要素が大きいものの、なるたけ後悔しないように心がけた方がいいかもしれない。

 

前回、最初に就活した頃のことを書いていて、思い出したことがあったので忘れないうちに。

結局、私が就職することにしたのは、ゼミの先輩がいわゆるリクルーターをやっていた会社だった。その後、その会社は合併を繰り返し、困った時にそんなヤワな関係など何の役にも立たなかった。みんな自分の身を守ることだけで精一杯だったのである。

もっとも、その最初の就職先で社内結婚したのがいまの奥さんだから、それも含めて、やっぱり運・不運だったんだろう。いいこともあれば、よくないこともある。あれこれ迷っていたら、あっという間に時間は過ぎてしまう。

思い出したことは、はっとするような美少女(だと思った)何人かに、この就職先で出会ったことである。それほどの美少女には人生でほとんど会ったことがなくて、就職先で何人かとあとは学生の頃、両手の指で数えられるくらいである。

転職して二番目、三番目の会社では、取引先を含めてそのレベルの美少女には会ったことがない。自分ではさして不思議に思わず、一流企業にはそういう人がいて、そうでない企業には少ないんだろうと思っていた。

最初に就職した頃は、どこの銀行も事務職として高卒女子を毎年何百人と採用していた。彼女たちの多くは数年で結婚し寿退社して(だから大卒女子はコネ以外ほとんどいなかった)、常に新陳代謝が図られていた。

そして、まだ雇用均等法などないから、当時の採用基準の上位は容姿であった。採用の時点で水準が高く、しかも若くて、その中でのよりすぐりとなれば絶世の美少女となる訳である。

でも、時間が経つと、会社がどうこうではなくて、女の子がきらきらしているのはごく限られた時間だということに気がついた。美少女だって時が経てばおばさんになり、人間的魅力はともかくいつまでも輝いているわけではない。

わかりやすく芸能人の例をあげれば仲間由紀恵である。輝いているというのは、例えば彼女がTRICKで売れない手品師をやっている時で、TRICK2以降はきれいだし女優として落ち着いてきたのだけれど、きらきら感はない。そういうことである。

そして、さらに気づいたのは最近のことである。はっとすることのできる感受性は、若い時しか持っていないのではないだろうか。

だから、十代後半から二十代、学生時代か最初に就職した頃だけ美少女がいたように思うのだけれど、実際にはその年齢以降、私の側に、それを感じるだけの感受性がなくなってしまったのである。

時として、そうした方面の感受性を老人になっても失わない人たちがいる。そうした中には、芸術家と呼ばれる人たちが少なくないようである。いつまでもみずみずしい感受性を失わないことは、そうした人たちには大切なことなのだろう。

でも、お前にもそれをやろうと言われても、ちょっと考えてしまうかもしれない。

[Nov 7, 2019]