710 七十一番弥谷寺 [Oct 15, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

本山寺を出て、国道11号線を目指す。遍路地図を見るといろいろ行き方はあるが、何と言っても国道11号が間違いない。脇道を歩くのは、国道で周囲の様子をつかんでからでいい。

200mくらい向こうに車がたくさん通っている道が見え、ゆめタウンがある。あそこが国道に違いない。「you me town」と書いてゆめタウン、ショッピングセンターである。九州の地場スーパーだとばかり思っていたので、四国の高松近くにまで進出していたのは意外だった。

ロードサイド店が立ち並ぶ国道に出ると、さすがに車が多い。国道11号線は、県境を越えると観音寺の中心部は通らず坂出に向かう。だから観音寺から本山寺までは県道頼みとなるが、本山寺から弥谷寺までは国道に沿って進むことができる。

11時過ぎに国道に出た。そろそろお昼の時間だが、お腹がすいたというよりは甘くて冷たいものが食べたい。遍路地図によるとこのあたりにミニストップがあったはずである。それも2つ続けてある(三豊豊中町店と三豊高瀬店)。お遍路ではファミマにたいへんお世話になっているが、個人的に一番好きなコンビニはミニストップなのである。

なぜかというと、ソフトクリーム系が充実しているからである。ファミマのフラッペ系も捨てがたいが、ミニストップの季節ごとのソフトクリーム、ハロハロ、パフェは大好きである。そういえば子供の頃、パフェが食べたいといつも思っていた。でも、なかなか食べさせてもらえなかった。

国道に出て10分ほどで、1つ目の高瀬豊中町店に着く。コーヒーフロートをお願いして、イートインコーナーで食べる。本山寺のところで書いたように、この日の午前中はだるくて足が前に進まなかったが、コーヒーフロートを食べたら生き返ったような気がした。

このあたりは三豊市であるが、三豊(みとよ)は昔からあった地名ではなく、三野と豊中という旧町名から作った新地名である。そして、三豊市役所のあるのは旧・高瀬町。高瀬と三野はJRの駅名として、豊中は高速道のIC名として残っている。ミニストップは、豊中町と高瀬町に一つずつあった訳である。

国道沿いに「ようこそ三豊市へ」という大きな看板がいくつもあって、アップにされているのは当地出身の要潤(かなめ・じゅん)である。

要潤といえば「亀は意外と速く泳ぐ」、この映画にはギリヤーク尼ヶ崎師も出演している。主演は「のだめ」で、助演は山ちゃんと結婚した蒼井優、「井之頭五郎」もラーメン屋役で出て来る。みなさん一発屋で終わらなくて、何よりのことであった。

国道はまっすぐ続くので、側道に入ってみる。このあたりはため池の多いところで、大小のため池を縫うように脇道が続いている。向こうに山並みが見えて、いい眺めだ。背後の山は弥谷山、天霧山、我拝師山といった山々で、この日の午後と翌日に歩くことになる山であった。

再び国道に復帰する。三豊市役所の前を通り、午後1時にもう一軒のミニストップ、三豊高瀬店へ。1時間ちょっとしか経っていないが、今度はソフトクリームとコーラを買う。お腹の中ではコーラフロートになっているはずだ。イートインコーナーに、お遍路優先座席があるのはうれしい。結局、この日の昼はミニストップ2軒の冷たいもので済ませた。

ミニストップの脇から、弥谷寺に向かう県道に入る。この県道は大型車ではすれ違えないくらいの狭い道なのだが、まっすぐ山の方向に続いていて、建物があまりないものだから遠くまで見通しが利く。すると、目の前にある山が弥谷山で、中腹に見える建物が道の駅であろう。弥谷寺はその上にあるはずだが、遠くからではよく分からない。

山に向かって2~3km、ひたすらまっすぐ進む。時々細い道が交差するが、山の方に向かって行けば間違いない。太い道と交差し、その先で車道と遍路道が分かれていよいよ登り坂である。遍路道を登るけれども、数百m上で再び合流する。このあたり、結構登ったのにまだ民家がある。

息が切れるほど登って、ようやく道の駅である。その少し先が弥谷寺の山門になる。山門の左手から車道が登っており、マイクロバスが何台か止まっていた。私はもちろん歩きである。それにしても、道の駅からこんなに近いのに、下からは弥谷寺の位置がよく分からないのは謎である。山の影になるのだろうか。


本山寺から弥谷寺にかけて、たいへんため池が多い。後方右から我拝師山、火上山、天霧山。


再び国道11号に出た。三豊市役所近くに、ヘンロ小屋高瀬があった。


ミニストップ三豊高瀬店の横から田舎道に入り、まっすぐ先が弥谷山である。中腹に見えているのが、いやだに温泉のある道の駅。

 

登り始めて間もなく、柵でバリケードされて入れなくなっている古い建物があった。「俳句茶屋」と看板がある。「老朽化により危険ですので、立ち入らないでください」と書いてある。WEBには営業していたという記事も載っているのだが、確かに見た目も危なそうだった。

570段あるという石段を登り始める。なるほど、なかなかきびしい石段である。300段ほど登ったあたりに、自販機とベンチがある。ここで一休みする。ここで休んでいた老夫婦が、「自販機があるということは、裏から車道に抜けられるんだよ」と話していた。なるほどそう言われると、参道の柵の外に砂利道が続いていた。

剣五山弥谷寺(けんごさん・いやだにじ)、寺伝によれば、弘法大師が当山で護摩修法を行われた際、蔵王権現のお告げにより五柄の剣と唐より持ち帰った五鈷鈴を納められたことから、剣五山の山号とした。また弥谷は、仏の住む弥谷(みせん)の名をとったものという。

また、この弥谷寺は、恐山と並ぶ死者の山としても有名である。死者に再び会いたいと願う人は、関東ならば恐山に行くものとされるが、関西であれば弥谷寺に行けば会えるという。かの水木しげるの妖怪図鑑にも、「いやだにさま」として掲載されているくらいである。

そんな予備知識を持って仁王門まで来たのだけれど、実際は考えていたようなおどろおどろしい雰囲気ではなく、ひたすらしんどい登りが続く。大師堂・納経所のあたりまでは階段が続くと思うだけであるが、そこから本堂エリアまで、さらに百段以上登るにしたがって、なるほどそれらしき奇観となる。

本堂に登る最後の坂は、右側が山の岩肌で、いつの時代のものなのか多くの磨崖仏が刻まれている。その一角から水がしたたっており、たくさんの護摩木が供えられている。横に書いてある説明に、この水は山の上にあるのに涸れたことのない霊泉で、峰続きの天霧城の水の手として用いられた、と書いてある。

天霧城は戦国時代まで存続した山城で、室町幕府の管領・細川氏に仕えた香川氏の居城であった。香川県の香川なのでもっと有名であってもおかしくないのだが(律令時代からの地名である香川郡からそう名乗った)、長宗我部氏に敗れ、その長宗我部氏も秀吉に滅ぼされたので、いまや山の半分が採石場となってしまった。

この水場から始まる一画は昼なお暗く薄気味悪いが、恐山のようなおどろおどろしさはない。おそらくそれは、お参りする人達の念によるもので、人形だとか風車だとか三輪車がうず高く積まれている恐山とは違う。確かに、昔の人達は磨崖仏に気味悪さを感じたかもしれないが、私にはどちらかというと歴史の重みを感じさせる。

磨崖仏のある岩壁にそってさらに数十段を登ると、本堂である。山門から本堂まで合計570段ある。本堂前からは、これまで歩いてきた三豊市の景色が広がる。海も近いのだけれど、山の反対側になるため見ることはできない。

ご本尊は千手観音菩薩。本堂の奥にいらっしゃる秘仏である。本堂には自然木の銘板が掲げられており、「大然殿」と書いてあるのだろうか、おそらく大自然の造り出した本殿という意味と思われた。

この時間本堂まで登ってきているのは私だけで、静かに般若心経を唱える。本堂エリアにはお寺の人はいない。お勤めの時以外は大師堂の方にいらっしゃるようである。

登ってきた石段を下りて、大師堂へ。大師堂の中は広くなっていて、お参りをする仏壇の前が納経所である。これでは、お参りの前に納経という訳にはいかない。納経所の前を通る時、「お参りが終わりましたら、奥にお進みください」と声をかけられる。

大師堂の奥には獅子之岩屋という場所があり、建物の中から、ガラス越しに岩壁の磨崖仏を見ることができる。ここが弘法大師が修行した洞窟ということで、わざわざ磨崖仏を見られるように大師堂を建てた訳である。

お参りが終わって大師堂を振り返ると、どうやってあんな場所に貼ったんだろうと思われるような高いところに、千社札が貼ってある。建物自体それほど古いものではないようなので、修復工事の際にわざと古いお札を残したままにしたのかもしれない。


弥谷寺仁王門。道の駅から少し登ったところにあるが、ここから先が540段続く階段である。


これは370段上ったあとの、大師堂への石段。本堂へは、さらに170段ある。切幡寺に匹敵する、八十八札所最大の段数である。


弥谷寺本堂。銘板の材質・筆跡は仁王門と同じに見える。形もほぼ同じなので、同じ木から作ったのかもしれない。字は「大然殿」と読むのだろうか。背後はずっと岩壁で、無数の磨崖仏が彫られている。

 

真念「道指南」に、「白方へかけぬれば山越に行道有」と書かれているが、白方とは海岸寺のあるたりの地名である。海岸寺は別格二十霊場の十八番札所であるとともに善通寺の奥ノ院でもあり、弘法大師誕生所を善通寺と争ったこともあるという。

朝の予定では山越えして海岸寺をお参りしようと思っていたのだが、もう午後3時になるし、道もよく分からない。おそらく天霧城方面という山道を行くものと思われたが、納経所からまた登らなくてはならないし、山道は荒れていると遍路地図に書いてある。ここは自重して、来た道を戻るのが安全であろう。

数百段の階段を下り、道の駅へ。温泉前にあるバス停の時刻表を見たけれども、次のバスは1時間以上先だ。道はいま登ってきた方向と、奥にも続いている。近くで送迎待ちをしている運転手さんに聞いてみた。

「すみません。詫間に行くにはどう行ったらいいですか」

詫間?歩くなら、みの駅の方が近いよ。特急に乗らないならその方がいい。ここから下りて(と、登ってきた方向を示して)右に曲がってまっすぐ行けば着く」

ありがとうございましたとお礼を言って、来た道を下りる。帰ってから調べてみると、奥に進むと津島ノ宮に向かってしまうようだ。子供の守り神として有名な津嶋神社の最寄駅であるが、残念ながら特定日(年に2回だけのお参りできる日)にしか電車は止まらない。

あとはどうやっても着くと思って適当に歩いていたら、登る時は山を目指せばよかったのだけれど下る時は目標となる物がなく、どこを歩いているのか分からなくなってしまった。住所表示は弥谷寺の下からずっと「三野町大見」、真念「道指南」も通った大見村である。でも、30分歩いても、線路が見えてこない。

たまたま通りかかった小さい子を連れたおかあさんに聞いてみると、来た方向からは90度左の方向を指さして、

「三野町の駅は、ここをずーっとまっすぐ行って、用水路に沿ってさらにまっすぐ行って、T字路に突き当たるのでそこを右に折れれば着きますよ」

ということだった。口ぶりから、ずいぶん遠いような気がしたのだが、実際に遠かった。用水路のあたりから電車が見えたので安心したのだけれど、結局、弥谷寺からみの駅まで1時間15分かかってしまった。

それでも午後4時なので、海岸寺への山中であせって行くよりずいぶん楽に歩けたのではないかと思う。駅の自販機で「お遍路仕様」コカコーラを飲んで電車を待つ。お遍路姿の若い女の子が3人笑っているデザインである。お遍路で見る若い女の子は大抵一人で、グループで大騒ぎしながら歩くのは例外なくおばさんなのだが。

ホテルに帰ったのは午後5時過ぎであった。コインランドリーで洗濯機を回すと、ちょうどレストランの開く午後5時半となった。四元豚のトンカツ定食とビールで夕飯にする。前日はコンビニご飯だったので、パワーが回復できるような気がした。

この日の歩数は45,065歩、GPSで測定した移動距離は24.2kmでした。

この日の経過
本山寺 10:50 →[2.9km]
11:35 ミニストップ三豊豊中町店 11:50 →[5.4km]
13:00 ミニストップ三豊高瀬店13:15 →[4.4km]
14:20 弥谷寺 15:00 →[4.5km]
16:15 JRみの駅 →[電車]観音寺サニーイン(泊)

[Dec 29, 2019]


本堂の背後は、歩いてきた三豊市から観音寺にかけての眺めが広がる。


弥谷寺大師堂。中に納経所がある。お堂の中を奥に進むと、磨崖仏をお祀りしてある獅子の岩屋もある。


この日はJRみの駅に戻ってホテルへ。今回新調したモンベルの編み笠と、方々で自販機にあった四国遍路仕様コカコーラ。