127 他人が気にすることに興味はない [Dec 24, 2019] ~せいうち日記127

2019年もいよいよ12月後半である。リタイアして4度目の年末、4度目の正月を迎えることになるが、大きなストレスなく心やすらかに過ごせるのは何よりのことである。

12月13日は今年最後の年金支給日であった。予定通り入金があったことを確認する。当日は銀行のCDコーナーが混むので、すでに生活費等は下ろしてある。あとは年末年始の資金だが、これは大晦日に近くなってからでいい。

年末年始用の食材のうち、肉類はすでに購入済である。最近のお気に入りは守谷市役所近くの藤井肉店で、家から車で1時間ほどかかるが行くだけの価値がある。牛肉・豚肉合わせて5kgほど買い、小分けして冷凍した。

ここのお肉はたいへんおいしくて、値段もそれほど高くない。以前は船橋東武の人形町今半に買いに行っていたのだが、いかんせん高いのといつ行っても混んでいる。道路も混むので最近足が遠のいている。

冷凍庫に入れると味が落ちる懸念はあるけれども、これまでの経験では十分おいしい。昔、テニアンで見たお肉はすべて冷凍で、ダイナスティホテルでもそれでステーキを出していた訳だから、冷凍だからといってすべて味が落ちるということはないだろうと思っている。

魚介類は函館の魚屋さんからの直送を予約した。このお店はしばらく前に毛ガニを買ってからダイレクトメールが来ていて、年末の「おまかせセット」ではカニ、エビ、イクラ、ホタテ、数の子、昆布巻き、松前漬けなどの詰め合わせがお買い得である。今年もそれをお願いして、年末に送られてくる予定である。

カレンダーは、以前は写真工房のカレンダーを使っていたのだが、何年か前に子犬・子猫シリーズを止めてしまった。仕方がないのでホームセンターで同じような子犬・子猫カレンダーを探してきた。生きたペットを飼うのは気が進まないが、写真で見るだけなら問題はない。

年賀状はこのところ富士フィルムの年賀状サービスを使っている。歳とともに宛名書きが面倒になってきて、数年前から宛名印刷サービスを使うようになった。1枚あたりハガキ代含めて200円以上になってしまうが、年に一度のことだしたいした枚数もない。今年の写真は、お遍路結願を記念して大窪寺本堂である。

ローンはないし、年末の税金・保険料と公共料金は口座に入れてあるし、ペイジーで奥さんの年金保険料は払った。ワインもあるし、「田酒」の一升瓶も買ってある。だから、あとは突然の支出がないよう祈りながら、年の瀬を待つだけである。

リタイアする前は、ボーナスが入らなくてやっていけるだろうかと心配だったが、3年も経てばどうということもない。ちょうどボーナスの時期に中間決算の配当金が入って来て、それが1万円ちょっとなのだが、それでもうれしいくらいである。

だから、奥さんと子供たちには、今年もお年玉を用意することにしている。多くはあげられないが、臨時収入は金額ではなく、入ることがうれしいと思うからである。

あと今年中にやらなければならないのは、頭を刈りに行くことと、できれば山を歩きたいことである。それを除けば、週3回スポーツジムに行って、残りの日はNFLや将棋を見て過ごせば、あっという間に新年になる。

忘年会だの何だの世間の人は忙しそうだが、私はこの生活で満足である。もう少し懐が豊かであればと思うこともあるが、ストレスをためるくらいならこのままで十分と負け惜しみでなく思うのである。


カレンダーも用意して、2020年の準備はあらかた終わりました。

 

先週、今年の年末行事のことを書いたけれども、特に最近感じることがあるので追加で書いておきたい。

リタイアして通勤がなく、他人との交際もなく、新聞もとらなければTVもほとんど見ない生活を送っていて感じるのは、忘年会とかクリスマスとか、おそらく世間の人達が節目として気にするようなことが全く気にならないことである。

正月はそれなりに気にする。年賀状も出すしお年玉も用意するし、家族そろってご馳走を食べるのも楽しみである。そして、スポーツジムや図書館など公共施設が休みになるので、嫌でも年末年始を気にしなければならない。しかし、それ以外のことは注意を引かないのである。

暦の上では明日がクリスマスであるが、キリスト教徒でないのでミサに行かなければならないということはない。それ以外でクリスマスだと大騒ぎしているのは、それを利用して商売しようとする人達で、そうしたことに何の関心もない。

流行語大賞だの今年の漢字だの、今年の新商品とかなんたらグランプリなどということにも、何の関心もない。そもそもそうした行事は私の子供の頃にはなく、今だってなくても困らないものである。

自分自身を振り返ると、小さい時から他人と同じことをしなければならないとは思っていなかった。いつもクラスの主流派とは離れたところにいて、いじめられなかったのは単に体がデカかったからだろう。

サラリーマンになる時、会社は狩りをしている集団と同じだから、他人と合わせられなくても狩りがうまかったり、獲物の習性をよく知っていたり、地理や気象状況に詳しければ居場所はあるだろうと思ったものである。

ところが、会社というものはそういうものではなかった。獲物に逃げられても、迷子になっても、突然の嵐に見舞われても、みんなで困った困ったと言っていればそれでいいらしいのである。私には理解できないことである。

極端な言い方をすれば、彼らにとって会社というのは暇つぶしであって、獲物が多い少ないはどうでもいい。それよりも、周囲の連中とうまくやって、いっとき楽しく過ごす方が大切なのである。迷子になったり嵐に遭うと命の保証はないというのに。

余計な情報がほとんど入ってこない現在の環境は、私にとって小さい時から求めてきたものである。生涯現役だの社会参加だの、暇つぶしのためにご大層なことを言わないでほしいものである。

清潔で静かな住環境があり、贅沢はできないけれど毎日おいしくご飯を食べることができて、健康維持のためにジムやプールに行きたまに旅行もできる。それで十分ではないだろうか。

私がいればもっと獲物を捕ることができる、危険な目に遭わなくてすむといったところで、そういうことを求めていない連中と組んでろくなことはない。最低限の生活を確保できる目途が立ったら、そうした連中と関わらないのがベストである。

年とって当り籤を引く可能性が高くなってきたら、心すべきは他人にどう思われるかではなく、自分がどう思うかということである。私は、世間の多くが血道をあげていることにほとんど興味がない。そうした余計なこととは、さりげなく手を切るのが安らかに生活する上で必要ではないかと思う。

[Dec 24, 2019]