690 六十九番観音寺 [Oct 15, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

大鳥居から県道に戻り、道案内にしたがって観音寺に向かう。普通の商店が続く。ドラッグストアがあり車庫があり空地がある。遍路地図では琴弾山の麓で、琴弾山自体それほど大きな山ではないのですぐ着きそうなのだが、着かない。

お寺が見えてきたので、あれがそうだろうと思って山門を入ろうとすると、別の寺である。かなり大きなお寺で、こんなに近くに2つも3つも大きなお寺があるのだろうかと思った。

この、観音寺でない方のお寺に隣接している墓地に沿って進むと、観音寺に至る坂になる。すぐ横は普通の住宅で、手の届きそうな位置に洗濯機が置かれている。

コインランドリーが建物の外にあるだけで、虫が入らないだろうか埃は溜まらないだろうかと心配になる性分である。だから、長珍屋さんのように館内にあるとうれしいし、岩本寺宿坊のようにお風呂場に隣接して置いていただくと安心なのだが、外にコインランドリーがある宿も多い。

ベルリーフ大月がそうだったし、宇和パークホテルもそうだった。この回では、ビジネスホテルMISONOがそうであった。もちろん、屋根の付いたスペースにあることがほとんどなのだが、虫は出入り自由である。

でも一般住宅で室内に洗濯機を置くのが当り前になったのは、それほど昔のことではない。私が子供の頃にはまだ電気洗濯機は黎明期で、1槽式で外側に洗濯物を絞るローラーが付いているものだった。

洗濯物を絞るのだから、もちろん水が流れる。水が流れるものを室内には置けないので、洗濯機は風呂場とか土間とか、家の外、コンクリの打ちっぱなしの上に置かれるのが普通だった。

洗濯機にちゃんと排水機能が付いて、基本的に外に水が流れないようになったのは、2槽式になってからと記憶している。おりしも昭和40年代、公団住宅やマンションなど、集合住宅が大量に供給された時期である。洗濯機も、家の中に置かなければならなくなった。

そして、下水道が100%近く普及したのも昭和50年代前半である。下水管につなげる必要から、戸建て住宅に洗濯機用の排水溝があるのがデフォルトとなり、多くの戸建て住宅で、洗濯機の置き場所が軒下やベランダから脱衣所近辺に移った。

平成になって建てられた住宅で、室内に洗濯機置場のない物件を探すのは困難だろう。してみると、バキュームカーを見なくなったのと洗濯機が家の中に入ったのは、同じ時期ということになる。

だが、古いアパート等では、いまでも入口の外に洗濯機を置いている家を見ることがある。そして、観音寺近くで、外に洗濯機を置いている住宅を見たのである。しばし、洗濯機のたどってきた歴史に思いをはせたのであった。

坂道を登って、観音寺の仁王門に達する。お寺の名前が市の名前になっているくらいだから、大きな門構えだと思っていたのだが、大きさ自体はごく普通である。両脇に金剛力士像。葷酒山門に入らないように見張っているのであろうか。


琴弾八幡宮から琴弾山を回り込むと観音寺・神恵院に達する。最初に見えてくるのは別のお寺なので注意。


山門から石段を登ってすぐ見えてくるのは観音寺の本堂・大師堂。奥が本堂。


こちらが大師堂。本堂の斜め横に建っている。奥に見えている瓦屋根が神恵院の大師堂。

 

七宝山観音寺(しっぽうざん・かんおんじ)、山号の七宝山は、観音寺市・三豊市・善通寺市にまたがってそびえる山塊であるとともに、弘法大師が瑠璃・珊瑚・瑪瑙など七宝を埋めて地鎮したことによるとも伝えられる。

ちなみに、この山塊にはいくつかのピークがあり、電子国土によると複数のピークに七宝山の名が付けられている。それだけでなく、志保山という同一の語源としか思えないピークもある。だから、もともとこの山塊全体を七宝山と呼んでいて、その理由は7つの同じような高さのピークがあるからというのは、私の思いつきである。

観音寺の背後にあるのは琴弾山で、山頂近くに琴弾八幡様がいらっしゃる。そして、観音寺を開いたのは日証上人、つまり、琴を弾きながら浜に八幡様がいらっしゃった際、「凡人には八幡様と分かりませんので奇蹟をお見せ下さい」とお願いした僧である。

日証上人は琴弾八幡宮をお祀りするとともに、別当寺として観音寺を作ったということだが、この話からするとまず寺があって、後から来たのが八幡神である。このことがあったのは大宝年間といわれるから、飛鳥時代である。空海が活躍した平安時代初期より100年早い。だから、遍路の成立より古いということになる。

もっと驚くのは、琴弾八幡宮より観音寺の方が古いということである。八幡宮が全国に広がったのは源氏の隆盛が契機だし、本家である宇佐八幡が全国的に有名になったのは和気清麻呂神託事件だから奈良時代末。仏教伝来は聖徳太子の時代だから古くてもおかしくないのだが、神社とお寺が隣接していれば古いのは大抵神社の方なので、大変珍しいケースである。

山門の石段を登ると、境内である。それほど大きな境内ではないのに、一見して位置関係がよく分からない。普通、本堂があると思われる一段高い場所にある建物には「薬師堂」の矢印がある。本堂は山門からだと一番手前、横向きに建てられているのもあまり見ない。

だが、「霊場記」の挿絵でも、観音寺本堂は参道下から見て右側、横向きに建てられている。ということは、少なくとも江戸時代初期から位置としては変わっていないということだ。歴史のある伽藍配置ということになる。

まずは本堂前で読経、観音寺のご本尊は聖観音菩薩で、ホームページには秘仏と書いてある。はす向かいにある大師堂で2度目の読経。順番からいうと観音寺は神恵院の後になるが、そこは同じ境内なのでお参りしやすい順序になる。

観音寺大師堂と神恵院大師堂の間に、奥まって建っている鉄筋コンクリートの四角い建物が、神恵院本堂である。白いコンクリ打ちっぱなしの壁面に四角く穴が開けられ、そこを入ってお参りするのはなかなかシュールである。

四角い穴から入ると階段になっていて、2階に上がってお参りする。ご本尊は阿弥陀如来、明治になるまで琴弾八幡宮で祀られていた。3回目の読経、ちょっと疲れてきた。ベンチが置いてあるので一休みする。

神恵院大師堂は観音寺の庫裏といってもおかしくない位置にあり、隣に六十八番・六十九番共通の納経所もある。この朝4回目の読経をし、ご朱印をいただく。2回の読経は何ともないのに、4回いっぺんにやるとさすがにちょっとだるい。恐れ多いことである。

お参りが終わって山門を出る。次は本山寺だが、道案内は見当たらない。ひとまず、財田川沿いの県道に出れば間違いないだろうと、そちらの方向に歩き始める。ほどなく、石碑がみつかった。時刻はまだ午前9時を過ぎたばかりである。

この日の経過
琴弾八幡宮 8:40 →[1.2km]
8:55 神恵院・観音寺 9:20 →


鉄筋コンクリートの神恵院本堂。コンクリート打ちっぱなしにぽっかり開いた四角い穴は、なんともいえずシュールである。中に階段があり、登ってお参りする。


神恵院大師堂と観音寺・神恵院共通の納経所。左手は広く空地になっているので、あるいは新しく何か建てるのかもしれない。


山門を出たところ。すぐに道案内はない。左手奥に見えているのが、山号になっている七宝山。