750 七十五番善通寺 [Oct 16, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

甲山寺の駐車場から、弘田川に沿って歩く。立派な山門を出ると、目の前にベルトコンベアから採石が落ちる音と光景が現われる。甲山のこちら側は採石場になっているのである。もともと信仰の山であった武甲山も天祖山もこうなっているのだけれど、なんだか寂しい光景である。

このあたりは工業地帯で、川をはさんで工場や資材置場の区域が広がる。お寺までは水田がありお墓があり、抜けると工業地帯というのはちょっとシュールである。

もう市街地に入っているので、右左に道が走っていて、どれが遍路道なのかよく分からない。道路の上に掲げられている行先案内に従って車道を歩いたのだが、どうやら人間用ではなかったようで、ずいぶん遠回りしてしまった。野球場のある一角を抜けて、病院の立派な建物を見ながら善通寺の方向に向かう。

しばらく歩くと、住宅街の中を右折せよと指示がある。行先案内を見ると、4ヵ所の札所への方向と距離が書かれているのは、さすがお大師様の出身地である。ここまで甲山寺から1.1kmで、善通寺まで0.5kmなのだが、どこがお寺なのかそれらしき建物は見えない。

さらに進むと、前方に大きな駐車場が見えてきた。歩行者用の入口が見当たらないので、料金所の横を通り、車の脇を抜けて土産物店の前に出た。そこから太鼓橋を渡った向こうに、お寺の建物がいくつも固まっている。14時30分、善通寺に到着。

なにしろ初めてだし境内はたいへん広いので、きょろきょろしながら現在位置がどこか確認する。建物の間を抜けて広くなっている場所に出ると、横に大きく御影堂(みえどう)と書かれている。他の札所では大師堂であるが、ここ善通寺では御影堂と呼び、建物の大きさも金堂(本堂)より大きい。

現在位置が確認できたので、安心して周囲を見る。御影堂の正面に売店があり、参道を挟んで納経所がある。御影堂と売店の間を抜けて行くと、写真で見たとおりのいろは会館がある。いろは会館の場所は分かりづらいとどこかに書いてあったが、こうやって御影堂の方向から入ると迷うことはない。

お参りした後にいろは会館だから、まず本堂を先にお参りして、後から御影堂に戻ってくることにした。御影堂の正面から仁王門までは屋根付きの通路で結ばれていて、屋根の下には弘法大師の伝記をテーマとした絵の額が掲げられている。

仁王門をくぐり参道を本堂エリアに向かう。たいへん広い境内で、いましがたお参りしてきた甲山寺がいくつ入るだろうかと思ってしまう。100mほど離れた本堂エリア、東院伽藍に入る。五重塔がそびえ、その向かいに金堂(本堂)が建つ。間口はそれほどでもないが、高さがある。まるで覆いかぶさるような威圧感だ。

本堂前の手水場で手を洗って、中に進む。本堂内にいらっしゃるのは、ご本尊の薬師如来坐像。丈六の大仏である。真念「道指南」には善通寺のご本尊は四尺五寸の大師御製と書いてあるが、「霊場記」には、大師自ら丈六の薬師三尊を浮き彫りにしたというから、もとは磨崖仏だったようだ。現在のご本尊は江戸時代、元禄年間のものである。

大きなご本尊の前でお経を唱えるのは、なんとも荘厳な雰囲気である。奈良や京都のお寺ではよくあるケースだが、さすがに八十八札所でも丈六のご本尊は少なく、善通寺が初めてだと思う。そもそも、直接ご本尊が見られるところは多くない。


甲山寺を出ると、機械から砂利が仕分けられている。甲山のこちら側は、天霧山と同様、採石場になってしまっている。


善通寺市街に入った。普通の民家が続くが、行先標示をみると札所ばかりで、いよいよ総本山善通寺が近づいたことが分かる。


善通寺は甲山寺から順打ちだと、駐車場を抜けて境内に入る。御影堂のすぐ近くになる。

 

五岳山善通寺(ごかくさん・ぜんつうじ)。五岳山はお寺の背後にある五つの峰、香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山から採られた山号であり、それらの峰々で弘法大師が修業されたことを示している。善通の寺号は弘法大師の父、佐伯善通から名付けたもので、本堂エリア・東院伽藍は弘法大師が学んだ唐の青龍寺に倣ったものという。

現在の御影堂(みえどう)は、弘法大師が生まれ育った佐伯家の邸宅跡に建てられたものといわれ、江戸時代の「霊場記」にそう書かれている。

本堂の丈六薬師如来にお参りした後、御影堂エリアに戻る。御影堂にお参りした後、納経所でご朱印をいただく。売店の横のベンチで身支度をしていると、車椅子のおばあさま方に話しかけられた。このおばあさま達は、御影堂の入口にあるおびんずる様にお参りしていて、車椅子で時間がかかるので私は後ろで待機していたのであった。

「どこから来たんだい?」

「千葉です。成田空港の近くです。」

「千葉かい。ずいぶん遠くから来たんだね。歩きかい?そりゃまた大変だ」

おばあさま同士で盛り上がっている。車椅子を押すのは家族ではなくてボランティアか何かのようで、その人達にも説明している。車椅子だから、先ほどのおびんずる様にも念入りにお参りしていた。通路が狭いので、方向転換にも苦労していたのであった。

納経帳や数珠・経本などをリュックにしまって、奥に見えるいろは会館に向かう。たいへん立派な建物である。御影堂からは棟続きでいくつかの建物があり、そのままいろは会館までつながっている。翌朝はここを通って、御影堂でのお勤めに向かうのである。

もう午後3時を回ったので大丈夫だろうと、受付に向かう。下足箱のところに杖を置くスペースがあり、個人名が5組ほどしかなかったので、これだけ大きい施設に宿泊客がこれだけなのかと思ったら、後から遍路ツアーの団体客が数十人入ってきた。WEBなどで満室の場合もあると書いてあるのは、嘘ではなさそうだ。

それは後の話で、この時間にチェックインしたのは私ともう一人だけだった。受付で説明を受け、階段を上がって部屋に向かう。このあたりの部屋は個人客向けのようで、私の泊まった2階には10室ほどあったが、団体客は他の棟に泊まっていたようだ。

洗面所は昔の仕様で共同だが、トイレはとてもきれいで、設備も新しい。もちろんウォシュレットも付いている。部屋は8畳で、小さいながらTVもあり、ちゃぶ台にポットとお茶の用意もある。ハンガーとか物を干すスペースがあまりないだけで、お遍路には十分な部屋である。

荷物を置いた後は、まず洗濯である。受付のある階の地下が洗濯室になっていて、洗濯機・乾燥機が5台ずつあるのだが、びっくりしたのはすべて無料で使えることであった。お接待で洗濯していただけるところはいくつもあったが、乾燥機まで含めてタダというのは善通寺だけである。さすが御大師様ご誕生の寺である。

午後4時から入浴可能なので、洗濯機に洗濯物を入れて浴室に向かう。「大師の里湯」というたいへん立派な温泉がある。ここを数人の宿泊客で使うのかと思っていたが、後から団体客が来たので納得である。

夕飯は、午後5時半に来てくださいと言われていた。お刺身、がんもどき、こんにゃくの味噌焼き、ゴマ豆腐、野菜鍋にご飯・お吸い物といったメニューで、ビールは食券を買って瓶ビールをお願いする。ボリューム不足というWEBもあったが、私には十分であった。これで1泊2食6,100円、翌朝のお勤めもできるのだから、スケジュールが合って部屋が取れればマストの宿坊である。

この日の歩数は31,725歩、GPSで測定した移動距離は14.3kmでした。


御影堂から本堂までは、結構長い。善通寺だけで町になるような印象である。甲山寺がいくつ入るだろう。


上の写真の地点から逆方向の御影堂方向。背後は香石山、右後ろに筆山である。五岳山とは、善通寺の背後にある5つの峰々から名付けられた。


善通寺本堂。善通寺は、弘法大師の父、佐伯善通を寺号とした。ご本尊は薬師如来。

 

夕飯を食べたら眠くなってしまい、歯を磨いて午後7時過ぎには寝てしまった。こんなに早く眠れるかなと思っていたら、心配することもなく寝入ってしまった。御影堂近くの静かな環境で、ここ数日の標高差のある登り下りで疲れもたまっていたのかもしれない。

午前5時近くなると、他の部屋を出入りする物音がし始めたので、私も起きることにした。洗面をすませ、白衣に着替え、6時15分前に部屋を出る。受付のあたりは団体客でいっぱいで、お勤めのある御影堂にはすでに何人かが座椅子に腰かけてお勤めを待っていた。

お勤めはどのくらい時間がかかるか分からなかったが、仙遊寺のように1時間以上ということはないだろうし、団体客はお年寄りが多かったので座椅子は遠慮し正座して待つ。すでに何人かのお坊さんが準備しており、時間になると太鼓が鳴って袈裟を着たお坊さんが10名、御影堂の内陣に進んだ。さすが善通寺、お勤めも大勢である。

真ん中のお坊さんの椅子が宿泊客側を向いていたので、お勤めなのに妙だなと思っていたら、こちらではまず法話があって、それからお勤めで読経するのであった。法話を担当したのは小豆島に寺のあるお坊さんで、善通寺の偉いお坊さんが出張中なので代わりに、ということであった。

「小豆島にも八十八ヶ所があって、何回何十回も回ろうという方もいらっしゃる。私の知っている人で百回を目標に回られている方がいたが、年がいってから始めたのであと数回というところで体が続かなくなった」

「それからずいぶん経って、参拝された方と何気なく話していると、何か聞いたことがある話をなさる。よく聞いてみたら、その方が亡くなって、息子さんが回られているということであった」

「お遍路は病気のようなもので、一度回ったらそれでいいということではなくて、二度・三度と回りたくなるものだ。でも、この病気はお医者もいらなければ薬もいらない」

というような話であった。法話の後は読経があり、最後に宿泊客も含めて全員で般若心経を唱和する。お勤めの後は、お坊さんが9人退席し、一人残った方から善光寺の説明やお守り購入のお願いがあって、最後に戒壇めぐりをする。

この戒壇めぐりは、御影堂の地下に下りて、真っ暗な中を手探りで前に進むというもので、日中の参拝時にも500円でお願いできるが、朝のお勤めの際には無料である。

長いお勤めの後だったが幸いに足がしびれることもなく、普通に歩くことができた。でも、片方の手をずっと壁に付けていないと、全く視界がないので危ない。幸い、最初の階段を除けば床は平坦である。

何度か曲がり角を過ぎると、神々しい声が聞こえてくる。ここが御影堂中央の真下にあたり、少し明るくなった場所でお大師様の声(再現)が聞こえる。「みなさんが幸せな毎日を送ることが、私の願いです」とおっしゃっている。

戒壇めぐりが終わると、宿坊への通路に出る。宿泊客が登って来るたびに「朝食の用意ができています」と案内のお坊さんが繰り返している。時間をみるとすでに7時10分になっていた。

この日の経過
甲山寺 13:50 →[2.0km]
14:30 善通寺(泊)

[Feb 29, 2020]


善通寺いろは会館。いろは、とは弘法大師がいろは歌を作ったとされることによる。宿坊・食堂・浴室・善通寺の事務室などがある。


いろは会館食堂。団体客が入るため、内部は百以上の席があり、さらに奥に、僧侶の食堂がある。


善通寺の夕食。これで1泊2食6,100円だから、お大師様誕生のお寺だけのことはある。ホイルはこんにゃくのみそ焼。お刺身は宿泊客だけにしかつかない(多分)。