026 大晦日、地元の神様にご挨拶 [Dec 31, 2019]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

年の暮れはあまりいい天気ではなく、山歩きをしたかったのだが適当な日がなかった。大晦日になってようやく晴れて、気温も20℃近くに上がるという予報である。せっかくのいい天気なので、地元の神様に年末のご挨拶をしようと思い立った。

朝方まで残っていた雨が上がり、太陽が顔をのぞかせたのは10時過ぎ。予報通り、日が差したとたんに温かくなった。千葉ニュータウンは東西南北どちらに向かっても里山があり、由緒ある神様も多くいらっしゃるが、この日は北西方向へ。

秋にタイガー・ウッズが来た習志野カントリーをぐるっと回り込んで1時間ほど歩くと、火皇子(ひのおうじ)神社がある。まずそこを目指す。

何年か前にこのあたりを歩いた時には、まだ周辺が未開発で、何もない草原であった。ところが、ここ数年で工業団地の開発が進み、倉庫が次々と建てられた。建てているのはGoodmanという会社で、ホームページを見るとオーストラリアの不動産会社らしい。

建設中の鉄板に描かれた会社説明によると、職住接近で環境重視の会社で、通販の即日配送をサポートするらしいのだがこれだけではよく分からない。でも、建設済の倉庫には多くの車が止まっているので、みんな自動車で通勤しているのだろう。

火皇子(ひのおうじ)神社は、畑の中に神社の周りだけ家が集まっているという妙な立地だったが、現在はすぐ近くまで住宅分譲が進んでいる。祭神はヒコホホデミノミコト、山幸彦としても知られる皇室の祖先神である。

境内には「正一位」の立派な石碑があるが、これは近年になって建てられたものである。氏子さん達が新年の準備をしていた。二礼二柏手一礼で一年の無事にお礼申し上げる。神様にお願いすべきは、いいことが起きることではなく、悪いことが起きないことである。

谷を下ってしばらく西に進み、北に石段を登ると長楽寺がある。こちらのお寺も古く、市の文化財となっている梵鐘は室町時代のもの。長生き観音に健康をお礼して、近くにある大森鳥見神社に向かう。

印西市にはいくつか鳥見神社があるが、「とみじんじゃ」と呼ぶ。「とみ」とは律令時代の郷名である「言美(とみ)」から付けられたものと考えられる。物部氏との関係が深いとされる。印旛沼に近づくと宗像神社が多く、こちらは九州の神様である。

やはり新年の飾りつけの最中で、鳥居前には日の丸の旗が交差して立てられ、鳥居の注連縄も新しくなっている。この鳥居は元禄年間というから綱吉将軍の時代。いま奥の細道を勉強しているのでちょうどその時代である。

大森鳥見神社を過ぎてそのまま北に下ると、すでにそこは広い意味での利根川河川敷である。県境を越えて茨城県側までの眺めが広がる。大森浅間神社はその河川敷を望む高台にある。標高30mほどの小さな山だが、江戸時代の錦絵にも登場するらしい。

現在では、国道建設にあたり北側の山体が削られてしまっているものの、それでも参道の階段からはかつての眺めを彷彿とさせる風景を望むことができる。


このあたりは数年前まで何もない草地だったが、工業団地の倉庫が次々と建っている。


火皇子神社。境内に「正一位火皇子神社」の石碑がある。正一位は享保年代というから、江戸時代中期に宣旨を受けたもののようだ。


大森鳥見神社。鳥居は元禄時代のものというから、かなり古い。

 

急な階段を数十段、踊り場を3つくらい経由して大森浅間山の頂上に達する。階段上は平らになっていて稲荷神社と社務所があり、さらに高くなっている場所に浅間神社がある。ここまで登るには、階段と逆側からはスロープしかなく、どうやって建設資材を上げたのだろうかと思ってしまう。

祠のある頂上からは360度の展望が開け、かつては富士山も望むことができたという。浅間神社は富士山をご神体として拝む神社なので、当然そうなのだろう。

すでに午後1時を過ぎて、3時間歩き通しである。浅間神社から印西市役所を越えて、ひょうたん池公園でひと休みする。公園から奥に進むと「ふれあいの小径」という遊歩道があり、その先に竹袋稲荷神社の参道に登る階段がある。

拝殿までけっこう歩いたが、裏山に比べて拝殿前はコンパクトだった。すぐそばの脇道に鳥居があり、そこから45度ほど右に谷を下ってもう一つ鳥居が見える。新年の支度をしていた方に教えていただいたところによると、右が表参道ということである。

初めて来たというと、親切にいろいろ教えてくださった。

「こちらの稲荷神社は、八犬伝の里見家から寄進を受けて社殿を作った古い神社で、利根川を運んできた材木が陸揚げされた場所ということで木下(きおろし)の名前が付きました。江戸時代に鮮魚を江戸に運んだことで木下が有名になりましたが、竹袋の方が古くから開けているのです。」

「このあたりは竹袋村という村で、いま市役所のあるあたりまでが村でした。でも、ニュータウン計画に反対して行政によく思われていないことから、開発の面では取り残されています。昔からうるさい人が多かったようで、成田線の線路を通す時も、家の田圃に行けないということで踏切をたくさん作らせました。だからこの区間にはやたらと踏切が多いのです。」

「拝殿前にある灯篭はお女郎さん灯篭といって、昔、年期の明けたお女郎さんが郷里に帰れず、途中の木下で下働きをして暮らしたということがあって、その人が寄進したのでその名前となったのです。」

他にも、この地域のいろいろな祭りのこととか、利根川から水道局まで車が通れるほど太い取水管が通っていることとか、このあたりが風の通り道になっていることとか、いろいろお話をお伺いした。たいへん勉強になった。

帰り道では、別所熊野神社にお参りする。天台宗の寺院である金龍山宝泉院地蔵堂と並んで建っている。千葉ニュー地域には天台宗のお寺さんが多く、他には禅宗系があるくらいである。

熊野神社というくらいだから、もともとは修験道系の熊野信仰が出発点であるが、後の時代には神仏習合してそれぞれの土地を鎮守する神様となっている。建物は新しくきれいで、千葉ニュータウンの建設に伴って整備されたもののようである。

ここから約1時間、亀成川沿いのあぜ道を通って帰った。夕方に近づくと風が強くなって、翌朝はかなり冷え込んだ。

この日の経過
自宅 10:25
11:55 火皇子神社 12:00
12:35 長楽寺・大森鳥見神社 12:45
13:05 大森浅間神社 13:15
14:00 竹袋稲荷神社 14:15
14:30 別所熊野神社 14:35
15:35 自宅
[GPS測定距離 16.9km]

[Jan 7, 2020]


大森浅間神社。国道建設のため北側(左)の山体が崩されたが、かつては利根川を望む景勝地だったという。


竹袋稲荷神社。ひょうたん池公園からふれあいの小径経由の参道にある鳥居。近年整備されたもの。


別所熊野神社(奥)。手前は金龍山地蔵堂。社屋は千葉ニュータウン建設の際に整備された。