730 七十三番出釈迦寺 [Oct 16, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

曼荼羅寺を出ると、出釈迦寺まで800mの標識がある。間には、大きな墓地があり、車道の途中から西行庵への道を分ける。まさに、本堂と奥ノ院といってもいい位置関係である。

10分ほど歩くと出釈迦寺の階段が見えてくる。その前にある大きな建物は「民宿坂口屋」と書いてあるが、遍路地図にも載っていないので、ずいぶん前から営業していないようだ。「坂口屋」というと太龍寺から下りてきた民宿を思い出す。相当な設備投資をしただろうに、もったいないことである。

階段を上がると境内である。曼荼羅寺ほどではないが、結構広い。本堂と、その右隣に大師堂、その前には何列かベンチがある。本堂の左に納経所があり、その近くに屋根の付いた休憩所がある。

こうして歩き遍路をしていると、ベンチがあるというだけでたいへんありがたい。お寺によってはお堂の前にベンチが1つか2つ、休憩所などないというところは珍しくない(名前を出して悪いが、雲辺寺とか)。こうして歩き遍路のために心遣いをしていただけるのは、さすがお大師様の生まれ育った場所である。

我拝師山出釈迦寺(がはいしさん・しゅっしゃかじ)。我拝師山は曼荼羅寺と同じく、空海が修行した背後の山であり、寺号はお大師様が捨身ヶ嶽で修行したとき、お釈迦様が現われたという伝説から名付けられた。

しかし、五来重氏が書いているとおり出釈迦寺はもともと曼荼羅寺の奥ノ院であり、西行が「曼荼羅寺の行場」と述べているから、少なくとも平安時代末までそうであったことは確かである。

本堂前には、比較的新しい仏足石が備えられている。その隣に「瑞氣」と大きく看板が掲げられているのは、どうやら捨身ヶ嶽で満月の日に祈念したお守りのようである。お守りというと私などはどうしても神社でいただくものだと思ってしまうのだが、お大師様は厄除けもなさるのだから、お守りもあって不思議はない。

大師堂もお参りして、まず出釈迦寺のご朱印をいただく。時刻は午前10時20分、捨身ヶ嶽に行って戻ってくると、ちょうどお昼頃になるだろう。階段を下りたところから左に車道が続いていて、奥には駐車場がある。駐車場の横に2軒、プレハブ小屋でうどん屋さんが営業している。下りてきたら、ここでお昼にしよう。

駐車場のすぐ先は、もう坂道である。なぜか、捨身ヶ嶽への道案内がないので迷うが、一番太い登り坂を登って行く。この先にはもう民家はなく、しばらく畑が続いた後は道の両側とも林になる。

捨身ヶ嶽に登るかどうかは、区切り打ちの出発時点では未定であった。何しろ、すでに横峰寺で遍路道不通の情報があったし、途中の宿も予定どおり取れなくて、どういう進行状況になるか、まるで読めなかったからである。

幸い、横峰寺への登り下りが車道を通って1日で終わり、その後は天候が回復して順調に連日30kmを歩くことができた。雲辺寺から観音寺市街への日程もハードだったが、タクシーが5時迎車というケガの功名にも恵まれて無事に観音寺まで歩くことができた。そして、前日に弥谷寺までお参りしたので、この日は捨身ヶ嶽まで歩くことができたのである。

出釈迦寺から捨身ヶ嶽禅定まで、遍路地図には1396mと書いてある。距離的には15分あれば楽に歩けるはずだが、標高差が255mある。この標高差だと1時間近くかかってもおかしくないが、出釈迦寺にある捨身ヶ嶽への説明看板には「ここから徒歩30分」と書いてある。

あるいは道がきちんとできているのだろうかと期待したのだが、もちろん、予想したほど簡単な道ではなかったし、30分では着かなかった。休憩なしで、10時30分にスタートして着いたのは11時15分だから45分、やっぱり私の目安である標高差300m=1時間に近い数字なのであった。


曼荼羅寺から我拝師山方向へ10分ほど登ると、出釈迦寺となる。五来重氏によると、かつては同じ寺だったという。


出釈迦寺本堂。本堂前に仏足石がある。


出釈迦寺大師堂。ベンチがあるのはありがたい。

 

舗装道路を進むと、カーブを切って道は下って行く。下るのはおかしいなと左を見ると、石灯籠がたくさん並んでいて「捨身ヶ嶽駐車場」と立て札がある。少し引き返して左に入る。ここより先、「柳の水」の水場に2~3台止められるし、捨身ヶ嶽奥ノ院の前も広くなっている(工事中のためかもしれない)。

道はコンクリの簡易舗装で、石灯籠が続いている。登山道というよりも参道だが、いかんせん傾斜が半端なくきつい。足を右左と上げていくだけで、かなりの負担になる。

今回の区切り打ちでは横峰寺への平野林道の傾斜がきつかったが、あそこはアスファルトの舗装、こちらはコンクリの簡易舗装で、傾斜自体もこちらの方がきつい。早々に息が切れるけれども、休む場所はどこにもない。

かの西行も、「世の大事にて、手を立てたるやうなり」と山家集に書き残している急坂である。もちろん当時は舗装などないから、ガレ場の急坂を、手も足も使って3点確保でよじ登ったのだろうか。西行も元は北面の武士だったとはいえここに来たのは五十を過ぎてからなので、ひとのことは言えないが年寄りの冷や水だったに違いない。

ずいぶん登ったところで、「遍路道 →」と登山道に誘導される。気分転換にはなったが、すぐにもとの簡易舗装に戻る。「柳の水」の水場を過ぎ、ひたすらスイッチバックを登って行くと、ようやく山の中腹に建物が見えた。捨身ヶ嶽禅定奥ノ院である。まだ、標高差20~30mほどある。

もう、時刻は11時を過ぎた。やっぱり30分じゃ着かないじゃないかと思う。登ってくる途中で2組くらいの参拝者とすれ違ったが、すずしい顔をしているのでそんなに大変じゃないのか思っていた。よく考えたら、あちらは空身で、こちらは10kg以上のリュックを背負っての登りである。

先が見えたので少し元気になった。さらにスイッチバックを右へ左へと登って、ようやく奥ノ院の前、広くなっているところまで来た。11時15分着。45分かかった。

比較的新しい「四国百名山」という石碑がある。やっぱりお寺というより山なんだと思う。他にも山門の前に、石灯籠があり薬師如来像があり、十三重の塔があり、他にもいくつかの石碑が立っている。

それより驚いたのは、山門前に普通車のトラックが止まっていて、奥ノ院の周囲に足場が組まれ、全体がシートで覆われていたことである。おそらく、屋根も壁も相当の規模で工事しているものと思われた。どうやら、台風で相当の被害を受けたらしい。

山門を入るとさらに坂があり、一番手前が鐘楼、正面が奥ノ院である。奥ノ院の横から我拝師山頂上への登山道が始まっていて、いきなり鎖場である(さすがに、ここから先は車は通れない)。立て札が立っていて「ここから先は行場です。危険ですのできちんと装備してください」というようなことが書いてある。

登山の用意をしてここまで来たのならともかく、足回りがウォーキングシューズでは岩場を登るのは危ない。その時ちょうど登ってきた老年二人組が「この先はそんなにないから」などと話していたので、それほどの距離はないのだろう。とはいえ、危険に距離も標高差も関係ないのである。油断は禁物である。

鎖場を登るのはやめにして、奥ノ院前のベンチでリュックを下ろす。また、人が来た。今度はリュックを背負った年配の女性だ。札所をお参りしていて誰とも会わないことすらあるのに、山の上の奥ノ院で、これほど人に会うというのは思いがけないことであった。

おばさんもベンチに腰かけて、どちらからですか、と話しかけてきた。例によって成田空港の近くです、などと受け答えする。そして、「この先は、行かれないんですか?」と聞いてきたので、「今日は登山装備がないですし、荷物も重いので下ります」と私。

すると、「これは、私が歩いていていただいたものなんですけど、いただきもので申し訳ないんですが差し上げます。お気をつけてお参りください」と封筒を下さった。

この女性は登山者なのに、お遍路と勘違いしてお接待されたのかと思ったのだが、そうではなくて、やっぱりお参りだったのだろう。地元の方とおっしゃっていたから、私が遠方から来たと聞いて、せっかくだからと私にパスしたのかもしれない。後で中を見ると、500円玉が入っていた。


出釈迦寺にある捨身ヶ嶽の説明。弘法大師が捨身行をすると、お釈迦様と天女が現れたと書いてある。ここから「出釈迦」という寺号となった。


出釈迦寺から先、舗装道路ながら傾斜はますます急になる。気がつくと出釈迦寺からかなり登ってきた。


捨身ヶ嶽奥ノ院への参道に入ると、簡易舗装の道路は傾斜が半端なくきつい。

 

下りは登りよりも時間はかからず、とはいっても急傾斜でそんなに早くは歩けなかったので、出釈迦寺まで30分で着いた。本堂の横から、納経所に出る通用口が見えたのでそちらに下る。

「捨身ヶ嶽のご朱印を」とお願いする。ご朱印は「捨身霊跡 禅定」と墨書。お姿は「捨身ヶ嶽 弘法大師七歳ノ行場」と書かれ、捨身ヶ嶽から飛び降りたお大師様の前にお釈迦様が現われ、天女が下で受け止めようとする絵が描かれている。

再び山門前の階段を下りて、プレハブのうどん屋さんに入る。お願いしたのはしょうゆうどん。冷したうどんに、好みの醤油で味をつける。醤油はいくつかの種類があり、ゆず風味のものを使った。

「お接待です」と、奥さんがちくわ天としょうゆ豆を下さった。しょうゆ豆は香川県の郷土料理で、食事の時にも出た。おいしかったので、帰りに空港で買ってお土産にした。

「歩き遍路の人は最近少なくなりました」とおっしゃる。「そうですね。私も歩いていて会うのは外国の人ばかりですよ」と答える。「そうですね。外国の方は多いですね」

そういえば、高知あたりでは何人か見かけた若い女性の歩き遍路も、この回の区切り打ちでは見なかった。横峰寺の平野林道でも、雲辺寺の登り下りでも抜かれたのは外人さんだけである。

WEBをみると、この年は西日本の多くが台風の被害を受けたのでその影響ではないかという考察もあるけれど、そうではないような気がしている。

私が考える理由は二つあって、まず一つは主たる歩き遍路候補であるシニア世代に、時間もなければカネもないということである。普通に宿をとれば八十八ヶ所回るのに少なくとも50~60万円かかる。2ヵ月の自由時間とそれだけの費用を工面できる人はそれほど多くはない。

もう一つは、いまの人達は老いも若きも男も女も、ほとんどがコミュニケーション依存ということである。一人で考える、一人で過ごすということができる人はほとんどいない。いつも誰かと「つながっていない」と耐えられないのである。

都会ではデフォルトの「歩きスマホ」も、お遍路歩きでは困難である。距離は長いし、電波が届かない場所も多い。どうしてもスマホが手放せない人は、バス遍路ということになるし、そもそも一人で何十日も歩こうとは思いつかないのではないだろうか。

他にも、野宿遍路をしようにも野宿禁止の公園や休憩所が増えていることもあるし、そもそも日本の人口が減っている。神仏におすがりするよりも、しかるべきところにカネを使いコネを使うことに価値があると考える人も少なくない(だから新興宗教が繁盛する)。

ただ、私が考えるに、シニアに経済的時間的余裕がないことと、コミュニケーション依存が、歩き遍路が減っている二大要因ではないかと思っている。

そして、本来、神仏には何かが起こることをお願いするのではなくて、何も起きなかったことを感謝するものである。「費用対効果」とか「改革に待ったなし」とか言っている人は、神仏とは遠い場所にいる。ただ、多くの人はそう思っているようだし、だとすると神仏からも、お遍路からも離れていくのは仕方のないことかもしれない。

この日の経過
曼荼羅寺 10:05 →[0.6km]
10:15 出釈迦寺 10:30 →[1.7km]
11:15 奥ノ院捨身ヶ嶽禅定 11:45 →[1.7km]
12:20 出釈迦寺 12:45 →

[Feb 1, 2020]


ようやく奥ノ院が見えてきた。我拝師山の頂上も近い。


出釈迦寺奥ノ院、捨身ヶ嶽禅定。いうまでもなく、修験道の行場であったものと思われる。「四国百名山」と書いてあるので、ここから先は登山装備が必要だろう。


奥ノ院は2019年春までの予定で修復工事中。奥ノ院の横を通ると鎖場で、頂上までかつての行場であった。