700 七十番本山寺 [Oct 15, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

県道に復帰し、財田川に沿って本山寺を目指す。歩道が広く、片側一車線の立派な県道である。

川の向こうには平野が広がり、前日歩いた小松尾山からの道がどこかにあるはずだが、見ただけではよく分からない。遍路地図を見ると、琴弾八幡・観音寺を頂点にV字の経路となるので、距離的には小松尾山から本山寺に直行した方がずっと近い。

このあたりを歩いていて、足がなかなか進まないのには困った。前日のハードスケジュールが祟ったのか、まだ午前9時を過ぎたばかりだというのに、ぐったりして調子が出ない。生身にエンジンブレーキがかかったようだ。

県道は川の流れる方向に沿って、やや右にスライスしている。基本的には橋のある地点にしか交差点がないので、次の交差点までが遠い。㌔ポストもなく、どのくらいのペースで歩いているのかもよく分からない。

そんなに歩いていないはずなのに、次の橋でさっそく「本山寺→」の標識が出てきた。早く右折しても遠回りになるので直進する。遍路地図を見るとしばらく先に細い道があるので、歩行者はそこを通ればいいのだろう。

一つ先の交差点の少し先で財田川が2つに枝分かれしており、中洲にあたる部分に渡る小さな橋がかかっている。あれが、遍路地図に載っている点線のルートだろう。脇道に入って住宅の裏を通り橋を渡る。車が通れないほど狭くはないが、すれ違うのは厳しそうだ。

橋を渡った先は、川に沿って進む歩道だった。流れよりかなり高くなっているので、堤防を兼ねているものと思われた。右側は川、左側には田畑と民家が続いている。

今回の区切り打ちの準備のひとつとして手賀沼湖畔を歩いたのだが、ちょうどこういう景色だった。堤防の上に歩道が続くのも同じである。実はその時、気温が急に高くなった中、堤防上を往復12km、さらに家まで10km歩いて、体調がおかしくなってしまったのであった。

だから今回の区切り打ちでは、最初の2、3日たいへんきつかったのだが、その後に山道が続き、スケジュールも押せ押せだったのでそんなことは言っていられなかった。雲辺寺を下ってようやく余裕が出て、疲れが表面に出てきたのかもしれない。

何日か前に歩いた千葉県と同じような景色を見ながら、淡々と歩く。何にせよ、右足と左足を交互に出していれば目的地に近づくのはありがたいことである。山道では油断していると滑るし足を踏み外す。

歩いているうちに、左の住宅地がだんだん密集してきて、5階建ての建物も出てくるようになった。その向こうから、五重塔が見えてきた。見えたかと思うと建物の陰にかくれ、また見えると少しだけ近づいている。あれが、本山寺に違いない。

10時30分到着。観音寺から1時間10分である。GPS測定で4.8kmで信号待ちもあったから、疲れていた割には早く歩けている。


観音寺から本山寺まで、財田川に沿って県道を歩く。前日の疲れなのか、朝のうちは調子が上がらない。


片側一車線の県道から、写っている橋を渡って中洲の細い道に入る。


お遍路前に予行演習した手賀沼湖畔の道とよく似た川沿いの道。おそらく堤防を兼ねているのだろう。もう少し行くと、遠くに五重塔が見えてくる。

 

七宝山本山寺(しっぽうさん・もとやまじ)。山号は観音寺・神恵院と同じく背後の七宝山から。本山庄にあることから本山寺と呼ばれるようになったが、もとは長福寺という寺号だったと「霊場記」にある。

その霊場記挿絵を見ると、立地が現在とほぼ変わりないので驚かされる。川沿いの道から、仁王門を入って奥に本堂があるのは江戸時代から変わらない。しかし、本堂の横に五重塔はない。明治時代になって再建されたからである。

鎌倉時代に造られた本堂は国宝、仁王門は重要文化財である。境内はかなり広いのだが、工事中の隔壁や作業用車両の通路で分断されてしまい狭く感じる。

ご本尊は馬頭観音菩薩。四国八十八札所で唯一の仏様である。たいへんめずらしいので見せていただきたいのだが、残念ながら本堂の中にいらっしゃって見えない。

ただ、いただいたお姿によると、頭部が馬なのではなくて、不動明王のようなお顔で、頭に馬の頭をかたどった冠を被っている。調べると、多くの馬頭観音像は馬の姿ではなく、憤怒相の人面という造形となっているようである。

もともと馬頭観音とは、馬が観音様になったのではなく、観音様が畜生界を救うためのお姿をとっているもので、観音様であれば人面というのは当り前である。なぜ馬の頭と思っていたかというと、子供の頃に成田街道沿いにあった馬頭観音の石像はたいてい頭が馬だったので、そういうものかと思っていたのだ。

それも間違いという訳ではない。というのは、もともと馬頭観音はヒンズー教のヴィシュヌ神である。ヴィシュヌはシヴァと並んでヒンズー教の神々の中で格の高い神のおひとりであるが、ある時ブラフマー(梵天)の呪いを受けて頭がなくなってしまい、代わりに馬の頭をかぶって活躍したという神話があるらしい。

ヒンズー教ではそうなのだが、仏教では観世音菩薩が六道を救うため六つの形をとるうちの一つなので、人面の憤怒相をとっている。憤怒相をとる仏様は不動明王がたいへんポピュラーなので、不動明王が馬の冠を頭に乗せているように見えるのであった。

さて、明治時代末に建てられた五重塔は築百年を超えるため、2018年10月現在「平成の大修復」の最中である(平成では終わらず、令和になって完工するだろう)。境内いたるところに、「平成の大修復」の看板が立てられているのは、かなり美観を損ねている。

とはいえ、解体修復ということだから、相当の資金と工事期間が必要である。国宝になるような古い建築物であれば国からおカネが出るだろうし、善通寺のような大寺院なら資金力があるけれども、札所であるというだけではそれほどの余裕があるとは思えない。修復工事をアピールして、広く浄財を呼びかけないと難しいのだろうと思う。

明治時代の住職が、目がみえるようになったことに感激してかつての五重塔を再現したということだが、作る以上に維持管理におカネがかかるのは古今東西の習いである。八十八の多くのお寺に言えることだが、これまで残されてきたものを将来も残して行くのは、なかなか大変なことなのである。

この寺のお参りの際たいへん困ったのは、私と同じ頃に現れたじいさんが、ダミ声の大声で読経するのである。それも、どこの流儀なのか、最初は祝詞(なぜ祝詞?)、三帰三竟十善戒と続いて般若心経、光明真言、十三仏真言などを早口のダミ声の大声でまくし立てるのである。

すでに69ヶ所プラスアルファをお参りしている訳だから、大勢の読経も大声の読経も、平気とは言わないが自分の読経に集中することができる。でもこのじいさんの早口のダミ声の大声はどうにもお手上げだった。本堂では重なってしまったが、大師堂ではタイミングをずらして心静かにお経を上げた。

お参りを終えて納経所に行くと、「飴をどうぞ」とご接待される。「それでは1つだけ」とフルーツ飴をいただくと、「弥谷寺まで歩きだと遠いし、階段が多いからお腹がすくと大変ですよ。持っていらっしゃい」と6つ7つ一掴みでいただいた。よほど疲れているように見えたのであろうか。

この日の経過
神恵院・観音寺 9:20 →[4.8km]
10:30 本山寺 10:50 →

[Dec 7, 2019]


本山寺仁王門。現在「平成の大修復」工事中で、作業道の柵が境内に続いている。


山門から参道をまっすぐ進むと、五色の幔幕に囲われた本堂。鎌倉時代の建築で、国宝である。写真はすでにダミ声じいさんが去った後。


境内は十文字に石畳の参道があり、本堂からみて左手に大師堂がある。大師堂の右が五重塔で、現在修復工事中で重機が何台か止まっていた。