090 燕山・加波山 [Jan 3, 2020]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

前回、宝篋山に登ったが、標高400mほどなのでそれほどきつくはなかった。もう少し高い山に登ろうと思ったのだけれど、丹沢・奥多摩は依然として厳しく、房総も今年は遠慮すべきだろう。となると再び茨城である。

ただ、茨城県の山を歩く際に困るのは、参考書がほとんどないことである。WEB情報がない訳ではないけれども、全体像をつかむにはガイドブックが便利である。

いろいろ調べてみると、「高速登山道」こと、関東ふれあいの道のパンフレットを茨城県庁で配っている。メールで依頼すると、送料着払いで送ってくれる。さっそくお願いしてみると、全18コースの立派なパンフレットで、分かりやすい地図も載っている。

今回はそれらのコースの中で、コース7「御嶽山から坂東24番札所へのみち」とコース8「筑波連山縦走のみち」を合体して、御嶽山(おんたけさん)から加波山(かばさん)まで歩いてみることにした。宝篋山からは、筑波山を真ん中にして反対側にある山である。

2020年1月3日、今年の登り初めである。車が混むと嫌なので、電車を利用することにした。成田線・常磐線を乗り継いで、友部から水戸線に乗る。常磐道・北関東道はよく通るが、水戸線に乗るのは初めてである。

水戸線には登山客の姿が見えたのだが、岩瀬駅で下りたのは私だけだった。線路沿いにハイキングコース入口の案内看板があり、10分ほど歩くと登山道入口である。すでに車が2台止まっていた。

入口すぐに登山道が分岐している。青テープのある左側を進んだのだが、WEBで評判の不動の滝を経由せずに登ってしまった。滝とはいっても樋で流れてくる水で、御嶽神社の滝行に使ったものという。

さほどの急こう配もなく20分ほど登ると、石碑の多く立てられた御嶽(おんたけ)神社前に着く。まずは、登山の安全を祈願して二礼二柏手一礼。聞いたこともない神様の名前が彫ってある石碑がいくつか立てられている。

すぐ後に登ってきたおじいさんに、「石碑の多い神社ですね」と聞くと、「ああ、ここは御嶽神社の講をやっとるから。いまでも年に一度、木曽の御嶽山まで行っているよ」とのことである。

「雨引山に行くの?じゃあ途中まで一緒に行こう」と前に立ってすたすた歩きだした。足元は真新しいスポーツシューズ、腰には水筒を装着している。足取りは軽快である。

「私も登山をやっとったが、80過ぎて他の山はしんどくなった。でも、ここは雨でない限り毎日登るよ。おかげさまで医者知らずだ。」と、ちょっと奥まった場所にある三角点や、ビューポイントを道すがら教えてくださる。

「ここは、赤城山が見えるポイント。男体山もよく見える。眺めがいいように、下草を切ってあるんだ。今日は雲が多いが、晴れていれば那須や谷川岳も見える。富士山はもう少し先だ。」と地元ならではの解説付きである。

驚いたのは、「関東ふれあいの道」の指示する登山道ではなく、何も行先の書いてない道に入ったことである。

「いずれまたぶつかるんだけど、あの道を行くといったん谷まで下りて、また階段を登らなきゃいけない。慣れた人はみんなこっちを使うよ」とおっしゃる。そして、実際にこの道で何人もとすれ違い、おじいさんは挨拶している。よく会う地元の人のようだ。

「この先は石切り場になっておって、東京駅や迎賓館にはここで採った御影石が使われているんだ」とのこと。この道の左右にも石を切ったり運ぶ機械が置かれている。おそらくここはもともと石切り場で、それで県や環境庁は自然歩道に指定しなかったんだろう。

おじいさんは、再び関東ふれあいの道と合流する場所まで案内してくれた。雨でなければ毎日、ここまで歩いて来るのだという。たいしたものである。すれ違った知り合いの人達も、みなさん私より10以上歳上に見えた。

「あそこに見えるアンテナのところまで行って、尾根沿いに登ると雨引山。気を付けて行きなさい」と、おじいさんは引き返して行った。御嶽山は230m、おそらくこのあたりで標高300mは超えているはずだ。そこを、おじいさんはほぼ毎日登っているのである。


水戸線の岩瀬に近づくと、これから登る燕山への稜線が見えてくる。もう周囲は山が多い。


水御嶽山登山口には、すでに2台の車が駐車されていた。地元のお年寄りの散歩コースになっているらしい。


御嶽神社。御嶽山三角点の近くにある。ここで、雨が降らない限り毎日登るというおじいさんに話しかけられ、一緒に雨引山の途中まで歩いた。

 

おじいさんと別れて、雨引山(あまびきさん)に向かう。いつも登山道を整備している人がいるということで、よく手入れされている。それほど急こう配もなく、たいへん歩きやすい道である。

岩瀬駅を出てから1時間40分、10時10分に雨引山到着。標高は403mである。東屋にはすでに先客の老夫婦がいて、筑波山と富士山を望む特等席で早いお昼をとっていた。筑波山の左に見える大きな山が燕山・加波山と思われるが、逆光でまともに見ることができない。

先は長いので、5分ほど休んで出発。さて、ここからが問題である。雨引山から燕山まで茨城県のくれたパンフレットには休憩場所もトイレもなく、所要時間も不明である。登山口の看板には所要120分と説明があった。行先看板によると、距離は5.1kmある。

まあ、ちゃんと整備されているハイキングコースなら、それほど心配しなくてもよさそうだと思っていたのだが、雨引観音への道を分けたあたりからこれまでとは違った道となった。

まず下りがハードだった。足場を作ったのがかなり昔だったらしく、木が削られて上から土が乗っている。だから、階段ではなくただの斜面に近く、加えて滑りやすい。慎重に足場を選んでペースダウンする。

登山道の刈払いも雨引山までのように頻繁には行われていないようで、左右から笹がかぶさっている。これまでは千葉の山とは違うなあと思っていたが、たいへんよく似た雰囲気になってきた(それでも、嵯峨山ほどではないが)。

加えて、東屋どころかベンチもない。さすがに公称2時間をノンストップでは難しいので、雨引山から2.7km、燕山(つばくろやま)との中間点で案内標識にリュックをひっかけて、立ったままで小休止する。

燕を「つばくろ」と読むのは、北アルプスの燕岳と同じである。いつか行ってみたい山だが、このくらいのアップダウンでひいこら言っていてはいつになるか分からない。5分ほど休んで出発する。

しばらくはおだやかなアップダウンだったが、燕山頂上の直前は等高線が混みあっている。1/25000図では、標高差200mほどの急傾斜のように見える。最初は、ところどころ岩が飛び出たロープのある急坂である。傾斜自体はロープなしでも大丈夫だが、足場が滑るので危ない。

このロープ場をクリアすると、今度は延々と続く階段である。はるか上まで続いていて、それで終わるかと思ったら下からは見えないだけで右に折れて階段は続いている。だんだん息が苦しくなる。でも、頂上はもうすぐのはずだ。

そして、すぐそこが頂上というところで、とうとう太ももが悲鳴を上げた。CW-Xの中で太ももが膨張して、破裂するのではないかと思うような痛みである。思わず、階段の足場になっている木の上に腰掛ける。

標高700mくらいでこの状態とは情けないが、こういう痛みはこれまでなかった。息が切れて階段に座り込むことは房総でも丹沢でも何回かあったけれど、こういう風に太ももが悲鳴を上げたのは初めてである。

10分くらいで何とか落ち着き、太ももの痛みも引いてきた。やはり、しばらく山歩きをしていなかったことが原因だろう。休んだ場所のすぐ上が燕山頂上で、山名標があるだけでベンチはなかった。

頂上にはベンチはないが、すぐ先にアンテナ塔が立っていて、そこに東屋がある。先客のシニア夫婦がいたので隅の方に座ってコーヒーを淹れ、ランチパックでお昼にした。

もう、時刻は午後1時半である。当初の予定では、3時20分頃に出るコミュニティバス・やまざくらGO(号)を目標に下山するつもりだったが、いまからでは間に合わない可能性が大きい。急いで下って転倒でもしたら大変だ。この時点で当初予定のバスはあきらめた。

足の調子を確かめながら、ゆっくりとアンテナ塔から下る林道を進む。ありがたいことに、車も通れる林道で太ももへの負担が小さく、登っている時の耐え難い痛みはなくなってきた。


雨引山までの道は、いつも手入れしている人がいるということで、たいへん歩きやすい。


ところが、雨引山を過ぎて燕山までの道はアップダウンがきつく道も心細くなり、房総の山に似たような感じとなる。


燕山の最後の登りは標高差200mを一気に登る。ロープ場から始まって、階段が延々と続き、太ももが悲鳴をあげた。

 

燕(つばくろ)山からアンテナ塔の横を通り、いったん林道を下って行く。しばらく進むと大きな拝殿が見えてくる。加波山神社山頂拝殿である。今日加波山神社を名乗っているのはかつての中宮で、麓にある里宮(通常、加波山神社といえばここを指す)もこの系列である。

加波山神社は本宮・親宮・中宮の3社からなり、加波山頂上付近にはそれらのお宮がそれぞれ建てられていてよく分からない。加えて、たばこ神社という摂社や拝殿、石碑が林立しているので、どこがどういう系列なのか部外者には謎である。

いずれの系列も、明治以前は神仏習合の修験道系霊場で一体であった。わざわざ3つに分けたのも、熊野三山に対抗するためだったという説がある。ただ、明治の神仏分離で神社となり、別法人となったことからお互いに対抗する存在となってしまった。

頂上付近で目立つのは「大先達△△記念碑」の大きな石碑で、四国遍路の先達を想像するとたいへん妙なのだが、加波山系の「大先達」というのは千日回峰行の「大阿闍梨」と似た称号で、多くの修行を成し遂げた行者のことらしい。

加波山神社の拝殿を過ぎると、その大先達石碑が並ぶ中、岩場の急坂を登って行く。場所によってはロープを張ってある。拝殿で神社の人がひとり、急坂でシニアの夫婦連れとすれ違った他には誰とも会わない。

再び太ももが悲鳴を上げそうになったが、その前に何とか頂上近くに達した。だが、普通の山のように山名標や三角点がある訳ではなく、お社と石碑が続いているだけである。ひとつひとつのお社に二礼二拍手一礼で拝礼する。

くじけそうになったが、何とかここまで来ることができた。燕山ではこのまま林道を下ってしまおうかと思ったほどだったが、ゆっくり歩いたのがよかったのか回復してくれた。いずれにしても、バスは予定より1本後、5時頃なので日が暮れるまでに下山できればいい。

一番高い場所と思われたお社の写真を撮り、後方を振り返ると先ほど通ってきた燕山のアンテナ塔がきれいに見えた。ただ、帰って調べるとここは加波山神社(中宮)山頂本殿というお宮だったようだ。

加波山の最高標高点としての山頂は、いちばん奥の加波山本宮という場所らしい。そのお宮の周囲にはいままでにも増して多くの石碑が二列三列に並んでいて、どこへ参道がつながっているのかよく分からない。

1/25000図では山頂の東から麓へ続く道があるはずなので右方向を探すと、下に続いている階段を見つけた。しばらく下っていくと、WEBで見たことのある会所のような建物があった。ここを下れば、麓に下れるはずである。

さて、加波山というともう一つ有名なのは自由民権運動の加波山事件である。ただ、加波山に立てこもったというけれどもそれほど大きな施設は頂上付近にはなく、どこがその舞台であったのかよく分からない。

現在の建物である程度の人数が入れるのは加波山神社拝殿と本宮の会所であるが、いずれも十数人といったところで、それほど多くの人数が集結できる場所ではない。

大きさからいえば、過激派学生が武闘訓練をした福ちゃん荘の方がよっぽど大きい。おそらく、加波山に集結したのは人里離れた攻撃されにくい場所だからというよりも、古くから山岳霊場として信仰を集めた神様の加護を頼む意味が強かったのではないかと思う。


燕山の頂上には何もない。すぐ先にアンテナ塔が3つあり、そのそばに東屋がある。


加波山まで行かないことにしようと思って歩いたが、足も復活してきたので最後のひとがんばり。


加波山の頂上付近から振り返ると、燕山のアンテナ塔がよく見えた。

 

次のバスは午後5時前なので時間は大丈夫だが、かと言って日が暮れる前に麓に着かないと心細い。かつて奥多摩で、やはり冬場に、下山途中で日が暮れてヘッデンで歩いたことがあった。あの時も午後5時前に真っ暗になった。山の日の入りは早いのである。

会所らしき建物の下には立派な鳥居があったが、そこまでの石段は足を置く場所が足の大きさの半分くらいしかなく、転がり落ちそうだった。昔の人はそんなに足が小さかったのだろうか。

会所の建物は古く見積もっても昭和後半頃のもので、それほど古くはない。ここまで車も重機も入れないはずなのに、どうやって建てたのだろう。奥多摩の天祖山にも同じような会所があったが、あれはもっと古い建物でまさに人力で作った雰囲気だ。

鳥居から下は、幅の狭いスイッチバックの急坂が続く。かつては多くの信者が通った参道なのだろう。道端には石碑や丁石を見ることができる。ただ、丁石は連続していないし、石碑は文字が薄くなってしまっている。

20分ほど下りたところで、車の通れる林道に出た。一安心してどちらに進もうかと1/25000図を見ると、左に行くと山の中腹で切れてしまっているし、右に進むとかなり前に通った燕山の下あたりまで続く。どちらも不正解で、正解は林道を突っ切った先であった。「真壁方面」と、壊れかけた案内看板があった。

再び、細く急傾斜の道であった。「本宮参道八合目」という石碑があるので参道であることは間違いないし、ここが1/25000図の破線なのだが、落ち葉が深く積み重なって、しばらく人が歩いた形跡がない。この日は1月3日だというのに。

加えて、落ち葉の下が深く掘れて段差になっていたり、滑りやすくなっていたりするので慎重に歩かなくてはならない。だから、なかなかペースが上がらない。

それでも何とか、山頂から1時間半、まだ日が高いうちに登山道から林道に出ることができた。下山口は使われなくなった採石場で、かつて石を切り出して運んだ跡が残っている。その脇から、いま下りてきた加波山本宮への登山道が始まっていた。

林道を5分ほど進むと、大きな鳥居と加波山本宮参道の石碑のある分岐点に達し、山から下りてきたコンクリ道と合流した。おそらく、加波山神社山頂拝殿から下りてくる道なのだろう。

ここから先は舗装道路を下って行くだけなのだが、意外と距離があってバス通りまで出るのに時間がかかった。加波山神社の里宮に着いて登山の無事をお礼したのが午後4時、そこから住宅街の曲がりくねった道を進み、4時半頃バス通りに出た。

コンビニを探してバス停一つ歩き、午後5時前のコミュニティバスで筑波山口へ。バスを待っている間に、目の前の西の空に太陽が沈んで行った。結構危ないタイミングであった。

つくバスに乗り換えてつくばセンターへ。初めて乗るつくばエクスプレスで流山おおたかの森まで行き、東武線・北総線で家に帰った。標高700mで情けないことだが、3~4日は太ももがひどく痛んだ。

この日の経過
JR岩間駅(14) 8:30
9:10 御嶽神社(180) 9:20
10:10 雨引山(409) 10:15
11:25 燕山2.4k道標(399) 11:30
12:55 燕山(701) 13:25
14:00 加波山(708) 14:10
15:35 下山口(249) 15:40
16:40 白井バス停(50)
[GPS測定距離 14.4km]

[Mar 2, 2020]


加波山の頂上付近にはお社が4つ5つある。ここが一番高いと思ったのだが、この後にある本宮の方が少し高いようだ。


標高700mから下るので楽ではないとは思ったが、この下りは長かった。落ち葉が積み重なって、下の地面が滑りやすかったりする。


麓まで下りて加波山方向を振り返る。なんとか明るいうちに下りてくることがではたが、バスを待っている間に日が暮れた。